宇宙の始まりと終わりは語れない
地球や月、太陽系および銀河系の誕生、将来の消滅などについては語ってもいっこうに構わない。誰が考えても始まりはあっただろうし、終わりが来るのも明らかである。
太陽の寿命が尽きれば、その時が太陽系の終末である。銀河系も同様で集まりに始まりがあっただろうし、いつかは解散時が来るだろう。
つまり宇宙中の星々、ひとつ一つ全てが生まれ、やがては消滅する存在なのだ。
しかし、宇宙そのものの消長については、まだ人間には語る資格はない。
ビッグバンだとか、宇宙膨張の果てはどうなるのか、とかは。
なぜなら人類は、それについての知見をまったく持たないからである。望遠鏡の性能がよくなって何十億、何百億光年先の星も観測できるようになったといったところで、その星を構成する物質、成分を分析できたといったところで、それは宇宙の始まりや終わりに関しては何の関係もない。
たとえ将来、何兆光年先の星々が観測できるようになったとしても同じことである。遠くにある物体が見えた。それだけのことである。
近くであろうとどんなに遠くであろうと何の差もない。宇宙内の「物」の確認がいくら出来たところで宇宙の始まりや終りについての知見ではあり得ないからである。
たぶん人間には永遠にそれを知る手だてはないだろう。
宇宙の全貌を知るには宇宙の外側から見なければ分かる道理がないはずだから。
外側といったところで、なんの見当もつかない。ただ外側といってみただけのことである。いつまでたっても人間は、ああではないだろうか、こうではないだろうかと想像を巡らし、仮説を披露してみるだけだろう。
ビッグバン説なるものがある。この説を知らない人はいないだろう。
多くの人はこの説を信じているだろう。無理はない。世の科学者もほとんどがこの説を信奉している。本屋や図書館で科学の本を眺め渡してみても、宇宙の始まりはビッグバン有りで統一されている。疑問符を付けているのさえ見当たらない。一般の人がこの説を信じるのも無理はない。
この説が正しいとか間違っているとか論じるつもりは私には毛頭ない。
ただ、科学者がなんと言おうと、正しいとか間違っているとか論じられる材料が何もないと言いたいのだ。
星が、遠い星ほど速い速度で遠ざかっているという、ほとんどそれだけの観測から宇宙は膨張していると決めつけ、膨張しているのであれば、逆に遡れば、膨張の始まりがあったはずだ。そして、そのいよいよの究極の始まりは一点に収斂されるはずだ。理論的に。
その一点に於いて「何か」が「なにか」のはずみに何故か、大爆発して(ビッグバン)0.何秒後には途方もない大きさに膨張した。つまり宇宙の誕生である。それからというもの現在に至るまで膨れつづけているそうなのである。理論的に。
この理屈のどこが理論的なのだろう。
誕生したのであれば、「どこで」と問うのがあたりまえだと思うのだが皆目見当はないらしい。「無」から、という案があるらしいが、これは証明できるように思えないのだが。
ところが科学者のほとんどの者が真顔で、ビッグバンで宇宙が誕生したということは疑う必要のない既成の事実のごとくに語るのである。
いや、語っても構わない。ただしSF、空想物語のなかであれば、である。そこであれば大いに、あっと驚く、そして、しかもほんとうに実際そうかもしれないなと思えるようなアイデアを披露していただきたいと思います。私も何かいいアイデアが浮かべば誰かに聞いてもらいたいものです。
くりかえしになりますが、いまのところ胸を張って、宇宙の始まりと終わりについては人間には論じられる材料がまったくないのだという認識を持つべきだと考える次第である。
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