第2話 昼食と銃声

「いっけぇっ!」


 エクスの最後の一撃が、ブギーヴィランに刺さる。


 二十をゆうに超える数のブギーヴィランを、二人はいとも簡単に殲滅した。場数を踏んでいるエクスはもちろん、少年も小さなバタフライナイフを巧みに使いこなして、次々と襲い来るヴィランの攻撃を赤子の手を捻るようにいなし、適確なカウンターで切り裂いていた。


「お見事!へえ、キミ、腕が立つんだねぇ」


 少年はパチパチと手を叩きながら、よく言えば気さくな、悪く言えば緊張感のない声でエクスに話しかけた。

 エクスは空白の書から導きの栞を引き抜く。すると、ジャックの姿が光に包まれ、一瞬後には元のエクスの姿があった。

 戦闘が終わり、エクスは改めて少年と目を合わせる。整った顔立ちは声同様に若く、エクスと同い年くらいに見える。深緑のつなぎを着ていて、ところどころ擦れた跡がある。少年はバタフライナイフの刃を折り、つなぎの胸ポケットに仕舞った。

 エクスは違和感を覚えた。想区の住人にしては、ヴィランとの戦闘に慣れすぎている。恐らく、一人でも十分にヴィランと戦えるだけの力を持ち合わせているだろう。

 あなたは何者ですか?

 エクスはそう聞こうとして、止めた。この想区では自分たちの方が余所者なのだ。言葉には慎重にならないといけない。


「あなたの方こそ、凄かったですよ。こういうの、慣れてるんですか?」

「ん、まあね」


 少年の返答は非常に簡潔かつ曖昧だった。四文字だけでは何も分からない。


「それより、さっきの変身はなんだったんだい?一体どういう仕組みになってるんだ?あれ、そういや見ない顔だな。村の出身じゃないよな?」

「えっと、そうですね。説明すると長くなるんですけど……」


 少年は自分への質問はさらりと流し、逆にエクスに矢継ぎ早に質問を重ねた。エクスと同様、少年の方も聞きたいことが山ほどあるようだ。何の説明も無しに、当然のように姿形を変えて戦うシーンを見せられれば、無理もないだろう。ここがファンタジー系の想区でもなければ。

 エクスは何から答えるべきかと頭を悩ませる。こういうのは、レイナの方が得意なんだけど。


「おーい!エクスー!いたら返事してくれー!!」


 と、そこにタオの声が通りかかる。


「エクスってのは、もしかしなくても?」

「はい。そろそろ仲間のところに戻らないと」


 しかし、とエクスは思う。なにせ来たばかりの想区で、右も左も分からない。どの想区でも、まずは情報を集めることから始めるのがセオリーだ。出来ることならここに三人を呼んで話を聞きたいくらいなのだ。レイナとタオの二人がかりでも、村の中では何一つ情報が得られなかった。ということは、必然的に、情報源は村の外、すなわち森の中にあることになる。例えば、少年のような。

 エクスは少し考え、少年に提案した。


「そうだ、もしよかったら一緒に来ませんか?僕らもここに来たばっかりで、いろいろ聞きたい事とかあるんです。僕の仲間と合流して、それからゆっくり話しませんか?」

「なるほどなるほど。俺もエクスも、お互いがお互いのことを知りたがってるわけだ。そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらうとするか」


 少年はへらへら笑いながら、あっさり了承した。

 エクスは少年を連れて、タオの声に向かって走った。エクスの記憶通りなら、恐らくあっちは村の入り口だ。


「そういえば、あなたの名前は?」

「ん、言ってなかったか。俺はライってんだ。よろしくな」


 エクスとライは、間もなくタオと合流する。





「エクス!良かった、無事だったか。ヴィランに襲われてたらどうしようかと思ったぜ」


 元気そうなエクスの顔を見て、タオはひとまず安堵した。が、不安が消えると、次に頭に浮かびあがるのは、”あの”エクス。


「えっと、だな。何というかまあ、一人になりたい、って気持ちは分かるんだが、やっぱり単独行動は、その、危険だから、な?」


 急に歯切れの悪くなったタオをエクスは怪訝な目で見つめる。ライの事に気を取られているエクスは、タオの態度にいまいちピンと来ていない。


「ヴィランってのは、さっきのバケモノのことかい?」

「そうですね」

「さっきの……って、嘘だろ?エクス、お前ヴィランと戦ったのか?一人で?」

「心配しないで。この通りピンピンしてるよ。ライが強くて助かったし」


 エクスは、先ほどのタオのたどたどしい言葉を、エクスの身を案じていたからだと解釈した。タオはこう見えて心配性だな、とエクスは苦笑する。


「嘘とは心外だなぁ。俺は嘘ってのが大嫌いなんだよ」


 ライがエクスの横からタオの物言いに異議を申し立てる。


「ああ、悪い。そんなつもりじゃ……ってか、お前誰だ?」

「初対面の相手に『誰だ』とは失礼な奴だな」


 タオはエクスと違って言葉を選ぶということを知らない。タオは豪快なのが良い所だから、とエクスは前向きにとらえている。


「まあいいや。俺はライってんだ。よろしくな。エクスとはさっき森で会ったんだ。で、そっちこそ誰だよ?」

「俺はタオ。タオ・ファミリーの大将だ」

「大将?へえ、じゃああんたがエクスのリーダーってわけだ。そうは見えないがねぇ。エクスの方がよっぽど頼りがいがありそうだ」

「な、なにぃ?失礼なのはどっちだよ!」


 ライの煽りにタオはあっさり引っかかる。感情に素直なのもタオの取り柄だから、とエクスは好意的に解釈している。


「まあまあ二人とも。タオ、まずはレイナとシェインのところに戻ろうか?」


 二人をなだめ、道を先行するエクスとそれに続くタオを見て、


「やっぱエクスがリーダーに見えるな」


 とライは一人呟いた。







 エクスが件の店に戻ると、レイナは店の壁を背に、曲げた膝に腕を回して座っていた。顔は下を向いているので、表情は見えない。寝ているのかもしれない。

 エクスはきょろきょろと周りを見渡すが、レイナ以外には誰もいない。


「シェイン、まだ中にいるんだね……」

「その声……エクス?」


 レイナがゆっくりと顔を上げる。どうやら寝てはいなかったらしい。ただ、レイナはエクスと視線を合わせようとはしない。レイナはすっかり消沈していた。あまりに普段と違うレイナを見て、エクスはここを離れた時の事を思い出す。


「レイナ、さっきはごめん。レイナのせいじゃないのに、強く当たっちゃって」

「いいの。私、いろいろ考えてたのよ。……一人で何もせず待ってるのって、思ってたより退屈なんだとか、エクスはこの何倍もの時間、ずっと待っててくれたんだ、とか。でも、タオの言ってた通り、一人で行かせるのはまずかったし、無理やりでもついて行くべきだったとか、やっぱりシェインを無理やり連れて行ったほうが良かったんじゃないかとか、いろいろ考えてて……」


 いつになく神妙な面持ちで、レイナは語る。


 ぐぎゅるるる!


 その言葉を、レイナ自身が発した音が遮った。


「……いろいろ難しい事考えてたら、お腹空いちゃって」

「なんだよ、腹減ってるだけかよ!心配して損したじゃねーか!」

「だってお腹空いたんだもん!……あら?どちらさま?」


 呆れ顔で頭を掻くライの代わりに、エクスが話をした。森でヴィランに襲われているところを助けようとしたこと。ライ自身もかなり強く、自分でヴィランと戦える力を持っていること。

 ライは自分の名前と、話をするためにエクスについてきたことを伝え、それに加えて、今からでもリーダーを選び直した方がいいと告げた。


「何言ってるの?リーダーは私よ」

「は?いや、さっきこいつ……タオ、だっけか?俺が大将だーとか言ってたが」

「タオ、撤回しなさい」

「なに言ってんだ。腹ペコで座り込むお姫様にはリーダーは無理だぜ」

「お腹が空くのは誰だって一緒でしょ!」


 レイナとタオは、ギャーギャーといつものようにリーダー争いを始めた――かと思われた。


 ぐぎゅるるるるる!


「……うう、大声出したら余計にお腹空いてきちゃったじゃないの」

「そうだね、話はご飯食べた後にしようか。ライ、この近くに飲食店とかってある?」

「近くにっつーか、今はもうこの村に食い物を売ってる店なんて無いぞ?」

「えっ?ど、どういうことよ!」


 大声を出すとお腹が空くと言っていたレイナが大声で尋ねた。よっぽどお腹が空いているらしい。


「昔は羊なんかも飼ってたんだが、一年前に全滅しちまってな。元々武器はよく作ってたから、家畜を育て直すより森で狩ってきた方が手っ取り早いってことで、今じゃみんな自給自足の生活さ。肉も魚も植物も、全部森にあるからな」

「そ、そんな……」


 ライが一通り村の事情を説明し終えた時だった。

 バタン!と、勢いよく店のドアが開かれる。 

 左手に小さな紙袋を持ち、右肩に大きな銃をかけたシェインが、この上なく幸福な顔で四人と邂逅する。


「ふふふ、ふふふふふ……おや、皆さんお揃いですね。お待たせしました」

「シェイン、あなたどれだけ――」

「猟銃を貸してもらえることになったので、今から一狩り行きませんか?」


 反論は出なかった。







「注意するタイミング、逃しちゃったね」

「注意して治るものでもないし、いいわよ。それより……」


 レイナは川辺に腰かける二人を睨んでいる。


「まだ釣れないの?」

「たぶんもう少し……だと思うんだけど……」

「釣りってのはな、魚の気持ちになって、穏やかーに待つもんだ」


 エクスはライから釣り竿を借り、ライと一緒に釣りに興じていた。

 シェインは銃を持って森に潜んでいる。単独行動させないということで、今度はタオが同行している。シェインにもライの紹介をし、同時に森にヴィランが出ることも伝えてあるが、終始顔が綻んでいたため、ちゃんと伝わっているかは不明だ。タオもいることだし、心配はしていない。

 そしてレイナは、エクスの隣で座っている。ライが二本しか釣り竿を持っていなかったので、仕方ない。


「……おなかすいた」

「急いだって魚は食いつかねえぞ」


 魚が釣れるまでの間に、エクスはライに自分たちの事を簡潔に話した。



 この世界には、いくつもの”想区”が存在する。それらは沈黙の霧によって隔てられ、互いに干渉することはない。

 それぞれの想区は物語などを元にストーリーテラーが創り出したもの。その住人は誰もが、ストーリーテラーによって書かれた、自分の運命の書を持っている――はずだった。

 エクス達四人は、中に何も書かれていない運命の書、『空白の書』の持ち主だ。

 決まった運命を持たないが故に、彼らは沈黙の霧を抜け、他の想区へと移動できる。そして、想区の運命を、あるいは想区そのものを壊そうとする敵、カオステラーを退治して回っている。



「なあ、エクス。一つ聞いていいか」

「うん。僕に分かる事なら」


 エクスが一通り話し終えると、ライはじっと釣り糸の先を見つめたまま――あるいはどこも見ていないような、どこか遠くを見ているような、そんな表情でエクスに尋ねた。


 調律が終われば、想区はカオステラーが現れる以前の状態に戻る。その際、想区の住人の記憶は失われる。だから、エクスがここでライに話したことは、ライは覚えていられない。

 それでも、エクスはできる限りのことはしたいといつも思っている。

 住人の運命に過度に踏み込み過ぎると、後で手痛いしっぺ返しを喰らうかもしれない。そもそも救いようのない理不尽な運命を与えられていることだってある。それが分かった時、傷つくのはエクスの方だと、仲間達はエクスに警告した。

 レイナやシェインやタオが心配してくれるのは分かる。自己満足なのも分かっている。それでも、困っている人を見ると放っておけないのが、エクスという人間だ。

 だからエクスは、ライにも誠意をもって応える。自分が傷つくことを恐れずに。


「普通の運命の書には……自分がいつ死ぬか、ってのは書いてあるのか?」

「……え?」 

「いや、なんでもない。忘れてくれ」


 何故そんなことを聞くのか、とエクスは思った。直接聞くのは野暮だから、自分で考えることにする。

 すぐさま、エクスの脳裏に一つの考えが浮かぶ。


「ライ、もしかして、君の――」

「ちげーよ。俺の運命の書に、俺がいつどこで死ぬかなんて書いてないさ。もしかしたら、書いてあるヤツもいるかもしれない、ってちっとばかし気になっただけだ」

「…………」


 なおさら理由を問いただしたくなるが、エクスは言葉を飲み込んだ。代わりに、ライの問いに対する最大限の答えを探す。最大限、ライのために自分が出来ることを探す。


「僕の運命の書には何も書かれていないし、他人の運命の書を読んだことはないから、全員がどうかは分からないけど……でも、自分の最期のことが書いてあった人なら、知ってるよ」

「ジャンヌ・ダルク」


 レイナがエクスの言葉を引き継いだ。


 エクス達がかつて訪れた想区。その一つが、『ジャンヌの想区』だ。

 戦争の最中、ジャンヌは共に戦う仲間を鼓舞し、また自身もその導となるべく果敢に戦場に繰り出した。そして、数え切れないほどの戦果を上げた。途中で敵の呪いにかかっても、ジャンヌが屈することはなかった。勇猛果敢、一騎当千という言葉が最も似合う、勲章ものの英雄。だが、その運命は、初めから終わりが決まっていた。


「彼女は、戦争が終わったら、自分が火あぶりの刑に処されることを、運命の書で知っていた。たとえ戦争で生き残ったとしても、どのみち自分は死ぬということを」

「そりゃ、なんとも悲惨な運命だな。お笑いだ」


 ライは笑わない。笑えない、と言った方がいいのだろうか。悔しいが、エクスには分からない。

 レイナは首を横に振った。


「そうでもないわよ。自分の命が残り僅かだと知っていてもなお、彼女はカオスに堕ちることなく、自分の運命を全うしたわ」

「最後には死ぬ運命だと分かっていたのに?」

「ええ。彼女は命に代えても、自分の信念を最後まで貫き通したのよ」

「信念……か」


 ライの視線は動かない。その胸中は、エクスにも、レイナにも、分からない。

 だが、手を差し伸べることはできる。


「なんなら、ジャンヌと喋ってみる?」


 エクスは得意げにはにかんだ。ライはきょとんとしている。


「は?何言ってんだ。そのジャンヌ・ダルクってのは別の想区の住人で、空白の書の持ち主じゃなきゃ沈黙の霧を抜けられないって……つーかそもそも死んでるんだろ?」

「ええ。でも私たちは、他の想区のヒーローの魂とコネクトして、力を借りることができる。あなたも、エクスがジャックとコネクトするのを見たんでしょ?」

「……あの変身か!」


 ライの表情が久々に変わった。少しは元気になってくれたみたいだ。 


「そうよ。それじゃエクス、お願いね」


 レイナはエクスに重役をあっさりとパスした。

 エクスはたじろいだ。思わずレイナの方に振り向く。レイナはいつの間にかエクスの導きの栞を取り出し、ジャンヌ・ダルクをセットしていた。


「え、あれ?僕?ジャンヌって女性のヒーローでしょ?」

「私はヒーラーとアタッカー、シェインはシューターとアタッカーの適正よ。ディフェンダーのジャンヌとコネクト出来るのはエクスかタオしかいないわ」

「……言われてみれば、確かに。でも、いろいろと問題が――」

「ちょ、ちょっと待て!」


 ライが釣り竿を手放し、エクスの首根っこを掴む。二本の釣り竿が倒れた。


「ラ、ライ?どうし――」

「死んだヤツともコネクトできるのか!?それは例えば、同じ想区の中で、一年前に死んだヤツとでもか!?」


 ライは獰猛な獣のように、無我夢中でエクスに詰め寄る。思わず仰け反ったエクスの顔に鼻と鼻がくっつきそうなほど近づく。

 エクスは何も言えない。ライには、思わず我を忘れるほど会いたい人がいるのだ。我を忘れるほど会いたいのに、もう会えない人がいるのだ。恐らく、さっきライとの会話で出てきた、『自分がいつ死ぬか、運命の書に書いてあったかもしれないヤツ』のことだ。

 エクスはライの顔から目が離せない。懐疑、期待、焦燥、希望――ごちゃ混ぜの感情に、エクスは応えられない。

 失敗した、とエクスは思う。これは自分のミスだ。気遣ったつもりが、かえって傷を抉ることになってしまった。


「ライ!落ち着いて!」

「っ!あ、ああ……悪い」


 レイナの制止に、ライは正気を取り戻した。首が締まるほど力強く握っていた手を放し、エクスを解放する。

 ライは二本の釣り竿を拾い、一本をエクスに手渡した。


「ごめんなさい。言い方が悪かったわね。私たちがコネクトするのは、ヒーローの魂であって、ヒーロー本人ではないのよ」


 レイナの言葉をライはよく理解できていないようだった。ただ、ごめんなさい、と言ったことから、ライの考えた通りに進まないことは察したのだろう。再び釣り糸を投げたライの瞳から、先ほどまでの熱は消えていた。


「……悪い、よく分からなかった。もう少し詳しく頼む」

「そもそも、想区っていうのは、数百年単位で同じ物語を何度も繰り返してるのよ。この想区でも、百年か二百年前には、ライと同じ運命の書を持って生まれた人がいるはず。私達がコネクトするのは、その中の特定の誰か、じゃなくて、『そういう運命を持って生まれるヒーロー』という概念みたいなものなの」

「だから、もし仮に、ライの会いたい人物とコネクト出来たとしても、それは本人と直接会ってるわけじゃないんだ。……期待させてごめん」

「ああ、いや。……なんだ。そうか」


 ライは落胆の色を隠そうともせず、じっと川の流れを見つめている。

 かける言葉が見つからない。謝れば済むとも思えないし、陳腐な励ましでライが救われるとも思えない。そもそもライの過去をエクスは知らない。この瞬間において、エクスは自分の無力を嘆くしかできなかった。

 それでもなんとか前向きな話ができないか、いっそ全く別の話をしようか、と迷っていたエクスより先に、レイナが口を開いた。


「ねえ、ライ。私は、そこまで会いたいと思える人がいるのって、素敵な運命だと思うわ」

「…………」

「よかったら、話を聞かせてくれる?」


 驚き。遅れて怒りの感情がエクスに湧き起こる。


「レイナ!?何言ってるんだよ!」


 自分の過失は分かっている。が、これ以上ライの過去に踏み込むのは、あまりにも可哀想だ。誰にも話したくない、思い出したくない過去がある気持ちは、レイナだって分かっているはずだ。

 エクスはレイナの過去を未だによく知らない。レイナの生まれ育った想区がカオステラーによって消えてしまった、ということだけで、それ以上の詳細は何も。聞き出そうなどと思ったことは、長い旅路の中でただの一度もない。

 しかし、レイナは折れない。凛然とした佇まいは、”調律の巫女”としての風格を携えている。


「エクス、分かって。もしかしたら、カオステラーに繋がる手がかりになるかもしれない。村の中をどれだけ探し回っても、他に主役らしい人は見つけられなかったのよ。だから――」

「だから俺が、カオステラーとかいうヤツだって言いたいのか?」


 ライはレイナへの不信感を全面に押し出している。当然だ。さっき会ったばかりの人間に、自分のトラウマを話せるはずがない。

 レイナは即座に首を横に振った。


「いいえ。カオステラーは、人ではなく、物に乗り移ることだってあるの。前には、風車小屋に取り憑いたこともあったわ。だから、消去法であなたを疑うのは筋が通らない。安心して」

「…………」

「もちろん、あなたが絶対カオステラーじゃない、なんて言うつもりもない。でも、私達を信じてくれるなら、協力してほしいの」

「…………」


 ライは黙った。しばらく考える素振りを見せていた。頭ごなしに突っ撥ねなかったことに、エクスは感謝した。一人で帰られてもおかしくはなかったろうに。

 エクスは申し訳なさを感じながら、レイナはよい返事を願いながら、ライの答えをじっと待つ。


 終わりを告げるように、ライの固くなっていた頬が少し緩んだ。


「……どうやら、嘘じゃなさそうだな。分かったよ」

「ありがとう。必ず、この想区を元の姿に調律してみせるわ」


 レイナは笑った。調律の巫女として。

 ようやく、三人を包んでいたピリピリとした空気が和らぎ始めた。エクスは固く決意した。ライの為にも、必ずカオステラーを見つけ出し、倒す。自分に出来る償いは、それくらいしかないから。



 ぐぎゅるるるるるる!



「……レイナ、それはないよ」

「締まらねぇなオイ」

「うるさい!じゃあさっさと釣り上げなさいよ!」


 レイナは空腹の女の子として催促した。

 川に垂らし直した二本の糸は静かに制止している。川岸からでも、魚が泳いでいるのは見えているのだが。


「じゃあ、今度はライの話を聞かせてもらおうか。そうだな……最初に会った時、ライはどうして森にいたの?」

「ああ、それなら――」


 ズドォン!


「きゃっ!」

「うわあっ!!」


 ザッバーン!


 大きく低い銃声と、男女二人分の悲鳴。その後に、川に身を投げる音が聞こえた。


「ラ、ライ!?大丈夫!?」

「ぷはっ!」


 ライは川の中で立ち上がった。それでも川に膝まで浸かっている。


 顔を乱暴に手で拭い、川の水を吸って重くなった服を絞りながら、


「……俺、銃声が苦手なんだよ」


 嘘偽りなく、そう答えた。






「鮮やかなナイフ捌きでした。だいぶ使い込んでますね。ちょっと見せてもらってもいいですか?」

「別に何の変哲もない普通のナイフだぞ。携帯には便利だし、持ってないならこの村で買ってもいいかもな」


 シェインが狩ってきたのは大きな猪だった。ライはそれをナイフ一本で手際よく解体し、処理し、捌いた。その間もエクスはずっと釣り糸を眺めていたが、結局最後まで成果はゼロだった。


 一行は焚き火を囲み、遅めの昼食を食べ始め、そしてすぐに食べ終わった。レイナほどではないにしろ、誰もが空腹であったし、また、早く食べないと全部レイナに食べられてしまうという危機感から、食事はさながら早食い対決の様相を呈していた。ゆっくり会話をしながらの食事など夢のまた夢だ。


「にしても、”お姫様”にしては豪快な食べっぷりだったな」

「それだけ美味しかったってことよ。素材もだけど、料理人の腕も良かったんじゃない?」

「……気味悪いな」


 レイナは満腹でニコニコしている。今のレイナは皮肉など軽く流せるくらいの強靭なメンタルを手に入れている。


「本当は食べながらのんびり話そうと思ってたけど、結局話せなかったね」

「ああ、そういやすっかり忘れてたな。お前ら、これからの予定は?」

「予定?特に決まってはないわね」

「じゃあついてくるか?カオステラーがいるとは言い切れないが、無関係ではない……そういう場所、知ってるぜ」


 エクスはライに心の中で謝った。そして、気合いを入れ直す。ライの協力を無駄にはしない。絶対に。


「へえ。俺たちをどこに連れてくつもりだ?」

「墓場だよ」

「それはアレか?お前らを今から墓場送りにしてやるぜ的なやつか?ケンカ売ってんのか?」

「……エクス、こいつの頭どうにかなんねぇのか」

「僕はもう慣れたよ」

「新入りさん、フォローになってないです」


 ライは小漫才を見終え、ふう、と一つため息を吐いた。


「俺の母さんの墓だ」


 今度は誰も何も言わなかった。黙ってライの言葉に耳を傾ける。


「一年前に、家畜が全滅したって話はしたよな。村に、狼どもが入り込んで、育ててた羊を食い荒らしやがったんだ。その時に、俺の母さんも死んだ」


 ライは淡々と、当時の状況を述べる。その心境までは分からない。


「墓には俺もしばらく行ってないんだ。いつからか分からねぇが、あの辺にでっかいヴィランが出るようになった。カオステラーが物にも取り憑くってんなら、その墓がどう考えても怪しいだろ?」

「……そうだね。話してくれてありがとう」


 エクスが当たり障りのない言葉を返している横で、シェインがおや?と疑問符を浮かべる。


「そういえば、まだ見てませんね。ヴィラン」

「ん?ああ、確かにこの想区に来てから戦ってないな。結局、戦ったのはエクスだけか」

「一応警戒はしてたんですが、ほんとに出るんですか?」

「シェイン、そんな事言うと――」


 クルルァ!クルルァ!


「ほんとに出たっ!?」

「ははっ、これで俺が嘘吐きじゃないって証明されたな!」


 ライは楽しそうに――先ほどまでの陰鬱とした空気を吹き飛ばすように、洗って乾かし終えたばかりのサバイバルナイフを取り出した。


「みんな、準備はいい?いくわよ!」


 四人は自身の空白の書と、導きの栞を取り出す。

 そして、各々のヒーローの魂とコネクトする。


 四人の体が白い光に包まれ、そして、中からヒーローの姿が現れる。


「ジャック、力を……あれ?」


 目を開けたエクスは、強烈な違和感に襲われる。

 まず、景色が違う。いつもは真横に見ていたはずのブギーヴィランを、今は斜め上から見下ろしている。

 それに気づいたエクスは、視線をさらに下げ、自分の姿を見る。目に入るのは、大きな盾と槍、そして声高に主張する、女性の体。


――ジャック?いいえ。私はジャンヌ。ジャンヌ・ダルク!さあ、ひるまずに進みなさい!神の光は我らに輝いています!


「忘れてたあああああああああっ!!」


 慣れないヒーロー、慣れない職種、慣れない体。

 エクスがこの戦闘で盛大に足を引っ張ったのは、言うまでもない。

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