真実はどこだ?

第1景 シェインの怒りとレイナの危機


 夜陰に紛れて、僕たちは御所の中に忍び込んでいた。

「そこだ!」

 お爺さんに教えてもらった最も大きな建物の中で、僕は剣を一閃させる。

 ふらふらと現れて刀を振りあげた武者が倒れて、闇の中に消えた。

 月の騎士からもらったカンテラの灯の中に、鎧だけが転がっている。

 タオの声は、夕方からずっと怒りに震えている。

「やっぱり、ヴィランか」

 なぜ、侵入にあれだけ苦労した御所の中に、僕たちが今、いるのか。

 それは、お爺さんがかつて帝の衛士だったことによる。

 そして、月の騎士が僕たちのそばにいたことによる。


 僕たちは、レイナを救い出したいと打ち明けたのだった。

 月の騎士は、か弱い婦女子を救うためならとあっさり了解した。

 お爺さんは、正直、渋った。

 帝がレイナに執心しているなら、かぐや姫が帰ってくるのではないかと期待していたのだ。

 お婆さんが、それをたしなめた。

 これからどうしたいかは、かぐや姫が決めることだと。

 そこでシェインはつぶやいたものだ。

「バカ親撤回です」

 問題は、どうやって御所に入り込むかだった。

 高い塀に、堅固な門。

 屈強な警護の武者たち。

 そこへ再び、鉢かづきが出てきたら……。

 ところが、月の騎士は簡単に答えを出した。

「城には、抜け道がつきものだ」

 全員の視線が一斉に、お爺さんに突き刺さる。

 皺の多い顔を余計にくしゃくしゃにしながら、お爺さんは膝を叩いた。

「墓の中まで持っていくつもりだったが、仕方ない!」


 誰にも内緒という条件付きで、都の一角にあるダミーの古井戸を通って、僕たちは御所の中に忍び込めたのだった。

 お爺さんが昔の記憶を頼りに語った建物の配置と内部の間取りを、シェインは克明に記憶していた。

 進めば進むほど増えるヴィランの群れは、僕たちが目指す場所に近づいていることを告げていた。

 といっても、長い裾のきらびやかな衣を引きずった女官はヴィランだと分かっていても、僕はどうしても斬ることはできなかった。

 その度に刀を右へ左へ薙ぎ払ったシェインは、僕を耳元でたしなめる。

「命かかってるのです」

 タオにも小突かれた。

「根性据えろ」

 それでも、僕にはできなかった。

 女の姿をした者を斬るなんて……。


 僕達は御簾の垂れたいくつもの部屋に踏み込んだが、レイナの姿はなかった。

 それは逆に、危険が迫っていることを意味していた。

 ……どこだ、レイナ!

 僕とタオがレイナの姿をもたもた探しているうちに、シェインは先へ先へ部屋を覗いては、潜むヴィランを始末していく。

 やがて、カンテラの光が及ぶか及ばないかのところにある曲がり角の先で、微かな驚きの声が聞こえた。

「これ……レイナの……」

 慌ててカンテラをかざして駆け寄ってみると、御簾から明るい光が漏れる部屋に、シェインが首を突っ込んでいた。

 そこは、爽やかな香りのする新しい畳の敷かれた部屋だった。

 その奥にあるものを見て、僕はドキッとした。

 水の張られた、大きな木のたらい。

 その向こうには、見覚えのあるものとないものが、まとめて山と積まれてあった。

 丸い黒眼鏡。

 小刀やバグ・ナク、吹矢の類。 

 手鏡……のようなもの。

「魔法の鏡だ!」

 レイナのものだと分かっていても、シェインはこういった珍しいものに心を惹かれるようだ。

 この「魔法の鏡」は、その「想区」で見つかる「詩晶石」を放り込むことで、そこで活躍する「主人公」の魂を召喚できる。

 ただし、その詩晶石をレイナが見つけたかどうかは分からないけど。

 そして……「光の石」。

 その向こうには、裾の長い上着とスカートが掛けられている。

 カンテラを床に置いて近づいてみる。

 レイナの服だった。 

 ……と、いうことはつまり?

 タオが叫んだ。

「エクス! これ持って先に行け!」

 ハッとした僕の目の前に、一冊の本が飛んでくる。

 受け止めてみると、それは「箱庭の王国」だった。

 かつてレイナがお姫様として治めていた、おとぎの国がこの中にあるらしい。

 カオステラーを倒した後、レイナはこの中から妖精を放つ。

 そこでカオステラーはもとのストーリーテラーに還り、混乱した「想区」はもとの世界に戻るのだ。

 シェインが僕を促した。

「早く! 帝を八つ裂きにしたくても、シェインにはタオ兄との約束があります」

 僕が手に取った「光の石」に照らされて、シェインの眼が冷たく光っている。

 そこには、鬼の怒りが燃えていた。

「来たぞ!」

 タオが叫んで、斧を振るった。

 御簾を引き剥がして現れた武者姿のヴィランが吹き飛ばされる。

 懐剣を振るって飛び込んできた女官たちを、シェインの刀が次々に叩き斬った。

「頼んだ!」

 僕は「箱庭の王国」を持って駆けだした。

 背後から、刃を交える音が聞こえてくる。


 「光の石」が照らす廊下は、一本道だった。

「レイナ!」

 長い廊下を駆けながら、僕は何度も叫んだ。

 角をいくつ曲がったことだろう。

 僕の呼びかけに、微かに答える声がした。

「エクス……」

「レイナ!」

 突然視界が開けて、それが僕の最後の叫びとなった。

 僕の目の前にあったのは、あの爽やかな匂いの畳が敷き詰められた、もっと広い部屋だった。

 その真ん中には、「光の石」に照らされてぼんやりと透ける布で四方と天井を囲まれた、2枚の寝床があった。

 その上にいたのは、2人。

 ひとりは、白い衣をまとった男だった。 

 でも、あの使者ではない。

 その物腰は、もっと上品な感じがする。

 だが、その傍らの影に語り掛ける一言に、僕の血液は全身で沸騰した。

「余の、鶯よ……」

 僕が掲げる「光の石」に輝く、短く刈られたプラチナブロンド。

 その、「鶯」と呼ばれたもう一つの影は、白無垢姿のレイナだった。

 何を考える間もなく、僕はその薄い布を剣の一振りで斬り払っていた。

 次の一振りで、帝と思しきその男の首筋に剣の切っ先を突きつける。

「レイナに触ったら、この『想区』どうなろうと知ったことか、叩き斬る!」

 自分でも信じられないほど正気を失った声で、僕は叫んだ。

 男の手から、何かがぽとりと床の上に落ちる。

「余は……余は……この鏡を受け取ってほしかっただけじゃ」

 信じたいような、信じられないような言葉に僕は一瞬、戸惑った。

 でも、もっと信じられなかったのはレイナのリアクションだった。

「そう……その鏡よ!」

 珍しい武器を見つけたシェインみたいなことを言うなり、その手鏡を拾いあげる。


第2景 鉢かづきと「卵から生まれた姫」


「え……」

 呆然としていた僕がやっとのことで声を喉から絞り出した時、部屋の隅にふわりと現れた影があった。

「来ると思ってた」

 薄衣を掲げた、白い衣の少女。

 鉢かづきだった。

 そこで、はっと閃いたことがあった。

 僕は、返ってくるはずもない問いを鉢かづきに投げかける。

「まさか……帝は、ヴィラン?」

 その答えは、風を切って返ってきた。

 帝の頭をかすめて、4本の鞭が変幻自在にうねって飛んでくる。 

 僕は畳を蹴って駆けながら、タオのように吼えて剣を振るった。

 斬り落とすとまではいかなかったが、すべての鞭を弾き飛ばして、レイナを救うために突進するだけの余裕を作り出すことはできた。

 床の上の帝を盾にして、レイナを抱きしめる。

「エクス……」

 僕の名を呼ぶレイナの息が、耳にくすぐったい。

 白無垢一枚を隔てた身体は、温かかった。

 鉢かづきの鞭は帝に向かっては飛んでこない。

 僕の読みは当たったようだ。

 帝は、ヴィランじゃない。

 ということはカオステラー、つまり鉢かづきも、帝まで傷つけてしまったら物語の収拾がつけられないのだ。

 それはつまり、僕も帝を守らなければならないということだ。

 仕方なく後にしたレイナに「光の石」を返して、僕は帝の前に踏み出した。

 後ろから情けない声がする。

「余を……助けてくれるのか?」

「邪魔だからあっち行ってろ!」

 怒鳴りつけると、悲鳴と共に帝は部屋の隅っこ辺りに消えた。

 僕は再び鉢かづきに向かって突進する。

 鉢の中から転げ落ちてきた、輪っかから伸びる3本の鎖の先に1つずつ鉄球のついたものが飛んできた。

「その武器は微塵みじんなのです!」

 追いかけてきたらしいシェインの声がしたが、武器の名前を聞いても仕方ない。

 輪っかの中に剣を突き出して絡め取り、頭の上で振り回して投げ返した。

 鉢かづきがかわすと、その後ろの柱が大きな音を立てて吹き飛んだ。


 その時だった。

 レイナが立ち上がって、僕の前に出た。

 その手には、鏡が掲げられている。

 背後から、タオの声がした。

「レイナ、その魔法の鏡で!」

 シェインがツッコんだ。

「魔晶石がないでしょ!」

 そうなのだ。

 レイナが見つけていない限り……。

 でも、「魔法の鏡」はたしか、さっきの部屋にあった。

 そう、レイナの鏡は、帝が贈った、全く関係のないものなのだ。

 僕は戸惑いながら尋ねた。

「じゃあ、その鏡は……」

 レイナは答えなかった。 

 代わりに叫ぶ。

「本体は、その鉢よ!」

 とっさに、僕は鉢かづきの「鉢」を狙って飛び出していた。

 今まで、どれだけ武器を叩きつけてもびくともしなかったことなど忘れて。

 ただ、駆けだした瞬間、視界の隅に見えたものがあった。

 レイナの手鏡に映った姿。

 それは、鉢かづきではなかった。

 鉢などかぶっていない、白い衣を着た帝の使者が、袖で顔を隠していたのだ。

 僕は跳躍して、全力で剣を叩きつけた。

 兜割かぶとわりの一撃だ。

 鉢が頭上から転げ落ちたところに、隠された顔が現れる。

 呆然と僕を見つめるのは、やはり知らない顔だった。

 確かに美しい少女だけど、僕の知っているかぐや姫とは違う。

 輝くような美しさじゃない。

 むしろ、木や草花の中にあるのがふさわしい、優しい顔だちの娘だった。

 僕の後ろで、レイナが真相を語り始める。


「月からの迎えが来たあの夜、カオステラーはすでにあなたに憑りついていたの」

 その言葉の響きには、同情があった。

 カオステラーは、人の心の最も弱いところに巣食うからだ。

「憑依されたあなたは、帝から贈られた鉢をかぶせられてカオステラーの声で叫ばされた」

 それが、『姫がいない!』の声だったわけだ。

 レイナはさらに、きっぱりと言い切る。

「狙いは、あなたの物語を進めないこと」

 それは、もっとはっきり言えば、こういうことだった。

「かぐや姫が、月に帰らなければいい」

 そのために、カオステラーは、僕たちの出現を巧みに利用した。

 姫が消えたことで物語は進まなくなるが、武者たちと月の使者たちのいさかいが始まれば、別の物語が生まれてしまう。

 だから、タオに橋を壊させ、僕たちを停戦の調停者に仕立て上げたのだった。

「でも、だれかがそれをお膳立てしなければならない。それが、帝の使者だった」

 考えてみれば確かに、2つの勢力の抗争が始まりそうになると、帝の使者が都合よく現れては事を収めていた。

「そして、その直前まで私たちを妨害していたのは……」

「鉢かづき!」

 いつの間にかレイナの背後に立っていたタオが大声を上げた。

 レイナは、鉢かづきと帝の使者の関係を語り続けた。

「鉢かづきになったあなたは御所にやってきて、使者として帝に停戦を進言した」

「どうやってここへ?」

 タオの問いに、レイナは問い返す。

「じゃあ、今夜はどうやってここへ来たの?」

「古井戸……」

 タオの言葉を皆まで聞かないで、レイナは「そういうこと」と結論をつけた。

 再び、レイナは目の前の少女に語り掛ける。

「そのままあなたは、帝の使者の伝手つてで入った下働きの娘として御所に潜伏した」

 お爺さんの言っていた「顔の分からない、手足のきれいな娘」は、帝自身が探していた姫だったわけだ。

 ……気づけよ、本当に好きなら。

 レイナとタオの言葉の隙間を埋めるように、シェインがつぶやいた。

「つまり……鉢かづきと帝の使者が入れ替わってたってこと?」

 レイナはくす、と笑った。

「実はね、あの牛車の中で気づいてたの」

 聞けば、お爺さんとお婆さんの屋敷に着く直前、レイナの目の前で帝の使者は服とだけ残して消えていたらしい。

 そして、着いたとたん、何事もなかったかのように元に戻ったというのだ。

 レイナの肩を、僕は思わず掴んだ。

「どうして教えてくれなかったんだ!」

 半泣きの声で尋ねたのに、レイナはさらりと答えた。

「確信が持てるまでは」

 もう、レイナの置かれていた立場が恐ろしいやら、こんな肝心なことを隠されていたのが悔しいやらで、声も出なかった。

「こんな危ない……」

 だけど、レイナは僕を押しのけて、その先の言葉を待とうとはしなかった。

 おどおどと僕たちを見つめている少女に、レイナは確信の感じられる口調で尋ねた。

「あなたが、鶯姫ね」

 タオがきょとんとした顔つきで問い返した。

「かぐやじゃない?」

 レイナは、ちらと振り向いて、僕たちの混乱を一言で解いてみせた。

「ここは、私たちが知ってる物語じゃない」

 かぐや姫ではなくて、鶯姫。

 そういえば、お爺さんはかぐや姫が「卵から生まれた」と言っていた。

 そして、帝の言葉。

 ……余の、鶯。

 そこで初めて、鶯姫と呼ばれた少女は口を開いた。

「どうしたいのか、自分でも分からない。大人になるのは嫌なこと」

 どこからか、別の声が聞こえた。

 甘ったるい、しかしベトベトとへばりつくような声だった。

「じゃあ、子どものままでいればいいわ」

 カオステラーだろう、と僕は思った。

 どこにいるか分からない相手に答えることなどない。

 僕は鶯姫の顔をまっすぐに見た。

 優しい顔だちが、今にも泣き出しそうにこわばっていた。

 それでも、言わなければならないことがあった。

「物語の役割を与えられたら、どっちみち逃げられないよ」

 それが、「運命の書」を持って生きるということだった。

 カオステラーが、非難を込めて問いかけてくる。

「彼女を傷つけて楽しい?」

 それに歪んだ勇気を奮い起されたのか、鶯姫は問い返してきた。

「あなたはどうなの」

 最も痛いところだったが、嘘もハッタリもなく答えるしかなかった。

「演じたくても、ホンがないのさ」

 僕の「運命の書」には、何も書かれていない。

 それは、その物語に必要とされていないということだ。

 でも、それは同時に、どうするかを自分で決めていいということだ。

 鶯姫は、唇を噛みしめた。

 その表情は、彼女が初めて見せた、彼女だけの表情だった。

 一文字に引き結んだ唇から、呻きにも近い声が漏れた。

「あなたに私の気持ちは分からない。放っておいて。私に決めさせて。私の人生なんだから」

 それは、「空白の書」を持つ僕にとっては痛いほどよく分かる気持ちだった。

 だけど、彼女の「運命の書」は、空白じゃないはずだ。

 だから僕は、敢えて残酷な答えを言い返した。

「人生じゃない。これは、始まりと終わりのあるお話なんだ。自分の物語を探さないと、君の苦しみは続く」


第3景 カオステラーと偽りの月


 その時、壁という壁が窓のように外に向かって開かれた。

 どうやら、それがこの御所の建物の造りのようだった。 

 今まで「光の石」に照らされていた部屋の中が、いっぺんにさやかな光で明るくなった。

 それは、まだ半月ほど先になるはずの満月の光だった。

 タオが、カンテラを手にうろたえた。

「何で?」

 何が起こったのか分からなかったのは、僕も同じだった。

 レイナが、事もなげに答えた。

「カオステラーが動かしたのよ」

「ご明察」

 いやらしい声でカオステラーが笑うのに、タオが怒鳴りつけた。

「何で!」

「当ててごらんなさい」

 けたけたと笑う声の狙いは、僕にも何となく分かった。

 カオステラーの狙いは、物語を進めないことだ。

 ここで月が満ちて、いちばん困るのは……。

 その損得勘定は、シェインが速かった。

「満月になっても、迎えが来なかったことにしたいのよ」

 そう、月の騎士たちだ。

 今頃は、郊外の詰所で満月を見て大慌てしていることだろう。

 カオステラーはなおも僕たちをからかう。

「あいつらが間に合ったら?」 

 あの銀色の鎧は、月の光と共に装着されるという。

 重装甲ながら音もなく走り、バスタード・ソードを軽々と振り回す戦士たちだ。

 カオステラーにとっても、脅威となるだろう。

 シェインは先読みをしながらも、口をつぐんだ。

「そのときはたぶん、なのです……」

 レイナも頷いた。

 考えてみれば、そうだ。

 間に合ったとしても、かぐや姫……いや、鶯姫を月へ連れ帰る手段はない。

 タオも納得したようだった。

「お前がが動かした月で、頼みの援軍が来るはずがない」

 カオステラーの哄笑が、月の光で真っ青に染まった御所の一部屋を満たした。

 僕たちはその場に立ち尽くすしかなかった。

 ……ように見えるはずだ。

 だが、僕はこっそりレイナの肩を小突いて、囁いていた。

「タオとシェインを頼む」

 すると2人は、互いに顔を見合わせた。


 僕たちとカオステラーの議論を、鶯姫は聞いてはいなかったようだった。

 部屋に差し込んでくる月光を浴びて、外へと歩き出そうとする。

 帝は床の上から就寝用と思われる白い衣のまま、ふらふらと後を追った。

「余の鶯よ……本当に、それでいいのか?」

 鶯姫は、月の光を背にして振り向いた。

 青みがかった影がどんな顔で帝を見ているのかは、よく分からなかった。

 素朴な優しい声だけが、静かに語り掛ける。

「確かに、人生は物語ではありません。物語が、人生ではありえないように」

 帝は、畳の上に力なく膝をついた。

「そなたをめぐって、どれだけの人が泣いたり争ったりすると思っておる?」

 それは、ちょっと聞くと正論のようだった。

 たぶん部外者の出る幕ではないのだろうが、僕は敢えて口を挟んだ。

「姫の正義は、あんたにとっての正義じゃないってだけのことさ」

 シェインが僕の横でつぶやいた。

「それを偏見というのです」

 それが聞こえたのかどうかは分からないが、姫は僕たちのほうを見て微笑んだ。

 ……ような気がした。

 再び帝に向き直った姫は、はっきりと言い切った。

「それが私の物語なら、逃げるつもりはありません」

 凛とした声で発した言葉は、よく条理が立っていた。

 一方でまったくリクツになっていないのは、すすり泣く帝の言い分だった。

「余は、そなたと静かに暮らしたいだけじゃ」

 それは単に、一国の主とも思えない、駄々っ子のワガママに過ぎない。


第4景 ポンコツ姫と僕らのトリック


「エクス! シェイン!」

 叫んだタオが指さす先に、僕たちは一瞬、釘付けになった。

 開いた壁の向こうに、無数の松明が浮かんで見える。

 護衛の武者たちが、御所になだれ込んできたのだ。

「ここを頼む」

 そう言うなり、タオは大剣を手に、窓の外にある木製の回廊に向かって駆けだした。

 その後ろから、帝の絶叫が響き渡る。

「狼藉者じゃ、早う、早う!」

 だが、ほとんど同時に発せられたタオの怒号がそれをかき消した。

「かかって来いやあ!」

 窓の外から、やさぐれた声が答えるのが聞こえた。

「残念だが」

 あの、武者たちの頭の声だった。

 みし、みしと木の階段を上る音がする。

 僕達がここに上がるのにも使った、地面から木の回廊へと昇る階段だ。

 その足音が止まったとき、タオが息を呑む気配が分かった。

「爺さん……婆さん……」

 武者の頭がタオをからかう。

「オレたちは戦をしに来たんではない。その老人2人を、帝のお招きに応じて送ってきたまでよ」

 帝じゃなくて、カオステラーの差し金だ。

 レイナがため息交じりにつぶやいた。

「ものは言いようね」

 どっちみち、何か起これば武者たちは動き出すのだから。

 それでも、言われた通り、回廊からはお爺さんとお婆さんが姿を現した。

「姫……」

 お爺さんが鶯姫に歩み寄ろうとしたとき、お婆さんがその後ろから声を上げた。

「あれ……!」

 姫の頭上に、山の形をした張りぼてのようなものが浮かんでいた。

 お爺さんは、唖然として声を漏らした。

「富士山の、置物……」

 それは、僕がさっき叩き落としたはずの鉢だった。


 シェインが、とっさに姫の身体に飛びついた。

 お婆さんが叫んだ。

「姫!」

 2人が畳の上に倒れると、鉢もその場に転がる。

 今度はお爺さんが叫んだ。

「何をするか!」

 それは、姫についての問いでもあったが、帝からの預かりものを案ずる言葉でもあった。

 だけど、姫をその場に放り出して、シェインは鉢を抱え込んだ。

「この何でも出てくるすり鉢が欲しいのです」

 同時に、白無垢のレイナがお爺さんとお婆さんに駆け寄った。

 その場にひざまずくもう一人の姫君に、あわてふためいていた老夫婦の足は止まった。

 レイナはどこで覚えたのか、きちんと正座して、そろえた指先を畳の上に置き、頭を下げてうやうやしく言った。

「お気持ちに沿うことはできないかと存じますが、お許しください」

 僕からレイナへ、レイナからタオとシェインに伝わった計略が動き出そうとしている。


 鉢を抱え込んだ身体を起こしたシェインが、露骨に怪訝そうな顔をした。

「そんな……これが本体じゃなかったの?」

 僕もレイナを非難した。

「話が違うよ、何も起こらないじゃないか」

 タオが、かっかっかと笑う。

「やっぱり、ポンコツ姫はあてにならねえなあ」 

 自らの意思を持つわけではなく、引き寄せられただけの鉢に気を取られた僕たちの失策を嘲笑うかのように、鶯姫がゆらりと身体を起こして立ち上がった。

 月の光で、虚ろな眼をした顔が半分だけ浮かび上がっている。

 それは、夜の空に浮かぶ半月に似ていた。

 鶯姫は、すすり泣いた。

「私、帰りたくない」

 やにわに立ち上がったレイナは、するすると鶯姫に歩み寄った。 

 静まり返った月夜の寝所に、平手打ちの音が響き渡る。

「いい大人が甘ったれんじゃないの!」

 さすがに、これには育ての親も黙ってはいられないようだった。

 お爺さんが叫んで立ち上がった。

「帰りたくないと言っておる!」 

 レイナと鶯姫に歩み寄ろうとするのを、お婆さんが止めた。

「もうよいではありませんか、姫はもう大人です」

 鶯姫は震え出した。

 自分の半分と、もう半分とが、ひとつの身体の中で争っているかのように。

「私……私……」

 お爺さんはお婆さんを払いのけ、レイナと鶯姫の間に割って入った。

「連れていくというなら、ワシを斬れ!」

 その瞬間、タオの理性が吹き飛んだ。

「いい加減にしろ、お望みどおりにしてやらあジジイ!」

 僕は叫んだ。

「お前は鬼か!」

 シェインがツッコむ。

「鬼はシェインなのです」

 タオの大剣が、お爺さんの頭上に迫った。

 鶯姫が悲鳴を上げた。

「お爺さん!」

 レイナをつきのけ、お爺さんに駆け寄る。

 そのとき、タオが大げさに喚いた。

「おおっとおおお、手が滑ったああああ!」

 大剣が鶯姫の脳天に迫る。

 そのときだ。

 何かが、鶯姫の身体から抜け出した。

 シェインの刀が閃き、タオの大剣を受け止める。

 感情のないつぶやきが、僕への合図だった。

「間一髪なのです」

 鉢を本体と言ったのは、カオステラーに騙されたふりをしたレイナの罠だった。

 それに乗っかって打った「調律の巫女」一座の芝居が、これだ。

 カオステラーは姫の口を借りて、「帰りたくない」と前言撤回するだろう。

 だが、鉢のない姫の身体に危険が迫れば、自分の安全を確保するはずだ。

 僕は鶯姫の身体から抜け出したものを追った。

 髪の長い、しなやかな身体の、影。

 ……女?

 開いた壁まで追いすがって斬りつけようとした、僕の剣が止まった。

「できない!」

 これは、狂言でもなんでもない、真実の叫びだった。

 いくらカオステラーとはいえ、逃げる女を斬るなんてできない。

 タオが、シェインとのもう何の役にも立たないつばぜり合いをしながら僕を責めた。

「お前は!」

 回廊を蹴って、偽りの満月へと向かって飛ぶ黒髪の女の裸身。

 松明を手に居並ぶ武者たちは、一斉に息を呑んで見とれた。

 レイナが、いつしか僕の傍らに立っていた。

 帝から贈られた手鏡をかざす。

 月の光を跳ね返した鏡面から、まばゆい光が放たれた。

 レイナがくすりと笑った。

「男だったりして」

 シェインの声が後ろから聞こえた。

「導きの栞を」


第5景 かぐや姫と真実の月


 僕は「空白の書」に「導きの栞」を挟んだ。

 でも、誰の力を?

 牛若丸の跳躍力でも、あの高さまでは届かない。

 ところが、僕の「導きの栞」は、いつもと違う光を放っていた。

 そこに浮かんでいたのは、「ワイルドの紋章」。

 本来なら呼び寄せることのできない力の主が、「導きの栞」の持ち主を選んだときに現れるしるしだ。

 自ら出現させた、まやかしの月に向かって逃げるカオステラーを追撃できる者。

 僕の身体に、清らかな力が流れ込んでくる。

 それは、ここに似た『想区』で出会った姫君の力だった。

 かぐや姫……。

 月の射手。

「卑怯と嘘と偏見の亡霊よ、おぬしは男の風上にも置けぬ!」

 僕の口を借りて叫んだ彼女と共に、僕は必殺の一言を口にした。

月下転生げっかてんせい!」

 回廊の前で右往左往する武者たちの間から、無数のタケノコが生えてくる。

 それは見る間に天まで伸びて、カオステラーを捕らえた。

 数本の竹がしなって、女の姿で逃げようとした男を僕の前に放り出した。

 僕は剣をつきつける。

「どうする? 無抵抗の者は斬らない」

 いつの間にか後ろに立っていたタオが、呆れたように言った。

「確かに、斬る価値もねえな」

 男とも女ともつかない黒い影に、レイナが手鏡をつきつける。

「女に戻ったら助かるかもよ」

 慌てて横を向いたカオステラーに、ついイラッときた。

「あ……」

 気が付いたときには、剣がを横薙ぎに一閃していた。

 背後で、シェインがつぶやく。

「ある意味、鬼よりタチ悪いのです」

 それが感情に流された僕のことか、カオステラーを罠にはめたレイナのことかは分からなかったけど。


 武者たちの群れの中へと倒れたカオステラーの影に向かって、レイナが「箱庭の王国」を開いた。 

 蝶の羽を持つ無数の妖精たちが、まやかしのはずの月に照らされながら、夜空のあちこちへ飛んでいった。

 歪んだ「想区」が、もとの「物語」へと戻っていく。

 僕が橋の上で斬ったヴィランは今頃、この町の誰かに戻って、いきなり夜になったの不思議がっているはずだ。

 川の中に落ちたヴィランがどんな人だったかはわからないけど、どうか、ずぶ濡れになっいても岸へ泳ぎ着いていてほしい。

 御所の中からも、女官や衛士たちが不思議がる声が聞こえてきた。

「これ! ここは刀を持って上がってよい場所ではありませぬ!」

「いや、私めも何が起こったのか」

 それをなだめているのは竹取のお爺さんだ。

「ここはワシの顔に免じて」

「これはこれは鶯姫の父君殿」

 お婆さんに促されて、衛士も退出する。

「ここは私から帝に詫びておきますゆえ」

「かたじけない」

 そんなドタバタの中、僕たちの間へ歩み出てきた姫君がいた。

「何か、悪い夢でも見ていたようです」

 それは、僕がかつてカオステラーに憑かれていたシンデレラを助け出した時に聞いた言葉だ。

 ふと、この世のけがれを何一つ知らないかのような瞳が、僕たちを捉えた。

「あなたがたは、私の迎えですか?」

 月の騎士たちの姿から考えれば、白無垢のレイナを除いて、チュニック姿の僕たちがそう見えるのも仕方がない。

 さっき彼女をひっぱたいたレイナが、何事もなかったかのように微笑んだ。

「いいえ」  

 高々と指さす先は、竹・竹・竹が生え……。

 その先には、白い満月が皓皓と輝いている。

 タオが怪訝そうにレイナに尋ねた。

「お前、『調律』したんだろ?」

 レイナは答えず、月を見てざわめく武者たちの中に潜む影に声をかけた。

「これで、いいのですね」

 ええ、と影が答える。

 おとなしそうな老人の、穏やかな声だった。

「鶯姫が、かわいそうになったのです。わけもわからぬうちに大人にされて、周りの大人たちの都合でもみくちゃにされて……そのうえ各々が互いの言い分も聞かずに姫の奪い合いなど」

 レイナが肩をすくめた。

「おとぎ話って、そうやって進むものじゃありませんか?」

「だから、せめてこのぐらいは」

 まばゆいばかりの光に溶けて消えたストーリーテラーの声は、この満月で本来の物語が動き始めることを示していた。


 満月の光の中から、雪のように降ってくるのは銀色の鎧を着た戦士たち。

 回廊から進み出た帝が武者たちに命じた。

「あれを射よ!」

 垂直に射られた群れ成す矢は、ことごとく勢いを失ってふわふわと落ちる。

 降りてくる戦士たちとは別に、どこから入ってきたのか、馬のない馬車を先導する月の騎士たちが、武者たちを包囲した。

 レイピアを抜くと、それは月の光を浴びてバスタード・ソードに変わる。

 ひとり、またひとりと、手足にまとわりつく銀色の霧に包まれていく。

 霧は鎧となり、やがてそこには銀色の戦士たちの一団が現れた。

 その中の1人が、あの落ち着いた声で呼びかける。

「もう、よしましょう、こんなことは。勝負は決したのです」

 鶯姫は、帝へと向き直った。

 何も言わないで微かに手を振ると、その身体が月光の中に浮かび上がった。

 地上の騎士たちも、後に続いた。

 夜風の中で宙に浮かぶ「馬車」に乗り込んだ鶯姫に、銀の鎧をまとった戦士たちが付き従う。

 帝の目から、とめどなく涙が流れた。

「許せ、余の姫。余の鶯……」

 お爺さんとお婆さんは姿を見せなかった。

 ただ、部屋の奥からすすり泣く声だけが聞こえた。

 僕たちの周りを、夜霧が包む。

 いや、これは……。


第7景 沈黙の霧と真実の物語


 沈黙の霧の中を、僕たちは歩きだした。

 どこをどう歩いたのか知らないが、レイナはいつの間にか自分の服を取り戻していた。

 シェインの手の中には、いつ持ち出したのか、あの鉢がある。

 内側に、細かい溝がたくさんあった。

 それを覗き込んで、タオが笑った。

「それ、ただの擂鉢すりばちじゃねえか」

 レイナが言った。

「たぶん、それは鉢かづき姫しかカギを持ってない鞄みたいなものよ」

「振っても叩いても何も出てこないってか?」

「そう」

 素っ気ないレイナの答えに、タオは大笑いした。

「味噌でも摺るんだな」 

 シェインがぶつくさとボヤいた。

「もぐさ据えて火をつけて、富士山の置物だって売りさばくのです」

 そんなやりとりを聞きながら、僕は僕でレイナに聞いてみた。

「本当に、あれでよかったのかな?」

 レイナはあっさりと答えた。

「鶯姫は、自分で物語の人物になることを選んだだけ」

「でも、それはレイナに説得されて」

 自由な選択かどうかは、まだ疑問が残っていた。

 レイナは、強引に話をすり替えた。

「エクスはどうしてカオステラー斬れたの? あれだけ嫌がってたのに」

 自分でもよく分からなかったから、こう答えるしかなかった。

「女装して騙すなんて、卑怯で許せなかった」

「つまり、理屈じゃなくて気持ちに従ったほうがいいこともあるの」

 分かったんだかわからないんだかよく分からない。

 そこで、僕も話をすり替えた。

「あの鏡は?」

「帝は、あんな力があるなんて知らなかったみたい」

 それも疑問だった。

「どうしてあれに気づいたの?」

 それに至るレイナの話は、長かった。


 帝の使者、つまりカオステラーに憑りつかれた鶯姫のもう一つの姿は、レイナに目をつけた。

 帝に差し出して、いなくなった鶯姫を忘れさせるためだ。

 最初に会った夜、使者は帝に会わせたいと言い出した。

 今朝、帝の使者の誘いに乗ったのは、ただ単に「言いだしっぺ」の考えを探るために過ぎない。

 レイナがそれに気づいたのは、帝の前に出たときだ。

 帝はレイナを見るなり、つぶやいたらしい。

 余の、鶯……と。

 そのとき帝が取り出して眺めていたのが、あの手鏡だ。

 魔法の道具をいくつも持っているレイナは、それがどんなものなのか、一目で見当がついた。

 真っ先に考えたことは、実にレイナらしい。

 頼んだら、くれないかなということだった。


「鶯姫?」

 これもよく考えると、レイナが急に口にした名前だ。

 僕の問いに、上を向いて考えながら返ってきた答えは、これだった。

「たぶん、かぐや姫の前にあった物語」

 いつから話を聞いていたのか、タオが頭を抱える。

「かぐや姫に、鉢かづき姫に、鶯姫……わけわかんなくなってきた」

 それを整理してみせたのは、シェインだった。

「その鶯姫の物語に介入したのは、カオステラー……鉢かづき姫なのです」

 レイナは頷いた。

「彼女が鶯姫の物語を途中でねじ曲げて、終わらないかぐや姫の物語を作った」

 タオが口を挟んだ。

「鶯姫って、どんな話なんだ?」

 自分自身がストーリーテラーになったかのように、レイナは語る。

「帝の話と今の展開を総合すると、竹藪で見つかった、鶯の卵から生まれた不思議な姫君は、天に帰っていきましたとさ……」

 そこで、タオも気づいたようだった。

「ということは、主役はかぐや姫じゃなくて……」

 僕も、その答えは分かっていた。

「失われた物語の、鶯姫。大人にされてしまった、かぐや姫」


 そこまで分かったところで、はたと気づいた僕はツッコんだ。

「ちょっと待って、自分でカオステラーについて行ったの?」

「私しか行けないでしょ」

 そう言われると言い返せない。

 先を続けてもらうしかなかった。

「それで?」

「ちょうだいって言ったけど」

 無防備にも程がある。

 ここはきちんと叱っておかないと分からないだろう。

「だからそれって……」

 レイナは僕の言葉を遮って、とんでもないことを平然と話し始めた。

「何かよく分かんなかったけど、裾の長いきれいな服着た女の人がいっぱい出てきて、身体洗って着替えさせられて……」

 そこで僕は頬を熱くして怒鳴った。

「危ないでしょ!」

 レイナはきょとんと見つめ返す。

「え? そう? 大事なものだから、それなりの雰囲気はって」

「だって……」

 僕はもう、言葉もなかった。

 代わりにタオが凄んでくれた。

「カマトトぶってんじゃねえぞコラ!」

 レイナはしれっと答える。

「いざってときは、それで男になればいいかなって」

 何が危なかったかは分かっていたらしい。

 ……え?

 ……ってことは、あの鏡の力って?

 念のため、僕は尋ねてみた。

「じゃあ、あれは……カオステラーは?」

 レイナはいたずらっぽく微笑した。

「さあ……本当は……男? 女? どっちかな?」

 つまりあれは、男女の姿を入れ替えられる鏡だったのだ。

 僕はぼやいた。

「レイナのほうが鬼よりタチ悪い」

 それをシェインが聞きとがめる。

「誰がタチ悪いのですか」

 タオがシェインをからかった。

「ほらエクスも」

 シェインに睨まれて、僕はレイナに助けを求めた。

「いや、僕は……ちょっとレイナ? レイナ?」


 そこで疑問を口にしたのは、シェインだった。

「でも、なんかモブっぽいな、その……鶯姫」

 タオも同調する。

「確かに、影薄い」

 そう言われてみれば、そうだ。

 鶯姫の物語は、途中でかぐや姫の物語にすり替えられているんだから。

 僕はレイナの考えを聞いてみた。

「すり替えられたのは、いつだったんだろう?」

 レイナは、ちょっと考えてから答えた。

「たぶん、姫が月に帰ってから」

 タオは納得いかないようだった。

「遅すぎねえか?」

 その疑問には、シェインが答える。

「その結末に納得できなくて、ストーリーテラーはカオステラーになったのです」

 レイナがその後を続ける。

「月からの迎えが来ても、帰らないかぐや姫の物語の語り手に」

 それで僕も、あの不思議な鏡を帝が持っていた理由が分かった。

「あの鏡は、姫が形見に残していった……月から来たものだったのか!」 

 じゃあ、とタオがレイナに尋ねた。

「この擂鉢を帝が欲しがった理由は?」

 レイナは、鉢を抱いて不機嫌そうなシェインを気にしながら答えた。

「よくわかんないけど……思い出の品々を富士山の上で焼いちゃったとか、そんなんじゃないかな」


 そこで僕が思いついたことがあった。

「ひょっとして、本当の主役は……帝?」

 レイナがしなやかな指を目の前につきつけた。

「鶯姫を失った帝が、何もできなかった自分をごまかそうとして作ったのが、この物語だったのかもね」

 ただの思い付きなのに、タオは勝ち誇ったように反論した。

「でも、異形の者にはならなかった」

 確かに、カオステラーに憑かれた者は、あの鉢かづきのような存在に変化する。

 でも、レイナは澄まして答えた。

「私を鶯姫と呼んで迫ってきた、あのケダモノは充分異形よ」

 同じ女の子として、シェインが味方についた。

「鬼よりタチ悪いのです。男って」

 男2人への、とんだ言いがかりだ。

「……」

 でも、タオも僕も何も言えなかった。

 そんな様子がよほどおかしかったのか、レイナが、ぷっと吹き出した。

「今となっては、どっちがカオステラーだったかなんてどうでもいいわ」

 タオが目を白黒させる。

「ってことは」

 僕も驚いた。

「あれ全部、調律だったってこと?」

 この晩起こったことが全て、レイナの計画通りだったとしたら。

 なんて末恐ろしいお姫様なんだろう。

 寒気を覚えて横目で見たレイナは、遠い目をして言った。

「あなたは、1つの物語を救った。それでいいんじゃないかな?」

 そうね、とそれを受けたのはシェインだった。

「どんなに悲しい結末でも、それがなければお話は終わらないのです」

 それなら、と聞き返した。

「僕たちは?」

「……さあ?」

 見つめ返したシェインは、相変わらずの無表情だ。

 タオは、リーダーの座を争っているはずのレイナに答えを求めた。

「これって、そもそもお話なのか?」

 さあ、とレイナも首を傾げる。

「私たちの旅が終わるまで、それは分からないでしょうね」

 その旅は、沈黙の霧の向こうへと続いている。

(完)

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政治的に正しいかぐや姫の物語 兵藤晴佳 @hyoudo

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