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「えっと……」


 宿泊者名簿に『只野直人』と先に記入したが、自分の名前が書けず躊躇していると、先生が背後から口を開く。


「妻まひる、早くしろ」


 先生はいつも私を『君』と呼ぶ。その先生に『妻まひる』と呼ばれ、思わず吹き出しそうになる。


「はい」


 違和感を抱きつつも、『只野まひる』と記入すると先生の眉がピクリと動いた。自分で『妻まひる』と言ったくせに、先生の方が動揺してる。


 チェックインを済ませ、客室に案内される。部屋は先生の希望で和室を選んだ。


「今日はどちらに行かれましたか?お疲れになったでしょう。露天風呂も貸切風呂もご用意してあります。どうぞごゆるりとお湯に浸かって下さい。温泉は弱アルカリでお肌はゆで卵のようにつるつるになりますよ。その間にお食事のご用意をいたしますね」


 愛想のいい仲居さんにゆで卵と言われ、私は先生を見て微笑む。


「貸切風呂か……。生卵がゆで卵になるのだな。それは興味深い。君も一緒に行こう」


「か、貸切風呂!?わ、わ、わ、先生、露天風呂にしませんか?」


「他人がいるのは、面倒だ。そもそも俺は人ごみは嫌いだ。観光バスで疲れた。これ以上他人と過ごすのは御免だ」


 先生は仲居さんから浴衣を受け取ると、さっさと風呂場に向かう。貸切風呂とはこの客室に設置された専用露天風呂のことだ。



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