万有淫力には逆らえない

あめんぼがゆったりと池に浮かんでいる

風が吹けば風のままどちらへでも流れる

白い紙の上に引いた黒い線の放射

何が望みか 望みはないのか

あめんぼは顔が小さいので表情からは読み取れない

感情などというややこしいものとは無縁の

一次元の世界に淡々と淡泊に生きているのだろうか


なのに いま この今も

どこかでは激しい腰の運動にはげんでいる

男女がいるのだろうか。

いや きっといるに違いない。

今も政治家は何か国家の大事を決めているのだろうか

いるらしい


そんなとりとめのないことをちょうど考えていたところ、男女の国会議員がホテルで寝間着姿でふたりだけでなにやら大事な会議をしていたのを週刊誌が報じたとテレビが改めて親切に報じている。

二人の直後の説明では「会議」なのだが

その件の後日の釈明会見では二人とも「一線は越えていない」と胸を張っていた。

「会議」をしたが「一線は越えなかった」とは、かなり白熱した議論が行なわれたのだろうと大方の国民は、政治家の日夜の激務におどろきと尊敬の念を覚えて止まないかも知れない。

しかし当方、根が下品なもので、ついあっちの方に想像がいく。

つまり、もしかしたら性行為が行なわれていたのではないのかと。

「一線をこえていない」とは手やあるいは口を使って互いのからだを愛撫し合う行為まではしたが性交、つまり性器の結合だけはいまだ行なっていないという意味ではあるまいか。


 性器の接合が行なわれたか否かはどうであろうと、国費を使ってホテルで性行為をするとはなんたることかと、文句を言いたくなる。しかし責めれば、いやホテル代は自分のポケットマネーで払ったと弁解するだろうが、ではそのポケットマネーの出所はどこなのか。元をただせば議員報酬ではないのかと言いたい。


ここまで書いたところでテレビのニュースをみていたら、男の議員の方がまた別の今度は金に関する、何だったか、選挙ポスターを、作ってないのに架空請求したとか報じられていた。

報道陣が「それは事実なんでしょうか」と言うところを「一線を越えられたんでしょうか」という問い方をして、議員をきれいにいじっていたのが可笑しい。

政治家の金銭疑惑は星の数ほどあり、それに私の義憤の趣旨とも違うのでここでは触れない。触れないが一言。

議員のあの返答からすると、近いうちに一線を越えた証拠を突きつけられそうな雲行きだった。

いや、金銭疑惑のニュースのことを取り上げたのには理由があって、二人とも国会議員と先に書いたが、よく聞けば正しくは男の方は市会議員だったのが分かったからなのだが、私の文の趣旨の上から言えばマスコミで耳にした一事例として挙げただけのことで別に訂正するほどのことでもなかろうか。


私はむかしから芸能界のスキャンダルのようなことにそう興味が向かなかった方なのだが、近頃、気をつけてテレビのそういう番組を見るようにしている。

というのが、お笑い番組が好きでむかしはよく見ていたのだが、どうもこの頃のは面白くないと感じることが多くなった理由は、もしかしたら面白いと感じるための下地がないためではないのかと気づいたためだ

その下地の一環として芸能界のあれこれの事情に、精通する必要はないだろうが大体のことは掴んでおかなくては話についていけないのではなかろうかと。


よって、いまはまだ知識の浅いままで、斯界の通史に疎い身でいうのは気が引けるのだが、最近、不純異性交遊、わいせつ行為が以前より多く報じられる傾向にあるのではないだろうか。

と言ってもすぐにあれこれ思い浮かべられるほどの知識は蓄えていないが、まず、思い出すのを挙げれば、ベッキー問題だ。

問題と言ってもこれは事件でも何でもなく、私など見たことも聞いたこともない歌手と懇意になり、遂には性行為をするに到り、世間に発覚するまでの間、執拗に何度もくりかえし行なっていたとされている。

相手の歌手は既婚者で、なんでも「ゲスの極み」という名のグループに属しているというから出来すぎていて、うっかり笑いそうになるが、ベッキーの可愛らしい顔を思いだすとしかし、笑ってはいられない気分にすぐ戻る。「ゲスの極み」に「ゲスの極みな行為」をされてしまったのだ。なんとも悔しい。

 

 そう言えば先の国会議員も元はたしか「スピード」とかいう歌を歌う人気女性グループの一員だったそうだ。

どうも芸能界と政界は親戚筋の感は否めない。

選挙で全国区というのがあるので、それがあるから、全国に顔が売れているというだけの者が平気で当選する。もちろん選んだ国民がわるいのだがいろいろの意味で悩ましい気分になる。

 

 それはともかく、国会議員もベッキーも所属は別にして、好みのタイプなのだ、私の。恥ずかしながらと言おうか、だから気になるのだ。 

タイプでない場合はたぶん誰しもそうだと思うが、誰と性行為をしようとどうしようと好きにしてくれ、といった気分だろう。


しかし、それにしても、人の性行為というものはなんとも不愉快である。

では、映像で、人が行なっているのを好んで見ているのは何なのだ、というかもしれないが、あれは自分の性欲を刺激するためのよすがに過ぎない。

だが、たかが映像に過ぎないと思おうとしても、好みのタイプの女優が現われ、快感を覚えて身をよじらせ声を漏らせたりする場面では、羨ましいというか嫉妬するというか腹立たしいというか、なんと表現すればいいのか、とにかく相手の男優に対し好感はもてない。

それはなんでかは、はっきりしている。

自分が参加してないから、つまりは自分は気持ちよくもなんともないからである。はっきりしてはいるがそんな分析はしたくない。認めたくない。

というか、こんな人のしてるのを見て、いったい自分はここで何をしているのかといった風なわけの分からない気分にもなる。

 「いいことは人がする」

 ということわざのような、言い伝えのようなのを誰かから聞いたのを思いだした。「いいこと」とは、こういう人の性行為のことをいっているのかもしれないといま気がついた。

だから私はスケベビデオいやDVDか、はもっぱらオナニー物を見るようにしている。男優が画面に出ないからだ。

いまはオナニー物に限ると思っている。人にもお勧めしたい。

 ただ、ふと思ったのだが女性の場合はどうなのか。

逆だとすれば男のオナニーの一部始終を見るということになるが、それで満足がいくものなのか、興味が持てるものなのか、見当がつかない。まあ、どうせ、女性にとって要らぬ世話をしているのだろう。

 そういえば「大きなお世話よ」という言い方があった。

 何ごとにつけ、人我ともなかなかに「要る世話」ができてない。

私も要る世話のつもりがたいてい要らぬ世話だったと後で気づくことがよくある。

 

 「要らぬ世話」ついでで言うと、いつもおもうことだが、世の中要らぬ世話ばかりである。

メディアがひどい。どのメディアもひどいがテレビがやはり一番目に付く。

 ワイドショウというのか情報番組というのか、よく知らないがそういったのがやはり一番「要らぬ世話」が多い。

食べ物の紹介が多すぎないだろうか。一つひとつの番組がどうこう言っているわけではない。多すぎて目移りしてしょうがないのではなかろうかという気がするのだ。

 ただ「まいうー」は好きなのであの太ったのが出てたら見る。なまえがすぐには思い出せないが食べ物屋の料理の紹介を専門にしているタレントのようだ。


 ニュースでいえば地震の震度情報が多すぎる。

どう多いかというと震度1でも発表する。思うに3までは黙っていてほしい。3までがほとんどのような気がする。4のときもたまにはあるが、4もまず被害を聞かない。5からである、何らかの被害が起こるのは。

なんの被害もない3までの発表に、毎回一々どきどきさせられているのだ、全国民が。

1でもとにかく住民、国民に知らせておきたい放送局の気持ちは分かる。

後で何ごとかあったときに放送しなかったという非難は免れる。画面の端にテロップを出すのは容易いことだ。

あれをなんとか、つまり震度3まではやらなくても、と内心思っているのは私だけだろうか。しかし、国民も心情は放送局と同じで、そうは言えないのだ。

「些細な地震まで知らせてくれなくとも」とは。

よそ事だから、人ごとだから、そんなことが言えるんだ、という反論、非難が目に見えているからだ。

そんな推測をしてみた。


ただ、なんでこんなことを言うかというと、近年ますます人心をざわつかせる事件事故の連続である。であるから、視聴者、国民に少しでもどきっとする要素を含んだニュースには少しでも触れないで済ませ、安らかな気持ちでいられる時間を多くしてあげたらどうかという思いからの意見である。その他の趣旨は全く含みません。


 うっかり日頃思っていることを書いてしまったが

 なんだかテレビのことを批判したみたいで気が引ける。

 見なければいい、と言われたら大変困る。

 新聞、本は1時間は難しいのだ。目がである。

 個人差もあるだろうが廻りの同年配の按配を確かめてもおよそそんなものらしい。私もむかしはどの辞書もその字が大きいとか小さいとか、大きさを意識した覚えがない。子どものとき、祖母に縫い針に糸を通してくれと頼まれたとき、不思議な気がした。老眼とはどう見えないものなのか、見当がつかなかった。だが、やがて自分が老眼になってみて、老眼を若い人にことばで説明してみろといわれてもできない。まして近視は、自分がそうでないから、いまだに見当が付かない.

 

 テレビの画面を眺めるのは目も楽だし寝そべったままでなにもしなくていい。本も寝て読めはするが本を手で持つ必要がある。まことに不本意なのだが近頃、文庫本より大きいのは、肩、首の不調で持つのが難儀になってしまった。

で、しかたなく、横になってテレビ鑑賞となる。

いや、もう一つ理由がある。二年前くらいからめまいが起こりどうも直りそうにない。

あちこちの病院に行ったが原因が分からないので治療不能という答えばかりで埓があかず、そのまま現在に到っている。立っているときにひどい、すわっているときは少しはまし、横になっているときはあまり感じない。めまいが目の見えように影響しないはずはないが視覚的感覚は実は自覚がしにくい。なのでどう見え具合が悪いのか表現するとなると老眼よりむずかしい。

むろん肩、首も医者にも、接骨院にも診てもらった。レントゲン、C・Tに何も現われなければ、とりあえず牽引器、温熱治療器をやってみるだけ。現在もやってみるだけを続けている。

首、肩とめまいに関連があるやも知れないので、一応、整形外科の方にはめまいを、めまい外来には肩、首を訴えてみるのだが、計何人の医者にかかったか知れないが本気で取り合ってくれた医者はいなかった。

常々思うのは、歯医者に関節の痛みを訴えるのはおかしいが、歯以外は、たとえば内科で関節が痛むと訴えてみてもいいはずなのだ。

人間のからだのなかはすべての器官が緊密に繋がっている。そして各器官は身体全体のことを第一義としてそれぞれの役目を担っているはずだ。つまり各器官は決して単独行動してはいない。

と思うのだが「そこは自分の診るとこじゃない。それぞれ専門ということがある。いや、他所へ行けと行ってるんじゃない、ここは大病院だ、何でも揃ってる」

といった対応である。

こう言えば、医者は「いや今はそんなはずはない。医者は常に患者の全身を診ている」と応じるだろう。

たとえば島に一人の医者は否応なしにぜんぶ診なければならない。寝たきりの往診も勢い全身の容体を観察しているとか、ほかにも何かそういった状況、場面はあるだろう。意識を失って口のきけない救急の患者の場合とか。

しかし、それらは私の場合とは場合が異なるということを分かっていただきたい。

ある日、総合診療科というのが大学病院にあると知ったので、これはもしかしたらと思い、試しに行ってみようかと、かかりつけのせんせいに相談したところ、自分の母校だから実情に詳しいのか、行っても無駄だと思うよ、と親切に助言をくれた。

こうやって述べているとなんとも自分の老化を嘆いてばかりのような気がしてきたので、もうやめて冒頭のあめんぼの話に戻ろう。


と、ここまで書いたところで、また次の別の、女性国会議員の不倫が発覚。

相手は政策秘書的な役割をしているテレビにもちょくちょく出るイケメン弁護士とのこと。顔の映像があったが、ああいうのをイケメンというのかどうか知らないが、鼻の下に髭があった。鬚はよくない。髭を生やしている人間の髭を生やしている目的はどう考えてもろくでもないものに決まっているという確信があり、まったく好感が持てない。いや髭があろうとなかろうと、この女性議員も私の好みのタイプなので、ふつふつと腹の煮える度合いにたいして変わりはない。


 ホテルを出て一人で帰宅する途中の路上で、待ち構えていたどこかの記者に「先生、不倫をされてませんでしたか」と単刀直入な質問をされているのが放映された。

 こんな場面のこういう質問には「事務所を通して答えます。」という返答で対応すればいいというのをやっと思いついたという感じで、どの質問にも同じ答えをくりかえした。

 家に入りかけた女性議員の背中に向けて、記者は最後に

「先生、いま子供さんはどこにおられるのですか。何をされているのですか」と叫ぶように質問を投げた。

こどもは家に居て、まだ寝てるか起きてるかはどうであろうと彼女の母親が同居しているのだから、一人きりで放置しているわけではないのは記者も承知している。

 いや、うっかり失念していたが家には「夫」もいるのだ。

 つまり、あえて記者の言いたいことを、はっきり正確にあらわすと、こういうことになる。

 「先生はこどものことは母親と夫にまかせて、あろうことか既婚者の男と一夜を高級ホテルで過ごし、お互い真っ裸になり、からだのあちこちのさわり合いを行なったはずだ。特に陰部、すなわち性器を中心に。挙げ句の果ては男性器の大きくなったのをいいことに、その男性器を自身の女性器に嵌めこみ、腰を上下、左右に小刻みに揺すり快感を求め、きっと、先生はふだんの夫婦間でするときよりも早めに絶頂に達したことだろう。相手が夫ではないことのもたらす緊張は強い快感につながる。もちろん男も射精までいったはずだ。避妊については先生はいまはまだ、その必要があるので、した。方法はゴムで、用意は万事気の利く性策秘書がした。」

 このように推測されますが、先生、もし違うところがあれば訂正してください。


 テレビのワイドショウなどでは「あのふたりはいっしょにホテルに入った」という表現だけで、行なわれたあろう行為を視聴者は察しなければならないことになっているが、中で行なわれた行為を「ためしに」言葉にすれば上記のごとくになるはずだ。


そして、同時刻に相手の弁護士も自分の事務所らしきマンションの前でインタビューの待ち伏せをされた。

「先生と最近ではいつ会われましたか」

 つい今し方まで高級ホテルの三十何階のダブルベッドでお互い真っ裸で顔を見合わせていたのだが「さあ、よく覚えていませんが一週間くらい前かな」と答えていた。

 男の方はいわゆる公人ではないので説明責任などなく、弁護士業においては離婚とか男女間のトラブルも得意としているらしいので、この件はまた一つこんどは身をもって貴重な経験を積んだという営業上の箔になるだろうし、それにインタビューを受けていたときの映像で日本中に顔が売れ、今後ますます依頼人、列をなすにちがいない。この男は間違いなく焼け太りするはずだ。


 女性議員は以前、党の要職を務めたこともあり、次は幹事長の声がかかっていたそうだ。また総選挙も近いこともあり、すぐに記者会見で事の「説明責任」を果たした。と同時に離党も表明した。いつまでもこのままだと党のイメージダウンになるからとの理由を添えて。

 政治のことでの説明責任なら分かるが公人と呼ばれる政治家は自分の私生活の有り様、行なわれた行為までも説明責任を果たさなければならず、離党、場合によっては辞職しなくてはならないものらしい。

 ホテルの件はこれだけの明らかな証拠を映像で突きつけられていても「ホテルはわたし一人で泊まりました」と言い張った。

 「男女関係はありません」とも言った。


 それにしても男女の関係がないとは曖昧な言い方である。曖昧にしているのだろうが。

 では、男女の恋愛感情のようなものはないが、うっかり性行為はした。しかし、その性行為がじぶんに夫も子供もいる身としては学校で道徳を習っている子供たちに悪影響を及ぼしてはいけないので、ふしだらな男女交際をしたら、こういうことになるんですよと反面教師を買って出るつもりで辞任したのであろうか。

 いや、性行為も否定しているんだったか。


 用意した原稿を読み終わると、記者の質問は一切受けず、マイクの前から立ち去った。

「潔白なのですが、とにかく、これ以上お騒がせして党に迷惑をかけてはなんだと思いまして」というのがあるが、こんな場面を見る度、いつも思うのだが潔白ならあくまで潔白を強く主張すればいいのだ。疑惑がもし、晴れるならば、本人は名誉回復どころか人気沸騰ということ間違いなしだろうし、党としても名誉なことで大いに国民にアピールできる機会となることだろう。

 国会議員なるものはもともと自己主張が強く、声は大きい人たちだ。もし無実ならば涙でも浮かべてマスコミで大騒ぎをしてみせるだろう。えん罪ならば晴らせばいい。一般人と違ってその気になれば、いくらでもマスコミは場を与えてくれるのだから。

 

 と、ここまで書いて、しかし何がなにやら依然として物事が判然としない。男女のことは所詮どこまでも曖昧なのだ、といえばそれまでだが、もう少し考察してみる。

  

 互いに結婚継続中の相手とその間に生まれた子供もいる者同士の男女が、しごとの上で知り合った。しごとの性質上、二人は二人きりで深夜に及ぶ、書類作り、打ち合わせ等をする必要があり、それは主に男の事務所で行なわれていたが、ときにホテルのこともあった。

 しかし、本人曰く「男女の関係はなかった」とのこと。

つまり、思春期のごとき純朴な思慕の情が、いつか熱烈な恋愛と呼ぶにふさわしいものになっていた。といった風な感情はなかったと主張しているのを、そのまま採用することにする。

 だが、状況証拠から性行為は行なったと見做して何ら強引な解釈ではない。

世間でいうところの肉体関係である。

 ということは、本来自身の性慾は配偶者によってのみ満足を得るべきところをあろうことか、しごとを共にするために必然的に身近にいた他人の男性によってその満足を得ていた。その行為は男性の方も大いに望むところであり、すぐに合意を得た。


 性慾は人間に、本人の社会的な、そして家庭内の立場、諸々の状況をおろそかにする力がある。ほんの少し冷静に考えれば分かりそうなものを、と周りの者は思うが性慾は人間の判断力を完全に奪う。

 彼女に罪はない。彼女の神経細胞のなかの性慾を司る部位が悪いのだ。

 彼女は悪くない。


 さて、そういったところで、この手の事例はお終いにしようと思っていたら、また、立て続けに二つ女性のスキャンダルが起こった。

 一つは「性行為もの」ではないし、もう一つは「性行為もの」ではあるが女優なのでありふれているが少し述べてみたい。

 近頃女性スキャンダル目白押しのような気がするが、そうでもなく、このくらいの頻度が普通なのか、近頃私が気をつけてチェックするようにしてるからなのか

、判然としない。

 性行為ではない方は、やはり国会議員で、秘書に対して、人を罵る言葉にはこんなにどぎついのがあったのかと、聞いた人が今後、人をとことん貶めるときの参考にするんではないかと心配になるほどの、心凍るものだった。

 それを秘書が録音して世間に公表したものだが、なかには空覚えした人もいるのではないかと思うほどテレビ等で何度となく繰り返しやっていた。

 これを満天下に晒されてしまっては、もし私だったら恥ずかしさで、もうこうなったら死ぬしかないという結論をだしてしまうに違いない。

 しかしあれほどの暴言を吐ける程の強者はさすがに私のように柔ではない。体調を崩したという理由をつけてどこやらに入院して、英気を養う機会とし、何日か後には退院、すかさずテレビのインタビューで言い訳し、近々雑誌でも弁解の記事を載せてもらう予定だそうだ。

 雑誌社も弁解を聞きたい読者が大いにいると踏んでのことはもちろんである。テレビでの言い訳は聞いた。おおよそ「穴があったら入りたい。しかし、あの秘書は箸にも棒にもかからない無能者で失敗につぐ失敗を繰り返していたので仕方なかった。」というものだった。これを聞いたところで、録音で秘書をボコボコ殴る音を聞いた全国民が納得するはずはない気がするのだが。

 で、私がなんでこの件をとりあげる気になったかというと、禊ぎは済ませましたと言うには早過ぎるのは議員本人もいくら何でも分からないはずはない。だが、そうはいってられない。今なら他の女性議員の不倫スキャンダルに紛れる、と踏んだからなのではないかと推測したからだ。

 自分のもそうとうひどい、いや度ひどい。だが、まてよ、不倫は世間の評価は私のよりランクは上、と言おうか下と言おうか、要するに悪質と見做されているのではないか。

そこへいくと私のはましと世間は評価し直すかもしれない。

 普段は御同業の女性大物議員は目の上のたんこぶでしかないが、むしろ不倫をやらかした方が自分より大物なのがこの際ではありがたい。

 だったら、「禊ぎを済ませた宣言」は早過ぎと失笑を買おうとも、今をおいて他にはないとこの女性議員は高度の情勢判断をしたのにちがいない。

 

 この女性議員の高度の判断についての想像は自分でも可笑しくて書いてみたのだが、それにしても、よくよく考えてみれば本来的に人間の性行為というものの位置づけ、評価は難しく、あいまいである。人間の行為も、ときに目にする動物の動作、行為となんら変わらない、人目には浅ましい無様な印象のおこないではある。だけど、そうはいっても、したいことには変わりはないので、たとえ夫婦であってもこっそりする。

また人間は結婚したら、その相手以外とは決して性交してはいけない決まりになっている。これが何でもないことのようだけれども、難しい人にはむずかしいらしい。 


さて、あと一つは女優の話なのでありふれていてはいるが、今は50歳になるが昔清純派の歌手でデビューした美人女優なのと、不倫がマスコミによって世間にばれたのが三回目だというのと(ばれてないのがきっとばれた数より多いんだろうなと、つい思う)、 相手がかかりつけの家族ぐるみの付き合いをしている医者だというのと、マスコミで報じられる以前に夫には、このたびの不貞行為についても既に許し(諒解)を得ている、という点に着目してみました。


 ここからわれわれが教訓を得るとすれば、なんだろう。

 人に知られなければなかったことといっしょ。われわれ庶民は有名人と違って事がばれる確率は低いのだけど、気をつけよう。

 かかりつけ医と家族ぐるみの付き合いをしないように。

 いや、かかりつけ医にだけ気をとられてはいけない。

 ここではもっと普遍的な傾向を見いださなければ。

 つまり、なんだ。

 悩みごとを打ち明けたり、なにかと相談に乗ってくれそうな頼りになるムードを出している、いわゆる社会的ステータスの高い男を妻から遠ざけなければならない。髭を生やしていたら、特に要注意である。

あと、なんだろう。こんなとこか。

 

春先に近くの道すがらの水路にあめんぼを一匹見つけた。

流れのない水たまりのようになった箇所である。

たくさんの足を、いっぱいに広げ突っ張っていても軽いからだは少しの風で常に流されている。

 水面からコンクリートの底までの深さは20センチほどで、真っ平らな底に映る影は黒の線のからだ自体ではない。からだはまったく影に反映されず、水面に浸けた8本の足の先が自身のわずかの重みで水面を点で押さえていることによってできる、その8個の水面の丸いひずみが水底に映り、それがすなわちあめんぼの影といえば影。


その道を通る度、気になって時折のぞき込む。

 次に見ると10匹くらいに増え、またその次にはもっと増え、やがてちいさいのが無数に混じっているのに気づく。それも目を凝らせばあめんぼに間違いない。数え切れない。


 大きいのはそれ以上大きくならないが、小さいのは見るたびに大きめになっていく。しかし、あれほどの数がいたこどももやがて、そんなものか、いつの間にかそれほどでもなくなっている。


 夏になった頃、いやに大きな、いつも見る「大人サイズ」よりかなり大きめのが目に入った。近づいてよく見ると「大人サイズ」のがややこしく重なり合っていたのだ。

 「やってる、やってる」ああ見えても、やっぱりすることはするんだなと納得していたら、そこにちいさいのが1匹寄ってきて、大人2匹の重なりの足の真下に入っていった。

 日陰に利用したのか、それとも性交の様子、その接合部を観察して勉強しているのか。

などと想像していると、数分後突如しおからとんぼがどこからともなく現われ、その真上の空中にしばらく留まっている。

なにをどうするものいかと眺めていたら、そのまますっと真下に降り、「わっ」とおどかすように、そのかたまりに足で一度だけ触れ、ただそれだけのことでどこかへ飛び去っていった。

するとかたまりがほどけ、四方へ散ったのだ。ことばの表現の「四方」と同じになるが、つまり重なっていたのは2匹とばかり見ていたが見誤りで、実は4匹だったわけだ。ただ、どれも大人サイズにはまだなってない、中型だった。

なんだか、分けのわからない気分のまま、かたまりのあった、いまは何も浮かんでいない水面をそのまましばらく眺めていた。

すると4匹のうちの2匹が右、左から戻ってきて、互いの顔を見合わせると、すぐさま合体した。

いきなりの合体なのでさっきの続きだと解釈すればいいのだろうが、さっきは4匹で重なり合っていたはずだ。

ますます、分けのわからない気分は強くなった。

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