第3話 墓石と銃声

「なるほど、ジャンヌ・ダルクってのは随分ぎこちない動きをするんだな?」

「新入りさん、何やってるんですか。もっと盾を使わないと、ディフェンダーを選んだ意味ないです」


 今回相手をしたのは、ブギーヴィランとビーストヴィランの混合部隊だった。そこまで強くなかったからどうにかなったが、メガ・ヴィラン級の相手がいたら危なかったかもしれない。

 エクスは自分の分までカバーして戦ってくれた仲間達に頭を下げた。


「ごめん……ジャック以外とコネクトしたことなかったから、全然感覚が分からなくて」


 エクスはジャンヌとのコネクトを解除した。何があってもいいように、今度は栞の両面にちゃんとヒーローをセットしておこう、とエクスは心に決めた。


「相手に合わせた戦略を覚えるべきです。ワイルドの紋章が泣いてますよ」


 鋭いツッコミに返す言葉もない。むしろ今までジャック一人だけでどうにかなっていたことがレアケースなのだろう。事実、レイナもシェインも、栞の表と裏だけでなく、同じヒーラーでも片手杖と魔導書、シューターでも両手杖と弓を相手に応じて使い分けている。ちなみに、タオはハインリヒとコネクトしているイメージしかない。


 シェインもラーラとのコネクトを解き、コネクト前に置いておいた猟銃を拾い上げる。シェインの背丈の半分以上ある大きさの銃は、長い紐のようなものがついている。その紐を右肩から斜めに通すことで、銃を背負うようにして持ち運ぶことができるらしい。


「おーよしよし。元気にしてましたか?」


 シェインは背中をゆさゆさと揺すりながら、甘い声を出す。いつものクールなシェインは見る影もない。


「お前、まさか銃と会話できるのか?」

「気分です。銃を使えるヒーローがいればもっと良かったんですが。正確に言えばいなくはないんですけど、猟師さんはシェインとは合わないので。かといって生身の体だと、反動が激しくて何発も撃てませんし」


 ライに応えたのはいつものシェインの方だ。どうして人間はここまで極端に変われるのだろう。これも一種の”使い分け”なのだろうか。誰にでも同じ態度を取るエクスは、自分の在り方に少しだけ疑問を持った。


「猟銃は撃ったことないなあ。反動ってそんなにすごいのか?」

「はい。まださっきの猪狩りの時に撃った感覚が残ってますよ。肩や腕にびりびり響いて……やみつきです。癖になりそうです」

「そ、そうか……」


 シェインはとろんとした恍惚の表情を浮かべた。相変わらずのマイペースっぷりにライも引いている。もしエクスがリーダーになったら、扱いに一番困るのは、間違いなくシェインだろう。


「ディフェンダーの立ち回りなら、俺が大将としてみっちり指導してやろうか?」

「タオは何も考えずに突っ込みすぎよ。もう少し周りを見なさい。あと、さりげなくリーダーを持っていこうとするんじゃないの!」

「大将たるもの、進んでファミリーの先頭に立つべきだろ!」


 満腹になって元気溢れるレイナは、今度こそ、タオとの熾烈なリーダー争いを始める。当然のように他の三人を放置して。


「なあ、結局どっちがリーダーなんだ?」

「私よ!」「俺だ!」

「……で、実際のところは?」

「強いて言えば、どっちでもない、かな。いつもどっちがリーダーに相応しいかで喧嘩してるんだ」

「なるほどねぇ。二人揃って大嘘吐きってワケね」


 ライの目に蔑むような色があることにエクスは気づいた。エクスはずっと旅をしてきたから、三人の良い所はよく知っている。ライはそれを知らないのだから仕方がない。

 かと言って、二人の良さをアピールするのも違うな、と、エクスはちょうどいい言葉を探す。


「まあ、僕は慣れてるから。別に今更気にしないけどね」

「右に同じです。あの二人の言うことは真に受けず、スルーする方が楽ですよ」


 エクスの隣で同じように傍観しているシェインも、ライにアドバイスをした。ライはそれでも頑なに真面目で固い顔をしている。


「エクスがリーダーになれば、全部解決するんじゃねぇか?」

「いやいや、三人を纏めるのは僕には無理だよ」

「……む?シェインも含まれてるんですか?」

「たぶん、三人の中で一番、一筋縄じゃいかないのがシェインだと思うよ」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「どう見てもエクスの方が向いてると思うけどねぇ」

「あはは、ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」


 エクスの何気ない発言に、ライは不機嫌そうに口を尖らせた。


「お世辞じゃねぇよ。俺は本当の事しか言わねぇんだ。嘘は絶対に吐かない。嘘も嘘吐きも、大っ嫌いだからな」


 吐き捨てるようなライの言葉に、エクスは口を噤んだ。何か難しいことを考えているのだとシェインは察する。シェインはレイナとタオを眺め、気づかないふりをした。止めても無駄だということを、シェインはよく分かっている。


 想区の住人の事情に深々と首を突っ込むのがエクス。シェインはその点ではクールと言うよりむしろドライだ。自分たちの仕事はカオステラーを見つけ出し、調律するところまで。その後はストーリーテラーの描く運命に任せるしかない。狂った運命を元に戻すことはできても、都合よく変えることはできない。自分達の力ではどうにもならないことがいくらでもあると、シェインは自分の生まれ育った想区――桃太郎の想区で、痛いほど学んだ。

 だから、こういう役回りはエクスに任せている。自分には到底できない役目だということも、エクスなら任せられることも分かっている。


「ねえ、ライ。一つ聞いていいかな?」

「ん、どうした?」

「一応、念のために。勘違いならいいんだけどさ」


 レイナとタオは、エクスやシェインの胸中などいざ知らず、今もまだ飽きることなく言い争っている。


「ライは、カオステラーじゃないよね?」


 二人が、ぴたりと口を止めた。



 カオステラー。

 想区の住人の中には、自分の運命と自身の感情の間に齟齬を持つ者もいる。カオステラーは、その人物や思いの籠められた物に取り憑き、想区に混沌をもたらす破壊者だ。運命の書の内容がより詳細な、想区の主役やその関係者・関係物に取り憑きやすい傾向がある。

 自身が強大な力を持っているほか、他の住人の運命の書を書き換え、ヴィランに変える力がある。想区に混沌をもたらすカオステラーを野放しにすれば、いずれ想区そのものが消滅する。

 ”調律の巫女”一行は、カオステラーを、そしてカオステラーに侵された想区を、あるべき姿に”調律”するため、沈黙の霧を抜けて、いくつもの想区を渡り歩いている。



 エクスは、客観的に見て、ライは嘘に敏感すぎると思った。あまりにも、嘘という言葉を意識しすぎている。ライが真面目で誠実だから、で済ませていいとは、どうしても考えにくい。

 それは例えば、カオステラー特有の、歪み、偏った思いに似ている。



 それまでの馬鹿騒ぎが嘘のように、レイナもタオも、じっとライを見ている。なにかあるだろうと予測していたシェインも、想像をはるかに超えたあまりに突拍子もないエクスの言葉に目を丸くしている。

 四人の視線の中心にいるライは――困惑した表情で頭を掻いている。


「藪から棒だな。俺を疑うなとは言わねぇが、それならもう少し聞き方ってのを考えた方がいいと思うぜ?」

「……ライの言う通りだね。ごめんごめん」


 戸惑う三人をよそに、エクスはいつも通りの人当たりのいい笑顔を見せた。


「エクス、今のって」

「うん。気のせいだったよ」

「そ、そう。ならいいけど」


 レイナはそれだけ言うと引っ込んだ。余計なことを言うと、下手すればライを敵に回しかねない。むしろ、今のエクスの発言だけでも、かなり危うい。


「それじゃ、そろそろ移動しようか?」

「だな。どうやらリーダー達の邪魔も無くなったみたいだしな」

「な、邪魔とはなんだ!こっちは大真面目だぞ!」


 ライもエクスの問いを特別気にする様子はない。二人の態度がまるで変わらないのが、逆に不気味だ。


「…………」


 あのお人好しのエクスが、ライを疑った。

 カオステラー?という口ぶりから、ただ単に確認したかっただけかもしれないが、それでも大きな違和感が残る。


「本当に、大丈夫なのよね?」


 ライと、その後ろについて歩くエクスの背中を見ながら、レイナが珍しく弱音を吐く。


「今は任せましょう。新入りさんにしか見えてない物もあると思いますから」

「いざとなったら俺たちでカバーすればいい。なに、エクスなら上手くやるさ。心配いらねーよ」

「……ええ。そうね」


 何かが起こる可能性を、頭の片隅に置いておく。今のレイナに出来ることは、それくらいだ。






 何も目印の無い森の中を、ライは淀みなく歩く。道は覚えているらしい。ライは時々背後を振り返って、後続が遅れていないか確かめる。他の想区でも森の中を行くことは度々あったので、エクス達はライと大きく離されることはなかった。


「……さて、そろそろ見えてくるぞ」

「お母さんのお墓、だよね」

「それもある。が、その前にあいつらをなんとかしないとな」


 ライの言っていた通り、そこにはヴィラン達がいた。

 ブギーヴィラン、ビーストヴィラン、ゴーストヴィラン、ナイトヴィラン……そして、腕を大きな翼に、足を鍵爪に変えた女性のような姿をしたヴィラン――メガ・ハーピー。

 多種多様なヴィランが横に三列に並んで防衛線を張っている。大きな円を作るように、列は弧を描いていた。そして、その中心をメガ・ハーピーが飛んでいる。まるで、そこに近づく者を阻むように。


「言ったとおりだろ?」


 木の影に隠れながら、一行はその様を観察する。敵はまだこちらに気づいていないようだ。統率のとれた軍隊のように、ヴィラン達はじっとその場に立っている。持ち場を離れようとするヴィランは一体もいない。


「小さいのとは、ナイフの練習も兼ねて良く戦ってるんだがな。あれに自分から飛び込むのは馬鹿のやることだ」

「だそうですよ、タオ兄」


 まさにその馬鹿になりかけていたタオが、寸前で足を止めた。


「なるほど、こうすればいいんだね……」

「エクス、感心してる場合じゃないわよ。見たところ、全部で50……いえ、60体くらいかしら。数は多いけど、メガ・ヴィランはあの一体だけ。それにこっちから仕掛けられるのも好都合ね。作戦を立てましょう」



 数分後。


 森の中から、ヴィランの群れに一本の矢が飛んでいく。

 不意打ちを喰らったブギーヴィランは大きく仰け反り、その周りのヴィランの視線は矢の出どころに集まる。


「森を荒らす者は全て的だ」


 栞の裏、シューターであるロビン・フッドとコネクトしたタオの矢が、次々にヴィランを狙う。 

 ヴィラン達は列を崩し、タオの元へ一目散に迫る。ただし全員ではない。最初にタオの矢を受けたヴィランとその近くの一部のみで、メガ・ハーピーも動かない。タオの数え間違いがなければ、13体。矢を放ち、たった今12に減った。それでも、一人を倒すだけなら十分すぎる数だろう。一人を倒すだけならば。

 

「大木に登る理由?そこに大木があるからさ!」


 盾を構え、タオに肉薄したナイトヴィラン。その背を、木の上から飛び降りたエクスが叩き切る。コネクトしているのは、もちろんジャック。


「悪い子ねっ!!」


 新手の登場に怯み、隙が生まれた他のヴィランを、木の影から飛び出したレイナがまとめて3体仕留める。栞の表のヒーラーではなく、裏のアタッカー、アリスの姿で。


「お前の隙は全て見えている!」


 二人のおかげで安全に矢の打てるタオは、近くの敵から狙い撃っていく。エクスやレイナに当てないよう、細心の注意を払いながら。

 そして作戦通り、円が大きく崩れた。

 全てのヴィラン達が一斉に、三人の元へ動く。メガ・ハーピーを含めて。

 ただし、奥にいたヴィランは、真っ直ぐ向かってはこない。守っていた円の中央を避けるように、左右に遠回りした。


 レイナ・エクス・タオは、それ以上攻め入ることはなく、ヴィラン達が三人の前に集まるのを待つ。裏から回り込もうとするヴィランは、全てタオの放つ矢が阻止した。

 レイナとエクスは徐々に後退しながら、近づく敵を切り伏せる。時折矢のサポートが入った。それでも多勢に無勢、このままいけば、全滅させるより押し切られる方が早い。

 メガ・ハーピーが二人の眼前に到着する。

 メガ・ハーピーはタオの矢に怯むことなく、一度上空に飛び上がり、その立派な鉤爪を高く持ち上げる。

 そして、その時がやってくる。


「どうやら、死神は君に用があるようだ」


 ヴィランはある程度の知性がある。だからこそ、統率の取れた行動もできる。

 そして彼らは、敵が目の前の三人で全てだという、致命的な勘違いをしていた。


 ヴィラン達の背後に、一人の青年が立っている。

 青年は高らかに死を宣告する。


「さあ奏でたまえ!葬送そうそう行進曲こうしんきょくを!」


 未完のレクイエム。

 聴衆を死へと誘うその調べは、ヴィラン達の断末魔を以って完成する。

 矢や魔法では、巻き込める敵の数に限度がある。だが、音は違う。ヴィランのいる周囲一帯に、その音楽は鳴り響いた。


 シェインの号令を合図に、エクスは剣を納め、手で耳を塞ぐ。直後、目の前でヴィラン達が悶える姿が見える。それは苦しむというよりもむしろ、愉しんでいるように見えた。

 やがて、歓喜の叫びを上げながら、ヴィラン達は次々に消滅していく。

 周りのヴィランが消え、最後に残ったメガ・ハーピーは、口をだらしなく開き、妖艶な表情で、その最期を迎えた。


「いい断末魔だったよ」


 アマデウス・モーツァルト。音楽の神に愛された天才的作曲家。

 シェインはその姿と声で、三人の前にまっすぐ歩いてくる。


「って姉御、いつまで耳塞いでるんですか?もうとっくに終わりましたよ」


 優男の声とはまるで合わない口調で、シェインはアリス姿のレイナの肩を叩く。レイナは固く目を瞑り、力強く手を押し当てて耳を押さえつけている。


「も、もう大丈夫?死なない?」

「……脅かしすぎましたかね。ちょっと聴こえたからってすぐ死ぬわけじゃないんですけど。多少の中毒性はあるかもしれませんが」


 シェインがモーツァルトとのコネクトを解除したのを確認してから、レイナはようやく耳を解放した。


「お疲れ様でした。姉御、ちゃんと回復魔法かけてあげてくださいね」

「こっちは大丈夫だ。安全第一で戦ってたし、みんな無傷だぜ」

「それはなにより」

「…………」


 エクスは口をぽかんと開けたまま、一点を見つめている。


「新入りさん、どうしたんです?もしかして、モーツァルトの曲聴いちゃいました?」

「あ、ごめん。綺麗だなって思って」

「綺麗って、何が――っ」


 シェインはエクスの視線を辿り、その先にあるものを見て、息を呑む。

 目が離せない。体が動かない。体を動かすという行為を忘れた。呼吸も思考も忘れた。

 ほんの一瞬見ただけで、心を奪われた。


 ヴィラン達の守っていた円の中心に、さらに小さな円があった。

 円の半径は二メートルほどだろうか。その中に、赤、黄、白、橙――幾多の暖かな色合いの花が植えられている。花びらの形も大きさも様々だが、あえてバラバラにしたのだろう。不思議なことに、全体を見ればまるで一枚の絵のような統一感がある。周りの木も円を描くように切られており、花畑に降り注ぐ陽の光はまるでスポットライトのようだ。地面を覆う葉の新緑が、これでもかと光を弾く花々の一つ一つを際立たせている。

 その円の中央に、小さな直方体の石が置かれていた。その石に、何か文字が彫ってある。遠目ではよく見えないが、恐らく、人の名前や日付が刻まれているのだろう。

 その場所は、どこか別の想区から持ってきたのではないかと思うほど幻想的で、じめじめした森の中では場違いなほど美しかった。偶然できたようには到底見えない。このお墓には、建てた人の思いが籠められている。それがひしひしと伝わってくる。


「ね、綺麗でしょ?」


 エクスに声をかけられ、シェインは我に返った。

 弛緩した体に再び血の巡りを感じる。雷鳴で飛び起きた朝のように、ぼんやりした脳を急激に回転させるのと同じ感覚。


「なるほど、確かに」


 見とれていた、と正直に言うのは少し恥ずかしい。今更遅いかもしれないが、シェインは平常心を取り繕って応えた。


「俺はこういうの、そこまで好きじゃねーけど。ま、いいんじゃねーか」


 タオは複雑な顔をしている。タオは死者を尊ぶのが苦手、いや、はっきり言えば嫌いだ。生前の行為に過大な評価をしたり、死者を英雄扱いするのが嫌いだ。


「根拠はないけど、これはたぶん、そんなに悪いものじゃないよ」

「なんとなく、分かる気もするな。かと言って割り切れるもんでもないが」


 タオの死生観は、生まれ故郷である桃太郎の想区での経験から来ている。その詳細を知らないエクスには、口を出す権利はない。そもそもエクスは、タオの考えが間違っているとも思わない。いくつも正解があっていい、あるいは正解など初めからないのだと、エクスは考えている。


「素敵ね……ねえ、もっと近くで見ましょう」


 レイナに促され、四人はその場所へと近づいていく。


「あ、やば。その前に銃を回収しないと」


 と思いきや、シェインは一人その輪を抜け出した。

 シェインは駆け足で、先ほど自分が隠れて待機していたポジションへと戻る。

 残る三人のうち、エクスとレイナは二人並んでまっすぐ花畑へ。タオはその後ろから、花畑を、ではなく、花畑に魅了された二人の背中を見て歩く。明るい花畑とは対照的に、その表情は暗い。死者に手向けられた見るからに手の込んだ装飾を、二人と違って純粋に評価できない自分を嫌悪する。


「……あれ?」


 背後から、シェインの声が聞こえる。


「ない……銃が、銃がない!そんな、確かにここに置いたはずなのに!」

「えっ?」「なっ!」「なんだって!?」


 花畑のことで頭が一杯になっていたエクス達が現実に引き戻される。

 どんな時も落ち着き払い、マイペースなシェインが、ここまで取り乱すのはいつぶりだろうか。などと呑気なことを考えている場合ではない。銃という凶器が無くなった。一大事だ。


「落ち着けシェイン!慌てるな。風で飛ばされたとか、野生動物に持ってかれたとか、いくらでも考えられ――」

「そんなはずないです!あんな重い銃が風で飛ばされるわけないですし、まして人間以外に持ち運べるわけないですよ!」


 タオの推測をシェインが食い気味に否定する。

 静かな森の中、そこそこの距離があっても声は通る。シェインは必死に木の根元を探し、終わると別の木へ――それを繰り返している。

 手伝おう、とエクスが駆け寄ろうとした時、シェインはぴたりと動きを止めた。


「ま、まさか……」


 人間以外に持ち運べるわけがない。

 なら、答えは単純だ。

 シェインの銃を、別の人間が持ち運んだ。


「探し物はコレかい?」


 全員の視線が集まる。

 花畑とエクス達の間に、ライが立っている。

 その右手に、シェインの猟銃のグリップを握って。


「動くな!」


 叫んだのはシェインだった。

 シェインは全速力で走った。

 そして、エクスの前に出るや否や、腰に下げた自前の銃を勢いよく抜き、両手で構え、真っ直ぐ両腕を伸ばしてライに向ける。


「ラ、ライ、どうして」

「新入りさん、今はシェインに任せてください」


 シェインは視線と銃口をライに向けたまま、困惑するエクスをたしなめる。銃を自作していたことが初めて役に立った。

 ライは猟銃を下に向けている。構えてはおらず、単に持っている、という状態。シェインはその銃を注意深く観察する。


「……安全装置が外れてますね。銃口をこっちに向けたら、その瞬間に撃ちます」

「そんな怖い顔しなさんなって。俺は生まれてこのかた、銃口を人に向けたことはない。ま、気持ちは分かるけどな」


 バクバクと自分の心臓の高鳴りが聞こえる。脈拍と緊張で、シェインの銃の照準が微妙にブレている。対し、ライは今まで通りの口調でシェインに話しかける。不気味だ。何を考えているのかさっぱり分からない。


「にしても、動くなと言ったわりに、銃口を向けたら撃つってのは、随分条件が緩いじゃねぇの。その銃、しばらく使ってないだろ?ろくにメンテナンスもしてない銃なんて、撃ったらどうなるか分からねぇ。撃ちたくないんだろ?」


 シェインは動揺を悟られないように、細心の注意を払う。

 最初にガンショップを訪れた時、シェインはそこで銃のメンテナンスをするつもりだった。が、試し打ちに予想以上に時間を取られてしまったので、メンテナンスに必要な道具を買い、後回しにした。

 だが、ライはそれを知らないはずだ。他の仲間にも言っていないのに。この銃の事はシェインしか知らない。つまり、ライは今この瞬間にぱっと見ただけで、この銃に手入れがされてないことを見抜いた。

 その鋭い観察眼に加え、行動からこちらの思考を読み解く洞察力。シェインは認識を改める。手強い。一体どこまで見えている?

 嘘は通用しないだろう。だが、引き下がるわけにもいかない。


「確かに、しばらくメンテナンスは出来ませんでした。危険は承知です。それでも、撃たなければもっと危険な時は、撃つしかないです」

「ま、その通りだな。撃てないなんて言ったら、抑止力としての機能さえ無くなっちまうしな?」


 シェインは敗北感に包まれる。任せろと言っておきながら、ライの思考がまるで読めない。銃を奪った目的も、へらへらとした笑顔の中に秘めた本当の想いも。


「……何を、するつもりですか」

「見てれば分かるさ」


 そう言って、ライは銃を構えた。

 シェインに背を向け、銃口は右肩から、斜め下を見下ろすように。


「……?」


 シェインは警戒を怠ることなく、ライの一挙手一投足を見逃すまいと目を凝らしている。

 故に、その銃口を向けた先までは、頭が回っていない。

 分かるのは、その肩が、いや、全身が小刻みに震え、照準が大きくぶれていること。そして、唯一肌が見えている首元に、汗が吹き出ていること。


「ライ!待って!そんなのダメだ!!」


 エクスの制止は、ライには届かない。



 ズドォン!!



 空気の振動を肌で感じるほどの轟音。

 思わず四人は目を瞑った。

 猪狩りの時に全員一度は聞いた音だが、至近距離だとさらに大きく、激しい。


 四人の中で、最初に目を開けたのはシェイン。

 ライを逃がすまいと、その姿を探し、すぐに見つける。

 ライはその場で膝をつき、手を地面についてうずくまっている。全力疾走の後のように、だらだらと汗をかき、肩で息をしている。銃は手を離れ、少し遠くの土の上に寝かされている。打った直後に投げたのかもしれない。

 ライの観察を終えると、シェインの視界に、今度はライの体で隠れていた物が映る。


「なっ……」


 美しく、幻想的な花畑。

 その上に、二秒前まで墓石だったものが、砕け散った破片が、バラバラになって散らばっている。

 そこに籠められた思いを、真っ向から否定するように。


「……嘘、でしょ?」


 レイナの問いに、沈黙が答えた。

 その答えは目の前に転がっている。眼前に広がる惨事が、これが現実なのだと強烈に主張する。


「…………なんで……こんな、ひどいこと……」


 目が離せない。体が動かない。体を動かすという行為を忘れた。呼吸も思考も忘れた。

 ほんの一瞬で、全てが壊された。

 周りに咲く花々は、変わらず日光浴を楽しんでいる。人間の身勝手な意味づけなど、自分達には関係ないと言わんばかりに。

 存在意義を失った花畑は、美しくあればあるほど、かえって滑稽で、痛ましい。


 最初に動いたのはタオだった。


「て……テメェ、よくもやりやがったな!」

「待って!タオ、落ち着いて!」

「離せエクス!これが落ち着いていられるかよ!俺は死者を尊ぶのは好きじゃねえが、死者を冒涜するのはその何倍も許せねぇんだよ!!」


 激情に身を任せるタオをエクスが必死に抑える。どちらも会話ができる状態じゃないと、シェインは理解した。

 血が巡る。銃を持つ手に力が入る。念のため、引き金に指はかけない。引き金に触れていたら、今すぐ誤射してしまいそうだ。


「理由、教えてください。さもないと、撃ちますよ」


 シェインは銃を突きつけたまま、ライを脅迫する。


「はあ……はあ……」


 ライは黙ったまま、地面に手をついたまま、震えている。


「聞こえなかったんですか?今の発砲の理由、言わないと、殺しますよ」

「…………お姫、様」


 ライの声は、体の震えが伝わったように、か細く、震えている。

 シェインは顔をしかめた。出来ることなら、今はレイナをそっとしておいてあげたい。これは、自分が背負うべき役割。


「…………」


 我を失っているレイナは、ライの声に気づかない。


「……姉御、呼ばれてます」

「…………え?……あ、わ、私?」


 不本意ではあった。シェインは自分の力不足を恥じた。だが、ライの奇怪な行動の理由が分からなくてはどうにもならないのだ。シェインは極めて冷静に、苦渋の決断を下した。


「……もし、この墓が、カオステラーなら――」

「姉御、耳を塞いで!!」

「え……?」


 シェインが咄嗟に叫ぶ。視線を初めてライと花畑から外す。

 動く気配のないレイナを見て、その両耳を自分の手で塞ごうとして――その手が銃を握っていることに気づく。手を離せないことに気づく。


「これで、調律ってのが、できるんだよな?」


 その間に、ライは最後まで言い終えてしまう。か細く、消え入るような声で。


「…………」


 レイナは、ライの言葉を最後まで聞く。

 そして、たっぷり時間をかけて、理解する。


 ギリ、ギリ……と、シェインの口から、歯ぎしりの音が聞こえる。


「……ライは、調律のために?私が、頼んだから?…………私のせい?」


 レイナはうわごとのように呟く。墓だったものを見た時と同じ表情のままで。


「……ごめんなさい」


 レイナの頬を、一粒、涙が伝う。

 そして、レイナの時が動き出す。


「ごめんなさい。ライ、ごめんなさい!私、私は、こんなことの為に、あなたに強力を頼んだんじゃないの!あなたにこんなひどいことをさせる為じゃないの!!こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったの!!!」


 停止していた脳が、痛みを理解する。ズキズキとはち切れそうになる胸の痛み。ぎゅうぎゅうに締め付けられる心の痛み。

 同時に、想像する。その痛みをはるかに上回るであろう、当事者の――ライ自身の感じる痛みを。

 せき止められていた感情が一気に流れ、溢れる。制御不能に陥る。

 涙で視界が滲む。目の前の光景に目を瞑ると、壊される前の、無事だった頃の花壇の姿が鮮明に浮かび上がり、余計にレイナを苦しめる。


「お嬢が謝る事なんて何一つねえ!全部コイツが勝手にやったことだろうが!!」


 タオの怒号が森を震わせる。


 冷静になれ。冷静に。そう、冷静に。

 シェインは血が上りかけた頭を落ち着ける。感情に任せて撃ってしまったら、全てが終わる。


「……タオ、だったか。珍しく、意見が一致したな」

「うるせぇ黙ってろ!!シェイン、その銃よこせ!」


 必死にタオの腕を掴んでいるエクスももう限界が近い。素の筋力ならタオの方がはるかに上だ。もちろん、シェインよりも。

 無理やり奪い取られたら、その先にあるのは、地獄だ。


 考えろ。

 現状を打破できるのは自分だけだ。

 突破口はどこにある?

 この殺伐とした状況を、少しでも好転させる方法は。


「ははっ……どうやら、自称大将さんは、あんたのさっきの話を覚えてないらしいな……」


 相変わらず、ライの声は細々として、震えている。その体は今も地に伏せたままだ。


 待てよ。

 どうして自分で銃を撃ったのに、ライはここまで狼狽している?


 演技には到底見えない。もし、本当は撃ちたくなかったのだとしたら……何故、ライはその気持ちを押さえつけてまで、撃ったのか。


「……それだけですか?」


 シェインはライに話しかける。極めて冷静に。 


「それだけ……ってのは?」

「そうか。そうだよ!他にも理由があるんじゃないの!?」


 エクスが腕を掴んだまま、必死の形相でシェインの言葉を補足する。

 彼の全方向への優しさは、こういう時に頼りになる。自分には、この愚かで、狡猾で、軽薄な少年に感情移入することなど到底不可能だ。もしエクスがいなかったら、タオと共に、とっくの昔に強行手段を取っていただろう。


「カオステラー探しだけで、本当にそんな理由だけで、わざわざ銃を盗んでまで壊せるの?だって、これは君のお母さんのお墓なんでしょ!?」

「……ま、普通できないわな。他の理由がなければな」


 ライはあっさりと認めた。


「話しなさい。さもないと――」

「脅さなくても分かってる。少し、待ってくれ。まだ動悸がする。俺は、銃声が苦手なんだ」


 自分で撃っておいてなにを、と思ったが、必死に頭を振る。冷静に。 

 ライは左手を軸に、ごろん、と体を180度回す。シェイン達に体を向け、少し湿った土の上に直に座る。


「結論から言えば、俺の運命は、お姫様の思ってるほど、素敵なモンじゃなかったってことだ。……嘘を吐いてたわけじゃねぇが、わざと黙ってたことがある」


 ライは淡々と、事実を述べる。


「俺の母さんは、俺が撃った弾で死んだんだよ」

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