かぐや姫はどこだ?

第1景 月下の鬼の末路


「で、何で俺たちゃこんな河原の筵小屋むしろごやの下で薄い粟粥すすってなくちゃいけねえんだ?」

 古い木の椀から今日の昼食を箸でざざっとすすり込んだタオは不満そうだった。

 自分のやったことをちょっと思い出せば分かりそうなものだけど。

 レイナがきっぱりと言った。

「あなたのせいです」

 タオがムキになって、レイナに言い返す。

「あれでコトが収まったんだろうが」

 確かに、それも一理ある。

 橋を崩すほどの剛力に武者たちが怯えて逃げ、銀色の戦士たちが姿を消した。

 多くの死者が出たかもしれない争い事を、力ずくとはいえ収拾したわけだ。

 僕たちにしてもタオのおかげで、自分が死ぬのも相手を殺傷するのも避けられたのだった。

 タオにしてみれば、大きな貸しがあることになる。

 リーダーとして。

 だが、タオと同じように箸を動かしていたシェインは、椀を筵の上に置いて深いため息をついた。

 もう皮肉を言う気力もないらしい。

 タオと同じ粟粥を、同じような古い椀から干乾びた匙で口へ運んでいるレイナはというと、微笑を浮かべている。

 お姫様というのは、こういうものなのだろうか。

 衣食住に至るまで優雅な生活を知っていながら、貧乏のどん底に叩き落とされても悠々と振る舞うことができる。

 たぶん、これが本当の高貴さなのだ。

 自分で去った、故郷の「想区」で見た健気なシンデレラの姿が目に浮かぶ。 

 僕は首を振って、椀の中の粟粥を匙ですくった。

 レイナは食事の手を止めて、椀を静かに筵の床に置く。

「あなたが橋を崩したからです」

 間髪入れずにシェインが毒づいた。

「とばっちりもいいところなのです」

 そうなのだ。

 タオからは恩知らずと言われそうだが、これはこれでいい迷惑だった。

 数日前、武装解除の直後に武者たちの詰所のようなところへ連行された僕たちは、板間の上に座らされて、「帝」からの処分を聞かされたのだった。

 さすがに無抵抗のまま武装解除に応じた者を縛り上げるのは気が咎めるのか、手が後ろに回ったのは、橋を破壊したタオだけだったけど。

 まず、罪状は都大路を結ぶ橋の破壊。

 反論の余地もないくらい、もっともなことだった。

 処分も単純だったし。

 橋が直るまで、だいたい1か月。

 次の満月まで、僕たちはタダ働きを命じられた。

 ただし、その処遇は寛容だったと思う。

 没収された武器を返してもらえたのだから。

 あれだけ暴れまわったタオでさえも。

 それを思えば、筵小屋に放り込まれたくらいで文句を言っちゃいけない。


 椀の中身を空にしたシェインが、再び深いため息をついて言った。

「どっちかというとレイナさんに借りを作ったのです、タオ兄は」

 タオは反論できない。

 座り込んだまま、空になった椀をじっと睨みつけている。

「ごちそうさまでした」

 知らん顔のレイナは、両手を合わせて言った。

 僕たちの生まれ育った「想区」にはない、食後の挨拶だ。

 どっちかというと、タオやシェインの習慣に近い。

 もっとも、まともに言ったのをほとんど聞いたことはないけど。

 それでも、この「想区」の習慣もそうだと察しているのだろう。

 実に適応が早い。

 足を斜めに崩さざるを得ないのは、むしろご愛敬というべきだ。

 白馬に乗った使者が告げた「帝の命令」からすると、ここは僕たちも訪れたことのある「かぐや姫の想区」ということになるからだ。

 すると、ここでは「正座」と呼ばれる、両膝をまっすぐに折ったきつい座り方をするのがマナーだ。

 かぐや姫のお爺さんやお婆さんがそうしていたように。

 

 さて、とレイナは僕とシェインを前に、畏まって言った。

 タオは僕たちの無言の圧力で、川に食器を洗いに行くのが暗黙の了解になっていた。

「タオには悪いんだけど、橋が崩れたのは実力じゃないと思う」

 食事が終わるまで本題に入らなかったのはそういうことか。

 本人が聞いたら、絶対に納得しない。

 タオは自分がこのメンバーのリーダーだと思ってるみたいだから。

 リーダーは別にレイナでいいと思う。

 いつも「沈黙の霧」の中で、向かうべき「想区」を探し当てられるのは彼女だけなんだし。

 そのレイナがおもむろに言うには……。

「カオステラーには、あの時点で気づかれてたの。たぶん」

 本来、「想区」の出来事は全て、物語を動かす「ストーリーテラー」によって紡がれている。

 だけど、そのストーリーテラーも、何らかの理由で物語に歪んだ思いを抱くようになることがある。

 それが、カオステラーだ。

 カオステラーが語る物語は迷走し、主人公をだけでなく多くの住人を傷つける。

 僕がかつて恋したシンデレラも、そうだった。

 レイナとの出会いで、僕は自分の「運命の書」が、役割を持たない「空白の書」であることを教えられた。

 シンデレラをカオステラーから救い出す戦いができたのは、自分の意思で生き方を決められるからだ。

 その一方で、彼女を諦めたのも僕の意思なんだけど。


「あれはカオステラーの仕業だったってのか」

 あまり楽しくない思い出を断ち切ってくれたのは、筵を押し上げて入ってきたタオだった。

「あら、聞いてらしたんですね」

 澄ました顔で言うレイナの前に、タオはどっかりと腰を下ろす。

 自分より身体の小さい相手の目の高さまで、顔をしかめて身体を屈めた。

 シェインが、これで3度目になるため息をついた。

 それを横目で睨んでから、タオはレイナの目をじっと見て言う。

「何のためにそんなことをやったんだ? カオステラーは」

「利用したのではないでしょうか、シェインたちを」

 横から口を挟んだシェインに、レイナは嬉しそうな微笑を浮かべた。

 タオにくどくど説明するのが、よほど嫌だったらしい。

 レイナに代わって、シェインはカオステラーの目的を2つにまとめて述べた。

 鬼の娘とも思えないような白く小さな手をかざして、人差し指を立てる。

「1つ。月と地上の兵力を引き離すため」

 この数日で分かったのは、あの銀色の鎧をまとった戦士たちが、かぐや姫を迎えに来た月からの使者だったということだった。

 帝の命令で武者たちが一切の抵抗を止めた今は、都の郊外に居留地を構えている。

 次の満月から援軍が来るまで、帰る手段がないらしい。

「2つ。シェインたちを動けなくするため」

 これは、すぐに納得できた。

 僕たちのタダ働きが、他の何よりもそれを物語っている。

 そのタダ働きの時間がそろそろやってくる頃だと思った頃。

 作業開始を合図する太鼓が橋のある方角で鳴った。

 タオは無言で入り口の筵を押し上げ、落ちた橋の普請現場に向かった。


第2景 月下の鬼たちの役割

 

 タオが自分のやったことに当然の責任を取らされている間。

 僕らはそれぞれに与えられた役割を果たしに動いた。

 考えてみれば皮肉な話だ。

 物語の中の役割が書かれていないのが、僕たちの持つ「空白の書」だ。

 それがここに来て、「役割」を与えられるなんて。

 しかも、僕とシェインに与えられた仕事は決して愉快なものじゃなかったのだ。

 僕は河原に点々と散らばる筵小屋から目をそらしながら歩く。

 辺りの様子をうかがうシェインが尋ねた。

「これ、いわゆる停戦協定なのです」

 シェインのほうから口を開くのは珍しい。

「そうだね」 

 そう答えるのがやっとだった。

 河原に住まう人々には、いろんな事情がある。

 それは、この数日でタオやシェインに聞かされていた。

 貧しさ、いわれのない差別、戦争……。 

「まさか間に入るとは思わなかったのです」

 鬼の娘だからかどうかは知らないが、シェインはその辺りの事情に詳しかった。

 停戦協定というのは、敵対する者同士の兵力を力ずくで引き離すことなのだ。

 僕は苦笑いした。

「帝に押し付けられたわけね」

 きっかけは、あの夜のタオの大暴走だ。

 たとえカオステラーの力が働いたのだとしても。

「鬼みたいに見えたんだろうな、僕たちは」

 ここでの僕たちは凶悪な、得体の知れない存在なんだろう。

 月の使者はともかく、帝たちから見れば。

 シェインは、面白くもなさそうに言った。

「鬼そのものなんですが、シェインは」

「気にしてない」

 ちょっと雰囲気が悪くなりそうだったので、少しおどけて言ってみた。

 もともと表情に乏しいシェインが黙り込む。

 ……しまった。

 こういうときは、結構、傷ついていることが多い。

 心配になって、斜め下にある顔を眺める。

 真剣な眼差しが、まっすぐに僕を見上げていた。

「ありがとうなのです」

「い……いや……」

 そんなことぐらいでお礼言われても。

「僕たち、みんな目立つよ」

「そうですね」

 シェインは、川沿いの筵小屋を対岸までざっと見渡して、皮肉っぽく言った。

「確かに、河原に住むほうが怪しまれないで済みますが」

 そういえば。

 この辺りには毬を頭上に蹴り上げたり、宙返りをしたりする人々が多い。

 大道芸人たちの中に、人目を引く顔だちの者がいてもおかしくはないだろう。

 だがそれは、女の子の見栄と負け惜しみにも聞こえた。

 成り行きとはいえ、こんなみすぼらしい暮らしをする羽目になったのだから。

 シェインは、再び左右を気にしはじめていた。

 その眼差しに気づいた者は、たとえ川向こうにいても自分の筵小屋に入る。

 僕たちは、この「想区」の人たちとは明らかに違う。

 遠目に分かる服装も、近くで見る顔だちも。

 その上、帝の武者と月からの使者、どちらにも利害関係がない。

 双方に向けての牽制にはうってつけだったのだ。

 僕たちの筵小屋住まいは、必ずしもタオへの連帯責任だけが理由ではない。


 河原を出た僕たちには、二手に分かれて向かう先がある。

 かぐや姫のお爺さんとお婆さんの住む郊外の家だ。

 2人は今、帝の武者と月の使者それぞれが、別々に「保護」している。

 親子の情にかこつけてかぐや姫を釣る人質にされないためだ。

 これは、双方が考え抜いた措置だった。

 さらに、お爺さんとお婆さんは毎日、昼と夜に住む家を交代する。

 外部との連絡を取りにくくするためだ。

 僕とシェインの仕事は、その行き来の護衛だった。

 泊まり込みがないのは、夜中にタオが暴れたせいだろう。

 昼間ならそんなことはないと思われているのだ。

 明るい秋の日差しの下で、稲穂のそよぐ田舎道をひとりで歩いていく。

 今日のお爺さんは、月の使者の家にいるのだ。

 鍬や鎌を手に道を行くお百姓が珍しそうに僕を眺める。

 素足の子どもたちは、並んで僕についてきた。

 タオたちに会った「桃太郎の想区」を思い出す。

 月の使者は、大きな古寺に駐留していた。

 護衛をしている月の使者を見ると、子どもたちは喚声を上げて逃げ去った。

 その寺の隅にある狭い家から、お爺さんはよっこらせと下りてくる。

「いつも大変だね」

「いいえ、仕事ですから」

 そう答える僕は、内心、こう思っていた。

 ……こんな人だっけ?

 以前、「かぐや姫の想区」で会っているはずなのに、よく覚えていなかった。

 それは、お爺さんも同じことだったけど。

 僕の脇からお爺さんに手を貸す月の使者は、あの銀の鎧を着てはいなかった。

 僕の生まれた「想区」の騎士たちの略装に近い薄緑色の服。

 胸甲を装着して、いぶし銀のマントを羽織っている。

 使者が差し出す頭巾をかぶったお爺さんは、よちよちと馬車に乗り込んだ。

 馬は小柄で、馬車とは不釣り合いな気がした。

 御者役に、護衛の使者がぼやいた。

「もっとマシな馬はなかったのか、みっともない」

「仕方ないだろう、地上の馬はこんなものだ」

 きっと、「想区」ごとにいろんな「天上」と「地上」があるのだろう。


第3景 橋の上の私闘


 瓦屋根の大路を抜けて再び郊外に出るためには、町中と町外れにある大きな川を越えなければならなかった。

 僕たちが渡る橋からは、タオが破壊してしまった橋が見える。

 たくさんの男たちがせっせと働いている。

 特にタオは背が高いので、遠目にもよく分かった。

 あっちへ走り、こっちへ物を運び、大活躍だ。

 その向こうにも橋がある。

 そこはシェインに護衛されたお婆さんが牛車で渡るはずだ。

 明日は、僕がお爺さんを護衛して渡ることになる。

 

 橋の向こうからは、物売りが声も高らかにやってくる。

 烏帽子えぼし(あの先の丸い円筒形の帽子はそう呼ぶのだと、護衛に向かう道すがらシェインが教えてくれた)をかぶった男が、着物の裾を脛のあたりでたくし上げてとぼとぼと歩いてくる。

 その後ろには、ヴェールのついたとんがり頭の笠(市女笠いちめがさというらしい)をかぶった女性の姿も見える。

 この町は、ずいぶんと栄えているのだ。

 何人もの、人、人、人の波。

 だが、僕はその中に違うモノの気配を感じていた。

 ……ヴィラン!

 音もなく、僕の目の前に迫る者があった。

 全身を、汚い布で包んだ小さな影。

 ……来る!

 一瞬で、僕の目の前まで間合いを詰めてくる。

 背中の剣で切り捨てられないことはない。

 だけど。

 人目があるところで剣を抜いて、騒ぎになったら。

 それはシェインが指摘したことだ。

 ……僕らは、動けなくなる。

 とっさに、馬車の後ろへ飛び退った。

 ヴィランが更に踏み込んでくる。

 僕と馬車の間へ。

 ……今だ!

 僕は背中の剣を抜き打ちに叩きつけた。

 命中!

 声も立てずに、ヴィランは消滅した。

 橋の上に残ったのは、真っ二つになったボロ布だけ。

 僕は大道芸人のようにくるりと回って、大見得を切りながら背中に剣を収めた。

 道行く人は、何が起こったか分からなかったろう。

 中には、拍手して喜ぶ者もいる。

「何をしている!」

 月からの使者の叱責が飛んだ。

「すみません、ちょっと芸を……」

「そんなものはいらない」

 冷めた一言にひょこっと頭を下げて、僕は馬車に付き従った。


第4景 戦うお爺さん


 都の外れにある、満々と水をたたえた大きな川にかかる橋を渡ると、お爺さんが引き渡される場所はすぐ近くにある。

 居場所を移されると、お爺さんは帝の武者たちの監視と尋問を受けるのだ。

 武者たちが駐屯しているのは、大きな農家らしい建物だった。

 カヤぶき屋根の大きな門の前には、薙刀を持った武者が2人待っていた。

 武者が声をかけると、馬車は止まる。

 護衛の騎士が武者に歩み寄った。

 月の使者たちと言葉が通じるのは、武者たちも同じようだった。

 と言っても、必要最小限のことしか話さない。

「それをあっちに」

「彼をここへ」

「次はいつ」

 そんなやりとりが終わると、お爺さんは武者たちに引き渡される。

 僕は日が暮れるまでここに残らなければならない。

 というより、日が暮れると1人で帰されるのだ。

 そこは、タオの関係者として警戒されているからにほかならない。

 鬼のひとりとして。

 タオと同類だと思われるのは心外だが、強さを認められると悪い気はしない。

 お婆さんの護衛を務めているシェインなどは、大いに満足しているだろう。


「で、爺さんよ」

 お爺さんは部屋に通されるが早いか、武者たちの尋問を受ける。

 僕は部屋の外で縁側エンガワと呼ばれる木の回廊に腰かけて、日が暮れるのを待つ。

 僕に聞かれて困る話でもないのだろう。

 木の格子に紙を貼っただけの障子ショウジという引き戸は、開け放たれている。

 年長者の口の利き方も知らない武者が何も言わないうちに、お爺さんは一言で言い切った。

「知らんと言ったら知らん」

 小さくしぼんだ感じの見かけとはうらはらに、声は結構しっかりしている。

「あいつらにさらわれんように逃がしたんだろう」

 武者は短気な性格らしい。

 遠回しに聞く知恵もないようだ。

 お爺さんは目をそらした。

 その顔は僕の方を向いている。

 やましいことなんかないのに、僕は思わず顔を背けた。

 味方のいないお爺さんは、寂しそうにため息を吐く。

「そんなことができたらどんなにいいか」

 武者はイライラと声を荒らげた。

「しらばっくれてもいいことはないぞ」

 お爺さんはそれを真っ向から受け止めて言い返す。

「ワシが探してほしいくらいだ」

 武者は鼻で笑う。

「あれだけ守りを固めているところで、手引きなしに抜け出せるわけがあるまい」

 ほう、と爺さんはいかにも感心したように言った。

「もしそうなら、おぬしらの誰かを疑ったほうがよいのではないか?」

「言っていいことと悪いことがあるぞ!」

 武者がお爺さんの胸倉を掴みそうになったところで、僕は部屋の中へ駆け込んだ。

 お爺さんの叱責が飛ぶ。

「こら、坊主!」

 ボウズ……?

「土足で上がるな!」

 そういえば、こんな感じの「想区」では、靴を履いたままでは家に「上げて」もらえないのだと思い出した。

 僕はすごすごと外へ出る。

 武者も諦めて、尋問を打ち切った。

 ここ数日、武者や月の使者はこんな会話を、お爺さんとお婆さん相手に続けている。 

 シェインに聞いたところ、交代でお婆さんがやってきても同じことになるらしい。

 何を聞こうと、知らぬ存ぜぬの一点張りなのだ。

 秋の明るい日差しの中、虫たちが鳴く音を聞きながら縁側に腰かけていると、お爺さんが隣にやってきた。

「怒鳴って悪かったな、坊主」

 怒鳴られるのは何でもないが、「ボウズ」はやめてほしい。

 そうは思っても、立場上は言えない。

「いえ……」

「あの場は、ああでもしないと」

 そういうつもりだったかと納得した。

 第三者に注意をそらして、相手の頭を冷やしたわけだ。

 こういうのを年の効というのだろう。

 お爺さんは、そのまま僕の隣に腰を下ろした。

「実を言うと、ワシもまさかと思うておる」

「はあ」

「天から迎えが来ると聞いた時は、意地でも返すまいと思うた」

「ええ」

 適当な相槌しか、返す言葉がない。

 これは、僕もかつて「かぐや姫の想区」で経験した物語だ。

 そうは言っても、年長者や高齢者の話はなかなか遮り難かった。

「ところが、いなくなってみると、それはそれで情けない」

「そうなんですか」

 ちょっと意外だった。

 悲しい、じゃなくて、情けない。

 どういうことだろう。

 お爺さんは怒りをこめてつぶやいた。

「どういうつもりかは知らんが、育ててきたワシらに、せめて一言……」

 そこから先は言葉にならなかった。

 護衛する立場でとても言えることではなかったけど、僕はこう思った。

 ……もうちょっと頭冷やしてもいいかな。

 ……いろんな意味で娘を失いたくない気持ちは分かるけど。


第5景 再び橋の上の私闘


 秋の日が暮れると、夜になるのは早い。

 行きがけに通った大橋にさしかかると、足の下にとうとうと流れる川のだけが聞こえてきた。

 その音に紛れて……来る!

 前と、後ろから2体ずつ。

 ヴィランだ。

 僕は背中の剣を引き抜いた。

 どっちが速い?

 前と、後ろと。

 わずかに、後ろが速かった。

 振り向きざまに1体を斬り捨てる。

 身体が回る勢いを利用して、背後の1体を時間差で一刀両断にした。

 だが、時間差を使ったのは僕だけではなかった。

 すぐ頭上の闇に、高々と舞う猿のような何者かがあった。

 ……間に合わない!

 その時、ひょうという音がヴィランを射落とした。

 橋の欄干の辺りで何かが風を切ったかと思うと、水の中に物を落とした音が川に沿ってどこまでも流れていった。

 橋の向こうから、ひたひたと何者かが近づいてくる。

 その繊細で小刻みなステップから、相手は小柄な女の子だと分かる。

「虫の知らせという奴なのです」

 声ばかりで闇夜に顔こそ見えないが、それはシェインだった。

 本物の鬼娘シェインには、こんな晩でもすばしっこいヴィランに矢を命中させられる弓の腕がある。

「心配させたね」

 お婆さんの護衛が終わってから、わざわざ都の反対側まで来てくれたのだ。

 なんだか胸がじんと熱くなった。

 だけど、シェインは素っ気ない。

「シェインも帰りにヴィランに出くわしたのです。もしかしたらと思って」

「ありがとう」

 僕がそう言う間に、シェインは橋の真ん中で踵を返して歩み去っていった。

 といっても、ちょっと足を速めれば追いつけるんだけど。

 隣を歩く僕に、感情の乏しい声が返ってくる。

「余計な心配なのです」

「帰る道が同じだけさ」 

 僕も素っ気なく答える。

 今度は、僕がシェインを守る番だ。


 人通りの絶えた夜の町中を歩きながら、僕はお婆さんの様子を尋ねてみた。

 シェインはただ一言で答えた。

「バカ親なのです」

「バ……?」

 僕も午前中はお婆さんの護衛だったから、どんな人かはだいたい知ってる。

 余計なことをしゃべらないという点では、シェインみたいだ。

 物腰は、穏やかだ。

 穏やかすぎて、いるのかいないのかよく分からない。

 ただ、どっちにしても「バカ親」と言われるような人にはとても見えなかった。

 抑揚の少ない声が、何やら偉そうなことを言う。

「女には、男の前では見せない顔があるのです」

 よっぽどのことがあったらしい。

 これ以上聞いても、シェインのことだから絶対に答えることはないだろう。

 詳しいことは明日、お婆さんの護衛をするときに聞くことにした。

 たしか明日の午後は、武者たちと一緒に今日とは反対のコースを歩くはずだ。


第6景 鬼たちの作戦会議


 河原に戻ってくると、皆が僕を待っていた。

 小さな魚とわずかばかりの野菜を盛った皿を前に、「光の石」を囲んでいる。

 洞窟ダンジョンの中で見つかる、内側から光を放つ石だ。

 武器を鍛えるのに使ったりするんだけど、こんな役にも立つ。

 河原に済む人たちがこの光を遠巻きに見ているのを、僕たちは知っている。

 筵に4人の「鬼」の影を映す得体の知れない光への恐怖は、好都合だった。

 男2人はともかく、女の子2人を危険にさらすことはできない。

 夜中は一応、僕とタオで交代で起きているが、近づいてくる者はない。

 だから僕たちは、安心して夕食と睡眠を取ることができるのだった。

 

 夕食が終わると、白い光の中でレイナはおもむろに言った。

「さて、今日はどうだったでしょうか」

「ちょっと待て」

 タオが口を挟んだところで、レイナが牽制した。

「まだ誰も話してませんが」

 タオも負けてはいない。

「だから何でお前が仕切んだよ」

「ではあなたの見解をどうぞ」

 その場で切り返されて、タオは押し黙った。

 見聞きしたものを根拠にして、推理を組み立てるようなことには向いていない。

 苦手な土俵で追い込まれた情けない姿に、つい、助け舟を出してしまった。

「その辺にしてあげようよ」

 たぶん、シェインも同じことを考えていたんだろう。

 だけど、その一言は辛辣だった。

「適材適所って奴なのです」

 フォローにも何にもなっていない。

 

 そこで、さてとばかりに口を開いたのはレイナだった。

「この2週間ばかりの間に、いろんな人から聞いた話を総合してみますと」

 あの満月の夜から、ほぼ半月。

 道が暗いわけだが、この間、レイナは帝の武者と月の使者それぞれの関係者を仲介するという、双方の連絡役みたいなことをやっている。 

 関係者は様々だ。

 御所なら下働きから女官、出入りの行商人に至るまで。

 武者たちなら、武器商人から刀の研師とぎし

 月からの使者なら、食べ物を調達するために農家と仲良くしておくだろう。

 レイナは、預かった手紙あるいは伝言と共に、その全てに出入りしていた。

 その関係者から聞き取った情報を総合すると、経緯はこうだった。


  (1)藪の中に光る竹から、お爺さんが小さな女の子を見つけた。

  (2)女の子は3か月くらいで人間くらいの大きさになった。

  (3)お爺さんが見つけてきた竹の中の黄金が養育費となった。

  (4)成人したところで、婿探しの大宴会を開いた。

 

「……と、ここまでは私たちが出会ったことのある、かぐや姫の話」

「わざわざ拾ってくるほどの話じゃないだろ」

 タオがまぜっかえしたが、レイナは相手にもしないで言った。

「気になるのは、誰も成人後の名前を口にしなかったこと」

「知らなかったんだろ」

 タオがツッコむと、シェインが冷たく返した。

「婿探しの大宴会を開いたのです。知らないはずがないのです」

 レイナはシェインに微笑むと、残りの経過を説明した。


  (5)求婚してきた5人の貴公子を、無理難題ではねつけた。


 そこでタオが、また口を挟んだ。

「その中のひとりがさらっていったってことは……」

「ないわ」

 話を遮られて、レイナはむっとしたように答えた。

「それは調査済みなのです」

 シェインがまた、大人びたことを言ってみせる。

「あの大戦おおいくさの中で好きな女をさらっていけるなんて、相当のタマなのです」

「あ、そんな男ならそうそうふられるわけないか」

 同調したレイナと、意味深に見つめあった。

 男2人への当てこすりとも取れた。

 ……ふん、どうせ僕なんか。 

 ……結局、土壇場でシンデレラに告白できませんでしたよ~だ。

 ひとりで拗ねていると、レイナはかぐや姫にふられた男5人の末路を語った。


 高い所で燕の巣から子安貝を取ろうとして転落死した者、1名。

 帝の遠い親戚だったが、そこらの石を「仏の御石の鉢」だとごまかそうとしたのがバレて縁を切られた者、1名。

 蓬莱の玉の枝を偽造して破産した者、1名。

 偽物の「火鼠の皮衣」を火にくべられてしまい、同じものを探して唐まで渡ったきり消息を絶った者、1名。

 龍から首の玉を取ろうとして返り討ちに遭い、かぐや姫を迎えるためにいったん追い出した元の妻のもとで細々と余生を送っている者、1名。


 ……もういい。

 タオはと見れば、大きな身体を持て余すかのようにガックリとうなだれている。

 僕ら2人の悲哀は無視して、レイナの報告は続く。

「で、ここからが肝心なんだけど」

「そこから話せよ」

 忌々しげにタオがぼやいた。

 話はようやく本題に入る。


  (6)かぐや姫が、帝の求愛を拒んだ。

  (7)かぐや姫が、月を見ては泣くようになった。

  (8)月からの使者が、かぐや姫を迎えに来た。

    お爺さんとお婆さんは、かぐや姫を屋敷にかくまった。

    帝が護衛に送った軍勢は、空から迫る月からの使者に抵抗した。

  

 その先は、僕たちも知っている。

 かぐや姫が月に去っていく物語を……。 

 だけど。

 ここで起こったことは、そうじゃなかった。


  (9)その最中に、誰かが叫んだ。

    「姫がいない!」


 そこで、シェインがゆっくりと手を挙げた。

「質問なのです」

 得たりとばかりに、レイナが嬉しそうな顔をした。

「どうぞ」

 レイナをしげしげと見て、シェインが尋ねた。

「……って、誰が言ったのですか?」

「そこよ!」

 レイナが手を叩いた。

 びし、と指差さされたシェインは、自分の質問に自分で答えた。

「そいつがたぶん、カオステラー」

 首をかしげてるタオのほうを横目で見て、バカ丁寧に言った。

「……って、見当ついてました? お兄様」

 その辺にしてあげようよ、と言いたかったけど、その前にタオはさっさと結論を出してしまった。

「つまり、そいつを探してシメればいいんだな」

 この4人のイニシアチブを取ろうとする涙ぐましい努力を、レイナは一蹴した。

「誰が?」

 分かりきったことを、と言わんばかりにタオは答える。

「そんなの、俺が」

 レイナは間髪入れずに問いただす。

「どうやって?」

 答えに詰まったタオをフォローすべく、僕は不毛な議論に再び割って入った。

「だからその辺に……」

 だが、僕のささやかな努力はレイナの毅然たる一言の前に露と消えた。

「決定権は私にあります」

 そう断言されたら、僕なんかは「どうぞ」と言うしかない。

 だが、タオはまだ納得していなかった。

「だから何でお前が仕切んだよ」

 レイナは、自信たっぷりに言い切った。

「私に考えがあります」

 それ以上、タオは何も言わなかった。

 ただ、筵を押し上げて出ていくばかりだった。

 その背中を見送っていたシェインは、一言だけつぶやいて出ていった。

「適材適所なのです」


 筵小屋の中を「光の石」がほの白く照らし出している。

 僕とレイナだけが残されていた。

 実を言うと、八つ当たり気味に出ていったタオについていくつもりだった。   だけどシェインに先を越され、出鼻を挫かれて呆然としていたのだった。

 振り向けば、プラチナブロンドのお姫様が僕を見つめている。

 結構、真剣な眼差しで問いかけてくる。

「あなたには分かって?」

 一瞬、何のことだか分からず返答に困った。

 だが、すぐに見当がついた。

 かぐや姫の失踪にまつわる一連の事件。 

 レイナは、カオステラーを見つけ出すべき手掛かりに気づいているのだ。

 僕もしばし考えて、レイナの考えていることになんとか辿りついた。

「キーワードは、決定権」

 これに気づいてほしくて、レイナはわざわざあんなことを言ったのだ。

 もっとも、タオにはあれ以上ゴネさせたくなかっただろうけど。

「そう。言い出しっぺは、決定権を握る帝」


 僕とレイナが筵小屋を出ると、タオとシェインは真っ暗な川べりに座っていた。

 秋の空にまばらな星明りの下で、大きな影と小さな影が寄り添っている。

「……つまらない意地を張るものじゃないです、ガキじゃないんですから」

「ガキが言うな」

「……ガキって言わないでほしいのです」

「子供だろ」

「……子供かもしれませんが」

「無理すんな」

「……してないのです」

 シェインは、もともと口数が少ない。

 それなのに無理してしゃべっているのは、タオを僕たちのもとに戻したいからだろう。

 レイナが何をしようとしているのか、僕よりも先に察しがついていたのだ。

 肝心なときは、タオがいないとどうにもならない。

 かけがえのない仲間だ。

「最近、ヴィランはシェインたちが1人でいる時に襲ってきますし」

「やっぱり、お前もか」

「エクスも」

「レイナは?」

「さあ」

 そこまで聞いて、僕はレイナのほうを見た。

 目立たないよう、懐に「光の石」をしまい込んでいるので、どんな顔をしているかは分からない。

 ただ、囁きは聞こえた。

「私は、何とも」

 そのとき、川べりで大きな影が動いた。

「行ってやるよ」

 立ち上がって僕らのほうへと歩き出したタオを、シェインが呼び止めた。

「……タオ兄、そこ」

 大きな影が立ち止まった。

「エクス? レイナ?」

 タオの声は、いささかうろたえ気味だった。

 川べりでは、小さな影が立ち尽くしている。

 鬼の娘は、夜目が利くらしい。

「あの……シェインたち、そういうんじゃないのです」

「いつから聞いてた? お前ら」

 おろおろする2人の声を聞いてると、何だか悪いことをしたような気がしてならない。

「いや、別に、その……」

 闇夜に漂う、何とも言えず居たたまれない雰囲気。

 それを断ち切ったのは、何をするべきか思い定めたレイナの声だった。

「行きましょう」

「どこへ?」 

 タオは、既に落ち着きを取り戻していた。 

 背中の大剣をガチャリと鳴らす。

 レイナは光の石を掲げて、行くべき方角を指し示した。

「言いだしっぺのところへ」

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