大きい車の存在は他人には迷惑でしかない
大きい車を所有していることが自慢の人間がいるようである。大きい車は値段が高い。それを所有している自分を他人に誇りたいのだろうか。私にはそんな気分は起こらないのだが。
それはいいとして、大きい車という存在は他人に対してはどういう意味、価値があるかと考えてみる。
こういう場面は日常頻繁にある。
スーパーとかコンビニとかの駐車場に自分の車を止めようとする。大きな高級外車の隣りの枠と軽自動車の隣りの枠、どっちも空いている。
人はどちらを選ぶか。
まず十人が十人、だれも軽自動車の隣りを選ぶのではないだろうか。たとえ自分が大きい高級車に乗っていようとも、軽に乗っていようとも選択は同じだ。大きい車の隣りは狭っ苦しい。うっかり擦ってしまう可能性も高い、弁償代も無論高く付く。
つまり他人にとっては大型車、高級車という存在は邪魔で迷惑でしかない。ついでに言えば「金持ち」という者もやはり高級車と同じことがいえる。他人にとっては何の意味も持たない。むしろ目障りな存在ではないのか。
金持ちが独り占めしている分、何人もの貧乏人ができる。逆にいえば大勢の貧乏人のお陰で金持ちになれたともいえる。それが道理なのだがほとんどの金持ちはそのことに、思い至ってはいないだろう、恐らく。
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