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 その日、桃色のアドバイス通り俺は彼女の寝ている二階に一歩も近付かなかった。


 ◇


 目覚めると、台所で人影が動いている。どうやら俺はそのまま座敷で寝てしまったようだ。


 コトコトと鍋が音を鳴らす。美味そうな味噌汁の匂いが胃袋を刺激する。


「只野先生、おはようございます。起こしてすみません。お台所勝手にお借りしています」


 彼女はとても好意的に微笑んだ。

 これは俺への警戒心が緩んだということか?


 台所を我がもの顔で自由に使われることは若干気にいらないが、彼女の警戒心が緩んだ証拠なら、それも致し方ない。


 洗面所で顔を洗い座敷に戻ると、テーブルの上には朝食が並んでいた。


 炊きたてのご飯。

 わかめとの味噌汁。

 ふわふわのオムレツ。

 俺の漬けた胡瓜の漬物。


 卵好きなだけあって、オムレツの焼き加減は絶妙だった。


美味うまい」


 思わず口から零れ落ちた言葉に、彼女が嬉しそうに微笑んだ。


 母が亡くなって以来だ……。

 こんな美味い朝食を食べたことがない。


 他人の作る飯を、こんなに美味いと感じるとは。

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