葉擦れの音

 今日で一学期が終わる。すっかり梅雨は終わり、太陽の陽射しが痛いくらいに降りそそぐ。

 体育館の壇上では、日向航ひゅうがわたるが生徒会長挨拶を行っている。この暑いなか、第一ボタンまできっちり締めて長袖のワイシャツを着ている。それでも涼しげに見えるのだから不思議だ。


 来週は航の試合がある。そこで優勝すれば八月には県大会だ。今度こそ彼は優勝することが出来そうな気がしてならない。というか、今までは力を抜いていたのではないか?優勝すればその後の大会に進むため、練習が引き続き行われる。それを避けていたのでは。

 航は実はかなりの面倒くさがりだ。それなのに生徒会長を務めている。彼曰く単なる暇潰しだと言うが、人の上に立つのは向いていると思う。


「樹からの挑戦状、受けて立とうじゃないか」


 あの日、志帆の墓前で航はこんなことを言っていた。練習、面倒なんじゃないのかと問うと、それはもちろん非常に面倒だが、売られた喧嘩は買う主義だと言い放った。

 実際、来週の大会に向けての練習量は以前と比にならないほど多い。陸上部の皆さんも驚いている。

 "汗を流している日向航"は今まで滅多に見ることが出来なかった。それ故、ファンの子達は航が練習に出るやいなやすぐさまグラウンドに集まって来る。

 それが今では毎日のように拝めるため、カメラ持参でグラウンドは女の子達でいっぱいだ。玲も何度かグラウンドに行ってみたことはあったが、やはり目をつけられているせいか後ろへと追いやられてしまった。


 生徒会長挨拶が終了した。それと同時に生徒達の緊張感も解き放たれる。今や航は、校長先生の話よりも生徒達の注目を浴びる存在だ。


「今日も立派な挨拶でしたね。校長先生が哀れに見えたよ」


 生徒会室で早速玲は嫌味を放つ。ファンの子達に目をつけられていることへの仕返しのつもりだ。


「それはどうも。……今日も、グラウンド来てみたら?」


 航は余裕の表情で返す。


「う……、知ってたの?はあ、あんたが想像している以上にね、こっちは大変なのよ」


「本当、上条先輩の嫌われ方って尋常じゃないですよね。いや、私もちゃんと否定してあげてるんですよ。でも、なかなか信じてくれなくて」


 神山は言ってることと表情が矛盾している。


「え、上条先輩ってそんなに嫌われているんですか?日向先輩の人気って凄まじいんですね」


「藤馬、あんたは日向先輩みたいな生徒会長にはなれないわね。生徒達をどれだけ魅きつけることが出来るかが腕の見せどころなのに」


 玲はちらっと航の方を見る。相変わらず航は小説の続きに熱中し、こちらの話などまるで耳には入っていない。

 少しずつ、本当に少しずつではあるが、玲は航に気持ちが傾いていた。まだ心の中では樹のことが忘れられないが、やはりいつも身近にいる航には敵わないようだ。


 窓からは木洩れ陽が差し込み、時たまとても眩しい。クーラーは入っているが、日が差し込んでいる場所はその場にいられないほどの暑さだ。

 季節はすっかり真夏。時間が過ぎるのが最近はかなり早くなったと感じる。何故だろう。自分の中で滞っていたものを、少しずつ整理し始めたからだろうか。過去に囚われすぎていると、時間は過ぎていても自分の内ではむしろどんどん後退しているようにさえ感じてくる。


「じゃあ、練習行ってくる」


 航が突然立ち上がった。あと二十分で午後一時。グラウンドには、すでにたくさんの女の子達がスタンバイしている。


「……航も大変だよね。あれじゃあ集中できないでしょ」


「いや、実際の大会だと思えばそうでもないよ。ただ、無駄な歓声と無駄な数の差し入れだけは邪魔だな」


 そう言い残し、航は生徒会室を出た。


「日向先輩の本性を知ってるのって、日向先輩の友達と僕らくらいですかね」


「そうだね。今の、ファンの子達に聴かせてあげたいわ」


「それは面白いことになりますね」


 航は上辺では周りに愛想を振りまいている。だが生徒会室に入ると一変、真反対の本当の日向航を出してくる。


「人気者も大変だ……」


***


 七月最終日。玲はこっそり大会が行われる会場へ向かっていた。航には今日来ることは言っていない。もちろん遥と美緒、生徒会の二人にも内緒だ。


 玲はずっと樹が好きだった。樹が引っ越してしまってからもその気持ちは変わらなかったし、他に好きな人を作ろうとも思わなかった。

 だがしかし、最近はなんだか航のことを目で追ってしまっている自分がいる。


「あ……」


 ゲートをくぐると見知った顔ばかり。航の追っかけの女の子達で溢れていた。一応なにかあったときのためにと持ってきた帽子を深く被り、なんとかその場をすり抜ける。

 こんなところで見つかってしまったら集団リンチ並の被害に遭ってしまう。なんとか一番前の端の席を確保し腰掛けた。そのとき、後ろから肩を叩かれ、玲は勢いよく振り返った。


「こんにちは。上条先輩、来ると思っていましたよ」


 そこには藤馬の姿があった。


「……藤馬君。あなたも来ていたの?」


 驚いたが、なんだか彼が来るのはめずらしいことではないような気がする。むしろ、来るべきなのではないか……。


「隣、いいですか」


「どうぞ」


 藤馬は普段とはまた違った雰囲気を醸し出している。学校では弟的な存在だが、私服姿だとかなり大人びている。


「……そっちが、本当のあなたなのかしら」


 藤馬はちらっとこちらを見たがすぐ目線を戻す。


「さあ、どうでしょうね。上条先輩はどう思いますか」


 玲はしばし考えたが、答えは出ていた。


「どっちも違うんじゃないの?どっちも作っているわね。でも、近いのは今の方。藤馬君はもっと」


 藤馬の視線に気付き、玲ははっとして口を閉じる。


「……もっと、なんですか」


「なんでもない」


 視線を無理矢理外し、グラウンドの方へと目をやる。危なかった、吸い込まれそうだった。

 前々からたまに感じていた。彼は時々怖ろしい目をしている。心を見透かされる。


「そろそろ始まりますね」


 すると、放送が入り選手入場が始まった。航の姿を確認するなり、追っかけの集団から悲鳴にも似た歓声が聞こえてくる。それでも、航はきちんと作られた笑顔で手を振っている。


「よくやる……。でも、調子は良さそう。あっ」


 強い風が吹き、玲の帽子を飛ばす。玲はそれを拾いに屈む。そのとき、航がこちらに気付いた。

 航は藤馬に気付き、隣に玲がいることにも気付く。しかし玲はまだ気付いていない。時間にするとほんの一、二秒の間、航と藤馬は目を合わせていた。それはお互い、どちらかというと悪意のある視線。

 玲が帽子を拾う。それと同時に二人は視線を外す。


「あ、あれ航だよね?よかった、気付かれてないみたい」


 藤馬は微かに笑っていた。

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