瑞光たる花嫁



 見知らぬ誰かのもとに嫁ぐ運命は、幼いころより受け入れていたけれど。

 彼の態度から察するに、歓迎されているとは言いがたいうえ、そもそもこのような応対に慣れていないわたしは、居心地の悪さとともに、わずかな不満も感じていた。


 なにより、わたしが先日まで暮らしていたカネレ伯爵家は、王宮において強い発言権を持つ。

 そのカネレ伯爵家のうしろ盾は、側室の子である公爵にとって、今後も必要不可欠で。こちらから申し出た婚姻の話も、ふたつ返事で承諾したと聞いていたのに。


 このような状況で、託された大役を為し遂げることができるのか。持ち合わせていたはずの矜恃が、はやくも崩れていくような気がした。


 ひと目で気に入られる自信があったわけではないけれど。わたしが選ばれた第一の理由に関してだけは、他者より秀でたものを有していると自負していたから。

 なのに公爵から煙たがられていたのでは、それも存分に発揮できない。


 しかも。前途の厳しさを感じていたわたしの耳に、追い討ちをかけるような言葉が届く。それは公爵のうしろに控えていた男性が口にしたもので。


「ルクスさま。いますこし表情を和らげていただかないと、ロベリア嬢が怯えておいでですよ」

「いえ! あのっ……! わたくしは——」


 言葉を発した途端、皆の視線がわたしに集中する。そして気づく。思ったよりも大きな声を上げてしまったことに。


 心証を悪くしたくない一念で、怯えてなどいないと伝えたかっただけなのに。

 どうすればいいの。公爵の片眉がぴくりと動く瞬間を目にしてしまったうえ、公爵に意見した男性からも、じっと注視されてしまう。


 はやくも失敗してしまったのかもしれない。公爵に向けられた言葉だったのだから、わたしが口を開く必要はなかったのに。

 気づいたときにはもう遅く、怖じ気づいた心をあっさりと悟られたわたしは、動揺まで表に晒してしまうという失態を演じていた。


 すぐさま取り繕おうとするも。それよりもさきに、まだ名前も知らない、無用なうえに迷惑でしかない指摘をしてくれた男性から、けれど意外にも、柔らかな笑みが向けられる。


「私はルクスさまの補佐役を務めております、名を、シエロ・フィーニという者です」


 それは、とても好意的に感じる対応で。

 場を和ます声音の持ち主でもあったその男性——シエロは、口を利く気がまったくない様子の公爵に代わり、自ら進んで名告ってくれた。


 おかげでわたしは助けられ、落ち着きを取り戻す時間まで得たのだけれど。

 公爵の機嫌は最初から損なわれていたようだし、無駄に気を回さずとも、この場の空気がいまより悪くなるような事態にはならなかったのかもしれない。


 だいいち、わたしの相手をまともにしてくれているのは、いまのところシエロだけなのだから……。


 ふたたび悲観的な考えに沈みそうになった、その一歩手前。わたしはあらためて、シエロを窺い見る。


 受ける印象は物静かで、公爵と真逆ではあるけれど。彼らはどことなく顔立ちが似通っていた。

 ふたりとも二十歳前後の年頃で背恰好も等しく、褐色の髪に琥珀色の双眸と、そこまで共通しているため、似ていると感じてしまうのかもしれない。


 ただ、シエロをひと目見たときから、公爵より似ている人物——そう、あのかたのお顔が、心には浮かんでいて。


「——似て、いますか?」


 見比べたのを気づかれたのかもしれない。心を読んだようなシエロの問いに、内心ひやりとしたけれど。それでも、正解の返答を導き出すのは簡単で。


「……はい」


 と、余計な感想は口にせず、頷くにとどめる。


 あのかたのお顔を間近で拝せる者は、ごく少数に限られているから。肖像画でさえ、目に触れる機会はない。

 なのに伯爵の娘、しかも養女でしかないわたしが、あのかたのお顔を知っていては不自然だもの。


 それゆえ続ける言葉も見つけられず、やむなく沈黙していると、シエロが情報を補足してくれる。


「ルクスさまと私は従兄弟の間柄なのです。そのせいか、初めてお会いするかたからは、似ているというお言葉をいただくことが多いのです」


 屈託のないシエロの笑顔で思い出す。与えられた情報のなかに彼の名があったことを。


 リベルタス領の前領主、レオパルド。その長子が、たしかシエロという名だったはず。それにレオパルドはあのかたの弟。だとしたらシエロが、血縁関係では伯父に当たるあのかた——、レオーネ王に似ていても不思議ではない。


 そのとき、サンファーロ王家の家系図を頭のなかに広げていたわたしは、シエロの声で現実に引き戻される。


「ご不便や至らぬところがありましたら、私をお呼びください。このとおり、ルクスさまは無口でいらっしゃいますので」


 無口って——。そのようにはっきりと、言葉にしていいのかしら。


 公爵について口にしたシエロの気安さは、困惑しか連れてこず、はらはらと、逆にわたしのほうが気を揉んでしまう。それとも。公爵に対する、これがシエロの通常の接しかたなのかしら。


 応じがたいシエロの申し出に、頷いてよいものか迷っていたところ。

 不意に公爵と目が合った。けれど即座に、しかもあからさまに、公爵からは顔を背けられてしまう。


 視線を合わせる行為さえ、もはや煩わしく感じているのかもしれない。公爵が取ったつぎの行動は、ひと筋の光明すら見いだせないものだった。


「行くぞ」


 そのひとことを残し、公爵はすでに、皆を置き去りに背を向け歩き出していて。


 なぜ、初対面にしてここまで疎まれているのか。

 その理由には、ひとつだけ心当たりがあり、だからこそ選択を間違えてはいけないと思案したわたしは、結局なにも選択できないまま立ち尽くすしかなかった。


 やはり、知られているのかもしれない。——と。


 これからどうするべきか。考えを巡らせていたわたしの耳に、また、シエロの声がすっと入り込む。


「ルカ、あとはお願いします」

「はい、お任せください」


 快活に応じた黒髪の男性は、公爵やシエロと変わらない年頃で。

 どうやらシエロは、この城館に着いてから案内役を務めてくれていた彼——ルカに、引き続きわたしを任せるらしい。


 そのとき。


「おい、早くしろっ!」


 苛立たしげに振り返った公爵がシエロを急かした。


「すぐに参ります」


 焦りも見せず返答したシエロは、けれどまだ、動こうとしなくて。わたしと向かい合い、困ったように話を続ける。


「普段から、あのかたはああなのです」


 ですから、お気になさらないように。と、わたしの耳もとに顔を寄せ、囁いたシエロは、心の底から申しわけなく思っているように感じた。


 そして去りぎわ。


「歓迎いたします。リベルタス領の瑞光たるに相応しい、麗しの花嫁」


 シエロが見せた優しい微笑みは、わたしの胸に確かな温もりを残していった。

 それは、公爵の代わりとばかりに場を取りなそうと気遣ってくれたシエロの存在が、唯一の救いのように感じられたからだと思う。


 公爵とシエロを見送りつつ、わたしは自分を励ますため、ぐっと両の拳に力を込めた。


 大丈夫、まだ知られてはいない。真実を知りながら、わたしを花嫁として迎え入れるなど、けしてありえない話だもの。


「では、ロベリアさま。わたくしたちも参りましょうか」


 促す声に顔を横向ければ、にこりと茶色の双眸を細めた、ルカの人懐っこい笑顔があった。


 公爵との謁見中、すっかり存在を忘れていたけれど。

 ルカに気にした様子が見受けられないのも、公爵とシエロのやり取りを、彼が見慣れているからかもしれない。それはつまり、シエロの言葉どおり、あれが平素の公爵だということ。


 そこからあと押しを得たわたしは、うしろを振り返り、ソフィアと顔を見合わせる。そこで一度、お互い頷いたあと。


 わたしたちはルカに従い、まっすぐに一歩を踏み出した。






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