第7話 岡森 俊朗

最近はどうも旧友に会う。何者かに導かれているかのように、僕の前にまた1人と彼は現れた。

だが僕とてこれが現実世界の気まぐれ、ただの偶然だとわきまえてはいる。虚構と現実では天と地、貯蓄と借金ほど差がある。

ともかくも奇妙な縁を感じつつ、僕は試合が終わるのを待って岡森に声を掛けようと機会を伺う。

……そう思ったのだが、試合後に続けて始まった練習を無為に邪魔するのが憚られて声をかけられず見守ることに。根本的に小心者なのだ。

できれば向こうから気づいてくれはしないか、と僕は距離を詰める。

すると少年たちの一部がやたら熱心に見ている僕を不審に思ったのだろう、ひそひそと練習をのけてうわさ話を始めた。

「…変質者?」

「おい、あんま見んな!」

「もしかしたらスカウトの人かも知れなくない!?」

「おぉ、それだ!スカウトだ!ってことは、俺目当てかな?」

「俺だろ!」

しかも妙な流れになる尾びれつき。

すまない、僕は変質者でもスカウトでもない。ただの通りすがりの仕事に困る就活生だ。

始まってしまった「俺だ、俺だ」の言い合いはグラブでお互いを叩き合う小競り合いにまで発展する。さすがに見兼ねた岡森がメガホンを取り、つんざくような大声で一喝を入れた。僕は少年たちに負い目を感じて、目を伏せる。

しかし彼らもここで黙ってはいなかった。僕のいる方をさっきまでの喧嘩が嘘のように寄って集って、指をさす。僕は観念して、岡森に手を振った。

「……もしかして、いやいや!!もしかしなくても陽か!?」

「あぁ、そう。」

「おぉ、陽!!」

返事を聞くや指導のために持っていたノックバットを置いて、岡森が僕のところへ走り寄る。そうなると子供らののうわさ話も一層その熱を増して、

「コーチの知り合いって、本当に偉い人じゃん!」

「やっぱりスカウトだ!」

「絶対そうだ!」

結局僕がスカウトだということで結論が出てしまった。

「おっくん、久しぶり。」

「どころじゃないって!!えーと、何年ぶりだ!?その……会いたかったぜ〜。」なぜか握手を求めて差し出された手を握る。素振りで出来たのだろう、ささくれていた。

僕の手はそこらの主婦の洗剤で荒れた手より柔らかいというのに。ちょっと恥ずかしくなって、すぐに引っ込めた。

「見ないと思ったら変わってないな、岡ちゃん。すぐ分かった。」

「なんだよー、この年になると変わったねって言われる方が嬉しいってもんよ?」

「どこの美魔女の台詞だよ。」

見た目はたしかに変わった。髪、髭ともに伸びて生え放題。面倒なのか、そういうスタイルなのか。いずれにしても「おっさん化」していた。

だが話し方や接し方の根本がなにも変わらない。快活無鉄砲は健在だ。

「なんだなんだ、今日はここらで用事でもあったか?」

「走りにきたんだ、練習がてら。そしたら、野球やってて、おっくんを見つけた。」

「はは、そうかー。ごめんな、邪魔して。どうせだったら練習参加していくか?あれとして。あー…あるじゃん、特別指導の。」

「……臨時コーチ?」

「それだ、それ。うちのエースに教えてやってくれよ!」思い出したと手槌を打ったあと、僕の肩に手を回して叩くこと2回。無精ヅラがニヘッと笑う。

なんとこうまぁ野球部の連中は、馴れ馴れしい。会う奴みな僕の肩に手を置く。

「…僕なんかが教えることないよ。」

控えめに返事をする。事実そう。僕はイップス。

「まぁまぁ、あーっそうだ。じゃあ今から勝負して負けたら教えてやってくれよ!!」

「…なんの勝負?やめよう。急だ。」

野球しかないのだけど。

生憎、まともに球を放ることはできない。今対人で投げようものなら、顔面死球だってあり得る。

「まぁまぁ、やろうぜ!!じゃあ今から耐久うさぎ跳びー、その場から始めぃ!!」

岡森がグラウンド側へメガホン無しで声を張る。無くとも十分大きな声は、外野にいる子まで届いて全員がその場からうさぎ跳びを始める。

さすがチームの声出し担当は、年月を経ても声の力が違う。

「………おっくん、これ。」

「あぁよくやっただろう、昔。さぁこれで俺とお前で勝負だ!俺たちもやろうぜ。」

「……あんまりやらせるとよくないらしいぞ。最近の理論では。」

「知ってる知ってる、だから偶にだっての。ほーら、行こうぜ陽!」

「……分が悪いと知りやがって。」

高校時代、監督の突然の号令で僕らもこうやってうさぎ跳びをやった。やってみると分かるが下半身への負荷はかなり大きく、練習で疲れ果てたあとにやると地獄の拷問かのよう。

力尽きるまでやらされるのだが、岡森は飛び抜けた根性を持っていた。

他全員が倒れ、監督の止めが掛かるまで。

一度たりとて勝てた試しがない。

今回もご多分に漏れず。

確実にあの頃より体力の落ちた僕は、ダイヤモンド2周したところで地面に崩れこむ。悠々と跳ねる岡森が「落ちたなぁ、もっと行けただろ!」と煽ってくるのに反抗したい気持ちはあったけれど、身体は気持ちに全くついていかなかった。

岡森が悠々と飛び跳ねるのを見る。そのあと、5周ダイヤモンドを回っていた。子供らはみな倒れていた。

「約束だからな。頼んだぜ、俺らのエース!」

「…仕方ない。」

岡森に紹介されて、少年たちの前で挨拶をする。スカウトだという誤解はそれで解けた。投げられなくても、練習方法や身体の使い方ぐらいならアドバイスをしてやれる。結局日が暮れるまで練習に付き合った。投げてくれ、とも言われたがそれは丁寧に断った。送球すらまともにしなかった。

僕にだってプライドがある。岡森に悟られて、同情されるのが嫌だった。

しかし、練習が終わって子供たちがみんな帰ったあとまずはじめに、

「陽、お前イップスだろ。」

こう言及された。コーチをしている人間の目はごまかせなかった。

「……分かる?ちょっと前から、さ。」

「原因は?俺、イップスのガキの指導して直したことあるぜ。教えてみろよ。」

「………ほんと大したことじゃない、ある日突然な。」田丸のことは、今回は伏せておいた。前それで横川に迷惑をかけた分、自分も決していい気分になれなかった分、少し学習した。僕は気にしていないそぶりで話を変える。

「で。おっくん、今はなにしてんの?専業でコーチ?」

「なに言ってんだよ。あれはバイト。端た金が限界だな。専門学校出て2年、工場で働いてたんだけど最近仕事辞めてさ。そろそろ再就職先探さないとなぁ、って思いながらズルズル来て。まぁ、そんな感じ?陽は?」無職、フリーター。わかる、見た目はそのものだ。

「俺は就活中。」

「お、一緒じゃねぇか!」

さすがに違うと否定したくなった。

「……で、次の仕事の見込みは?」

「え、ないけど?まぁでも食いつなげば生きていける収入は今でもあるしな。もう少しこのままでもいいかなー、って。」それは堕落していく人間の口上だ。

「……そろそろまともにした方がいい。これ豆じゃなくて、まじだよ。」

「忠告どーも。その感じで聞いてると、四大卒見の赤嶺さんは内定7,8つ取ってる内定モンスターか?」

「それが生憎、僕も内定0だよ。」

そんなモンスターまだ遭遇したこともない。

「ふはっ、なんだよ焦らせやがってー!もう別次元の世界に行ってるかと思ったぜ。ならまぁこれからお互いだな。」

「…そう、だな。どこかいい企業があったら教えてくれ。」

岡森は筋肉でむくれ出た胸を拳でどんと叩くと、任せとけと笑った。期待はしない方がいい。僕の五感全てが教えてくれた。

「んでも、また陽とこうして話す日が来るとはねぇ。なんか感慨深いな。」

「……なんだよ、急に。夜風にあてられたか。」

「ぶっちゃけると俺さ、今日の今日まで陽に嫌われてると思ってたんだ。お前が手振ってくれなかったら、俺からはよくも声掛けられなかった。」

「は?なんで。ってか全くそんな風に見えなかったけど……」

分からなかった。たしかに9人いればそれぞれ仲の良い悪いはあった。けれど、僕と岡森とはむしろ気の置けない仲だったと思う。マウンドに一番に声をかけに来てくれたのも、鼓舞してくれたのもいつも彼だった。

岡森は黙りこむ。風が哀しく側道の木々を揺らす音だけがしばらく聞こえて、凪と同時に重そうな口を開く。

「…そりゃあ、明るめに接しようと思ってだ!わすれたわけじゃないだろー、最後の試合のこと。9回さ、俺がエラーじゃん。普通に取って普通に投げてりゃ終わりのイージーゴロを焦ってお手玉。あれがなかったら、あの試合俺たちは勝ってた。で、陽が打たれちった。俺のせいだと責めたよ、自分を。……それ以来色々あって、疎遠になった。だからてっきり嫌われたと。」

「……ないよ。一回でも嫌ってない。」

実を言うと、岡森がエラーしたことすら僕は覚えていないのだ。ほとんど記憶がない、あの試合の。僕が覚えているのは最後の最後、自分が打たれたシーンだけ。僕が最期に君の声を聞いたあの瞬間だけ。

ランナーがいたことは覚えている。それが岡森のエラーで出たということだろう。

「お前は聖人かよ。俺なら絶対そんな場面でエラーする奴は恨むぜ?」

「……ちっとも思ってない。」

思う余裕すら無かったのだと思う。

「もう一つ。そのイップスは俺のせいじゃねぇのか?」

「ないよ。さっきも最近って言ったろ。」

「……そうか、4年間も誤解してたぜ。どうしてくれるよ。」

「おっくんの勝手だろ。むしろそう思われてた僕の分、どうしてくれる?」

「そ、それもお互いにだなぁ!」

僕と岡森は2人して笑い合う。なにかが可笑しかった。

僕だけじゃなかった。あの試合から時間が止まっている人間は、ここにもいた。たぶん、場所こそ別々だけど9人いる。

「今度また野球しにこいよ。土日と火曜日はいるからさ。その時にイップス見てやる。代わりったらあれだけど、また指導頼むぜー?」

「……それ、僕に給料出るのか?」

「はっはは、まぁそう言うよな。上の監督に頼んどくぜ。最近、耄碌が激しくてな練習に参加しないことも多いから、いい返事期待しとけ。なんなら今から練習していくか。」

「僕はそのつもり。」

「付き合う。走って走って走ろうぜ!!」

普段の自分のトレーニングの甘さを思い知るきつい練習になった。



翌日は前日の反省。しっかりと目覚ましをかけて、朝早くに起きた。

昼からはまた就職活動の予定が入っていた。

予定帳に先に目を通したのも進歩だった。いつまで続くのかと確認したが、週に2,3度就活の予定が入っているのは7月まで。しかし、そこから先も内定が出ていなければ、続けなくてはならない。終わりの見えないエンドレスワー。最悪の場合、来年なんてこともある。

夏場にかけて徐々に募集をやめていく企業が増えていくのも焦りに繋がる。残った企業は人の取れない無名、もしくは質の悪い企業が多くなる。その中から良質な企業を選び出すのは難しい。出来れば今のうちに決めておきたいのだ。

だから、と言おう。久しぶりの練習らしい練習のせいで筋肉痛はあったがなんとか起き出して珍しくちゃんと朝ごはんまで食べた。ーーと言っても、お茶漬けの素を溶かして生卵を割りやっただけの手抜き飯だが。

急いだのは理由がある。昼からのエントリーシートをまるで書いていなかったのだ。名前を埋めて、いつも書いている志望動機に自己PRを書き連ねる。たまに変な質問を投げかけてくる企業がある。いわく「あなたを動物に例えると?」だとか「無人島で1人で生きていくとしてどうする?」だとか。

それを聞いて面白いと思う就活生もいるが、僕はそうではない。あなたはそれを聞いて、なにを読み取ると言うのか。ただ面白半分でやっていないかと問いたくなる。

今回の企業はそれのオンパレードだった。A3用紙の右半分が真っ白に空いていて、奇抜な質問ばかり。うんざりしながら、適当に埋めた。

そして、最後の質問。

「あなたが時間を巻き戻せるなら、いつに戻りたいですか。」

ーーこんなもん、聞いてどうするんだよ。独り言を呟いて僕は乱雑に書きつける。

勝っていたら、何事もなかったら。何度だって考えた。だけど仮定の話は、するだけ無駄だった。

お世辞にも丁寧とも、上出来とも言えないが一応の完成をみた履歴書をファイルに入れ、鞄に入れる。

そして田丸に出会わないことを祈りながら、家を出た。

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君に捧ぐ。 たかた ちひろ @TigDora

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