皮膚と空間の境目

 こんな感覚を覚えたことはないだろうか。皮膚と皮膚に触れている空気との境目がないような。暑くも寒くもない陽気のときに。主に顔やら首筋に感じる。

 やがて肉体のことを忘れ、自分の意識、感覚のみが空間に滲みだすというか漂っているというか、いやいまに始まったことではなく常時こういう感覚で過ごしているのではないのかとも思えてくる。


 逆にいうと皮膚、肉体は空気、空間の一部で、切り離しては存在しえないのではないか。

 つまり人間の肉体は、人間その人固有のものではなく空間との混合物なのではないか。

すると人間固有のものとは意識、精神のみになる。意識、精神を言い換えれば「魂」だろう。魂は前提として肉体あってのものという通念があるが、実はいまだ立証されているとは言いがたいのではないだろうか。脳死をもって死と判定するとかしないとかいう議論があるが、脳の活動が止まることイコール魂もなくなるという事実を実験でもって確認したという話も聞かない。


 「霊」あるいは「霊魂」という言葉があるが魂と同義語だろう。霊は肉体がなくなっても存在するという説があるが、つまりその辺がいまだにはかばかしい事実確認を得られず曖昧模糊たるままという状況が現在も続いている。

 さて私の皮膚と空気の境目がなくなったような感覚とはなんだろう。

肉体はなにもその人間固有のものでないとは、つまり自然界、宇宙の一部であって全体のなかの一組織、一細胞である。空間と肉体は別々のものと認識してしまうが実は一体のものと見做すべきなのかも知れない。


 地球はいうまでもないが人間も元をただせば地球と同じくというか、つまり地球から派生したものであるからして当然、星の残骸の集合体である地球を成す、物質の、その元素こそが人間のご先祖様ということになる。先祖を同じくしているということは異体同心という喩えも出来ようか。もしくは人間にとって地球は両親で、星の残骸は祖父母にあたるという表現の方が適当か。


。もっと言えば地球と人間との間柄だけのことではない。宇宙内の種々の成分が混ざり合い変化、変容を遂げ、やがて星という形を成したわけだから、広義に捉えれば宇宙内に充満する成分すべてが人間の身体のご先祖様の可能性を持つといえるのでは。

 いや、可能性などと言わず、もっと積極的に当然、必然的に宇宙内の物質が人間の肉体の素と言い切って何の間違いもあろうはずがない。

 肉体は、一個人の身体は偶然が為した集合体で、あなたがあなた、私が私であることに何の必然もあり得ない。


 すると、その人固有のものとは何になるのか。あるいは殺伐たることになるがその人固有のものなど所詮何にもないのか。それではあまりに心細いので「意識」「魂」という物質ではないものに救いを求めるしか方策はないだろう。

 さて冒頭で述べた空気と皮膚及び肉体の同化しているような感覚もあながち荒唐無稽な気のせいだけのものとも言えないのかも知れない。空気と肉体は出自を同じくしている間柄である。その人固有のもの、真にその人をその人たらしめているもの、その人の核心を成すものとは、やはり「意識」「魂」に求めるしかないのだろう。

 そのことを確認できるときが来るかも知れないという望みを持って。いや、やっぱり、人間の能力では無理なんだろうなあ。

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