レイナはどこだ?

第1景 レイナはどこにいたか


 その夜、僕たちは再び筵小屋で「光の石」を囲んでいた。

 お爺さんとお婆さんが屋敷に泊まっていけと勧めるのを、タオが強いて断ったからだ。

 レイナは不平を言い、シェインも不満げだったが、タオは「迷惑をかけられない」と譲らなかった。

 その恨みもあってか、レイナは鉢かづきとの戦闘を槍玉に挙げた。

「力の差を考えなさいよ」

 レイナは冷ややかに、タオをたしなめたものだ。

「勝てねえと思ったら最初から諦めろってか」

 その裏には、絶対に負けるわけがないという自負がある。

 僕にしてみれば、ちょっと疑問が感じられた。

 確かに、レイナの非難は八つ当たりに過ぎない。

 だけど、その批判は一理あった。

 鉢かづきに対して、僕たちは明らかに苦戦している。

 あの、無限に伸びる鞭。

 鉢の中から出てくる暗器の数々。

 シェインがうらやましそうに言った。

「レイナといい勝負なのです、何を取り出すか分からないって」

 あの暗器がそんなに欲しいかと思ったところで、タオがムキになってツッコんだ。

「そういう問題じゃない」

 レイナが、タオをなだめるように言った。

「私はあなたを心配して」

「いらねえよ」

 タオは、レイナが牛車から降りてきたときから、明らかに不機嫌だった。

 そもそも、なぜレイナがあそこに現れたか。

「まっすぐここへ戻ってれば、私と合流できたの」

 夕方になっても僕たちが帰ってこないので、町へ探しに出たらしい。

 そこへ帝の使者が通りかかって、僕たちを探す手伝いをしがてら、夕食に誘ったというわけだ。

 僕たちの居場所は、使者の召使たちがあちこち聞き歩いて調べたのだという。

 だけど、レイナの言い分にタオは真っ向から蹴りを入れた。

「所詮、お姫様には庶民の気持なんかわかんねえよ」

「どういう意味?」

 レイナの言葉は穏やかだったが、その奥には煮えたぎる怒りが感じられた。

 無理もない。

 カオステラーに国を滅ぼされたレイナは、居場所を失った民のために戦ってきたのだから。

「結局、お前がやったことはエラい人の周りで愛想振りまくことだけじゃねえか」

「それは言い過ぎだよ」

 僕は口を挟まないではいられなかった。

 レイナはレイナの立場で、いつも様々な人たちと関わっている。

 この「想区」でだって。

「レイナがいなかったら分からなかったことばかりじゃないか」


 まず、かぐや姫の生まれた場所がどこかの山奥の竹藪だということは、結構よく知られた話のようだった。

 郊外から町へ野菜を売りに来る女たちとの世間話の中で、レイナはこうした情報を多く仕入れてきていた。

 そんなことをフォローすると、タオが意地悪く口を挟んだ。

「生まれた? 見つかったんじゃないの?」

 言われてみればそうだ。

 切った竹の中にいたんだから、「生まれた」というのはおかしい。

 そこへシェインがツッコんだ。

「桃太郎だって、桃から……」

「自分から出てきたんだからいいんだよ」

 タオがムキになるのは、桃太郎を死なせてしまったという負い目があるからだ。

「ごめん」

 珍しくシェインが謝ったのは、そんな事情を知っているからだ。

 レイナが話を本題に戻す。

「生まれたの、卵から」

 僕はそこで、お爺さんの言葉を思い出した。

 ……「2人で大事に育てた姫なんじゃ」

 ……「卵から生まれたのをワシが連れ帰ってから」

 確かに、噂話なんていうものは尾ひれがつくものだ。

 だけど、育てた張本人が言うってことは、嘘じゃないと考えていいだろう。

「すると、僕たちが予め聞いていた話は何なんだ?」

 僕の疑問に答えるように、シェインがレイナに尋ねた。

「卵の話が前で、そうじゃない話が後で流れた?」

「そういうこと」

 レイナはもっともらしく、目を閉じて頷いた。

 もちろん、些細なことでツッコんだタオへの嫌味だ。

 またケンカにならないうちに、僕は次の疑問を口にした。

「カオステラーの仕業?」

「きっと、ヴィランを放ったのね」

 レイナが憎々しげに答えた。

 ストーリーテラーは妖精を使って物語を進めるが、それができないカオステラーは、代わりに「想区」の住人をヴィランに変える。

 レイナは「調律」を行うとき、彼女の持っている「箱庭の王国」という本を開いて妖精を放つことができる。

 その本は、かつてあったレイナの王国の名残だ。

 そんな過去を持つレイナにとって、ヴィランはおぞましくも哀れな存在なのだろう。

 僕は更に尋ねた。

「いったい、何のために?」

「そこが分からないの」

 レイナは、心から困っているように見えた。

 自分が王国を救えなかったことへの罪滅ぼしを、この「想区」を「調律」することで少しでも果たそうとしているのかもしれなかった。

 だが、タオにとってはどうでもいいことらしい。

 わざとらしく伸びをして、その場で横になった。

「やっぱり、お姫様にゃ分かんねえよ」

 眩しい、というように手をバタバタと振る。

「俺は寝る。明日も普請場は早いんでな」

 レイナは黙って「光の石」をどこへやらしまい込んだ。

 まだ月夜には早く、目の前は深い闇に閉ざされた。

 その奥で、レイナがふて寝する気配がした。

 ということは、今夜の見張りは僕が先だ。

「シェインも寝なよ」

 声をかけて、出入り口にある筵を押し上げる。

 ありがとうなのです、という微かな声が背中の向こうから聞こえた。

 僕はとうとう、心の中に引っかかっている疑念を口にできないままでいた。

 松明の灯で一瞬だけ見えた鉢の中の顔は、僕たちの知っているかぐや姫じゃないように見えたのだ。


第2景 レイナはどこにいるか


 夜中に一度、タオと交代でひと寝入りしてから目が覚めた。

 もう、朝だった。

 夕べと同じ場所で、シェインが丸まって寝息を立てている。

 レイナは、どこにもいなかった。

 いつからかは、分からない。

 眠りに就いたときには、暗くて……。 

 タオが知っているかもしれない。

 筵をくぐって外へ出てみると、タオが戻ってくるところだった。

「ちょっとだけ寝かせてくれ」

 入れ替わりに筵小屋に入っていくのを呼び止めたが、タオは聞いてもいなかった。

 もういっぺん筵の奥を覗き込んだら、狭い床の上で大の字になって寝ていた。

 隅っこに追いやられたシェインが、うなされている。

 こうなったが最後、待つしかない。

 タオは起こして起きるようなタマじゃない。

 それが元でシェインを起こしてしまったりした日には、どうなることか。

 なにぶん、鬼の娘だ。

 それも感情を表に出さない分、怖い。

 外でしばらく待っていようと思ったところで、背後から声を掛けるものがあった。

 貫禄のある、落ち着いた響き。

 振り向くと、いぶし銀のマントが日の出前の朝の光に鈍く輝いていた。

 月の騎士たちのリーダーだった。

「夕べの礼をしたいのだが」

 胸に手を当てて恭しく一礼され、かえって恐縮した。

「いいえ、そんな」

 どっちかというと、活躍したのは網でス巻きにされた僕でなく、筵小屋の中で寝ているタオやシェインのほうだ。

「しかし、それでは我々の気が済まない」

 そんな押し問答をしているうちに、他の小屋から出てきた人々が川で顔を洗い始めた。

 僕は月の騎士の耳元に口を寄せて囁いた。

「とにかく、他所で話しましょう。ここは目立ちます」

 落ち着いた声のリーダーは微かに頷いた。

 僕は足音を殺して、川霧の漂う河原を歩き出す。

 後に続く月の騎士は、足音ひとつ立てなかった。


 朝霧の漂う、人通りのない大路を僕たちは歩いた。

 月の騎士のリーダーは、あの落ち着いた声で淡々と思いを告げる。

「事情は聞かない。ただ、あなた方の力になりたい」

 正直、迷惑だった。

 確かに、お爺さんとお婆さんにはかぐや姫を探し出すよう頼まれてはいる。

 だけど、あの鉢かづきがかぐや姫だっていうことはお爺さんとお婆さん自身が認めたことだ。

 その顔が僕の知っているかぐや姫じゃないってことが引っかかるけど。

 いずれにせよ、鉢かづきとの戦いとなれば、僕らでやるしかない。

 助太刀されても、守る相手が増えるだけだ。

「お気持ちだけ」

 それしか断りようがなかった。

 だけど、月の騎士は食い下がった。

「いえ、探しているものは同じはずです」

 それを言われてしまうと、断る理由がない。

 それでも、行動を共にすると面倒なことがあるのだ。

 たぶん、帝の武者たちもかぐや姫を探している。

 月の騎士たちと鉢合わせになれば、いかに帝が禁じていようと、何らかの小競り合いぐらいは起こるだろう。

 見捨てるわけにもいかないけど、下手に関わっていさかいを大きくするのもまずい。

 この「想区」の物語ので、「運命の書」にない死を迎えさせるわけにはいかないのだ。

 そこで、とっさにごまかした。

「レイナですか?」

 実際、さっき探していたのはレイナだった。

 月の騎士たちはレイナには紳士的だけど、それはあくまでも「そうすることになっているから」だ。

 以前にちやほやされていたのは、情報源として利用するために過ぎなかった。

 それを知ったあとのレイナのむくれっぷりといったらなかったけど。

 とにかく、今、月の騎士たちはレイナに用などないはずだ。

「いえ……」

「では、失礼」

 僕は月の騎士たちがやるように、胸に手を当てて一礼した。

 そのリーダーも、同じようにうやうやしく頭を下げる。

 

 こうして、礼儀正しくおせっかいな月の騎士は大人しく立ち去った。

 とんだ早朝の散歩をしてしまったものだ。

 僕はまだ、レイナがいつ出ていったかタオから聞いていない。

 河原へ戻ろうとして、来た道を急いでたどる。

 その途中で、護衛の武者1人に先導されてゆったりと進む牛車とすれ違った。

 何となく、昨夜見たのと似ている気がした。

 あの、笑うと白い顔の中に黒い口が開く、帝の使者の牛車だ。

 すると、またレイナが乗っているかもしれない。

 ただし武者のほうは、ちらりと僕を見ただけで、そのまま行ってしまった。

 もっとも、いままでやり合った武者の顔なんかいちいち覚えていない。

 ただ、僕たちとやり合ったことはたぶんないだろうと思った。

 追いすがるのは難しくない。

 だけど、人違いだと自分で面倒事を引き起こすことになる。

 しばらく歩いて距離を置いてから、後をつけることにした。

 牛車は何度か道を曲がったので、その角に隠れることができた。

 どれほど歩いただろうか。

 明るくなっていたので最初は分からなかったが、牛車の行くのが見覚えのある道だと気づいた。

 鉢かづきと最初に戦った後に逃れた道だった。

 すると、牛車は御所の方角へ向かっていることになる。

 帝の使者なら、別に不自然はない。

 牛車が止まったところで、誰が降りてくるか見極めればいい。

 だが、その機会は早くに失われた。

 武者が僕に気づいたのだ。

「何者か!」

 大声で威嚇するのをたしなめる声が微かに聞こえた。

「先へ」

 あの使者の声だった。

 ……すると、レイナもそこにいるんだろうか?

 もう隠れる必要はない。

 僕は足を速めて牛車を追った。

 武者は牛車に従うことなく、その場にとどまって刀を抜いた。

 使者はこっそりと移動したかったのか、この武者しか護衛につけていない。

 しかも、軽装にさせるためか、武者の手に薙刀はなかった。

 この武者を倒せば、牛車を追跡することなど造作もない。

 あんな得体の知れない男に、これ以上レイナを関わらせたくはなかった。

 でも、気持ちはあくまでも気持ちだ。

 ヴィランでもカオステラーでもない相手と本当に大立ち回りをやったら、それこそ橋を破壊したタオの二の舞を演じることになる。

 万が一、手が滑って生身の人間を殺傷したら取り返しがつかない。

 僕は追跡を諦め、その場に留まった。

 帝の使者を乗せた牛車が遠ざかっていく。

 武者が刀を鞘に収めて、その後を追った。

 それと入れ替わりに、背後から駆けてくる者があった。

 足音で分かる。

 ……速い!

 背中の剣に手をかけて振り向くと、シェインだった。

 僕の顔を見るなり、鋭い声が飛んだ。

「何してるのです!」

 それに気おされて、僕はまごまごと答えた。

「レイナが……」

 指さす先には、まだ牛車が小さく見えるはずだ。

 鬼の娘なら、それが昨夜の牛車であることまで判別できるだろう。

 もっとも、そこまで分かったかどうかは知らない。

 ただ、シェインは僕の目を見据えて尋ねた。

「見たのですか?」

「いや……」

 僕が目を伏せると、シェインは小さな手で僕の手首を掴んで引っ張った。

「それなら来てほしいのです。タオが大変なのです」


第3景 レイナが見つからないというのに


 やがて僕が自分で歩き出すと、シェインは手を離して事情を語り始めた。

 道すがら聞いた事情はこうだ。


 タオは、僕が出ていった後に起き出して橋の普請に向かった。

 そこで見かけたのが、馬上の指揮官に先導されて、霧を蹴立てて歩く武者たちの一団だった。

 そのものものしさにただごとではないと思ったのだろう、タオはシェインが止めるのも聞かずに後を追った。

 シェインはこっそり後をつけたが、タオは見つかって捕らえられた。

 特に抵抗はしなかったものの、縛り上げられた後にはこう言ったらしい。

「俺は爺さん婆さんにかぐや姫を探すように頼まれた。居場所を知ってる。爺さん婆さんのところへ行くなら、連れて行かないと喋らないぜ」

 それを聞いたシェインはタオよりもお爺さんとお婆さんを心配して、僕を探したのだった。


「今頃、タオ兄が適当なことを言って都の中と外を行ったり来たりしてるはずなのです」

 だけど、最後にはお爺さんとお婆さんの屋敷に来るしかない。

 僕たちは先を急いだ。

 だけど、そこはタオのことだ。

 それほど嘘は上手くない。

 武者たちの狙いがお爺さんとお婆さんだという読みが当たっていたのを幸運だと思うべきだったのだ。


 僕たちが屋敷の見えるところに着いたときにはもう、馬上の武者が手に持つ縄で高手小手に縛り上げられたタオが、武者の一団を門前まで先導してきたのが見えた。 

 武者が大声で怒鳴る声が聞こえる。

「門を開けよ! 改めたいことがある!」

 タオが振り向いて、何やら喚いたようだったが、これはよく聞こえなかった。

 武者の声は、よほど大きいのだろう。

 そうでなければ、戦場で言葉を交わすことなどできはしないだろうから。

 武者たちが、門に向かって動き出す。

 開かなければ、力ずくで破るつもりなのだろう。

 それを止めようと突進するタオをいましめる縄が、一文字に張りつめた。

 その綱を持つ者が乗る馬が怯えて暴れ、前足を高々と上げた。

「ダッシュなのです」

 シェインの囁きで、僕は何をすべきか察した。

 稲田に挟まれた道を、全力疾走する。

 ひょうという音がして、タオと馬上の武者をつなぐ縄がふっと切れた。

 シェインの矢だ。

 続けざまに射込まれた矢が、武者たちを恐怖で踊らせる。

 僕が屋敷に駆け付けたとき、縛り上げられたままのタオが仁王立ちで叫ぶのが見えた。

「ムダ足だったな。俺は知らんし、爺さん婆さんには指一本触れさせねえ」


 刀を抜いて斬りかかる武者を前に、タオは一歩も退かなかった。

「逃げろ! タオ!」

 僕の叫びに、武者たちが振り向く。

 走りながら、背中の剣を抜いた。

 振り下ろされる薙刀をかわし、かいくぐり、受け流す。

 1人だって傷つけるわけにはいかない。

 武者たちが胸甲を着けただけの姿で体当たりする門は、まだ開いていなかった。

 それならば、まず、身動きできないタオを助ける!

 だけど、そこはタオのことだ。

 僕も余計な心配をしたものだった。

 タオに切りかかった武者は、一蹴りで僕の方へと吹き飛ばされた。

 足下へ大の字に転がされた武者の喉元に剣の切っ先を突き付けて、僕は後ろから追ってくる連中を見据えた。

「一歩でも動いたら仲間の命はないぞ!」

 とっさの一言だった。

 自分でも、声が裏返っているのが分かる。

 それでも、武者たちは一瞬だけ怯んだ。

 狙いは、それだった。

 タオが縄を抜ける時間が稼げればいい。

 だけど、武者たちはそんなに甘くなかった。

「やってみるがいい、小僧!」

 馬上から笑ったのは、あのやさぐれた武者の頭だった。

 つられて、他の武者たちもどっと笑う。

 笑わずに体当たりされている門は、みしみしと音を立て始めていた。

 塀を登る準備はしていないようだ。

「エクス、切ってくれ、この縄!」

 また哄笑が上がった。

 足下の武者が跳ね起きる。

 そいるが斬りつける刀を、僕は正面から受け止めた。

 武者たちが左右に散開する。

 僕たちを包囲するつもりなんだろう。

 絶体絶命。

 僕たちに反撃はできない。


「力になりましょう、エクス殿!」

 凛とした声が響き渡り、僕たちに迫る武者たちの足はおろか、門を破ろうとする音も止まった。

 胸甲を着けた武者たちの背後に閃く、いぶし銀のマントの群れ。

 月の騎士たちだった。

 僕を呼んだのは、あの落ち着いた声のリーダーだった。

 足手まといだと思ってたけど、前言撤回。

 まさに、命の恩人だ。

 同じく馬上の武者が振り返って、吐き捨てるように言った。

「しゃらくせえ、相手になってやる」

 それを合図に、武者たちが一斉に向きを変える。

 門前に控える武者には、馬上から叱咤が飛んだ。

「門を壊せ!」

 再び体当たりが始まったらしく、掛け声と共に、門がドンドンと音を立てる。

 僕とつばぜり合いしている武者が悲鳴を上げた。

「こっちは!」

「自分で何とかしろ」

 そう言い残して、助けを求められた武者は馬首を返す。

 見れば、馬の背にはタオの斧と大剣が載せられていた。

 武装解除されたタオは当てにできない。

 僕は泣きべそかいた武者に囁いた。

「行け。僕は戦いたくない」

「エクス、それは俺も同じだ」

 タオが武者を背後から羽交い絞めにしていた。

「同じ思いをしてもらうぜ」

 そう言うなり、武者を蹴り転がす。

「シェイン!」

 駆けだしたタオの背後には、ロープを手にしたシェインが控えていた。

 武者たちと僕が月の騎士に気を取られている隙に接近して、タオを縛っていた縄を切ったんだろう。

 タオが門の前へと走っていくうちに、シェインは倒れた武者を縛り上げる。

 だが、それは馬上の武者にとってどうでもいいことのようだった。

 むしろ問題なのは、対峙する相手だろう。

 武者たちと睨みあう、月の騎士との口論が始まる。 

 月の騎士が厳しい口調で問うた。

「いさかうことまかりならぬというのはおぬしたちの帝の命であろう!」

 武者たちの頭は鼻で笑う。

「構わねえ、どうせジジババがかくまってやがんだ、邪魔はさせねえ」

 タオの怒号が聞こえた。

「それ以上動いたら斬るぞ!」

 素手のはずだがと思ってそちらを見れば、武者が1人、巨漢に張り倒されて刀を奪われていた。


 そのとき、門が突然開いた。

 体当たりをしようとしていた武者の群れが、一斉に前へつんのめる。

 その前に、それほど大きくはない体格の割に歩みのしっかりした人影が現れた。

「お待ちください」

 武者たちのある者は地面に手を突き、またある者は前屈みになって、その姿を見つめる。

 力ずくで門を破ろうとしていた荒くれ男たちが腰を折って向き合っているのは、かぐや姫のお爺さんだった。

 そこにいるのは、疾走した娘の捜索を僕たちに依頼してきた哀れな老人ではなかった。

 ひとりの人間が、理不尽な暴力に対して、あるがままの姿で抵抗している。

 そんな気がした。

 お爺さんは、まだ這いつくばっている武者に深々と頭を下げた。

「どうぞお探しください」

 その前に、武者から奪った刀を手にしたタオが立ちふさがる。

「頭なんか下げるこたあない、こいつらは俺が」

「よせ、ここは……」

 僕は止めたが、タオが見たのは後ろにいるお爺さんの顔だった。

 お爺さんは首を横に振る。

 タオは刀を地面に突き刺して、僕の傍らに戻った。

「悪いなタオ」

 それは、さっき助けてもらったことへのお礼でもあったし、武者たちの横暴を見過ごさせたことへの詫びでもあった。

 タオは特に答えなかった。

 屋敷の中へぞろぞろ入っていく武者たちを見送る月の騎士たちに、皮肉っぽく告げただけだ。

「お前らはどうするんだ? まあ、お手柔らかに頼むぜ」 


第4景 レイナは今朝、どこへ行ったのか?


 縛り上げた武者を開放してやったシェインも、タオのそばへ戻ってきた。

 そこで僕は、今朝聞けないままだったことをようやく口にすることができた。

「レイナは?」

 ああ、とタオは興味もなさそうに答えた。

「牛車で出るのを見た」

 その素っ気なさに、僕はついムキになった。

「何で教えてくれなかったんだよ」

 タオは僕を見もしないで不機嫌に答える。

「聞かなかったじゃねえか」

 埒の明かない議論をさすがにシェインも見かねたのか、話に割って入った。

「何で止めなかったの」

 確かに、止めると聞くでは大違いだ。

「勝手にすればいいじゃねえか」

 これは、タオの理屈に無理がある。

 僕は真剣に抗議した。

「何かあったら……!」

「あの白いのと一緒にいる限り、何もねえだろうよ」

 帝の使者のことだ。

 白い衣をまとった、白い顔の。

 開き直るタオに、シェインが割と厳しい口調で言い返した。

「そうとは限らないのです」

 タオが眉をひそめる。

「たとえば?」

 僕にもよく分からなかった。

 あんな得体の知れない奴のそばにいるのは何となく心配だったのだが、シェインは何が危ないのか分かっているようだった。

「それは……」

 口ごもるシェインの頬は、なぜか赤らんでいた。


第5景 レイナを探しに行けない事情


 屋敷の捜索が終わって、武者たちと月の騎士たちは引き上げていった。

 使用人たちが後始末に走りまわった後、お爺さんに招き入れられた屋敷の中は、意外に整然としていた。

 月の騎士たちはともかく武者たちがそれほど乱暴なことをしなかったのは、たぶん、お互いに牽制しあっていたからだろう。

 下手なことをしていさかいをすれば、見つかるものも見つからなくなるからだ。

 タオの大剣と両刃の斧は、お爺さんに預けられていた。

 うやうやしく返された武器を見て、タオは大げさなくらい喜んでみせた。

 使い慣れた武器を再び装着するタオに相好を崩していたお爺さんを、お婆さんが心配そうに呼びに来た。

 タオやシェインと一緒についていくと、月の騎士のリーダーが座敷に通されていた。

 上から紐でぶら下がった縦長の絵(掛け軸カケジクとかいうらしい)を背にして、畳の上で慣れない正座をしている。

 僕の生まれたところでは「ローマにいるときはローマ人のするようにせよ」というが、これも彼なりの礼儀のようだった。

 月の騎士は正座したまま、胸に手を当てて頭を下げる。

 その滑稽さにタオが噴き出すのを、シェインが後ろから小突いた。

 先に口を開いたのは、その前で平伏したお爺さんだった。

「お探しの者はここにはおりません」 

 顔を挙げて、相手を見据える。

 その目つきは、そこらの老人のものではなかった。

「ご覧になった、あの異形の者が姫でございます」

 月の騎士は、穏やかな微笑と共に落ち着いた声で威嚇の言葉を発した。

「私どもが遅れをとったからといって愚弄なさると……」

 座れとも言われないうちに足を組んで座っていたタオが怒鳴った。

「もう、放っておいてやれ!」

 その後ろに突っ立っていた僕らは、口を塞ぐこともできなかった。

 そこでやっとしゃがみこんで、まだ何か言おうとするタオを、シェインと2人がかりで押さえ込んだ。

 もしかすると、最初から座っていた方がマナーにも理にもかなっていたのかもしれない。

 3人でじたばたやっているのを、お爺さんは振り返りもしない。

 その目でまっすぐ見つめられたのに応えるように、月の騎士は低い声できっぱりと言い切った。

「姫を探し出せば、この戦いを止められる」

 それはどっちかというと、無作法な僕たちでなく、お爺さんに告げられた言葉だった。

 それでも、この事態は僕たちにしか解決できない。 

 タオが大橋を崩したときから、裏で糸を引いているのはカオステラーなのだ。

 お爺さんとお婆さんが言う通り、鉢かづきがかぐや姫なのだとすると、何とかしなくてはならない。

 でも、カオステラーから姫を奪回したとしても、この老夫婦が納得する結末になるとは限らないのだ。

 そもそも、帰ってきたかぐや姫をどこへ返すのが正しいのか?

 間違えたら、それこそカオステラーの思うツボだ。

 そこで僕の脳裏に蘇ったのは、鉢の下に見えた顔だった。

 松明の光が照らしだしたのは、僕の知っているかぐや姫じゃなかった。

 じゃあ、鉢かづきは何者なのか?

 もし、かぐや姫じゃないとしたら?

 確かめてみる必要がある。

 もしかすると、老夫婦を悲しませることになるかもしれないけど。

 僕は押さえ込んだタオの耳元で囁いた。

「いい加減、どっちにも諦めてもらうってのはどうかな」

 シェインが、同じく囁き声で同調した。

「問題は、カオステラーを倒すのとどっちが早いか」

 タオが呻き声で逆らう。

「爺さん婆さんの気持ちを考えろ」

 それこそ鬼のような形相で睨みつけるのに、僕はついため息を漏らした。

「こだわるね」

 突然、タオの身体から力が抜けた。

 畳に押しつけられた顔を向けた先には、月の使者と正面から向き合うお爺さんの姿がある。

 野太い声が、僕の手の下でつぶやいた。

「桃太郎死なせちまったからな」


第6景 もはやレイナなんかどうでもよくなった事態


 そのとき、月の使者が立ち上がった。

「姫の生まれた竹藪はどこですか」

 それは、まさに僕が考えていたことだった。

 かぐや姫は本当にかぐや姫なのか?

 それを知るためには、物語が始まったところから確かめなければならない。

 お爺さんが、畳に這いつくばって叫んだ。

「もう、姫に構わんでくれ!」

 僕とシェインの手を押しのけて、タオが起き上がった。

「いないって言ってんだろ!」

 僕は立ち上がって、タオを見下ろした。

「すまん、タオ、もといた家を探させてくれ」

 月の騎士について廊下を歩き出すと、タオが追いすがってきた。

 振り向いてみると、シェインが困ったような顔でタオの後ろに付き従っている。

 門の外に出たところで、僕は襟ぐりを掴まれた。

「裏切んのかよ、エクス!」

 振り向きもしないで、タオの手を振りほどく。

「悪いがタオ、邪魔しないでくれ」

「そんなら……」

 くぐもったようなタオの声が途切れたところで、シェインが僕の前に回り込んだ。

 美しく反りを打った刀が僕につきつけられている。

「タオ兄の気持ちを大事にしてほしいのです」

 小声で告げるシェインは、こういう娘だ。

 たぶん、話せば分かる。

 だけど、タオはかえって逆上するはずだ。

 自分が桃太郎をかつて死なせてしまったことを、まだ引きずっているんなら。 

 また、桃太郎を失って悲しむお爺さんとお婆さんの姿を、かぐや姫のものと重ねている限り。

 いつもはクールにツッコミ入れながら、そんなタオを放っておけないのがシェインだ。

 それでも、ここは退けない。

 僕は秘密を抱えたまま、月の騎士と共に行かなければならなかった。

 首筋に、大剣が押し当てられる。

「行くなら、俺を倒していけ」

「待て!」

 駆け寄ったのは、月の騎士だった。

「2人がかりでエクス殿を斬ろうというなら、私がお相手しよう」

 ……悪気はないんだろうけど、空気読んでほしい。

 そう思った時、タオがシェインに言った。

「だとさ。手え出すな」

 シェインが刀を収めると、月の騎士は厳かに宣言した。

「ならば、男の闘いに立ち会おう」

 ……どうぞご勝手に。

 僕は無言で、背中の剣を抜いた。 


 タオとやり合うなんて、初めてだ。

 頼れる仲間が、今、真剣な眼差しで僕の敵に回っている。

 ……レイナがいたら、止めてくれるんだけど。

 そんなことを思ったとき、タオが吼えた。

「行くぜ!」

 下から斜め上に、大剣が一閃した。

 辛うじてかわしたけど、横面に水平の刃が迫る。

 身体をすくめると、頭のてっぺんを疾風が吹き抜けた。

「ちょこまかと!」

 怒号と共に、肩めがけて袈裟懸けの一撃が来る。

 まともに食らったら命がない三角斬りだ。

 剣で受け流すと、火花が散った。

 そのまま振り上げた剣を、がら空きになった脳天めがけて叩きつける。

 それでも、僕の心は叫んでいた。

 ……誰か止めてくれ!


 その時、僕の手首をしたたかに打ったものがあった。

 足下に落ちたのを見ると、拳くらいの大きさの石ころだった。

「そこまでじゃ!」

 僕の一瞬の隙を逃さず、腰辺りに構えた大剣を突こうとしていたタオの手が止まった。

 屋敷のほうから静かに歩いてくる、2つの人影があった。

 お爺さんとお婆さんだった。

 目を怒らせたお爺さんの手には、一本の刀が握られている。

 ……もしかして、この人が石を?

 そう思った時、つかつかと歩み寄ったお爺さんがタオの喉元に刀の切っ先を下から突き上げていた。

「それ以上やりあうならワシを斬れ」

 タオは身動きひとつできずに、大剣を取り落とした。

 途中で立ち止まったお婆さんは、袖で顔を覆って泣いていた。

「もう戦は……ごめんです」

 その傍らに、月の騎士が音もなく歩み寄っていた。

「ご心配召さるな、ご婦人」

 僕が剣を収めると、シェインが安心したような、それでいて呆れたようなため息をついた。


第7景 レイナはここにいる!


 結局のところ、お爺さんは僕たちを竹藪に案内してくれた。

 お婆さんも、裕福になる前の懐かしい我が家を見たいとついてきた。

 昼前の澄んだ秋の日差しの中、まっすぐに立ち並ぶ青竹の間を僕たちは歩いた。

 どこまでも続くかと思われる竹藪をしばらく歩いたところで、お爺さんはしゃがみこんだ。

「ここじゃ」

 そこには、朽ち果てた竹の跡があった。

「ワシが切ったのは、この竹じゃ……卵は、そう、この辺りの巣に」

「巣……?」

 僕は聞き返した。

 レイナが聞いてきた話とは違う。

 そして、僕たちが知っている話とも。

 月の騎士も、唖然としたようだった。

「我々は卵から生まれたりはしない」

 今度は、お爺さんが呆然とした。

「あなた方がお遣わしになったのでは?」

 分かったような分からないような、妙な顔をしながら月の騎士は答えた。

「だから迎えに参ったのだ」

 お爺さんは怪訝そうに尋ねる。

「かぐや姫をお探しなのでしょう?」

 月の騎士も、こくこくと頷いた。

「かぐや姫だ」

 埒の明かない会話をイライラと聞いていたタオが絶叫する。

「だ~っ! いい加減にしろおおおおお!」

「タオ兄、抑えてなのです」

 シェインが背中を叩いて黙らせても、タオの怒号は広い広い竹藪に、どこまでも、いつまでも響き渡っていた。

 それが終わらぬ間に、お婆さんがにっこり微笑んだ。

「昔の家も近いことですし、お昼にしましょう」


 昔の家といっても、屋敷に引っ越してから1年経っていないはずだ。

 かぐや姫の成長は早かったのだから。

 木の床に筵を敷いた、藁葺きの小さな家だった。

 お婆さんは、屋敷を出るときに持ってきていた米をかまどで炊いて、粥を作ってくれた。

 昼食を取りながら、お婆さんはお爺さんの過去を話してくれた。

「……帝の衛士だったんですか?」

 僕が尋ねると、お爺さんは照れ臭そうに顔を背けた。

「前の帝の時は都で戦が続いてな」

「私も幼い頃にふた親を亡くしましてね」

 お婆さんは子どものころ、戦で焼け出されたのをお爺さんに拾われたらしい。

 戦にうんざりしていたお爺さんは、そのまま都を出て、この竹藪近くに落ち着いたのだという。

 年月が過ぎて、いつしか2人は夫婦になり、やがてかぐや姫を育てることになったわけだ。

 話を聞いて、タオは泣いていた。 

 月の騎士も、ハンカチで顔を覆っていた。

 シェインは無表情なので、よく分からない。

 僕はといえば、関係ないことを考えていた。

 ……レイナは帰ってくるだろうか。

 ふと、それを口にしてみると、タオは泣いていたのをごまかしたいのか、鼻で笑った。

「おかげで仕切りやすい」

「おかげでこっちはえらい迷惑だ」

 ちょっとからかってみると、タオはムキになった。

「喧嘩なんか起こってないだろ」

「お前が代わりに起こしてんじゃないの!」

 実を言うと、仲直りのつもりだった。

 タオもそれを分かっていたのか、わざとらしく言い訳した。

「やれって言われたことだけやってるってつまんねえんだよ」

「橋の普請、引き受けたのタオだろ」

 ふん、とタオは鼻息を荒くした。

 上段とはいえ、痛いところだったらしい。

 ものすごく無理のある弁解が返ってきた。

「代わりに帝の兵隊の鬱憤晴らしてやってんだろ」

「鬱憤って?」

 これはちょっとわからなかった。

 たしかに、月の騎士たちに比べて武者たちはいつも不機嫌そうだった。

 ただ単に育ちのせいかと思っていたが、タオから見ると違うらしい。

「いつまでこれ続くんかっていう」

 月の騎士たちとの睨み合いのことだ。

 性分が似ている分、タオは武者たちと案外分かり合えるのかもしれなかった。

 そんな軽口を、真面目に受け止めたのはシェインだった。

「そう続かないかもなのです」

「どうして?」

 真顔のシェインに尋ねると、答えは淡々と返ってきた。

「要は、帝がかぐや姫にこだわらなかったらいいわけで」

 そこで、お爺さんが深い息をついた。

「確かに、姫との思い出の品も無くなった」

 お婆さんは、それが何なのか、すぐに思い当たったようだった。

「富士の置物?」 

 お爺さんは目を閉じて頷いた。

「かぐや姫へのご執心がなければ、ワシらがあれにこだわることもない」

 その言葉の意味を量りかねたのか、お婆さんはしばらく考えていたが、ふと僕たちのほうを見てからお爺さんに問い直した。

「もしかすると、あの娘さんのことですか?」

 誰のことかと一瞬だけ戸惑ったが、引き算すると1人しかいなかった。

「レイナ?」

 僕の言うのが誰か、お婆さんが知るはずもない。

 ただ、お爺さんの言うことに納得するばかりだった。

「帝がお招きになったのでしょう」

 あの牛車から降りてくるのを見たら、そう思われても仕方がない。

 それは、お爺さんも同じことだったようだ。

「そもそも、お子を設け、御血筋を絶やさぬことが……」

 タオが全身をびくん、と震わせた。

 月の騎士も、うんうんと頭を振っている。

 ……え、それって?

 僕の頭は、明らかに結論を拒否していた。

 レイナがどこにいるか、本当は見当がついているのに。

 それに追い打ちをかけるような思い出を、お婆さんは語った。

「だから姫にも帝は富士の置物をしるしに」

「どこぞの行商人が売り歩く声をたまたま聞いて、お求めになったというではないか」

 仕方がないとでもいうかのように、お爺さんはつぶやいた。

「顔を見せず、手足のきれいな下働きの娘を見て、『彼の鶯は誰か』とお尋ねになったこともあるとか」

 僕は、自分自身の結論と向き合わなければならなくなっていた。

 ……つまり、もしかして、レイナは?

 思考停止に陥りそうな僕のためというわけではないだろうけど、シェインが遠回しに答えを出してくれた。

「女の危機なのです」

 さっきのように頬を赤らめているかと思ったが、意外と平然としていた。

 むしろ、満面を朱に染めて声を震わせていたのはタオのほうだった。

「……いやいやいや、それはないだろ」

 月の騎士が冷めた口調でつぶやいた。

「高貴な方にはよくあることだ、月の世界でも」

 いつの間にか、日が暮れかかっていた。

 竹藪の中に夕日が低く差し込んで、幾条もの長い影が伸びている。

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