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 振り向いた俺の唇を、彼女がゆっくりと奪う。


 なんと……大胆な。


「誰かに見られたらどうするんだ」


「池の鯉と柳の木しか見ていませんよ」


 それもそうだな。


「女を抱いている時、突然消えたら驚くだろうな」


「でしょう。情事の途中でタイムスリップするとか?」


「それは刺激的過ぎる。淫らだ。俺は官能小説は書けない。俺の作風には合わないからな」


「そうですね。違うシチュエーションにしましょう」


 彼女の眼差しに魅了され、執筆の手を止めた俺は、彼女を抱き締めキスを交わす。彼女は猫のように俺の胡座の上にするりと座り、俺の唇を求めた。


 地味で控えめな彼女。

 彼女は俺が初めての男だった。


 彼女を未知の領域に引き摺り込み、女として開花させてしまったのはこの俺だ。


 だが、あの彼女が……

 こんなにも艶っぽい女に変化するとは。女とは得体の知れぬ生き物。


 ーーコンコン……コンコン……


 キスを交わしていると、遠慮がちに窓ガラスを叩く音がした。

 人の視線を感じ、思わず抱き締めていた手を解く。


「みやこ……!?」


 セシリア社の相武みやこ。

 俺の元担当だ。


 彼女は頬を赤く染め、猫のように俺の膝の上から飛び降りると、慌てて衣服の乱れを直し立ち上がる。



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