鉢かづきはどこだ?

第1景 闇夜の御所


 瓦屋根の連なる町中が、闇夜の中に「光の石」に照らされて、幻のように浮かび上がっていた。

 人影はない。

 こんな新月の夜中に町中をうろつく者は、せいぜい僕たちくらいだ。

 帝のおわす「御所」までの道を努めて静かに歩きながら、僕たちは議論を交わした。

 レイナは言う。

「つまり、帝がどういうつもりか分かればいいわけ」

 白馬の使者を遣わして停戦の命令を発したのは帝だ。

 かぐや姫を月からの使者が奪い取ろうとしていたなら、抵抗したはずだ。

 それを敢えてしなかったのは、かぐや姫がいないのに戦っても意味がないからだ。

「帝がさらっていったとか?」

 タオの素朴な質問を、レイナは軽くかわした。

「月からの使者なら、簡単に奪回できるわ」

 つまり、かぐや姫の居場所は今でも分からないってことだ。

 それにしても。

 さっきやり合ったばかりだからだろう、お互いに当たりが柔らかい。

 僕も、思いつきを安心して口にすることができた。

「帝がカオステラーだって可能性は?」

 そうだったら、ちょっと厄介だ。

 全ての権力を手にした、物語の絶対的な語り手。

 だが、タオは一蹴した。

「明らかにモブキャラだろ」

 シェインがつぶやいた。

「かぐや姫が捕まったと考えたほうがいいかもなのです」

 カオステラーに捕らわれたかぐや姫。

 あの、まばゆい月光を自在に操られたら……。

 身動きすらできないままに打ちのめされる恐れがある。


 そんなことを話しているうちに、僕たちはレイナの案内で帝の眠る「御所」に着いた。

「この裏が、女官たちの詰所よ」

 レイナが指さしたのは、「光の石」に照らされた真っ黒な門だった。

 その高さは、タオの身長の3倍を超える。

 塀はちょっと低いが、どっちみち、タオに肩車してもらっても越えられやしない。

「で、どうすんの?」

 大剣を背負ったタオの言葉には、「俺では無理だぜ」というニュアンスがたっぷり込められている。

 何言ってるの、とでも言うかのようにレイナは平然と答えた。

「それをこれから考えるのよ」

「このポンコツ姫!」

 タオがそう呼ぶのも無理はない。

 万事抜かりないように見えてどこか抜けてるんだ、このお姫様は。

 だが、高い高い瓦屋根を見ているうちに、ふと思い出した人物があった。

「そうだ!」

 僕とほとんど同時に、シェインもつぶやく。

「導きの栞……」

 2人同時に「空白の書」を取り出す。

 何も書かれていない、運命の予定表。

 真っ白なページに、栞を挟む。

「力を借りるよ、牛若丸!」

 こことよく似た「想区」で出会った、身軽な貴公子。

 武者たちの頭領だった父親を戦で失った彼は幼い頃、山奥の寺に預けられた。

 そこで天狗テングに習ったとかいう飛翔術で、宙を身軽に舞っていたものだ。

 「導きの栞」と「空白の書」が光を放つ。

 僕の身体の中に、別人の心と力が流れ込んできた。

 牛若丸。

 美しく優しい母から引き離された孤独を胸に、いつ果てるとも知れない戦いを続ける少年。

 ふと傍らを見ると、シェインが目を閉じていた。

 きっと、牛若丸の悲しみに耐えているんだろう。

 手足にみなぎってくる、天狗に鍛えられた力。

 その力で、僕とシェインは高い塀をひらりと飛び越えた。

 ……はずだった。


 塀を飛び越えようとした僕たちは、風を切る音と共に弾き飛ばされた。

「エクス!」

「シェイン!」

 お姫様が僕を。

 月下の鬼が妹分を。

 同時に呼んだ。

 タオなどは、もう塀の下で両手を広げて抱き止めようとしてる。

 レイナは……見上げているだけだった。

 まあ、期待はしてなかったけど。

 僕とシェインは軽々と宙返りを打って、塀の上に連なる一直線の瓦屋根の上にやおら降り立った。

 その瞬間を狙って、何か触手のようなものが足下に飛んできた。

 続けて、2回。

 その手に乗るか!

 瓦屋根を蹴る音が2度聞こえた。 

 ひとつは、僕。

 もうひとつは、たぶんシェイン。

 足をからめ取られないように小さな身体で高々と舞う姿が、闇の中でも想像できる。

 僕がそうしているように、可能な限り遠くへ着地したはずだ。

 再び、音もなく瓦屋根の上に降り立ったその時。

 レイナの声がした。

「タオ! あなたじゃ無理」

 察しはついた。

 「空白の書」に「導きの栞」を挟もうとしたんだろう。

 タオじゃ無理だ。

 牛若丸とは心の持ちようも身体の造りも違う。

 ひとつにはなれない。

 むしろ、レイナのほうが……。

「私が行きます!」

 そう言ったレイナを、僕は止めた。

「来るな! レイナ、かえって身動きとれなくなる」

 鼻先で、風を切る音がする。

 身体を反らしてよけると、もう1本、目の前に来る。

 こいつ!

 いくらでも伸びるのか!

 跳躍して間合いを詰めたいけど、どこにいるのか見えやしない。

「これを……」

「受け取れ!」

 レイナの声をタオが継いで、まばゆいつぶてが飛んできた。

 「光の石」だ!

 タオには、軽業かるわざより弓や投擲とうてきが向いてる。

 受け止めた僕の片手はふさがったけど、見えないよりはマシだ。 

 だけど、今のはまさに「両刃の剣」だった。

 手の中の「光の石」がぼんやりと照らし出したのは、広い袖を揺らめかせる白い衣だった。

 その上には、相手が目深にかぶった傘がある。

 いや……あれは鉢か?

 そう思った瞬間、片手に持った鞭が2本、別々の方向から飛んできた。

 真下と、「光の石」を持った左手の側から。

 連続攻撃の正体はこれか。

 牛若丸の力を使えば空中で逆立ちして、紙一重の差でかわせる。

 鞭が飛び去った後の瓦屋根に降り立って尋ねる。

「お前は……」

 答えは期待していなかったが、思いのほか可愛らしい声が返ってきた。

「鉢かづき、とでも覚えておいてもらおうかしら」

 言うなり、「鉢かづき」と名乗る者は両手の鞭を放った。

 シェインは、続けて飛んでくる鞭を次々と、紙一重の差でかわす。

 元から俊敏な上に、牛若丸の力が宿っているからだ。

 ただし、接近戦をしている間しか使えないけど。

 僕もまた鞭をかわしては、その場で斬り捨てた。

 鞭はもう2本。

 鉢かづきが身体を反転させると、まとめて僕のほうへ飛んできた。

「今だ! シェイン!」

 これが狙いだったのだ。

 仮に1本ずつ両手に持ち替えても、その隙は間違いなく生じる。

 それは、シェインにも分かっていたはずだ。

 一撃必殺。

 弓に矢をつがえたら、もう牛若丸の力は使えない。

 逃げ道のない一直線上の射撃なら、シェインが外すことはない。

 弓弦がびん、と鳴って、矢が風を切った。

 だが、「鉢かづき」の鞭は速かった。

 シェインの放った矢を弾き飛ばす。

 それで終わったと思ったら大間違いだ。

 僕の身体の中には、まだ牛若丸の力がみなぎっている。

 瓦屋根の上を音もなく全力疾走して、下から逆袈裟に剣を薙ぎ払った。

 高らかな金属音が、「光の石」に照らされた屋根の上に響き渡る。

 ……嘘だろ?

 命中したと思っていた剣が、受け止められていた。

 鞭を失ったはずの手の中には、鉢の中から出てきた匕首あいくちが光っている。

「そこか!」

 タオが叫ぶなり、両刃の斧を投げた。

 斧は縦にくるくる回り、一方の手には矢を弾いたばかりの鞭を持ち、一方の手では僕とつば競り合いをする「鉢かづき」の正面に迫る。

 その狙いは……。

 本人の頭だったのか、鉢だったのかは分からない。

 分かったのは、鉢が斧を弾き飛ばしたということだけだった。


第2景 再び使者は訪れる


「何事か!」

 塀の下から、野太い声が聞こえた。

 内側からも外側からも、鎧の触れ合う音がガチャガチャと響き始めた。

 その時、剣を受け止めていた匕首の手応えがなくなり、僕は思い切りつんのめった。

 闇の中、あちこちに松明が灯る。

 ……警備の武者たちに気づかれたんだ!

「しまった!」

 叫んだのはタオだった。

 僕は塀から、ふわりと飛び降りた。

 シェインもほとんど同時に、道の上へと降り立つ。

 ひとつの闘いが終わって、「導きの栞」にもたらされた力はもう、身体の中から消えていた。

 ……ありがとう、牛若丸。

 心の中で礼を言って、僕たちは走りだした。

 タオとシェインが並んで走るのを視界の隅に捉えた僕は、当然、隣にいなければならない姿がないのに気付いた。

「レイナ?」

 あちこち見渡してみると、門の前できょとんと佇んでいる。

「何してんだ!」

 追手が来るという焦りから、きつい言い方になってしまった。

 けれども、細かいことを気にしている場合じゃない。

 全く!

 ……だからタオに「ポンコツ姫」って言われるんだ!

 その一言を呑み込んだ僕に手を引かれて、レイナは珍しく言い訳した。

「女官の詰所なら男の人が出入りできないから、ここに」

 そう言いながら、僕が返した「光の石」をどこへやらしまい込む。

 これを持って走っていたらどれほど目立つか、そこはレイナにも分かっているようだ。

「分かったから喋るな、舌噛むぞ!」

 レイナはたぶん、警備が甘いだろうと踏んだ門に僕たちを案内したのだろう。

 いいアイデアだったと思う。

 たぶん、侵入に「導きの栞」を使うことも計算に入っていただろう。

 ただ、レイナが抜けていた点がある。

 侵入できたとしても、見つかったらどうやって御所から脱出するのかということだ。

 僕たちは、御所に沿った道を全力で逃げた。

 ありがたいことは、塀の外から追ってくる武者たちよりも軽装だということだ。

 だが、慌てた僕たちは忘れていた。

 この御所に限らず、塀というものは敷地をぐるっと取り囲むものであるということを。

 つまり、警備の武者たちが反対側から来る恐れは十分にあるということだ。


 案の定だった。

 星明りだけを頼りにして、闇夜の中をほとんどあてずっぽうに走っていた僕たちの前に、御所の角を曲がってきた一団が現れた。

 万事休す。

 僕は覚悟して立ち止まり、レイナをかばった背中の剣に手をかけた。

 目の前の一団が持つ明かりで、僕とレイナを背にして立つはだかるタオとシェインの影が見えた。

 タオはさっきはじき返された両刃の斧を、弓矢を背負ったシェインは反りを打った刀を構えている。

 ……松明じゃない?

 よく見れば、目の前の一団が持っているのは、僕たちが洞窟に潜るときに使うようなカンテラだった。

 帝の武者たちがこんなものを使っているわけがない。

「レイナさん、こんなところで何を?」

 優しい声音に、僕が背中にかばったはずのレイナは嬉しそうに答えた。

「あ、月からの使いの方々ですか?」

 カンテラの光と共に歩み出たのは、銀色のマントに身を包んだ優男やさおとこたちだった。

「奇遇です、こんな夜中にお会いできるとは」

「お友達と深夜のお散歩ですか?」

「秋の夜空の星座は寂しいものですが、それも一興でしょう」

 口々にキザったらしい挨拶を並べ立てる若い騎士たちは、物騒なものを構える闘士や鬼娘など眼中にないようだった。

 もちろん、いままでレイナの盾になっていたつもりの僕も完全無視だ。

 空気と化した僕ごとレイナを取り囲む歩みと仕草は一部の隙も無駄もなく、優雅の一言に尽きた。

 レイナはレイナで、御所への侵入で演じた失態などきれいさっぱり忘れたかのように、銀色のマントに身を包んだ紳士の社交辞令に満面の笑顔で応じた。

「嬉しいですわ、こんなところで皆さんにお会いできて」

 この切り替えも、お姫様には必要不可欠な対人スキルなんだろう。

 ……はいはい、どうせ私めは庶民の出でございますよ。

 ちょっとひがんでみたくなったのには、理由がある。

 レイナは、この月の使者たちに、実にモテたのだ。


 そもそも、レイナが武者たちと月の使者の双方に関係する者の間の連絡をするように帝から命じられたのは、タオが都の大橋を破壊したことのとばっちりに過ぎない。

 だが、レイナは結構、楽しそうにやっていた。

 理由は、どこへ行くにも月の使者たちが自発的に護衛に付いたからだ。

 しかも、あまり気にしたくないけど、美男子ぞろいだ。

 本来、1人でやるから罰になるはずなのに。

 確かに、僕もレイナだけで動くのは心配だった。

 いかに昼間の使い走りとはいえ、これだけ人の多いところでは、どんなトラブルに巻き込まれるか。

 その点、腕の立つ騎士たちが周りにいるというのは安全だった。

 考えてみれば、レイナは僕たちにヴィランとの遭遇について語らなかった。

 橋の普請現場で他の人足たちと働いているはずのタオでさえ、ヴィランと戦う羽目になったのに。

 もしかすると、月からの使者たちが守っていたからじゃないのか。

 そう考えると文句も言えないけれど、やっぱり面白くはなかった。

 月の使者たちと一緒にいるときのレイナは、いかにもお姫様然としていた。

 あれは護衛されてるっていうより、かしずかれてるっていうのは正解だった。

 そして、今も。


「どちらへ?」

 月の使者は胸に掌を当てて、レイナにうやうやしく尋ねた。

 レイナは僕の背中から一歩横へ出て、身体をまっすぐにして答えた。 

「河原へ参ります」

 別の使者がその傍らに付いた。

「おいたわしいことでございます」

 レイナはにっこりと微笑みかけた。

「いいえ、気にしておりませんので」

 音もなく静かに歩き出したレイナ。

 隣に前に後ろに、月の使者たちが付き従う。

 その動きは、まるで夜風が吹き抜けるかのように自然だった。

 カンテラの光に先導されて、レイナは1人ずつ一礼する騎士たちが両脇に退いて開けた道を歩いていく。

 タオが辺りを見渡してきょろきょろしていたが、シェインが小さな顎をしゃくると、その後に付き従った。

 暗闇の中に1人だけ取り残されかかった僕は、慌ててその後を追った。

「待て」

 列成す騎士たちの間を通り抜けた頃、背後から、野太い声で僕たちを呼び止める者があった。

 ……まずい。

 聞き覚えのある声だった。

 最初に僕たちが連行された武者の詰所で、帝の命令を告げた男だった。

 逃げようか?

 いや、それではかえって怪しまれる。

 姿を現して、大橋を破壊したタオの仲間だということを明らかにすれば恐れをなずだろうが、だからといって御所への侵入をごまかせるわけではない。 

 絶体絶命。

 まさか、レイナの計略が足を引っ張るとは……。

 そのレイナはと見ると、さっきまでの余裕はどこへやら、うつむいて顔を覆っている。

 騎士のひとりが、それをかばうかのようにマントでレイナの姿を隠した。

 ……おい、どさくさまぎれに何してる。

 嫉妬なんて自分でも見苦しいと思いながらも、どうしても放っておけなかった。

 大股に歩み寄る。

 騎士に言うことは決まっていた。

 ……レイナは僕たちの大切な仲間です。共に帰るのに、あなた方の手を煩わすことはありません。

 だけど、その言葉が口を突いて出ることはその後もなかった。

 

 武者たちは、明らかに逆上していた。

 ある者は刀の柄に手をかけ、またある者は腰のあたりに薙刀と呼ばれるポール・ウェポンを構えて月の使者の前へ大股に歩み寄った。

 月からの使者たちは落ち着いたものだった。

 胸に手を当てて目礼するなり、いささか極端すぎはしないかと思うほど抑揚に乏しい声で言った。

「こんな夜更けに何の御用ですかな」

 カンテラの光に照らされた野太い声の武者は、部下に持たせた松明の下でいらだたしげに言った。

「おぬしらこそ、ここで何を」

 いぶし銀のマントの向こうで、落ち着いた声が答える。

「我らは月より参りました者。いわば夜は我らが世界。好きなように歩かせてはもらえますまいか」 

 最後の一言は、警備の武者たちのリーダーに誤解されたようだった。

「我らが帝の御所を侵そうとは不届きな」

 完全に、月からの使者たちが侵入者だと思い込んでいるようだった。

 疑われたほうも、黙っているわけにはいかない。

 騎士のひとりが、腰のレイピアに手をかけた。

 武者に対していた、落ち着いた声の騎士が止める。

「まあ、待て。話を聞こうではないか」

「話そうにも身に覚えのないこと」

 剣の柄を握った手が緩む様子もなかった。

 その血の気の多い方に、武者のリーダーは食ってかかった。

「刃を交わす前に、まず、誠を尽くしてもらわねばな」

 今にも跳びかかろうとする騎士を、落ち着いた声の主が押しとどめた。

「我々が嘘をついているとでも?」

 声は、怒りで微かに震えている。

 そこで、武者のリーダーは一喝した。

「この国で、わざわざ御所を侵そうとする者があろうか!」

 落ち着いた声がきっぱりと言い切る。

「我々も帝の客人を預かる身」

 客人とは、お爺さんとお婆さんのことだろう。

 武者たちと交代で独りずつ護衛しているのだから、月からの使者も帝の下にいるといえばいえなくもない。

 いわば仲間だと言いたかったのだろうが、それが武者のリーダーには気にくわなかったようだった。

 野太い声が、吐き捨てるように本音を言った。

「そのせいで俺たちは余計な仕事をせねばならん」

 つまりは言いがかりをつけられたわけだが、もうそんな理屈を言っている場合じゃないようだった。

 騎士たちの後ろから見ていても分かる。

 一触即発の、ピリピリした空気だった。

 御所に侵入しようとしたのが月の使者だと疑う武者たち。

 身に覚えのない疑いで誇りを傷つけられた月からの使者たち。

 そこでレイナが動いた。

 騎士たちに道を開けさせようとするのを、タオが押しとどめる。

 レイナが、背の高いタオの顔を見上げた。

「……正直に言いましょう」

 タオは、睨み合う武者と騎士から目を離さないで言い返した。

「バカ言うな、ポンコツ姫」

「じゃあ、どうやってこの場を収めますの?」

 2つの勢力の衝突を見つめて囁くレイナの声には、いささか焦りがあった。

 タオは言い捨てた。

「放っとけばいい。わざわざお縄を頂戴したら、カオステラーの思うツボだ」

 だが、僕は放ってはおけなかった。

 どちらの怒りもよく分かった。

 そして、どちらも自分から争う気などないということも。

 そうだとしたら、考えられることがある。

「これが、カオステラーの罠だったとしたら?」

 後ろから口を挟んだ僕に、タオは首だけで振り向いた。

「放っとかせるのが手だってのか?」

「僕たちに、争いの種を蒔かせるつもりだったとしたら?」

 レイナは振り向かなかった。

 タオは、僕の方を見たまま答えない。

 代わりに、僕の隣でシェインが一言つぶやいた。

「タオ兄の負けなのです」

 議論の間に、武者たちと騎士たちは互いに前進を始めていた。

 慎重に、しかし怒りを込めて。

 一歩。

 また一歩。

 僕はレイナの前に歩み出た。

「そうでなくても、僕は放っておけない」

 振り向いてみると、レイナは目を閉じて頷いた。


「お待ちなさい!」

 レイナは僕に先導されながら、月の騎士たちに呼びかけた。

 騎士たちは止まらない。

「待ってくれ!」

 僕はレイナを置いて、騎士たちに駆け寄った。

 すらりとした若者たちを押しのけて、先頭の騎士に声をかけた。

「御所に侵入したのは、僕たちだ」

 振り向きもしないで、落ち着いた声が答えた。

「よく教えてくださいました」

「じゃあ……」

 武者たちの間に割って入ろうとした僕を、騎士たちが押しとどめた。

「どうして……?」

「実を言うと、私たちに非がないわけでもない」

 落ち着いた声を、さっきの血の気の多い若者がフォローした。

「かぐや姫を探して、町中を勝手に巡回していたのだ、我々は」

「そんなこと……」

 いつのまにか、レイナが騎士たちの群れの真後ろにいた。

 その中の誰かが言った。

「レイナ殿の護衛も、その口実。お許しいただきたい」

 レイナは口ごもり、僕は嫉妬を恥じた。

 だけど。

 もう、武者たちは刀を抜いていた。

 落ち着いた声が、低く、厳しく命じる。

抜剣ばっけん!」

 レイナが叫んだ。

「そんなこと、戦う理由にはなりません!」

 血の気の多いのが、震える声で答えた。

「その通りです。だから……」

 全員が一斉にレイピアを抜き放つ。

 言葉にならない怒りを、誰かが引き継いだ。

「侮辱の値は命で支払わせる。男の戦いに理屈はいりません」

 剣と刀とが、一歩踏み込んだら互いに届く距離まで近づいた。


 その時だった。

 武者たちの向こうの暗闇から、馬蹄の音が近づいてきた。

 一斉に、二手に分かれて道を開ける武者たち。

 こんな光景を、どこかで見た気がする。

 遥か後ろで、シェインがつぶやくこえがした。

「あれ、確か……」

 武者たちが一斉にひざまずいた相手。

 夜目にも白い馬に乗った、白い服に白い顔の男。

 松明に照らし出された、高い烏帽子。

 最初に僕たちがこの都にやってきた夜、帝の「勅旨」を読み上げた使者だった。

 帝の使者は、武者たちと月の騎士の間に割って入るや、懐から取り出した巻紙を広げた。

 武者たちは頭を垂れる。

 騎士たちも剣を収めてひざまずいたのは、異国の君主に対する礼儀なのだろう。

 帝の使者は、巻紙を高らかに読み上げる。

「勅旨! この都でいさかうこと、まかりならん。これより後は互いに関わることなきよう、かぐや姫の翁・媼は月よりの使者に預け、共に暮らすものとする」

 ……どこから聞きつけたんだろう。

 何にせよ、これで武者たちが月の使者に言いがかりをつける理由はなくなった。

 帝の使者は、ふと、僕たちに気づいたようだった。

 にっこりと微笑んだ……ようだった。

 レイナが静かに目礼した。

 だけど、顔が引きつっているのは何となく分かる。

 白く塗りたくった顔に、唇の隙間からのぞく暗闇がある。

 たぶん、歯に黒いものを塗っているんだろうとおもったけど、正直、引いた。

 やがて、帝の使者が立ち去ると、武者たちはそれに付き従った。

 振り返りもしない。

 月の騎士たちは一斉に立ち上がって、彼らを見送った。

 その後ろで、タオがぼやいた。

「じゃあ、今までのは何だったんだよ……」

 見れば、タオの手には大剣が、シェインの手には弓矢が、携えられていた。

 それぞれ、やる気満々だったらしい。


第4景 タオのロマン


 一夜明けて。

 僕とシェインが務める最後の護衛任務は、お爺さんとお婆さんを元の屋敷に送り届けることだった。

 お互いの顔を見るや、お爺さんとお婆さんは抱き合って泣いた。

 これには武者だけでなく、月の使者である騎士たちまでもらい泣きしていた。

 それでも、互いの溝は埋まらなかったらしい。

 武者たちが屋敷を去るときには、双方とも、目を合わせることは1人たりともなかった。

 

 おかしなことが1つあった。

 昼近くに、僕たちを屋敷で出迎えたのはタオだったのだ。

「何でタオが? 普請場は?」

「今日は休んでいいってさ」

 ……何て良心的な現場なんだろう。

 それでも、僕はなおも尋ねないではいられなかった。

「だから、何で?」

 そもそも、橋を壊した罰として帝から課された強制労働のはずだ。

 タオの答えは単純だった。

「かぐや姫のお爺さんとお婆さんを屋敷に返すからって」

 理由になってるんだか、なってないんだかよく分からない。

「だから何しに来たのなのです」

 妹分にしては邪険なツッコミを入れたのはシェインだった。

 確かに、ヒマつぶしに来るような場所じゃない。

 休みをもらったんなら、ゆっくり休むなり遊ぶなりすればいい。

 だけど、僕が考えるようなことはタオも考えていたらしい。

「遊ぶったって金もねえし」 

 そういえば、お互いタダ働きだった。

「寝てればいいのです」

 そう言うシェインは、別に兄貴分の疲れた身体を気遣っているようには見えない。

 どっちかといえば、仕事場で図体のでかいタオにうろうろされるのが迷惑そうだった。

 といっても、お爺さんとお婆さんが再会した時点で、僕たちの護衛任務は終わりだ。

 あとは、月からの使者が面倒を見ることになっている。

「とりあえず帰るぞ」

 タオは先にすたすた歩き出した。

 何しに来たのかよく分からない。

「構ってほしいって素直に言えばいいのです」

 シェインのぼやきに、僕もそういうことかと納得した。


「あの……そこのお方」

 年配の女性に呼び止められて、タオだけが振り向いた。

 お爺さんとお婆さんは、僕とシェインの顔を知っている。

 確かにいちいち名乗りはしなかったが、それでも「そこのお方」と呼ばれるとは思えなかった。

 シェインも同じことを考えていたのだろう。

 したがって、振り向くのはタオということになる。

 その足下に駆け寄って、膝辺りにすがりついたのはお婆さんだった。

「もしや、橋を壊して帝の武者と月の使いを引き分けたのは……」

「俺だが」

 少々気負って答えるタオに、今度はお爺さんがすがりついた。

「どうか、かぐや姫を探し出してくだされ」

 タオの顎が、かくんと落ちた。

 当然だ。

 剣技を除いては何をやってもダメな僕はおろか、あらかたのことは難なくできるシェインでさえ、このお爺さんとお婆さんが「かぐや姫の想区」で会った2人だとは断言できないのだから。

 タオは僕とシェインの顔を代わりばんこに見たが、少なくとも、僕にできることは何もなかった。

 シェインはシェインで、うつむいたまま首を横に振るだけだった。

 お婆さんは、タオをかき口説いた。

「あの子は、私たちが手塩にかけて育てた娘でございます。どこへ出しても恥ずかしくありません。娘も、それをよく心得ております。私どもに黙って姿を消してしまうなど……」

 白髪を振り乱して哀願する様には、鬼気迫るものがあった。

 僕も思わず身体が凍り付いたが、シェインだけは悠然と構えている。

 その口からは、おそらく僕にだけ意味が通じる、皮肉なつぶやきが漏れた。

「親バカなのです」

 そこで現実にもどったタオは、一言だけで淡々と尋ねた。

「それで、何で俺に?」

 当然といえば当然の疑問だった。

 僕たちは、かぐや姫と以前に会ったことがある。

 それなのに、お爺さんとお婆さんは、護衛についた僕にもシェインにも見覚えがなかった。

 もしかすると、僕たちがそうであるように、お爺さんとお婆さんもよく覚えていないだけかもしれないが。

 いずれにせよ、タオを知っている、あるいは覚えているはずがない。

 タオも2人に見覚えがない様子で、珍しくオロオロしている。

 だが、お婆さんはそんなことに構わず、言いたいことを一方的にまくし立てた。

「あの帝の武者たちも月の使いも、私どもは信じられないのでございます。どちらも、私どもから娘を取り上げようとしているのですから。あなたさまが橋を落とした鬼であろうと何だろうと構いません。あの連中を恐れさせたお力があれば、どちらにも娘を奪われることはないでしょう。どうか、娘を、かぐや姫を探し出して、私どものもとへお返しください」

 タオは戸惑いながら答えた。

「確かに……顔は知ってるが」

 こめかみの辺りをポリポリ掻いてあさってのほうを見る。

 月並みな困惑のリアクションに、シェインは呆れたようにボヤく。

「余計なことなのです」

 だが、お爺さんは半泣きで喜んだ。

「ご存知でいらっしゃいますか」

 確かに、知らないわけじゃない。

 顔を見れば、お互い「ああ」ということになるだろう。

 だけど、ここでかぐや姫を探し出して連れ戻していいのかどうか。

 それは僕にも分からなかった。

 だが、タオはきっぱりと言い切った。

「分かった。任せとけ」

 約束してしまった以上、反論の余地はない。

 シェインの深いため息が聞こえた。

 

 お爺さんとお婆さんがお互いをいたわり合いながら屋敷の中に戻ると、多くの使用人たちが出迎えた。

 門の外からでも、誰もが泣いているのが分かった。

 お爺さんもお婆さんも、慕われる主のようだった。

 その様子を見ながら、タオが感慨深げに言った。

「これって、ロマンだよな」

「そうかな」

 敢えて冷ややかに返してみた。

 独断専行の罰だ。

 だけど、僕はそんな真似をするタオが決して嫌いではなかった。

 自信たっぷりの、しかし照れくさそうな口調で答えてくる。

「桃太郎のために、なんかしてる気がする」

 タオは、「桃太郎の想区」で、その桃太郎本人の死を目の当たりにしている。

 予定されていなかった、物語の主人公の「死」だ。

 あれは、決してタオのせいじゃなかったと思う。

 でも、桃太郎を守り切れなかったのを未だに引きずってるのは、見れば分かる。

「そういうの、自己満足っていうんだけど」

 からかってみたが、半分は本音だ。

 タオは、かぐや姫を失って悲しむお爺さんとお婆さんの姿を、桃太郎のものと重ねている。

 そこは割り切って、立ち直るべきだと思う。

 僕がタオの立場になったら、それができるかどうかは分からないけど。

 シェインが横槍を入れた。

「それもロマンなのです」

 タオを慰めるつもりだったんだろうか。

 そこへ、使用人が何人も駆けだしてきて、口々に言った。

「どうぞ」

「姫様を見つけてくださるとか」

「旦那様と奥さまが、おもてなしするようにと」

 見る間に使用人たちの数は増えていった。

 やがて僕たちはアリに運ばれる砂糖菓子のように、屋敷の中へと引き込まれた。

 シェインがつぶやいた。

「これで昼の粟粥は免れたのです」

 それはタオのおかげと言えなくもない。

 だけど、その原因を考えれば差し引きゼロだった。


第5景 失われた帝の秘宝


 僕たちはレイナ抜きで、日が暮れるまでもてなしを受けた。

 意外に食い意地が張っているから、後で何を言われるかわからないのが怖い。

 僕は黙っているつもりだったけど、タオが冗談半分にそれをネタにしたので、それならば夕食にも連れていらっしゃいということになった。

 僕たちが、河原に帰ってくるはずのレイナを迎えに行こうと屋敷を出たところで、2人の使用人がぱたくたと門から駆けだしてきた。

 たいへんな剣幕で言い争っている。

 痩せて背の高いのが責める。

「だから何でアタイに聞くんだい」

 背の低い小太りのが言い返す。

「最後に引き取ったのアンタでしょうが」

 かぐや姫を探し出すだけでもたいへんな大仕事なのに、ここで関わり合いになったら余計なトラブルを抱え込むことになる。

 それでも僕はつい、口を挟んでしまった。 

 よせばいいのに。

「どうしたんです」

 客だと思って心を許していたのだろう、背の高いほうが素直に答えた。

「富士山の置物がなくなったんで」 

「なんだそりゃ」

 眉をひそめるタオに、小太りのほうは背の高いのと張り合うかのように説明した。

「帝から姫様への贈り物で」

 背の高いのは、負けじと言葉を継ぐ。

「何でも、思い出の品だとか」

 先を争って迫られたタオがたじたじとなったところへ、僕は割って入った。

「それ、どんなのかな?」

 こんな、と平たい円錐形を手でかたどった小太りの男の言葉に、背の高い方は付け加えた。

「夕日に真っ赤に燃える富士の形をしていたな」

 その言葉に何となく振り向いてみると、夕日が都外れの山に沈むところだった。

 はっとしたのは、それをシェインがひとり、ぽつねんと見つめていたことだ。

 秋の遠い落日と、小柄な鬼の娘。

 何だか、ぞくっとするような取り合わせだった。

 話を黙って聞いていたらしいシェインは、夕日を背に振り向いた。

「誰か、いなくなった人は?」

 小太りのほうは、きょとんとして答えた。

「誰も」

 何でそんなことを聞かれるのか分からないといった感じだ。

 背の高い方も考えていた。

「強いて言えば……あ」

 何かに気づいたようだった。

 うなずくシェインは、うっすらと笑みを浮かべたようにも見えた。

「富士の置物は……」

 そう言うなり、顔を上げるや人差し指を立てる。

「ひとつ。かぐや姫が持ち出した」

 中指を立てる。

「ふたつ。かぐや姫と共に持ち去られた」

 それでつながった。

 いずれにしても、かぐや姫がいなくなったことと関係があると考えても不自然はない。

 最後に、シェインは薬指を立てた。

「みっつ……これはちょっと考えにくいのですが」

 小首を傾げて付け加えると、やおら僕たちを見渡して、おもむろに告げる。

「かぐや姫を連れ去った」

 最後の一つについては、使用人2人と、僕とタオがそれぞれ顔を見合わせた。

 高笑いと共にかぐや姫を連れ去る、真っ赤な富士山。

 ……何なの、それ。

 緊張感のかけらもない。

 しばしの沈黙の後、抜けた気合を入れるかのように、タオがシェインの背中を叩いた。

「探してやるか」

「どうしてですか」

 ぶすっと答えるシェインだけど、まんざら嫌そうでもない。

 それを知ってか知らずが、タオは皮肉っぽく言った。

「困ってるだろ」

 顎をしゃくった先にいる使用人2人を見て、シェインはそっぽを向いた。

「知らないのです」

 そう言いながら、後ろ手の指が背中で絡んだりほどけたりを繰り返している。

 つま先は地面を蹴り、目はタオの顔色をうかがっていた。

 タオが見つめ返す。

「それもロマンさ」

 シェインは小さな肩をすくめた。

 山の向こうに日が落ちて、空が真っ赤に焼けていく。

 それに思わず見入ってしまっていた僕は、使用人が尋ねる声で我に返った。

「もし……」

「どちらさまで」

 光と闇がじんわりと溶け合う、黄昏たそがれ時。

 その夢とも現実ともつかない光景の中に、いつの間にか一つの人影が佇んでいた。

 透き通るような薄絹を頭にかついだ少女。

 もちろん、その奥の顔はよく見えない。

 でも、それは薄絹で隠れているせいじゃなかった。

「出たあ……」

「お助け……」

 使用人2人が、背の高い方も低い方も、こけつまろびつしながら門の中へ逃げ戻る。

 少女の顔を隠していたもの。 

 それは、逆さに伏せた大きな鉢だった。


第6景 鉢かづきの顔


 焦げ付かんばかりに焼けた空を背にして、4本の鞭が高々と鎌首をもたげた。

「来るぞ……」

 タオが誰にともなくささやいた瞬間、耳元で風が唸った。

 全身を悪寒が走る。

 偶然か故意か、鞭がかすめていったのだ。

 とっさに地に伏せると、僕の後頭部すれすれに鞭が通り過ぎていく。

 タオもシェインも次々に地面に這いつくばった。

 これじゃあ、「導きの栞」を「空白の書」に挟む暇もない。

 もちろん、鉢かづきはどちらの存在も知らないだろうけど。

 いや、待てよ……。

 もし、それを知っているとしたら。

 夕べの戦いで、僕たちがその持ち主であると気付いていたとしたら。

 あの跳躍とフットワークは別人の力だとカンづいていたとしたら。

 鉢かづきこそが、カオステラーにほかならない。

 その考えを裏付けるかのように、シェインの微かな声が聞こえた。

「跳ぶ前に、まず立ち上がらないと」


 僕たちが立ち上がれないでいると、今度は鞭が地面を叩き始めた。

 降り始めの夕立が土をえぐるほどの速さと勢いだった。

 転がって避けるしかない。

 だけど、3人が同時に転がれば、当然、ぶつかる。

 僕とシェインが真っ先にぶつかった。 

 動けない。

 2本の鞭が背中から襲ってくる。

「エクス……」

 僕の傍らで、シェインが固く目を閉じた。

 その背中に、とっさに覆いかぶさる。

 小さく華奢な身体だった。

 背中を打ちのめす鞭を覚悟する。

 だけど、予期した激痛は来なかった。

 タオの巨体が立ち上がる。

「やめろ、危ないぞ!」

 僕の制止も聞かないで、タオは指差した。

「あれ……」 


 その先を見ると、そこには新たに現れた人影があった。

 鈍く光るマントをまとった、すらりとした姿の一団。

 帝の裁定で老夫婦を預かることになった、月の騎士たちだった。

 巡回の途中だったのか、偵察中の誰かが報告したのかは分からない。

 いずれにせよ、厄介事が増えただけだった。

 風を切る音と同時に、低く落ち着いた声が命じる。

「抜剣!」

 澄んだ音を立てて薄暮の中に白刃が微かに閃き、上下左右から襲い来る4本の鞭を迎え撃つ。

 鉢かづきは、僕達よりも、後から現れた月の騎士たちを殲滅するのが先だと判断していたのだろう。

 もちろん、歯が立つわけがない。

 片手に2本ずつ持った鞭が冷たい音を立てて、夕闇を自在に掻き回す。

 そのたびに何本ものレイピアが弾き飛ばされ、また切断され、宙を舞っては地面に落ちて、高らかに鳴り騒いだ。

 前列の仲間が傷つき、また武器を失うと、後ろで控えている者がそれをかばって前に出る。

 だけど、そのたびにレイピアは横薙ぎの鞭に切断され、無防備の身体をかばって前に掻き寄せられたマントは裂けた。

 見ちゃいられなかった。

 僕は「空白の書」に「導きの栞」を挟んだ。

 ……牛若丸、もう一度頼む!

 一方的な攻撃になす術もない月の騎士たちを目の当たりにしていたからか、その願いはいつにも増して易々と受け入れられた。

 空でも飛べそうなエネルギーが、全身に満ち溢れる。

「タオ、シェインを頼む」 

 そう言い残して、僕は地面を蹴った。

 背を向けていた鉢かづきの頭上を高々と越え、その眼前にふわりと舞い降りる。


「あなたは……」

 背後から聞こえる声にも、僕は振り向かなかった。

 風を切って飛んでくる鞭を、振るった剣で弾き返す。

 続いて足をすくう1本も、想定内だ。

 地面を軽く蹴ってやりすごすと同時に、前へ踏み込む。

 シェインと2人がかりでも手こずった相手だ。 

 もしかすると、攻撃すらできないかもしれない。

 だけど、今、正面に回り込めるのは僕しかいなかった。

 ……頼む、シェイン。

 詳しいことは言わなかったが、鉢かづきに対する僕と月の騎士たちの位置関係を見て、察しのつかないじゃない。

 ひょう、と風を切る音がした。

 鞭じゃない。

 それは僕の鼻先をかすめて、鉢かづきの背後に飛んでいた。

 ぱちん、と弾き飛ばされた何かが、宙に舞うのが分かった。

 シェインが放った矢だ。

 ……そこだ!

 一方の手で握った鞭は、片や弾かれ、片や回避された。

 もう一方の手は、背中を狙った不意打ちへの反撃に回された。

 つまり、正面はガラ空き。

 僕はその一瞬の隙を突いて、剣を横に払った。

 鉢かづきが、低く腰を屈める。

 剣が鉢に当たって、斜め上に走った。

 攻撃は流されたけど、叫ぶぐらいの余裕はできた。

「逃げてください!」

「それはできない」

 この状況下でよくもと思うほど落ち着いた声で答えが返ってきた。

「何で!」

 そう聞いているそばから、無限に伸びる鞭が頭上から脇腹から襲ってくる。

 掲げた剣を半月に薙ぎ払う。

 斬って捨てることはできなかったが、叩き落とすことはできた。

 騎士たちが僕の両隣に歩み出る。

「戦う者を残して去るわけにはいかない」

 ご立派な騎士道精神には頭が下がる。

 こっちは心配事が増えるだけだっていうのに。

 再び続けざまに放たれたシェインの矢を、さっき叩き落とした鞭が弾く。

 もう一方の手で、次の一撃が来るはずだ。

 その前に聞いてみた。

「鎧は?」

 上下左右から、変幻自在の鞭が迫る。

 跳んで逃げれば、月の騎士たちがとばっちりを食う。

 その、背後の騎士たちは口々に答えた。

「月の光を浴びないと装着されない」

「現れるのは次の満月だ」

 ……だったら、逃げてくれ。

 誇り高い足手まといに困り果てていると、鉢かづきの姿が逆光に浮かび上がった。

 「空白の書」に「導きの栞」を挟んだときの光だ。

 どっちだ?

 タオか?

 シェインか?


「来い! 武蔵坊弁慶!」

 タオが咆哮した。

 光と共に突進してくる。

 シェインが矢を放っていたのは、僕を援護するためだけじゃない。

 タオが「導きの栞」を使う時間を稼いでいたのだ。

 タオは今、牛若丸に仕えていた豪傑「武蔵坊弁慶」とつながっている。

 巨大な鉄下駄を履き、禍々しい得物を背負った逞しい身体。

 敵としてはこの上なく恐ろしく、味方としては実に頼もしい男だった。

 その力が、タオの中に流れ込んでいる。

 鉢かづきが、振り向きざまに4本の鞭を同時に振るった。

 それは4頭の大蛇のように凄まじい速さで自在に宙を滑りながら、タオに襲い掛かる。

 1本や2本でも、牛若丸の力を借りなければ応じきれない。

 ましてや、4本では。

 しかも、武蔵坊弁慶の力では武器を操るスピードを上げられない。

 でも、そんなことはタオだって百も承知のようだった。

 最初の一撃は、上下左右からの鞭がまとめて襲ってきた。

 タオは大剣を地面に突き刺すや、その向こうに屈んで盾にする。

 それがタオの代わりに打ちのめされた瞬間、僕は背を向けた鉢かづきに向かって斬り込んだ。

 鉢かづきは上体をひねる。

 片手の鞭が頭と足に左右から襲い来る。

 身体をすくめ、低く跳び、時間差でかわす。

 もう一方の手が操る鞭は、立ち上がって大剣を引き抜いたタオに迫っていた。

 頭上で振り回された大剣が、鞭を2本とも斬り落とす。

 シェインが弓をきりきりと引き絞った。

「やめろ! かわされたらエクスに当たる!」

「だって!」

 妹分の抗議を聞きもせず、タオは片手に大剣、もう片手に斧を振るって、鉢かづきに躍りかかった。

 武蔵坊弁慶の剛力がなければできないことだ。

 そのときには、僕も鉢かづきに剣を浴びせられる間合いまで迫っていた。

 ……いける!

 牛若丸と武蔵坊弁慶。

 「導きの栞」で再び巡り合った最強コンビに挟まれて、いかにカオステラーとはいえ、文字通り太刀打ちできるかどうか。

 だけど、その考えは甘かった。


 鉢かづきは軽いステップを踏んで、再び回転した。

 鉢の中から、何か黒い塊がどろりと落ちる。

 それを引きずり出した手が、僕に向かって開かれた。

 目の前で、何かが大きく広がる気がした。

「エクス! それは……」

 聞くことのないシェインの叫びは間に合わなかった。

 僕は全身を柔らかい網に絡め取られて転倒した。

 こうなっては牛若丸のフットワークも役に立たない。

 武蔵坊弁慶と共に戦っているタオはともかく、残されたシェインが心配だった。

 だけど、それは杞憂に終わった。

「かえって好都合」 

 つぶやくなり、シェインは高々と跳ぶ。

 タオが突進している間に、「導きの書」で牛若丸の力を呼び寄せていたのだ。

 刀を手に、鉢かづきの頭上から襲いかかる。

 僕が向かい側にいないから、はじき返されると分かっている牽制の矢をわざわざ放つこともない。

 タオといえば、大剣と斧を交互に振るって、叩きつけられる鞭を迎え撃つ。

 鉢かづきの手に残った鞭は2本とも、力任せに吹き飛ばされた。

 振り下ろされるシェインの刀が、兜割りに鉢を狙う。

 それでもダメだった。

 僕の時と同じだ。

 顎をひとつしゃくるだけで、鉢は命中寸前の刀ごとシェインを弾き飛ばした。

 空中でくるくる回って、元の位置に着地したのはさすがと言う他はない。

 その時、「導きの栞」を挟んだ「空白の書」が放つ光も消えた。

 空になった両手に、鉢の中からカラカラと音を立てて落ちてきたものがある。

 暗闇の中で分からなかったけど、シェインの目はそれを捉えていたようだった。

鎖鎌くさりがま……」 

 地面の辺りで、土埃の舞う臭いがした。

 びょうびょうと風が巻き起こる。

「エクス殿……」

 騎士の誰かが立ち上がったようだった。

「よせ」

 落ち着いた声が、鋭く制する。

「しかし」

 口答えする声に、「せめても」と言い返し、何かカタカタやっている。

 風の唸りの中、鉢かづきが地面を蹴った。

 僕の背後から、淡い光が差す。

 月の騎士たちが、手探りでカンテラを点けてくれたのだ。

 それほど明るくはなかった。

 でも、タオとシェインに2丁の鎌が空中から、鎖を振り回す勢いに任せて切りつけられるのは見えた。

 ……間に合わない!

 鎌は2人の目の前まで迫っていた。

 だが、タオは大剣と斧を持った両手を交差させて叫んだ。

六根清浄ろっこんしょうじょう!」

 タオが両手を広げると、まばゆい光が爆発する。

 2人の喉元まで迫っていた鎌と共に、鉢かづき本人も吹き飛んだ。


 鉢かづきは、網に絡め取られて地面に転がった僕のすぐ傍らに転がった。

 カンテラの光が、鉢の中を照らしているのが見える。

 止めを刺すチャンスだと思ったが、そこで気づいた。

 ……もし、これがカオステラーだとしたら?

 カオステラーは、物語の中の誰かにりつく。

 だけど、もともとはこの「想区」のストーリーテラーだ。

 僕たちの目的は、カオステラーをストーリーテラーに戻すこと。

 つまり、「調律」だ。

 命を奪うことじゃない。

 これができるのは、「箱庭の王国」を詠唱できるレイナだけだ。

 そう思いとどまったのに内心、ほっとした。

 だけど、それ以前の問題がある。

 ……僕は動けない!

 だから、せめて鉢かづきがどんな顔をしているかだけでも見ておこうと思った。

 男なのか。

 女なのか。

 それが分かるだけでも、扱いは違う。

 男なら、僕やタオと分かり合えるところがあるかもしれない。

 女なら、レイナやシェインと。

 

 でも、月の騎士たちにしてみれば、そんなことは知ったこっちゃない。

 剣を抜いた何人かが、立ち上がろうとする鉢かづきを取り囲んだ。

 駆け寄るタオが怒鳴りつける。

「逃げろ! あんたらで歯が立つ相手じゃない」

 僕をかばうように鉢かづきの前に立ちはだかったタオに、月の騎士たちのリーダーが、落ち着いた声で答えた。

「礼を言う」

 その意味を察したのか、騎士たちは鉢かづきに向かって剣を突き出したまま、音もなく後退する。

 やがて、遠ざかるカンテラの光と共に、いぶし銀のマントを翻した一団は静かに立ち去っていった。

 代わりに屋敷の方から近づいてきたのは、松明の灯だった。

 2つの悲鳴が上がる。

「かぐや……」

「どうしてこんな……」

 お爺さんとお婆さんが、腰を抜かしてへたりこんでいた。

 その目の前で、鉢かづきが地面に肘をついて身体を起こした。

 松明の灯で、一瞬だけ顔が見えたと思った時、タオが叫んだ。

「エクス! シェイン! 後は頼む!」 

 身体をのけぞらせたのは、鉢の中から出てきた手裏剣が鼻先をかすめたからだ。

 駆け寄ってきたシェインがぼやく。

「優先順位がよく分からないのですが」

 網に巻き取られた僕と、己を失って立つこともできない老人2人。

 タオは斧を振り上げながら吼える。

「算術の問題だよ!」

 2人と1人ではどちらが多いか、ということか。

 シェインがその場で助け起こしたお爺さんとお婆さんが異口同音に泣き叫んだ。

「勘弁しておくれ!」

 タオの手が一瞬だけ止まった。

 呻くようにつぶやく。

「よく見とけ、俺たちと関わるってのはこういうことだ」

 再び斧を叩きつけるモーションに入った瞬間、お婆さんがむせび泣いた。

「その子は……かぐや姫なんだよ……!」

 お爺さんが哀願した。

「2人で大事に育てた姫なんじゃ、卵から生まれたのをワシが連れ帰ってから」

 ……え? 

 ……たまご?

 かぐや姫ってそうだっけ、と思った瞬間。

 ガキン、という金属音がした。

 網の中から目を凝らして見ると、松明の炎が揺らめく中で、シェインの剣が分銅付きの鎖をからめ取っている。

 その鎖は、地面に横たわる鉢かづきが手にした短い棒から伸びていた。

 シェインが呻いた。

契木ちぎりきなんて……いくつ暗器持ってるのですか、こいつ」

 タオの斧が鎖を断ち切る。

「あ、それ欲しかったのです」

 身に迫る危険と、武器そのものの持つ魅力はシェインにとって別物らしい。

 一方、鉢かづきの身体は引く力の反動で転がった。

 その勢いで跳ね起きると、その両手の甲には鉢の中から長い鉤爪が滑り落ちる。

手甲鉤しゅこうかぎ……」

 シェインと同時に、お爺さんがつぶやいた。

 何でと思う間もなく、鉢かづきは両腕を翼のように広げて跳んだ。

 両手の爪が、「きび団子」の誓いを交わした義兄妹を襲う。

「やめてくだされ、姫……」

「ならん! かぐや……」

 老いた母と父の叫び空しく、かぎづめがタオとシェインの頭上に迫った。

 その時だ。


 突然、鉢かづきの姿は闇に溶けて消えた。

 虫の声だけがしんと響き渡る暗闇の彼方に、もう一つ、松明が近づくのが見えた。

 やって来るのは、牛車のようだった。

 タオとシェインはと見れば、鉢かづきの消失と牛車の出現の唐突さのせいか、呆然としていたらしい。

 やがて我に返って、2人して僕を霞網の中から助け出してくれた。

 全身に絡みつく、細い糸の網を剥がすのは随分と手間がかかった。

 やっと抜け出すことができて一息ついた頃、牛車は屋敷の前に着いた。

 聞き覚えのある、何だかねちっこい嫌な声がした。

「着きましてございます、姫」

 ……誰のことだろう?

 ……かぐや姫か? 

 お爺さんとお婆さんを見れば、牛車を食い入るように見ている。

 前方の御簾がさらりと上がって、少女が1人降りてくる。

 短く刈ったプラチナブロンドの、スカート姿。

 タオの顎が、かくんと落ちた。

「レイナ……お前、何で?」

 牛車の奥の暗がりには、ぼんやりと白く浮かぶ顔がある。

 あの、歯無しに見える帝の使者だ。

 シェインが、唖然としてつぶやいた。

「あんなのが趣味だったのですか」

 嫌だ!

 絶対に認めないぞ。

 だけど、レイナは丁寧に一礼した。

「では、よしなに」

 あまりのことに一言もない僕たちに、牛車の脇を固める護衛の武者たちは無言で冷たい一瞥をくれた。

 微かな望みを絶たれて愕然としたのは、お爺さんとお婆さんだった。

 護衛の武者たちに先導されて、牛車は去っていく。 

 それを見送る老夫婦にも、レイナは丁寧に一礼した。

「初めまして」 

 タオが小声でぼやいた。

「だから今までの何だったんだって」

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