もしもこの手で
「優勝、しちゃったね」
「ええ、しかもぶっちぎりでしたね。どうして今まで優勝出来なかったのか疑問に感じるほどですよ」
二百、四百共に、航は二位の選手と大差をつけて優勝した。優勝するつもりではあっただろうが、内心この先も続く練習にうんざりしていることだろう。
航が走りきった後、しばらく観覧席で二人は立ち尽くしていた。しかし、それは他の観客も同じだった。それほどに航の走りは圧巻だった。
「優勝できなかったんじゃなくて、優勝しなかった、だね。本当にあの挑戦受ける気……」
「挑戦ってなんですか?」
「あ、なんでもない、ほんと。それより、下行こうか」
怪しまれてしまっただろうか。樹も元生徒会メンバーだが、樹や志帆のことは藤馬達には話していない。
あのときの状況は今とよく似ている。樹が引っ越して志帆が亡くなり、生徒会の一年生は航と玲の二人だけとなってしまった。
その頃は二年生と三年生の人数が多かったため補充はされなかったが、今は全学年合わせてたったの四人。航が生徒会長でなければとてもやってこれなかった。
「お疲れさま」
航は選手待機場所のベンチに腰掛けていた。グラウンドではまだ他の競技が行われている。
「お前、今後ろ振り向かない方がいいぞ」
航は玲越しに後ろの観客席に呆れながら忠告する。
「……わかってる。さっきから視線が痛いもの」
藤馬が振り返ると、先ほどまで座っていた場所には航の追っかけの子達が集まり、身を乗り出してこちらを睨んでいた。
「上条先輩、相変わらず敵が多いですね。あ、日向先輩優勝おめでとうございます。次は県大会ですね」
ほとんど棒読みのまるで心がこもっていない賛辞。航も、特になにも言わず目で応える。
「……二人とも、なにかあったの?」
「いえ、なにも。では僕はそろそろ帰ります。上条先輩、帰り気を付けてくださいね。なんなら日向先輩と一緒に帰った方が、逆に安全かもしれませんね」
そう言い残し、藤馬は去ってしまった。
「あいつが俺に憧れてるなんてやっぱりあり得ないな。敵意丸出しだ。……面白い」
航は藤馬の後ろ姿を見つめながら悪い顔をしている。
「もう少ししたら帰れるから、それまでここにいたら?もう上には戻れないだろ」
缶ジュースを差し出しながら航はパーカーを羽織る。
「そういうカジュアルな格好もなかなか似合うね」
そういえば航の私服は綺麗目な感じが多く、制服以外だと学校のジャージくらいしか見たことがなかった。
「そう?じゃあ普段も着てみるかな」
このなんでもない穏やかな時間がとても心地良い。やはり、自分は彼のことが好きなのだろうか。これは、いいことなのだろうか。
「県大も優勝するつもり?」
「……」
少し考えているようだ。おそらく優勝は出来ると思う。そうであれば次は全国大会。
「あいつの、樹の挑戦受けないとだよな。そうじゃないと、きっと怒るよな」
「うん。樹は待ってる。ずっと航を待ってる」
航は大きく息を吐き、目を見開く。
「よし、やってやるよ。県大もぶっちぎりで優勝だ。玲、お前県大も観に来いよ」
一瞬驚いたが、すぐに頷いた。こんなにやる気がある航は滅多に見ない。この顔を樹に見せてあげたかった。
そうだ、今日の事を手紙に書こう。樹に教えてあげよう。
県大会が終わったら樹に会いに行こうか。話したいことはたくさんある。そして謝りたいことも。これを聞いたら、樹は怒るだろうか。いや、樹は怒ることはしない。必ず笑って許してくれる。
できたら樹の話も聞いてあげたい。あれから二年が経っているが、きっとまだ悔いていると思う。
***
あの日、あの雨の日。すぐに見つけることが出来ていたなら、手を差し伸べることが出来ていたなら。
あれが最後のチャンスだった。雨の中、志帆は病院を抜け出した。樹に伝えたい事があり、冷たい雨に打たれながら一心不乱に駆け回っていた。
その日は樹の引越しの日だった。志帆は今日を逃したら、もう樹には会えないと悟っていたのだろう。裸足で何度も転びながらも、ずっとずっと走っていた。
病院から連絡をもらい、玲と航は急いで志帆を捜しに行った。念のため樹にも連絡を入れた。だが、引っ越しの準備をしていたのか留守電だった。樹がその留守電を聴いたのかはそのときはわからなかったけれど、手紙を見てやっとわかった。
樹も必死に捜していたんだ。おそらく彼がやっとのことで見つけたときに目にした光景は、看護師や玲達に取り押さえられた志帆の姿だったのだろう。
きっとこっちに来たかったはずだ。あんなに必死に自分の事を捜してくれていたのだから。しかし、ぼろぼろな姿の志帆を前に、見つけてあげられなかった自分が出て行けるわけがないとその場を後にしたのだろう。
樹が引っ越してからは、何回か航が連絡をとっていたらしい。玲の事をとても心配していたと言っていた。志帆のことで参っていないかと。
志帆は雨の日から病状が急に悪化し、その後一ヶ月もしないで死んでしまった。
助けることは出来たはずだと誰もが感じていた。医師や看護師も、自分達の監視が疎かだったと最後までずっと頭を下げていた。志帆の両親ももっと早く病院に来ていれば良かったと後悔していたし、玲達もすぐに捜し出せなかったことを未だに後悔している。
「ごめんなさい。言うことも聞かないで……」
これが、志帆の最後の言葉だった。
***
「おい、大丈夫か。暑さでやられたか?」
はっと我に返る。航が帽子を被せてくれた。
「そろそろ表彰式だから、それが終わったらすぐ帰ろう。どこか涼しい所に行こう」
航はこちらを見て微笑んでくれる。もし今航まで側からいなくなってしまったら、きっとすべてが空っぽになってしまう気がする。支えがなくなってしまう。
「……航まで、いなくならないでね。遠くに行かないでね」
玲は一点を見つめ、小さな声で呟いた。航が立ち上がる。
「見てろ、今から一番高いところに立って来るから。次もそうだ。これから先、お前は俺の勇姿をずっと見続けるんだ。お前が望むならなんだってやってやるから、だからお前は俺について来ればいい」
そして航は、着ていたパーカーを脱ぎ表彰式へと向かって行った。玲はそのパーカーを手に取り、涙が伝う顔をうずめていた。
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