そのうち、だんだんに知恵がついたのではない
「在る」物を認識するには「考える」必要がある。
生命は、自然のなかでの度重なる偶然の作用でできた、のではなく、極端な考えをすれば、先に考えがあって考えが形になったのかもしれない、とさえいえる。
自然発生説とでもいう、自然というものを偶然(成行き任せ)というニュアンスで捉えるのではなく、「本人」に考えがあってこそ、そこに登場したのだ。
登場したところで一人単独の状況では生きていけない。取り巻く環境のなかに生きていくための要素があれこれ必要だ。その要素の中には登場した瞬間から瞬時に他者との協和ができる知能が要るはずだ。
原初のどんな小さい単位の細胞であろうとも。
ゆらゆら海に漂っているうちに何かと何かが偶然混ざり合って幸運にも生命体になり、そして、だんだん進化していくうちに、そのうち知恵がついてきて・・・、ではない、ということを言っているのである。
生命が発生した瞬間には、というか、同時に、その生命であることを維持するためには何の策もなく漫然と過ごしていてはいけない。というよりも知能がない者は発生できないのかもしれない。
進化ということを言う。
自然科学の用語なのだろうが、それをいうなら生命体の発生したその時点で進化の可能性は内包されているはずではないのか、という意味のことを私は言っているのかもしれない。
いや、可能性などという弱い意見ではなく、必然性と言い直そう。
どんな最小単位の生命体も、こんな言葉があるのかどうか知らないがまず「意思体」でなければならないという気がする。
ただ、その先がある。
意思体はその意思をどうやって獲得したのか。
獲得したと言えば、「意思体」が望んで、というニュアンスになってしまうが、望んだかどうかは分からない。
では「意思体」であることの意味、理由と言い直してもいい。
このあたりがこの世の理の核心に当たるのだろうが
人間には、いまのところ手の届かないところにある主題である。
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