和尚さんも死ぬのは怖い
昔あるところに村人みんなが偉いと思っていた和尚さんがいた。
その和尚さんは人に訊かれれば、常々
「わしは死ぬことなど、ちっともこわくない。」
と答えていた。
それを聞く度
「やっぱり、和尚さんは長年、修行したり、難しい本を読んだりしているから、心得ができていて、自分等とはちがうな」
とみんな感心したものだった。
ところがその和尚さんもだんだんに齢を取り、病気になり、ついに弟子の者に医者を呼ぶよう頼んだ。
村人も心配してときどき和尚さんの様子を見に来た。
和尚さんはかなり重い病気のようで胸が苦しい、あそこが痛いと、うんうん唸り、ときどき寝グソをするのを弟子が顔をしかめながら始末した。
和尚さんも、どうも具合がよくない、もしかしたらこのまま自分は死ぬかもしれないと感じた。傍で見守っていた村人も和尚さんは死ぬかもしれないと思った。
さて、それでは、死ぬのが怖くない和尚さんはどんな振る舞いをなさるのだろう、ひとつ参考にしたいものだ、とみんな内心思ったとしても不思議はない。
ところが医者に対して、和尚さんの口から発せられる言葉は意外なものだった。
「まだ、死にたくない。なんとかしてもらえないだろうか。
苦しい。怖い。気持ちの楽になる薬はないものだろうか。」
といった内容に終始しているだけなのだ。
「なんという体たらく」村人は思った。
和尚さんは死ぬのが怖くもなんともないのではなかったのか。
和尚さんはとうとう死んでしまった。
村人は口々に和尚さんのことを嘲った。元気な頃のあの言葉は弟子や檀家のわれわれに対する見栄、強がりだっただけのことで、悟りなどなんにもありはしなかったんだと。われわれと同じで死ぬのが怖くて仕方がなかったんだと。
でも、村人のその解釈は違うと思う。
和尚さんは元気なうちは本心死ぬことはこわくなかったのだ。しかし、病気で苦しくなってしまうと気が弱り、死ぬのがこわくなってしまったのだ。
謂わば、人間の本能的条件反射のようなものである。
味気ない、身もふたもない解釈だが、残念ながらまず正解だろう。
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