生まれながらに軍靴の音が好きな者がいる
軍靴の音が聞こえるとか戦争の足音がする、という表現を知っている。
世間の様子からもうすぐ戦争が始まるのだろう、と雰囲気に脅える国民の嫌な気分を、そのときに、ではなく後になって、当時を知っている人が振りかえり、感慨を込めて表現したものだろう。戦後に生まれた私だが国民の不安で重苦しい気分がわかる気がする表現である。
大部分の国民は戦争が嫌だった。嫌だが嫌と言える雰囲気ではなかったのでしかたなく黙って従ったのだろう。
だがしかし、国民のなかにはどれだけの割合かはともかく根っから戦争が、というよりも戦争の「雰囲気」が好きな性格の人間がかなりいる気がしてならないのだ。
いや、そんなことは自衛隊に、喜んでかどうかは別にしてとにかく入っている者があんなにいる事実をもって、わかりきったことではないか、と言われそうだが、なんといおうか「平和を愛する」自衛隊とはまたべつに、軍靴の音の好きな輩がいる気がしてならないのだ。
その人物はなにもお国の役に立つために「いざ鎌倉」と時節を待ち構えているわけではなく、あくまで自分の持ち前の性向のままに、雰囲気を感知したらどうにも辛抱たまらなくなるという性質を持っているに違いない。
いまとなっては、もうずいぶん古い話になって例に出すのに気が引けるが、それでもなるべく多くの人が知る好例としては、三島由紀夫まで遡る必要がある。
三島はあの演説で、止むにやまれぬ義憤に駆られてのものと、訴えかけていたが私には内容はよくわからなかった。いまも何のことやらわからない。
ただ、根っからこういうことを好む人間が世の中にはいるんだな。三島は金と知名度があるから自分の嗜好が実行できたのだが、世間、大勢のなかには、この趣味の人間がそうとういるんだろうな、と感じた。
普段、平時はおとなしくしてそんな風には見えないが、軍靴の音に刺激を受ければ生来の「戦争の雰囲気好き」に火が付くという輩が、いったい、どこから、こんなに湧き出したんだろう、というほど群れ集って、マスコミや世間を煽っているという図を想像してしまう。
一体こういう連中はどうしたらいいもんか。
普段は、たぶん自分でも自分の性癖に気づかずに暮らしているに違いないから始末が悪い、などとひとり気をもんでいる。
いまは平時なので気の抜けた話題に聞こえるに違いないが、おそらく起こるであろう次の大戦の前の平時、つまり「戦間期」と位置付ければ、時期を得た話題ということになろうか。
とにかく、そういう輩の芽の出ない土壌を保たなければならない。
なにか方法はあるだろう。
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