エドワード・ゴーリー「うろんな客」を読む

 先にゴーリーの「おぞましい二人」を読んで所感を述べてみた。

で、もう一つだけ何か選んで書いてみようと、いくつか読んでみたがどうにも書けない。

そこで、なんで書けないかについて、つらつら考えて、ついに理由がわかった。

「おぞましい二人を読む」で私の言いたいことは尽くされているのだ。

それに気がついたのだ。

読み返すとあらすじの紹介をしているが私にはそういうつもりはまったくなかった。

もっと長編ならいざしらず、こういう文章の少ない絵本に解説めいたものなど不要なのである。またゴーリーの人となりについては各話の解説者がそれぞれ書いている。

 「うろんな客」にしたところで解説するなどナンセンスである。

むろん絵については、絵はもっと感覚的で、つまり好みか好みでないかの世界であって、何の講釈が要ろう。

さて、では、読者はどうあるべきかといえば、感ずるところはそれぞれあろうが、たとえば、もし人に「どうだった?」と感想を求められたとしたら「うーん」と唸って言葉に詰まる、といった風情が望ましいだろう。

「うろんな客」の珍奇な姿をした主人公は、どうにも人間の子供としか思えないが、その子がいつのまにやら17歳になっていた、というところでおしまいになっている。

 私としてはつい、いまだ、うちに居るうちの息子を連想してしまった。しかし、うちの「うろんな客」の場合、たしか倍の34歳くらいのはずである。


 ゴーリーの絵本は一人こっそり読んで、胸のあたりで密かに畳んで、本棚の隅の目立たないところに置いておくというのが正しい扱い方なのだ。

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