『景色に空白はないはずなのに』と思った

 たしか小学校の4年生の頃だった。

図工の授業でクラスの全員、校庭に出て思い思いの風景を写生する、というのがあった。

おそらく、全員、絵筆を持って外で絵を描くというのは初めてのことだったろう。 

 私は仲のいい友達と二人並んで、体育の道具の保管のための木造の小屋と背景の山を描いた。

自分のはまったく覚えていないのだが、友達の描いた絵のことをいまでも思い出せる。

 描き終えて、その友達は、上手に描けたと自分でも思いがけないほどの出来栄えだったらしく、興奮した様子で誰彼となく自慢した。

だが、いまでも私がそういうことを覚えている理由は、その絵があまりに上手でびっくりしたとか、上図に描けるその子が羨ましかったからとか、あとでその絵を先生に褒められていたから、とかではない。 

 正確に言えば、その友達の描いた木造の小屋や空の「描き方についての自分の感想」をいまでも忘れていない、ということになるのだろう。



 題材にした板塀の小屋は粗末なもので塀は何枚もの横長の板が釘で打ち付けられていて、板と板のあいだにはどこもかしこも隙間ができている。その板を彼は筆に茶色を含ませ横に流して表現していた。空は薄い青をまだらに塗っていた。

つまり、いたるところに画用紙の白の生地が覗いている。

その塗り方に私はなんとも言えない違和感を覚えたのである。

風景でもなんでも自分の視界に空白はないはずのに、という不信感と言ったらいいだろうか。

なんだか、その友達が小手先のずる賢い手法を使ったような気がしたのだ。


板と板のあいだにはたしかに隙間があるが、中のなにかの道具の一部分が見えているはずだし、暗くて見えなければ黒を使わなければならないはずだ。

まして空の青に空白などあってはならず、雲は白だが、それはそれで白の絵具を用いて塗らなければおかしい、という感想が起こったのだ。

このときの私は絵についての知識などなんにもない小学3年生である。のちのち絵の画法には色々あり、水墨画などは生地の白のほうが画面を占めていることなど知るのだが、よくよく事を分けて考えれば、私のそのときの感想は、絵というものの描き方についての異議を唱えているわけではなかったのだ。

 

 絵というものは立体物も平面にして表現するという決まりになっているというか、そういうものである。

 限られた大きさの画用紙のなかに、この世の事象のなんらかの一断片を切り取り、絵具でなんらかの印象をあたえるべく、あるいは感慨を想起すべく表現するもの。

 絵は、つまり、絵筆をもって一人の表現力を発揮する場であって、写真ではない。風景の写生といえども、なにをどう描いてもいいのだ。

だが、小学4年生の私の頭には風景の写生に空白はないという前提がなんとなくあったのだ。

だから、友達のその絵は、先生のところに持っていったら、きっと、空白部分について「ここに塗り残しがあるよ。ちゃんと塗りなさい」と注意を受けるだろう、くらいの気がしていたわけだ。

 だが、塗り残しを先生は咎めなかった。

私としては意外だった。


その後、私はこの世の有り様に想いを巡らす際、「有る」、「無い」ということについて考えることがよくあった。

 存在が「有る」は在るだが、「無い」とは何なんだと。

「何も無い」状態など、あり得るのだろうかと。

存在が「無い」とはただの言葉の綾に過ぎないのではないのかと。

 「有る」は人間、認識できるが、「無い」は人間の認識できることのはるかに外にある事柄ではないのかと。


宇宙はなんにもない状態のなかからある時突然出現した、という説が今日、主流である。

(何にもない状態を状態と称すのもおかしな話だし、何もない状態という状態は人間の認識の外だと思うのだ)

だが、ほんとうのところは、はっきり言えば仮説である。


目に見えなくても音や電波は存在をしっかり認識できる。しかし「無い」は認識できない、ということが不思議なことだがほとんどの人間に分かりづらい「認識」のような気がする。いや不思議なこと、というよりも人間の盲点、あるいは死角という言い方のほうが正鵠を得ているか。

そんなことを考える時、ふと、あの友達の絵を連想することがあるのだろう。


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