慈しの雨
すっかり梅雨に突入してしまった。湿気が多く、肌がべたつき髪の毛がまとまらない。教室では、女子グループからそんな声が絶え間なく聞こえてくる。
中間試験の結果は予想通りの二位。一位の
「数学と英語は共に満点だったね。でも、今回社会どうしちゃったの?」
航は勝手に成績表を覗いている。社会は初めて九十点に届かなかった。だが、そんなことはどうでもいい。
「航はそろそろ最後の大会でしょ?練習参加しなさいよ」
「ああ、今日からするよ。なんかもう最後だから、四百も出ることになっちゃった」
心底面倒くさそうな顔をしている。だけど、いつも練習は休まず参加しているし、結果も出している。そして実はとても友達思い。だから航は信頼が厚い。
「もし今回一位獲れたら、たまには私がなにか奢ってあげる」
航の表情が変わる。
「よし、言ったな。今から短期バイトを始めておけ」
そう言うと、早速練習へと向かった。その後ろ姿は、なんだかとても頼もしく感じた。
「玲」
部活前の遥と美緒がやって来た。
「また
「あれ、日向は?」
美緒は辺りを見回す。
「もう最後の大会だから、四百も出ることになったみたいで。今さっき練習に行ったよ」
「へえ、じゃあ二百と四百に出るのか。最後くらい、観に行ってあげたら?」
玲は今まで一度も航の試合を観に行ったことがなかった。どうしてだろう、特に理由はないのだが。
「そうだね。たまには行ってみてもいいかも。内緒で」
遥と美緒は怪しい笑みを浮かべ、その場をあとにした。
この時期は毎年なにもすることがない。生徒会の仕事も航がいないと始まらないし、遥と美緒は部活。とりあえず行き着くところは生徒会室だけだった。
「
そこには藤馬の姿があった。なにやらパソコンを開き作業をしている。
「藤馬君こそ。航になにか頼まれたの?」
玲もとりあえず席に着く。
「いえ、今日急に塾が休みになって。友達はみんな部活やらバイトやらで、することがないので」
「そう。なら私と同じね」
玲もパソコンを開く。スイーツビュッフェのいい店を調べるためだ。
「お互い私用でここを使ってますよね」
「生徒会の特権ね」
グラウンドからホイッスルの音が聴こえてくる。玲は席を立ち、窓際へ向かう。案の定、陸上部が短距離走の練習をしているところだった。そしてタイミングよく、次は航の番。
「……速い」
二百メートル走ぶっちぎりの一位。しかも、本人はまだ本気を出していないように見える。
「さすが日向先輩ですね。かっこいいな」
いつの間にか、隣に藤馬も立っていた。
「今度こそ優勝してもらいたいですよね。絶対全国でも通用しますよ」
陸上をしているときの航は、生徒会長としての航とはなにか違う。思いきり走ることで、なにも考えないように、余計なことが頭に思い浮かぶことのないように気を紛らわせているのではないか?
すると、航がこちらに気付いた。藤馬が恥ずかしいくらいに思いきり手を振る。航も左手を軽く上げそれに応えた。
「僕、日向先輩みたいな生徒会長になれるでしょうか。とても自身ありません」
藤馬は航をじっと見つめ、真剣な顔をしている。
「別に航みたいにならなくてもいいと思うけど。藤馬君は藤馬君なりに頑張ってほしいし、今とは一風違った学校になるのはいい事だと思う」
しばらく窓の外を見ていたが、彼に笑みが戻った。少しだけ自身を取り戻したようだった。
「さて、ネットサーフィンの続きでもしましょうか」
***
一時間ほど経っただろうか。いつの間にか雨が降り始めていた。
「ああ、雨だ。藤馬君、私そろそろ帰るね」
まだ小降りだが、玲は傘を持ってきていない。
「これくらいならまだ平気かな」
自転車は学校に置き、小走りで校門を出た。だんだんと雨が強くなる。
しばらくして、ふと玲は足を止めた。
この場面。この情景。ああ、あのときと同じじゃないか。雨の中、傘も差さずに樹を探していたあの日と……。
冷たい雨が心までもを蝕んでくる。今頬を流れているのは雨か涙か。身体中の力が抜けてくる。歩く気力もない。鞄が足元に落ちた。
玲は空を見上げた。空も泣いている。みんなみんな泣いていたんだ。
「おい……。なにやってんだよ」
急に視界が暗くなった。すぐあとに航の顔が視界に入る。
「お前、傘も差さずにこんなところで立ち尽くして……。風邪ひくぞ」
航は足元の鞄を拾い、タオルで濡れた髪の毛や顔を拭いてくれる。玲を濡らさないよう傘を差しているため、航の背中は雨に打たれている。
「……ああ、わかった。お前が最近おかしいのはこれか。しかしなんでまた」
玲は俯き、涙が止まらない。
「とりあえず、このままだと風邪ひくから急いで帰ろう」
傘を手渡し、航は玲の手を引いて早足で歩く。
「それじゃあ航が風邪ひくよ。試合出られなくなる」
握った手に力がこもる。
「これくらいで風邪なんかひいてたまるかよ。それに、万が一ひいたとしても、結果に影響はない」
しばらくしてやっと駅に着いた。航は全身びしょ濡れだ。
「寒くないか。……少しは落ち着いたか、心の方も」
身体を拭きながら、航はいちいち心配してくれる。
「……うん、ありがとう」
「ならよかった」
あの日、樹は見つけることが出来なかったけれど、今日航は見つけてくれた。雨に打たれている私に、傘を差し伸べてくれた。
もしもあのとき見つけることが出来ていたのなら、今とは違った未来が待っていたのだろうか。
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