ぼくはぼくだった

 王子様は飛ぶための機械から地面に降り立つ。柔らかな音が彼の足元からした。王子様に続いて地面に降りたエクスたちは辺りを見渡す。

 渡り鳥から青い星に降りた彼らを待っていたのは砂漠だった。命の営みを感じることができない。砂と岩で作られた寂しい風景。生命はおろか、ヴィランすらいない。


 ──ここには何もない。


 エクスは肩を落とす。王子様が“最後の星”と言ったからには、この想区を蝕む原因であるカオステラーがいるのではないかと考えていた彼にとって、砂と岩ばかりの風景はあまりにも期待外れであった。


「何もないね」

「そうだな。骨が折れるが探索していくしかなさそうだ。王子、道案内を頼むぜ? ……王子?」


 王子様はタオへ何も言葉を返さなかった。ただ王子様は前を向いているだけだった。


「聞こえてないみたい」

「どうしたっていうんだよ、全く」


 エクスの呟きにタオがやれやれと肩を竦める。そうして、タオは王子様へ向かって足を踏み出した。


「タオ、待ちなさい」


 それをレイナが止める。


「何だよ、お嬢」

「いいから」


 レイナはタオから視線を王子様に向ける。自分が無視されていると感じたのか、タオがレイナに向かって声を掛けようとすると横からタオの動きを制止する声がした。


「タオ兄は少し黙っていてください」

「なッ!?」


 シェインの自らに対する扱いにタオは思わず言葉を失う。口を開こうとしたタオに向かって首を横に振るシェイン。彼女のただならぬ様子を見て、タオは口を閉じ表情を引き締めた。


 何かしらの異常にお嬢とシェインは気が付いたのだろう。


 そう考えたタオは腕を組み、レイナへと目線を向ける。

 レイナは辛そうな表情を浮かべていた。ややあって、覚悟を決めた彼女は王子様へ向かって尋ねる。


「王子様。あなたは私たちの案内をしてくれた。そして、この想区についても詳しく知っていたし、いくつかのものは自分で用意したとも言っていた。星を渡るにつれて、あなたは段々と自分のことを思い出していった。そして、この星についた時からあなたの様子はおかしかった。……自分のことを全部、思い出したんじゃないの?」


 詳しく聞きたい内容は確かにある。だが、それらの言葉を飛ばしてレイナは核心を突くことを選んだ。きっと、この想区についての詳細な情報よりも王子様の記憶の方が重要だ。

 レイナは王子様の背中を見つめ、最後の疑問を口にした。


「あなた、何者なの?」

「ぼくはぼくさ」


 この星に来てから沈黙を保ってきた王子様が動き出す。

 振り返った王子様の目は赤色に怪しく光っていた。今までの優し気で親しみやすい雰囲気は無くなっていた。彼が持ち得るのはただ一つ、狂気だけ。


 レイナは王子様から一度目を離し、ゆっくりと顔を上げる。


「あなたが……」


 正面から王子様を見つめるレイナの瞳は答えを確信していた。


「……カオステラーなのね?」

「君の言葉で、やっと思い出せた。ぼくはカオステラーだ」


 右手で顔を覆うカオステラー。彼は心の内を隠そうとする。しかれども、彼の心の内を表すかのように彼の外見が変わっていく。彼の喪失感を表すように体が黒く染まると同時に、彼の憤りを表すように体は肥大していく。


「大切な思い出だったハズなんだ。けど、段々段々、薄れていく。段々段々、忘れていく。それで怖くなったんだ。ぼくは思い出の中の彼を忘れないように彼と同じ格好をした。ぼくは思い出の中の彼を忘れないように彼が訪れた星に足を運んだ。けど、そこにいたのは大人だった。彼には相応しくない大人だったんだ」


 彼は凄惨な笑みを浮かべた。


「だから、ぼくは大人たちをヴィランに変えた。そうなったら、大人はいなくなるから」


 完全な化物へと変貌した彼はレイピア刺突剣へと形を変えた左腕をエクスたちへと向ける。


「ぼくの想いを思い出させてくれてありがとう。そして、お別れだ、マイフレンズ。この想区に必要なのは君たちじゃない。ここに必要なのは、ぼくと、そして、ぼくの唯一の友達だった小さな星の小さな王子様だけなんだ。王子様のための想区に君たちは居ちゃいけないんだ」

「もう……何を言っても無駄みたいね」


 レイナの声は寂しげだった。だが、その声はもう彼には届かない。変貌した彼の心へと言葉を届ける手段はただ一つ。

 レイナは、エクスは、タオは、シェインは、カオステラーがマイフレンズと呼んだ彼らは導きの栞を取り出した。

 コネクトし、光に包まれる彼らを見ながらカオステラーは変わらず嗤っている。愉しそうに、寂しさを忘れるように嗤っていた。


 +++


 この想区に残された意志ある者は彼らだけ。カオステラーと調律の巫女たちだけだ。彼らは自らの全てを懸けて闘った。剣で、槍で、矢で、魔法で。使命と狂気の闘争。

 その決着は地に立つ四人と地に伏せる一人の姿が十全に物語っていた。


「おしまい……か」


 この想区のカオステラーは高い砂漠の空を見ながらポツリと呟く。


「王子様、何故?」


 これだけは訊かなければならない。

 エクスは闘いによって傷ついたボロボロの体を引き摺るようにして、倒れている王子様へと近づく。


「ぼくがこの想区を変えようとした理由かい?」


 エクスは静かに頷く。


「ぼくはね、飛行機乗りだったんだ。その飛行機が故障して、この砂漠に不時着した。怖かったよ。なにせ、水も食料もあまりないし、誰かに連絡を取ることもできない。ぼくは一人きりだったんだ」


 カオステラーは静かに涙を流しながら言葉を繋げる。


「『羊の絵を描いて』……そう言って、現れたのがぼくの友達だった王子様だった。けど、彼はいなくなってしまった。6年ぐらいは耐えられた。けど、ぼくは寂しかった。いつからか、その寂しさを埋めるために王子様のことを考えないようにしようとしてしまったんだ」


 寂しげな声でカオステラーは纏まりのない言葉を紡ぐ。


「ぼくも結局、大人に近づいてしまったんだ。彼はいない。そのことに気が付いてしまった。そして、ぼくは子どものふりをした大人になってしまった。大人になってしまった“ぼく”は“ぼく”であることが嫌になった。だから、他の誰かになりたかった。けど、他の大人にはなりたくなかった。ぼくはこの世界の中で一番好きだった小さな王子様になろうとしたんだ」


 エクスの隣にレイナが、タオが、シェインが並ぶ。


「ぼくは王子様にはなれない。大人のぼくはそのことは分かっていたのにね、寂しさには耐えきれなかった。だから、王子様とは似ても似つかないカオステラーになってしまったんだ」


 自分のことを語ったカオステラーは自分を見下ろす四人の姿を瞳に収める。


「君たちを襲ってしまった。その償いをしなくちゃいけない」

「償いなんて考えなくていいですよ」


 小さく、だが、ハッキリしたシェインの声が空気を震わす。


「どういう……ことだい?」

「シェインたちは王子に色々なことをして貰いました。姉御を着せ替えたり、おいしいものを食べさせて貰ったり、見た事もない機械とかいうもので遊んだり、綺麗なイルミネーションを見たり、地図で色んな場所の景色を見たりしました。それで、チャラです」

「けど……」

「うっせーです。シェインたちがいいって言っているからいいんです」

「……ありがとう、シェイン」

「シェインの言う通りだぜ、マイフレンド」


 元気な声。だが、付き合いが短いながらもカオステラーはその声を出したタオは空元気だということを見抜いていた。だからこそ、カオステラーはその優しさに、自分に勇気を与えるタオの声に感謝したのだ。


「こんなぼくを友達と呼んでくれるのかい?」

「水臭いことを言うなよ。オレたちは例えどんなに離れていても! 永遠に友達だ!」

「……ありがとう、タオ」


 レイナがカオステラーの横にしゃがむ。


「王子様、忘れ物よ」

「手帳だ……ぼくの手帳だ」


 膝をついて、カオステラーの左手にレイナは手帳を握らせる。戦闘の弾みで彼の胸のポケットから落ちたものだ。片手でページを捲るカオステラーの目から再び涙が零れた。


「この絵を描いたのはぼくだった。これは蛇だった」

「初めて見た時、私がそう言ったじゃない」


 カオステラーはニッコリと笑顔を浮かべる。


「君って話の分かるやつだな」

「当たり前でしょ」

「そうだった。君はぼくの友達のレイナだった」


 エクスは思う。カオステラーになってしまった彼は初めに会った時は自分のことを王子様と紹介した。だが、今は彼の口から自分は王子様なのではないということを説明された。

 だが、エクスにとって彼は王子様であった。だからこそ、エクスは彼を王子様と呼ぶ。それは、名前を忘れてしまった彼の望みだと思って……。


「僕は王子様と一緒にいて楽しかった。皆で色々な所に行って、色々なことを経験して。大切なものは目には見えないって王子様は言っていたけど、目を閉じれば大切なものは目に見えるよ」

「やっと分かったよ。大切なものは……ここにあったんだね」


 自分の胸に手を置いた名もなき彼は満足したというように微笑む。


「レイナ、お願い」


 エクスは目を閉じながらレイナへと言葉をかける。短い言葉であったが、レイナはエクスの言いたいことが理解できたのだろう。彼女もまた目を閉じて、朗々と言葉を紡いでいく。


「混沌の渦に呑まれし語り部よ 我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし……」


 調律の巫女であるレイナの力はカオステラーが起こしたことをなかったことにして、想区をあるべき形にする。


 世界は調律され元に戻る。

 “ぼく”と自らのことを語った彼は王子様のいない世界で生きることになる。だが、彼は確かに答えを得たのだ。


 答えを得たことをなかったことにしてしまえば、無駄だという大人もいるかもしれない。しかし、それは違う。


 彼がその答えを忘れてしまったとしよう。だが、無意味などではない。彼が答えを得たという事実は覆ることはないのだから。

 無駄だとしても、それは無意味ではない。心に刻まれた答えの痕は彼が彼で有り続ける助けとなるのだから。


 +++


「なぁ、お嬢。あいつに会って行かなくてもいいのか?」

「ええ、私たちの役割は終わり。会う理由はないもの」


 砂漠を歩く四人は想区の境界、白い霧に向かって進んでいた。

 寂し気に後ろを振り返るタオにレイナは話し掛ける。


「彼なら大丈夫よ。私たちのマイフレンドなんだから。でしょ?」


 レイナの顔を見たタオは優しい目線を彼女に向けた後に頷く。


「そうだな。んじゃ、次の想区へ行くか!」

「タオ兄の言う通りですね。行きましょうか?」

「ええ」


 レイナはエクスへと視線を向ける。目を合わせた後にタオと同じように頷いたエクスは力強く足を白い霧の中へと進める。

 エクスは振り返ることなく心の中で名前も告げなかった彼に言葉を残す。例え、彼に届くことはなくとも、心の中で思うという行為自体に意味があると信じて。


 星の王子様が戻ってきた。あなたの心の中に……。

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グリムノーツ 星の王子様の想区 クロム・ウェルハーツ @crom

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