ボールは友達じゃなかった

 俺は休日に公園に来ていた。コンビニで買ったコーヒーを手に持ってベンチに座る。ふと賑やかな声に顔を向けると、子供達がサッカーボールで遊んでいた。最近じゃどの公園もボール遊びが禁止でこう言う光景は珍しい。

 あれ? 確かこの公園もボール遊び禁止じゃなかったかな? そっか、勝手に遊んでいるのか。

 子供だもんな、多少のルール破りは通過儀礼だ。俺だって子供の頃は――。


 なんて物思いにふけっていると、誰かがボールを蹴りそこねたらしい。俺の座っているベンチにぽんぽんぽんと無邪気な子供が親に抱きつくような勢いでボールが弾みながら転がってきた。俺は物分りのいい大人を演じてやろうと、そのボールを両手で掴む。ほう、最近のボールはこんな感じなのか。


 大きさは昔からあるサッカーボールと同じだ。カラーリングは全体的に黄色。それにところどころに穴が空いていて、にゅっと手足が飛び出して。ん? 手足? 

 違和感を感じた俺がもっとじっくり観察しようとしていると、さっきボールを蹴りそこねた子供が駆け寄ってきた。


「おじさん、それ返してよ」


 俺は最初これを返そうと思っていた。そう、これが普通のボールだったなら、だ。

 けれど、どう考えてもこれはボールじゃあない。蹴って遊んでいいものとは思えない。


「ぼく、これは一体何かな? 新しいおもちゃか何か?」


 俺はまずしゃがんで目線を揃えると、対子供用の笑顔を見せてボールの正体を確認する。


「いや、知らないし。ここにあったから遊んでるだけだし」

「へええ、そうなんだ」

「だから返してよ、早くしないとケンジが怒るんだ」


 どうやら俺の予想は当たったようだ。コイツはボールじゃない。だから蹴っていいものじゃあない。俺は一計を案じ、このボールっぽいヤツを助ける事にした。


「この公園はボール遊び禁止のはずだよね。おじさんがこれ、預かるから」

「え~っ!」


 どうだ、やっちゃいけない事をやっていた負い目があるから逆らえまい! 俺はボールモドキを手にしたまま、すっと立ち上がる。この身長差は子供相手にはひとつの武器だ。絶対的な強者の圧の前に子供は泣きそうな顔になる。ああっ、泣かれたら困るかな。どうか諦めて帰ってくれないかな。


「おい、何やってんだよ!」


 今度はちょっと生意気そうなやつがやってきた。もしかしてコイツがケンジか? 確かに短気そうな顔をしている。多分ボール遊びをしていた子供達のリーダーなのだろう。コイツはちょっと手強そうだ。


「ケンジー! 助けてよー!」


 最初に俺の前に来た子供が後から来た子供――ケンジ――に縋っている。予想通りだ。ケンジは俺をじろりと品定めするとへっと鼻で笑った。


「おじさん、おじさんはそれをどうするつもり?」


 彼はどうやら俺を相手に交渉しようとしているらしい。いいだろう、受けて立つぞ。聞き分けのない子供に大人の話術と言うのを教えてやらねばな。


「これは最初から君達の物じゃなかったんだろう? おじさんに譲ってくれないかな? そうすればボールで遊んでいたのを黙っていてあげるよ」

「は? 俺達のものじゃなくてもおじさんのものでもないだろ。なら最初に見つけた俺達のものだ!」

「いや、その理屈はおかしい」

「おかしくないし。そっちの方がおかしいし」


 俺はケンジの要求を拒むものの、確かに自分の意見がいまいち説得力が弱いのも実感していた。どうしたものかと首を傾げていると、ケンジの方からかなり強気の言葉が飛び出してきた。


「そいつがどうしても欲しかったらお金払ってよ。売ってあげるから」

「お金? 何言って……」

「いいの? お金をくれないなら子供から物を奪ったって言いふらすよ。あ、交番に駆け込むのもいいかなー?」

「くっ、いくらが望みだ!」


 世間体を盾に取られたら立場が弱い。ケンジめ、こいつ、なんて利発なお子様なんだ。この俺が子供に屈するなんて……。


「5000円」

「え?」

「聞こえなかったの? 5000円だよ! そのくらい払えるでしょ、大人なんだから! それで勘弁してやるよ!」


 確かに普通の大人なら5000円はそこまで大金ではないだろう。ただし、子供にとっては大金のはず。こいつの金銭感覚はどうなってるんだ。ちょっと普通じゃないぞ。

 この金額に躊躇していると、彼はじろりと俺をにらんでくる。まるで数々の修羅場をくぐってきた猛者のような顔だ。

 値下げ交渉をしてもいいけど、子供相手にそれをするのもプライドが許さない。


「あ~5000円も持っていないのかぁ~クソダセ~」


 すぐに金を払わなかった俺をケンジはディスり始める。殴りてぇ。昭和の時代だったらきっと殴ってた。

 でも今の時代、暴力行為はご法度だ。それこそマジで警察沙汰になってしまう。このクソ生意気なガキを黙らせるには――結局現金様の御威光を見せるしかないのか。


「ほら、これでとっととあっちに行け!」

「あざーっす!」


 結局俺はケンジに5000円札を一枚渡し、丁重にお帰り頂いた。給料日前の貴重な現金が……なんてこった……。


 大金を手に入れた子供達は小躍りしながら公園を出ていった。あのお金、きっと一瞬で使い切っちゃうんだろうな。俺だったら3日は持たすのに。

 ああ……。何でこういつも強気に出られないかな、俺。それで損してばかりだよ。



「あの、有難うございました」


 俺がさっきの自分の行為に落胆していると、突然ボールモドキが声をかけてきた。よく見ると手足の他に顔も出している。何だか亀みたいだな。


「私、遠くリューグーの星からやってきました、カメーと言います。この星の調査をしていたら突然捕まってしまって……助かりました」

「あ、ああ……、そうなの?」


 一気にネタばらしされた感じになって俺はうまく返事を返せなかった。竜宮とか亀とかさっきのシチェーションとか完全に浦島太郎じゃねーか。何だこれ。

 全身黄色の亀、いやカメーは何度も何度も頭を下げると涙を流しながら俺の顔をじいっと見つめる。


「この御恩は一生忘れません! さようなら!」


 カメーはそう言うと不思議な力で上昇し始める。えっと、さっきさようならって言った? さようならって言った?


「えっと、あの」

「ちょうど調査は終わったところだったんです。この星にもいい人間がいるってしっかり報告させてもらいますから!」


 カメーは最後にそう言うと、ぐんと加速して一瞬で空の彼方に消えてしまった。えぇと……これ、ちゃんと後で恩返しに来るヤツだよね? そうだよね?



 それからカメーが俺の前に戻ってくる事はなかった。1年経っても2年経っても。きっと待っているだけ無駄なのだろう。何だよ。結局5000円損しただけかよ。

 やがて何もかも空しくなった俺はこの出来事の記憶ごと封印した。


 ああ、今日もいい天気だなぁ。コンビニのコーヒーが美味しいなあ。

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