吉行淳之介さんの小説、対談、エッセイを全部読む

 たぶん吉行さんの小説は全部読んでいる。

エッセイも対談もほぼ全部読んでいるはずだ。漏らしていても僅かなものだろう。

 生きておられたときは、小説の新作が出ないか、雑誌にも何かないかといつも注意を怠らなかった。

 亡くなられてからも本屋へ行けば、まっさきに文芸書の「よ」行の棚を確認する習慣が抜けなかった。もしかして、読み漏らしているものが並んでいないかと、淡い期待を持って。

 その習慣はいまも続いているが、近年は一般の本屋には吉行さんの本は一冊も見かけなくなった。

しかし、それは吉行さんに限ってのことではなく、また吉行さんの同時代の人のものが、そういう時期にきたということでもなく、文芸というジャンルぜんたいの傾向なのかもしれない。


 なので私のこの一文も読んでくださるのは同年代くらいの人だけだろう。

私より上の人はもう少なくもあろうし、それに私自身がそうであるように活字を追うと目がショボショボしてなかなかはかどらず、本を読むのはたいそう根がいる作業になっておられるだろうと想像する。


 むかし、20代の頃、上野毛の吉行さんの家を見に行ったことがあったのを思い出した。場所はなにかのエッセイに書いてあるとおりで駅を降りて坂を少し下るとすぐのところだった。

 何の変哲もない平屋で、後ろにはこれもエッセイのとおり、お社を囲む大木がうっそうと茂っているのが見えた。

 ひとつだけ今でも印象に残っているのは、この家が吉行さんの家だと確認した、その表札そのものである。

2メートルほどの高さの左右の門柱の、右の柱に10センチ×20センチくらいの大きさのプラスチック製の白の板が貼ってあり、それにマジックペンで「吉行」と横書きで「手書き」で書いてあった。雨露にさらされて字はだいぶ擦れていた。

 こういうのは、そうそうない。物に懲りのない流儀の人らしい表札で、「吉行」という名前で明らかなのにもかかわらず、そのことをもって、この家は間違いなく吉行さんの家だと納得した気分だった。そして、ますます吉行ファンになったものである。



 吉行さんを含め、小説家はたいてい皆、エッセイも書くし、対談もする。

私は吉行さんの対談、エッセイが一番好きである。

もちろん小説は好きだが、同じくらいエッセイ、対談も好きである。ではエッセイと対談とではどちらが好きかと問われたら決めかねる。どちらもいい。

 では、なにかお勧めはと言われれば、たくさんあって選べない。というか、どれもいい。どれも期待を裏切らない。

でも、敢えてひとつだけ挙げれば「公園の為五郎」との対談だ。

新宿御苑あたりを縄張りにしている「覗き」を趣味にして長い経歴を持つ男とのものだ。

今もそうかもしれないが当時、新宿御苑は若い男女が夜な夜な、ベンチで乳繰り合い、なかには興奮が度を超し、植え込みの陰に隠れて本格的性行為をするカップルが珍しくなく、人目を忘れ無我夢中であるから、びっくりするくらいの至近距離から観察できると、その趣味のある人間のあいだでは知れ渡っていた。私も一度見学にいったことがある。

そういう知れ渡っているところでなにもわざわざ、と思うがどこもかしこもカップルがうじゃうじゃいるので、そのなかに紛れて自分らが目立たないという心理が働くのだろうか。それと、至近距離といってたって、どのくらいの至近距離なのかは気になるところだが、「一本手が増えているのに当人たちは気が付かないのだから」という自慢話を何度か聞いた気がする。真偽はわからない。わからないが本当のような気がする。

まあ、それはいいとして。


 さて対談の冒頭、「ちかごろ、あなたは覗きよりも、公園の池の水鳥の羽音に心を奪われる、という心境に達したというではありませんか。その辺のお話から伺いましょう。」

 と吉行さんは切り出すのです。

こうですから、吉行ファンはたまりません。

対談の中身は忘れました。いえ、中身なんかはどうだっていいのです。

 もうひとつ、対談を思い出しました。

週刊誌、だったか。「寝ながら話そう」というシリーズがあって女優さんとか、なにしろ読者が羨む美人と、タイトルどおり寝ながら対談をするという企画でした。文章だけでは雰囲気が伝わらないので、二人が実際、布団の上で寝間着らしきものを着て横になっている写真を併載していました。吉行さんはたいてい手枕のポーズだったののをいまでもはっきり思い出せます。

当然テーマは色事だったでしょう。

もちろん、内容はまったく思い出せませんが、吉行さんがユーモアたっぷりに話しかけている様子が思い浮かび、愉快な気分になります。

吉行さんはどんな生業の人とも対等の立場で付き合います。ちかごろの言葉でいうところの「上から目線」ではないのです。上から目線では寝ながら話しはできません。

あの当時の普通の「あのクラス」の小説家なら、受けない企画だったでしょう。


 「上から目線」ではない話で、ぜひ、紹介したい逸話があります。

それは吉行さん自身の振る舞いで本人がエッセイに書いてありました。

むかし、赤線通いをしていた頃のこと。とある店の前でちょっとした人だかりがあり、見ればひとりの店の女がなにやら大声で独り言を言っている。

 どうやら、店の前で客引きをしていて、今しがた通りかかった冷やかしの客になにやら嫌なことを言われて悔しくて、「あんな奴、二度と顔をみせるな」という風な意味のことをひとりで口走っているのだ。

 その女を通りがかりの男たちやいっしょに客引きをしていた店の女たちが眺めているといった図である。

そこに通りかかったのが我らが吉行さんだ。

「どうしたんだ」と女に静かに声をかけると、女は吉行さんの方を振り向き、じっと見つめたままでいる。

そして吉行さんが肩を抱くようにして

「上がろうじゃないか」と言うと、女は「うん」と答えるように頷き、そのまま女の店にはいったそうである。

すると、その様子を眺めていた男たちや店の女たちから思いがけず拍手が沸き起こったのだ。

 そして、これが思い返してみて、自分の人生のハイライトシーンであり、自慢のひとつ話にしているのだと吉行さんは「自慢」するのだ。

これは、いくら自慢しても構わないと思う。この自慢話には嫌みがまったくない。何度でも聞きたいものである。


 さて小説ですが、小説についてはあまり述べたくない気分です。

所謂、文学論なるものを吉行さんは嫌っていた節がありますし、私も「論」などと文学をまるでなんだか学問の一種のごとくに扱うことに違和感があります。

 とりわけ「誰々論」などと銘打って、個人を取り上げ解説してみたところでたいした意味がない気がします。

 いくつかそういうのを読んだことがあります。大げさな言い回しでなにやら高尚ぶった解説をするのですが、はっきり言ってよくわかりません。

 著者の経歴は知りたいので、それはいいのですが、書いたものの解説は、つまり鑑賞の仕方の手ほどきはしてもらわなくても結構な気がします。

 たとえば吉行さんのことを都会的な感性の持ち主だ、などとよく解説していますが不要な解説でしょう。

 だいいち、私は吉行さんを都会的な感性の持ち主だと思ったことはありません。小説の舞台が東京あたりのことが多いのは吉行さんが東京に住んでいるからであって、それだけのことにしか思えませんし、感性も何をもって都会的というのか。いつも理解に苦しみます。

 都会的という言い方にはなにやら洒落た、洗練されたという風なニュアンスがありますが、吉行さんにそんな意図はまったくないでしょう。たぶん、吉行さんにとってそれは想定外のことでしょう。

 吉行さんは何事についても思うこと、感じることをなるべく簡潔にありのまま吐露しているだけに私には思えるのです。

 その正直さに私は感心するばかりです。

端的にいうと私は小説はある意味、すべてが私小説だと思っています。

史実をなぞった歴史ものと言ったって、作者の意図、心根抜きには1行も書き進めないはずです。

 その時、流れていた雲が爽やかなのか、儚いのか、あるいは描かないか、は作者が決めていいのです。


どんな体裁の小説も、つまりは作者の感じたことを表現するための手段で、読者はその作者の思い、感じ方に納得し共感できれば愛読者になるのでしょう。

 私は少々世間を憚るようなテーマを飄々とした風情で平気な顔で語る吉行さんに、いまでもハマっていて、もう新作はないので、しかたなく旧作を読み返すばかりの日々を送っている次第です。

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