例え無人の星と言えど人類が勝手に断りもなく住んでいいものか?

 宇宙へ出かける目的は何だろう。

 色々あるだろうが究極の目的は、他の星で暮らすことなのであろう。宇宙ステーションを造って、そこで暮らすことはどう考えたらいいか分からないが、無人だからといって他の星に勝手に住むのはいかがなものなのだろうか?

 たとえば地球の無人島で暮らすにしても、どこかに誰かに、許可を得る必要があるはずである。とすれば星も、たとえ無人といえども誰かに届出る義務があるのでは。

 月の土地はなにか早や売買されていると聞いた。誰から誰に、だろうか。「誰に」は見当がつく。個人の大金持ちだろう。しかし「誰から」が分からない。売り手方、つまり誰が売る権利を持ちえるというのか。私には全く見当が付かない。

 また月の地位と言うか、格付けは地球の周りを廻っているから、地球の属星と看做しているような気がする。幸い誰も住んでいないし。なら廻っている関係でいうと地球は太陽の属星であり、地球の持ち主は太陽になるのか。


月はともかく、人類はまず手始めは火星への移住を目論んでいるらしいが火星は地球と同じ太陽の周りを廻っているもの同士である。つまり同格である。誰もいないからといって勝手に乗りこんでいいものか。人類のような存在がいないとしても、なにか生物がいれば火星の持ち主はその生物ではないのか。

 あるいは生き物はまったく何にもいなくても誰かに、どこかに断りがいるのではないか。

 というのは地球を含めた太陽の周りを廻っている惑星たちを人間は、太陽系といって、ひとつの単位、集合体と捉えている。もちろん現時点の地球人の観測の結果と知見ではそうなろう。間違いでもない気はする。

 しかし隣りの系の住人が、もし地球人をはるかに、はるかに凌ぐ知性を持っていて、その高度な観測によって得た観測結果からは、地球人の理解を遥かに超えた宇宙空間の認識を得ている可能性があろう。

 たとえばの話である 

 地球人の認識では、わが太陽系はひとつの独立した系なのだが、隣りの系の住人の認識では太陽系は自分の系のある意味、属星と看做しているかも知れない。とすると地球人が火星に降り立つ行為は、隣りの系の住人にすれば一言あいさつがあって然るべきと考えているかも知れない。


 地球において、人類の歴史を俯瞰すれば、これから先も人類のやらかしそうな所業が見えるような気がする。所謂文明国の人間は、発見した新大陸が無人なら当然わがものと看做す。あるいはたとえ先住民がいたところで何のお構いもなしに、というより我が物顔で侵略し手向かえば殺す。そんな非道な侵略が世界中のいたるところで行われてきた。そのことに露ほどの後ろめたさ、疚しさも覚えない。

しかし、現在の人間は、もうそんな野蛮な行為はしない、ということはない。

するのである。

前世紀と言えば昔にきこえるが、たった半世紀に過ぎない、二十世紀の二度の世界大戦の開戦を仕掛けた人間たちの性根に巣くっていた敵国観はさきの先住民に対するそれと何の違いがあろうか。

 他の星に人類に匹敵する生物がいなければ、すなわち下等な生き物しかいなければ、何の躊躇いもなく我物、我が所有物と看做す。同等なら戦争を仕掛けて例によって雌雄を決しなければ気が済まないだろう。だがもし向こうが人類より高等生物だったならどうするだろう。その場合はどの程度上なのか見定めてから戦いに持ち込むかどうか決めるのだろう。ただ、おそらくありがたいことには大抵の星は無人だろう。


今の人類の科学技術では他の星に移住できないだけで、できるようになれば何の遠慮もなく勝手に住むに決まっている。

しかし、それではいけないのではないかと思うわけである。たとえ無人であっても。

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