第1章

自由領の領主



 庭園の美観を損なわずに続く石敷きの遊歩道。その両脇を縁取るように植えられた薔薇たちの枝先。

 そこに膨らんだたくさんの蕾を見つけたわたしが、花開くところを想像し、胸を躍らせたことに嘘偽りはない。


 実際、優美な佇まいを見せる白亜の城館を背景に、樹木に囲まれたこの場所は、あとひと月もすれば、美しい薔薇が咲き誇る花園に変わるのでしょう。

 まだ、蕾は小さくて頼りなく、何色の花を咲かせるのか、そこまではわからなかったけれど。


 浮かれる心を霞ませる焦燥が、わたしの目を、樹木越しに見える城館の尖塔へと向けさせた。


「いつまで、ここで待てばよいのでしょうか」


 そろそろ、愚痴も零したくなるというもの。


 最初に案内されたのは、一幅いっぷくの絵画のような、野趣溢れるこの広い庭園。それを思うぞんぶん堪能できる位置に設えられた、真っ白なあずまやで。

 六本の柱が円蓋えんがいを支える、鳥籠の形をしたこの建物を、わたしはひと目見て、心から愛らしいとも感じた。


 だからそれは、さんざん待たされた結果。


「お顔が引きつっておいでですよ、ロベリアさま」

「ですがソフィア——」


 言いわけをしようと口を開いた途端、ソフィアの涼やかな青い瞳が、やんわりとわたしに向けられる。


「ロベリアさま。今度は、頬がふくらんでいるようにお見受けしますが」


 誰かの目がある、というわけではないのに。


 待ちくたびれるくらい長い時間、姿勢を正して立っていたわたしに、それでも気を抜かないようにと、横から小言をくれたソフィアだけれど。


 幼いころから同じ家で暮らし、ともに育った、姉とも慕う相手で。わたしつきの侍女として、幸いにもソフィアの同行には事前に許可が下りたため、このリベルタス領入りは、ふたり連れ立ってくることが叶った。


 たとえ許されなくとも、なに者にも代えがたい人材だと、強く訴える心積もりがあったほどに、ソフィアは重要な存在でもある。


 なにより、わたし自身がソフィアを頼りとしているのだけれど。

 現在受けている、放置という扱いゆえに愚痴りたくなる心情に関しては、どう表現しようと、ソフィアの賛同は得られないらしい。


 わたしは仕方なく言いわけを諦め、ソフィアから顔を背けた。


「ふくれてなどいません。気のせいです」


 負け惜しみも含め、そのような主張を試みる。


 注意されずとも自分の役回りは心得ていますと、訴えたくもあった。けれど。心得ているからこそ、目的のため、弊害にしかならない不平は胸のうちに仕舞い込む。

 それでも抑えきれない感情が、駄目だとわかっていながらも、とうとう溜息となって零れ落ちる。


「ここまで、事が順調に運びすぎたのかもしれませんね……」


 うしろ向きな考えを口にしつつ、あずまやに据え置かれた白い丸テーブルと二脚の椅子を恨めしく見やる。


 ここはもう素直に、勧められた椅子に座って待っていようかしら。


 そう心が揺れ始めたそのとき。遊歩道のさき。ようやくやってきた待ち人の姿に気づき、薄れかけていた緊張がにわかに復活する。


 慌てて平静を装い、目を伏せ相手を待つ。


 ほどなくあずまやには、三人の若い男性が到着したのだけれど。挨拶すべき相手はすぐにわかった。それは彼が、悠々と先頭をきって歩いてきたからで。

 わたしは不作法のないようにと淑女らしさを心がけ、ドレスの裾を持った。それから軽く膝を折る。


「お出迎え、恐縮いたしております。カネレ伯爵が子女、ロベリアと申します」


 そうやって儀礼に則ったお辞儀をしたあと。


「顔を見せろ」


 聞こえたのは、ぞんざいな言葉だった。けれど、ひとまず顔を上げることは許されたようなので、伏せていた視線をゆっくり正面へと向けた。


 そこで視界に捉えたのは、眉ひとつ動かさず、わたしを見据えている男性。


 母親の言いなりで、しかも公の場にはけして顔を見せないというから。もっと軟弱な外見を想像していたのだけれど。臆する様子は欠片も窺えなくて、彼は堂々と構えていた。


 むしろ、冷酷な印象さえ受ける。

 その印象は、かえってわたしを納得させた。


 サンファーロ王国リベルタス領。彼はその領主、ジュラーレ公爵であり、視点を変えてみればサンファーロ王国の第二王子、ルクス・ベルトーニでもあったから。


 そしてわたしは、彼の婚約者という立場でいま、ここにいる。


 それはたがえようのない確定事項であるはずなのに——。それとも、確定事項だからこそ、なのかしら。


 十六の歳を数えたこの春、穏やかに晴れた午後の陽射しは、気を緩ませるほど暖かだというのに。

 初めての土地で不安を抱えたわたしの心には、公爵の視線が冷たく刺さる。






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