恥ずかしながらも人間は糞小便継ぎ、性行為継ぎを必須とする
心底、明るく楽しい毎日を送っている人はいるのだろうか、
という思いにとらわれる。
たとえば、亀は時々、水面に出て息継ぎをしなければ生きていけない。
そんなふうに、人間は一日何回か、水面で息継ぎこそしなくてもいいが生きていくために、どうしてもしなければならないことがある。
それは「糞、小便継ぎ」である。
食べなければいいのだが、食べなくていいようには人間できてない。
近頃、テレビのチャンネルを回せば料理か食べ物屋の紹介の番組ばかりのような気がする。グルメとは、どうやら食通という意味らしい。むかしは聞いたことがなかった言葉だ。そのグルメな人がたくさん今はいるのだろうか。
私はといえば、生きていれば腹は減る、腹が減るから食べる。
美味しいものの方がいいのはいいが、懲りはない。食べながらいつも思うのだが、さっさと食べ終えて、早くコーヒーが飲みたい。コーヒーを飲み終えたらゆっくり煙草を吸いたい。
食べることよりも、あとのコーヒー、煙草を楽しみにしている.
無粋と言われるのが関の山なので誰にも話したことはないが、早く食べ終わるための工夫がある。なるべく一品づつ確実に済ます。結果的に移り箸をしないことになるのか。
自分で皿に盛る場合はできるだけ一皿に載せる。汁の垂れるものとそうでないものは一皿にしにくいのでまん中に仕切りのある皿の大きめのものをどこか売ってないかと物色中である。
私のような流儀の人はほかにもいるのだろうか。だれにも訊いたことはない。
さて、食べれば出る。
これがなんとかならないものか、と思ったって、いかんともしがたい。
いかんともしがたいが愚痴をいいたくなる。
食べなくても生きていける理屈になっていたらどんなにさっぱりするだろう。
食べることは、人目をなにはばかることのない行為だが、食べた物を出す方は個室でこっそり息を殺して排出音をなるべく抑えて事を行わなければならない。
それを言うなら、ある意味もっとややこしい行為である性行為も、しなくてよければ人間の営みはもっとシンプルになるはずだが、そうはいかなく人間はできている。
こちらの方は食事のように朝、昼、晩と一日3度体の欲求が正確にあるわけではないが、個人差もあろうが人生の最盛期には毎日行わなければ性欲が収まらないという事態もあり得よう。
性行為は基本的に二人業になるので、ふたりは共謀して、その前後、そのような行為は行わない、あるいは行わなかった風を取り繕わなければならないのだから、より難儀である。
食べる方は大勢で食べた方がおいしいなどと大威張りの行為だし、出す方も「ちょっとかがんでくる」と人に告げてもかまわない程度のものだが、性行為はそうはいかない。
「私たち、ふたりとも性欲がたまったから」と座をはずすというのを見かけたことはないし、ましてや大勢の方が盛り上がるからと行為に加わるよう誘われた経験もない。
では、体内から排出した糞、尿をほかの人に目撃されることの位置付けはどうかというと、もちろん恥ずかしいことであるのはまちがいないが、その度合いはどうだろう。わたしの目測だが、もしかしたらほぼ同程度かもしれない。
いま思い出したのだが、日本のはなしである。出典は忘れた。
いつの時代のことか、お城におわす美人のお姫さまに思いを寄せる側付きの家来がいた。身分違いのその男はお姫さまを諦めるためにお姫さまの糞を見て、それでもって幻滅しようと思いついた。(お姫さまはきっと専用のおまるで用を足していたにちがいない。)
すると、お姫さまはその企みに(なぜだかわからないが)気づいて、これは女の側付きに、自分の糞をその男に盗み見されないよう命じたというのだ。
なんだか奇妙で可笑しい話なので思い出したのだが、たしかに糞には固形物のもつ存在感があるのでお姫さま固有のものと言う感じがあり双方ともある意味、さもありなんという気はする。
いずれにしろ、たゆまなく催してくる人間の生理現象はあらゆる場面に水を差す。
たとえば恋人同士もデート中に何回か息継ぎ、つまり糞、尿継ぎが必要だし、懇ろになってしまった間柄なら、人目につかないようにホテルに入り、そしてことが終われば、またこっそりと出てこなければならない。
いま、ふと思い出したのだが。
そういう恋人同士がじつは同じ学校の同僚で二人とも生徒思いの熱血先生で、二人の奮闘ぶりを描いた映画を見た覚えがある。
つまり、社会性のあるテーマを持ち、かつ登場人物の性行為も合わせて描くというものだ。
女の先生がたまった性欲を辛抱できず学校内のトイレで自慰行為をする場面があったし、恋人同士の行為も手をつないで歩くとかキスだけ、ではなく本格性行為をじっくり入念に描いていた。
だが、主人公の女の先生の、学校という職場での奮闘ぶりの描き方も本格的だった。
正義感あふれるその女の先生は生徒のためになにかを訴えに教頭や校長に直談判にいくというような場面もあったように思う。
仮に性行為の場面抜きで構成されていたとしたら、りっぱな社会派作品で通る映画だ。
まさにこの映画こそ、生身の人間の現実の有り様のリアルを表現していると
大いに感心したものだった。可能な限り人間の行為の全体を捉えてみたい、という製作者の意図を感じた。
ずいぶんむかしの映画である。50年前くらいに観た映画だ。時期的に日活ロマンポルノの初期の頃に当たるのでそのうちの一本だったかもしれない。
自慰や本格性行為は服を脱がない「ふつうの」映画ではやらない。できない。ポルノの方だからできる、
いまでもこうやって、この映画をよく覚えているところをみるを私はふつうの映画では現実の人間のリアルは無理だというきもちがずっとあるからだろう。
最近、映画館にいってないので事情はとんと知らないのだが、案外、いまは私の意に叶った映画があるのかもしれない。
なにかお勧めのものがあれば、どなたか教えてほしいものである。
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