政治的に正しいかぐや姫の物語

兵藤晴佳

この「想区」はどこだ?

第1景 「沈黙の霧」が晴れると


 深い深い霧がたちこめていた。

 その霧が晴れると、いつものように、それまでとは違う光景が開けていた。

 まばゆいばかりの月の光に満ちた都大路の真ん中で、4人の少年少女が呆然と立ち尽くしている。

 広い道の両端に立ち並ぶ瓦屋根の家々にはおよそ似つかわしくない、チュニックやスカート姿である。

 ひとりは、童顔の少年。

 少女のように華奢な背中には、細身の剣を背負っている。

 だが、その顔だちは武器とは不釣り合いに優しい。

 ひとりは、短いプラチナブロンドの少女。

 驚愕の中にも彼女だけがスカート姿で品よく佇んでいられるのは、そこはかとなく全身からにじみ出る育ちの良さによるものだろう。

 少女は、もうひとり。

 長い髪をポニーテールに結い上げた、小柄な娘である。

 その目元口元は幼さを残しているものの、人の言うことなど素直に聞くものかという気の強さがどこかに感じられる。

 最後のひとりは、長身の若者だった。

 背中に大剣、腰には両刃の斧を提げているのを見ると、その肉体の強靭さは服の上からでも分かる。

 最も年かさなのであろう、呆然としながらも、その表情は自信と余裕を失ってはいなかった。

 その4人の中の、ひとり。

 童顔のエクスは数回、眼をしばたたいて考えた。


 ……ここはどこだろう?

 いろんなところを渡り歩いてきたから、慣れているはずなんだけど。

 いつだって、最初は自分がどこだかわからない。

 だけど、こんな眩しいのは初めてだ。

 やがて目が慣れてくると、やっと分かった。

 この眩しい光は、空から降ってきている。

 だから僕は、とりあえず手を額にかざした。

 その光を、プラチナブロンドの髪が照り返しているのが分かった。

 すぐそばに立っている、レイナの髪だ。

 目を固く閉じて顔を背け、手で光を遮っている。

 お姫様だからな。

 どこの国の人かは、未だによく分からない。

 ただ、何かのおとぎ話に語られる世界の人だということは知ってる。

 レイナだけじゃない。

 僕の後ろで、何か武器をガチャリと手に取ったらしいタオ。

 その隣で静かにたたずんでいるだろうシェイン。

 そして、僕。

 みんな、かつては何かのおとぎ話の世界……「想区」の住人だった。

 それは、レイナに会って初めて知ったことだったんだけど。

 

「エクス! あれ!」

 タオが、いつも腰に提げている斧を手にして僕の前に駆けだした。

 実に喧嘩っ早い。

 敵がいるかどうかも分からないのに。

 僕より年上のはずなんだけど、冷静に様子を見るってことができない。

 そういうとこ、嫌いじゃないけど。

 その後ろにトコトコ歩み寄った小柄な影が、ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、ぼそっと皮肉を言った。

「喧嘩吹っ掛けに行くんならおひとりでどうぞなのです、お兄様」

 よく言った、シェイン。

 かつてタオと共にいた「桃太郎」の「想区」で義兄弟の契りを交わした妹分。

 実は「鬼が島」に住んでいた鬼の娘だという。

 普段は物静かだが、たまに口を開くと、ひとつひとつの言葉が確実に標的をぶち抜く。

 そうなのだ。

 僕たちが戦う相手は、カオステラー。

 それぞれの「想区」に生きる者の物語を混乱に陥れる、歪んだ物語の語り手。

 そして、カオステラーが放つ、ヴィランと呼ばれる異形の者だ。

 何もこちらから手を出してまで、いさかいを起こすことはない。

 ましてや、相手を傷つけることなど。

 僕はレイナの背中に手を回して、光の眩しさからかばった。

 別に、どさくさまぎれにお姫様を抱きしめたかったわけじゃない。

 そりゃあ、ちょっとはドキドキするけど。

 カオステラーにかき乱された物語を修復するのが、僕たちの役割だ。

 それを完了する「調律」ができるのは、レイナだけなのだ。

「大丈夫だから、エクス」

 レイナは僕の手をゆっくりと受け流した。

 決して、「払いのける」というんじゃあない。

 この辺はやっぱりお姫様だ。


 僕は、ふとシンデレラのことを思い出した。 

 できれば忘れたい、僕の生まれた「想区」。

 彼女は、その国の王子様と結婚する運命だった。

 「想区」の住人は、歩むべき人生を定めた「運命の書」を与えられているから。

 はっきり言うと、僕は彼女が好きだった。

 継母と義理の姉たちに邪険に扱われ、下女にコキ使われながらも、笑顔を絶やさない。

 そんな彼女に想いを告げられなかったのは、その笑顔で断られるのが怖かったからだ。

 分かってた。

 僕なんか、必要とされてないって。

 実際、彼女のところには、ガラスの靴を持った王宮の使者がやってきた。

 こっそり深夜の舞踏会に行って落としてきた靴が身の証となったらしい。

 やがて、絵に描いたような白馬の王子がやってきて、彼女を連れて行った。

 馬上で王子の背中にしがみつく彼女は、道端に並んでいた見物人の中に僕がいることなんか知りはしなかった。 

 僕は、モブ……その他大勢のひとりに過ぎなかったのだ。


「見て、あれ」

 レイナの言葉で我に返って、白く華奢な指が示すほうを見る。

 天からの燦然たる光の中で、無数の矢が高角度で射かけられては落ちていく。

 だが、間もなくその矢も尽きた。

 それを待っていたかのように、光の中を、銀色の鎧をまとった者たちが雪のように舞い降りてくる。

「戦……?」

 シェインがつぶやく。

「そうかも知れねえな」

 タオのつぶやきには、多少の期待が感じられる。 

 余計ないざこざが起こらないといいけど。

 そう心配している間に、背後からその手の物騒な音が聞こえてきた。

 無数の人々の足音。

 刀剣槍戟とうけんそうげきの刃が触れ合う音が聞こえてくる。

 振り向けば、掲げられた松明という松明の下に、鎧・鎧・鎧……。

 どこの軍勢だろうか。

「来るぜ」

 僕の背後でタオが囁く。

 その言葉の響きに、恐怖はない。

 ちらりと振り返れば、天からの光が薄らいでいく。

 夜のとばりが静かに下りる。

 だけど、真っ暗にはならなかった。

 空には、くっきりと満月が輝いていたのだ。

 その皓皓こうこうたる光の中で、銀色の鎧をまとった戦士たちが広い道いっぱいに広がって、音もなく僕たちに迫っている。

 特にタオとシェインにとっては、正面から。

 挟み撃ちだ。

 無意味と知りながら、傍らのレイナに尋ねてみる。

「僕たち関係ないんだけど」

「こんなゴテゴテしょってるデカブツがいなけりゃね」

 遠回しに即答するレイナに、タオは聞こえるように皮肉を言った。

「こんなポンコツ姫の面倒見なくて済むんなら、もっと身軽になれるんだが」

 タオとレイナの嫌味の応酬に、シェインが冷ややかに水を差した。

「議論は、生き残ってからなのです」

 レイナは即座に応じた。

「ヴィランかしら?」

 やはりこういう時は、女の子同士の方が話しやすいものらしい。

 そこへタオが割り込んだ。

「後ろのはともかく、正面のはそれっぽくない」

 女の子たちに相手してほしくて言っているのではなさそうだった。

 男同士だから分かる、この緊迫感。

 だが、レイナは冷ややかだった。

 そこはやっぱり女の子だ。

「そういうの差別っていうんだけど」

 タオは一瞬、言葉に詰まった。

 軽く咳払いして、皮肉交じりで穏やかに返す。

「いつも厳しいね」

「どうも」

 レイナも皮肉たっぷり、冷淡に答えた。

 僕はため息をついて、背中の剣に手をかける。

 レイナも片手に持った杖を掲げた。

 その後ろには、斧を手に、大剣を背負ったままのタオがいる。

 僕の後ろには、タオの傍らで弓に矢をつがえたシェインがいる。

 タオが振り向きもしないでレイナに尋ねた。

「どっち行く?」

 レイナは、松明を掲げた胸甲姿の武者の一団を見つめながら答えた。

「それ、先頭か最後シンガリかの選択よね」

 つまり、銀色の鎧を着た戦士たちからは遠ざかるということだ。

 賢明な選択だ。

 空から降ってきた方と地面を歩いてきた方のどっちを突破するか。

 手の内が分かりやすい方に決まっている。

 タオが鼻で笑いながら言った

「好きなほう選ばせてやるぜ、ポンコツ姫。リーダー気取るんならな」

 レイナも目を閉じて、肩をすくめた。

「じゃあ、男を見せてね。あなたもリーダーを気取るなら」 


第2景 三十六計逃げるに若かず


 僕はレイナを後に、武者の群れに向かって真っすぐに歩いていった。

 背後のタオがエールを送ってくれる。

「エクス、ポンコツ姫頼んだぜ」

 駆け足で僕に追いすがるレイナは不満そうだ。

 シェインが幼い声で、追い打ちをかけるように言った。

「世話が焼けるのです、レイナは」

 意地になったのか、レイナは僕と武者の一団の間に立ちはだかった。

 松明の下で、軽装の武者は重々しい声で告げた。

「娘、ここは子どもの来る場所ではない」

 その声音は、意外にも優しかった。

 だが、その手は刀の柄にかかっている。

 当然だ。

 彼らから見れば僕たちの姿はかなり異様に映るはずだ。

 レイナの物言いも、どっちかというと慇懃無礼だった。

「私も来たくて来たわけではないのですが……通していただけません?」

 子ども扱いされたのが相当、お気に召さなかったようだ。

 武者は刀を抜き放った。

「怪しげな……物の怪の類か!」

 刀や、先端に片刃のついたポール・ウェポンを手に、各々が左右に散開する。

 だが、レイナはそんなことは気にもしていない様子だった。

 僕を横目でちらりと見る。

「私って、そんなに怖く見える?」

 見かけは可憐だが、本音を言うと、そう見えるときもある。

 お姫様っていうのはそういうものなんだろう。

 穏やかで優しいが、いったん怒らせたら気が済むまで許してくれない気がする。

 だから、敢えてからかうように言ってみた。

「そうだって言ったら怒るだろ?」

 レイナは満面の笑みを見せた。

「あ、そんなに怖いんだ」

 アウトだったか。

 だが、仲間内の人間関係を気にしている場合ではなかった。

「囲まれたよ」

 ぐるりと見渡すと、普通に頼んで通してもらえる雰囲気ではなかった。

 それでもレイナは、嫌みったらしく言う。

「ごまかさないで」

 別にそんなつもりはない。

 僕たちを取り囲んでいるのは、武者たちの一部だ。

 他の大多数は、あの銀色の戦士たちを迎え撃つのだろう。

 やがて、遠間から僕たちの出方をうかがっていたらしい武者たちが、武器を振るって次々に襲い掛かってきた。

 僕たちは、まっすぐに全力疾走する。

 怪我をさせないように、ここを抜けなければならない。

 正面の1人や2人は、軽くかわした。

 だが、3人から4人となると、一度は剣を交わさなければならない。

 レイナの杖が、鎧越しに武者たちを突き伏せる。

 背中から抜き放った僕の剣は、刀を弾き飛ばし、長柄の武器を叩き落とした。

 ばたばた倒れていく武者たちの間を走りながら、レイナは並走する僕を咎めた。

「手加減してる?」

 それは当然のことだった。

「ヴィランじゃないから」

 これがヴィラン共だったら、容赦はしない。

 何事もなく「想区」に暮らす普通の人々の一生をねじまげるカオステラーの手先。 

 「想区」の住人を小さく歪めた異形のモノどもだったら、問題ない。

 倒しても、レイナの「調律」で、元の人間に戻るだけだ。

 逆に言えば、そうでない者は、斬ったら死んでしまうということになる。


 それにしても、武者たちの人数は多すぎた。

 駆け抜けようにも、こう次から次へと立ちはだかってきては……。

 完全に取り囲まれてしまった。

 こうなると、レイナの武器はありがたい限りだった。

 杖ならば、相手を昏倒させるだけでいい。

 僕が刃物を弾き飛ばすそばから、レイナが次々に突き伏せていく。

 無限に続くかとも思われた勝ちパターンが破れたのは、背後から迫る声が聞こえてきたときだった。

「どけどけどけどけ!」

 武者たちを弾き飛ばさんばかりの勢いで、タオが斧を片手に走ってきた。

 シェインがその後に続いたかと思うと、振り向きざまに引き絞った弓から矢を放って、僕たちを追い抜いていった。

 矢は、一条の光の跡を曳いて、音もなく消えた。

 大剣を背負ったタオの後ろ姿に向かって、レイナが叫んだ。

「シンガリの意味ないじゃない!」 

 遠ざかっていくタオの声が答える。

「じゃあお前ら戦ってみろ」

 それを、シェインの声が補足した。

「昔から言うのです、三十六計逃げるに若かずって」

 その瞬間、背後から光が差した。

 僕とレイナの影が長く伸びる。

 その影がかかったところだけを残して、武者たちがばたばたと倒れた。

 振り向いてみて、僕は思わず目を伏せた。

 戦士たちの鎧が眩しい。

 武者たちは、これに目が眩んで倒れたのだ。

 うつむく僕の眼前に、何か眼鏡っぽいものが突き出された。

「はい」

 レイナが傍らから渡してくれたのだ。

「掛けて、エクス」

 勧めに応じてみると、それは真黒な瓶底眼鏡だった。

「何でも持ってるね」

 それがレイナだ。

 ここぞというときに、必要なものをひょいと出してくる。

 都合よく、と言っていいかはわからないけど(また怒られるし)。

 例えば、「導きの栞」。

 僕はもともとシンデレラの「想区」のモブ……「その他大勢」に過ぎなかった。

 だけど、ヴィランからレイナを助けたとき、僕は「空白の書」の存在を知った。

 物語の中で役割を与えられていない者が持つ「運命の書」。

 レイナの持つ「導きの栞」は、これに物語のヒーローの魂を宿す。

 つまり、これを「空白の書」に挟めば、他の「想区」の主人公と一体化できる。

 もっとも、ここで渡された物は、それほどのものではないんだろうけど。

「それしか取り柄がないので」 

 そう言うレイナを見ると、程よく光を遮られた視界の中で、小さな黒メガネをかけた怪しげな少女がいる。

 思わず吹き出しそうになったところで、僕はレイナをかばって、振り下ろされる剣を振り向きざまに受け止めていた。

 ……強い!

 いわゆるバスタード・ソードが、力任せに叩きつけられたまま、ぐいぐいと押してくる。

 潰されそうだ。

 とてもレイナが杖一本でどうこうできる相手じゃない。

 しかも、同じ剣が何本も頭の上から降ってくる。

 歯を食いしばった顎を強引に開けて、僕は叫んだ。

「逃げろ……レイナ!」

 だけど。

 振り下ろされる剣はすべて、見上げる僕の眼前で交差しながら止まっていた。

「どうして……」

 銀色の鎧を身にまとった戦士たちは、フェイスマスクを下ろした兜の向こうで口々に言った。

「なんと殊勝な」

「それでこそ勇者よ」

「そなたたちに危害を加えに来たのではない」

「襲い来る者に対して剣を振るうのみ」

 それぞれが一言ずつ残して、僕たちの脇をすり抜けていった。

 振り向いてみると、どうやら追っているのはタオとシェインらしい。

 僕が察したことを、レイナはきっぱりと口にした。

「タオかシェインが先に手を出したのね、要するに」

 こういうのを自業自得というのだが、知らん顔もできなかった。

 僕が黒メガネを外すと、レイナもそれに倣った。

 互いの顔を観て、吹き出して笑う。

 僕は後を追って走りだした。

「行こう、レイナ」

「人をポンコツ呼ばわりするくせに災難に巻き込むような人でも守ってやるのが仲間なのね、やれやれ」

 長い愚痴を一気にまくしたててから、レイナも走りだす。

 僕たちは、妙に礼儀正しい銀色の戦士たちを追った。


第3景 月夜の都に鬼が出る

 

 銀色の戦士は重武装で、走るのには向いていない。

 それなのに、その歩みは音もなく、そして速かった。

 ようやく追いついたとき、鎧と鎧の向こうに、タオとシェインが見えた。

 僕は壁なす鎧の間を強引に潜り抜ける。

 その後から、レイナの声が聞こえた。

「通してくださいませんこと?」

 戦士たちのひとりが止めた。

「婦女子の行くところではございません」

 レイナが毅然と言い放った。

「向こうにいるのは私の供です!」

 僕がいつ、レイナの下僕になった!

 ちらと振り向くと、戦士たちは礼儀正しく直立して、レイナに道を開けていた。

 さすがはお姫様。

 レディファーストってのは男女の逆差別のことを言うらしい。

 腹の中でツッコみながら、戦士たちの群れを脱出する。

 その向こうでは、タオが武者たちと対峙していた。

「タオ! そいつらはヴィランじゃない!」

 僕は叫んで駆けだしたが、タオにとっては既に意味がなかった。

 無数の刀や長柄の武器が、正面から左右から、いっぺんに振り下ろされたのだ。

 小柄なシェインを背中にかばって、タオは両刃の斧を左右に薙ぎ払う。

 襲い来るすべての武器が吹き飛んだ。

「来るな、エクス! 守る相手が増えると面倒なんだよ!」

「別にシェインは守ってもらってるわけじゃ」

 ぶつくさ言うシェインが弓に矢をつがえる間もなく、武者たちは懲りもせずに刀で打ちかかった。

 一本残らず、タオが片手でかざした斧の腹ですべて受け止められる。

 手首の返しひとつで流されたかと見えた刀の数々は、次の瞬間、逞しい腕が肘の先だけでぐるりと円を描いたかと思うと、月の光もさやかな夜空に高々と弾き飛ばされていた。

 しばしの沈黙が、幅の広い道をしんと満たした。

 やがて、武者たちの間で微かなつぶやきが漏れ、互いの囁きに変わっていった。

 おに……。

 オニ……。

 誰か1人が叫んだ。

「鬼だ……!」

 武者たちは口々に叫んで、僕たちに背中を向けて逃げだした。

「鬼だ! 鬼が出た!」

 背の高いタオの傍らで、小さなシェインがぼやいた。

「鬼はシェインなのですが」


 武者たちが逃げていく先で、瓦屋根は途切れていた。

 大きな川があるようだった。

 幾重にも反りを打った立派な橋が、満月の光に凛として浮かび上がっている。

 その橋を渡りきった武者たちが、それ以上逃げることはなかった。

 次々に踵を返して、再び身構える。

 理由は、すぐに分かった。

 彼らの後ろから、同じような武装の者たちが大挙して現れたのだ。

 レイナが僕に囁いた。

「援軍ね」 

「どうする?」

 僕の問いに、レイナは答えなかった。

 橋の向こうに武者たちが合流し始める。

 後ろを見ると、銀の鎧の戦士たちが長弓を携えて散開し始めていた。

 明らかに、集団戦闘の構えだ。

 戦士たちの態勢が整う前を狙ったのか、矢が一本、ぶうんと唸って飛んできた。

 狙いは、「鬼」と呼ばれたタオのようだった。

 両刃の斧の一振りで、真っ二つに切り落とされる。

 だが、それが戦闘開始の合図のようだった。

「みんな、伏せて!」

 レイナの叫びと同時に、川を挟んで矢が飛び交いはじめた。

 僕がかばう前に、もうレイナは地面に伏している。

 シェインも、弓に矢をつがえたまま屈んでいた。

 どちらと戦うべきか考えあぐねているようだった。

 ……戦わなくていいよ。

 彼らは、この「想区」でそれぞれの「運命の書」に従って生きる普通の人々だ。

 カオステラーに惑わされたヴィランたちとは違う。

 仮に喧嘩や戦を始めても、傷つけたり、殺したりしてはいけない。


 だけど、この戦いは一方的だった。

 地面に伏せて見ているだけでも、倒されていくのは武者たちばかりだった。

 飛んでくる矢は、銀色の鎧に当たって、というより当たる前に、ヘロヘロと落ちる。

 橋の向こうの武者たちは、味方の大敗に弓を捨てたようだった。

 ある者は抜刀し、ある者は再び長柄の武器を手に取る。

 大軍が、喚声を上げて橋を渡ってきた。

 銀の鎧の戦士たちは、弓を射る手を止めない。

 攻撃されれば、徹底的に相手を殲滅するのが彼らのやり方らしい。

 傍らを見ると、地に付したレイナが目を固く閉じて震えている。

 ……逃げた方がいいんじゃないか?

 そう思ったとき、レイナがつぶやいた。

「放っておけない」

 その通りだ。

 でも、どうする?

 僕たちは、戦えない。

 どうやら騎士道精神があるらしい戦士たちはともかく、武者たちが全滅することなく橋を渡りきったら、僕たちもなりふり構わず攻撃されるだろう。


 その時だ。

 両刃の斧を手にした長身の逞しい若者が、橋に向かって疾走した。

 タオだ。

 前から後ろから来る無数の矢を、縦横無尽の体さばきで斬り落としていく。

 その技と力を、ついさっき目の当たりにしていた武者たちは、橋の真ん中をすぎないうちに立ちすくんだ。

 タオは橋の欄干に飛び乗り、斧を腰に提げるや、身長ほどもある諸刃の大剣を背中から外した。

「そこから一歩でも動いたら命はないぞ!」

 大剣を両手に持って、高々と振り上げる。

 その気迫に、飛び交っていた矢の応酬が止んだ。

 橋の途中で佇んでいた武者たちは、慌てて逃げ戻る。

 逆手に持った大剣が、欄干に突き立てられた。

 その瞬間。

 橋が崩れた。

「タオ兄!」

 シェインが悲鳴を上げて、川のほとりへと駆け寄った。

 僕とレイナも走った。


第4景 白馬の使者がやってきた


 満月の光まぶしい瓦の連なる都。

 その中央を貫いて流れる川のほとりで、タオがひとり佇んでいた。

 大剣は、清らかな月光に照らされて河原にそそり立っている。

 その輝きは、両岸で互いに睨みあう武者たちを誘う墓標のようだった。

 崩れた橋の両端それぞれに、武者と戦士たちも集まってきた。

 やがて、武者たちの一団が二手に分かれて道を開けた。

 現れたのは、夜目にも白い馬に乗った、白い衣装の男だった。

 武者たちが一斉にひざまずいたところを見ると、身分の高い人物らしい。

 顔はよく見えないが、白い。

 頭に、先端の丸い、丈の高い、黒い帽子をかぶっている。

 その男が懐から何やら巻紙を取り出して開くと、武者たちは一斉にこうべを垂れた。

 川向こうからでもよく通る声で、男は高らかに巻紙を読み上げた。

「勅旨! 姿を消したかぐや姫が見つかるまで、一切の戦、まかりならぬ!」


 武者たちは、雪崩を打って逃げ出した。

 白馬の使者が持ってきたお触れに恐れをなしたのだろうか。

 いや、どっちかというと、橋をひとつ落としたタオに怯えたというほうが正しいきがする。

 その恐怖が伝わったのか、白馬は暴れて、使者を振り落としたまま駆け去った。

 使者はというと、逃げる武者たちの一団に担がれて姿を消す。

 僕たちは川向こうが静まり返るのを確かめてから、残骸と化した橋のたもとまでタオの様子を見に行った。

 タオは、川のほとりから大剣を引き抜いていた。

 それを満月にかざして、満足そうに眺める。

 やがて、月夜の堤防をえっちらおっちら登って帰ってきた。

 その顔が見えたとき、この一言が真っ先に聞こえた。

「あいつらは?」

 そういえばと思って振り向くと、いつの間にか音もなく姿を消してしまったようだった。

 タオが悔しがることといったら。

「本気を出せばあんな連中」

 レイナもシェインも、呆れて相手にしなかった。

 この分だと、しばらく喚き散らすだろう。

 なだめるのは、僕の役割になってしまったようだった。

 すぐさまその場を離れなければならないのだから、そのくらい仕方がない。

 僕たちの敵はカオステラーと、その手先のヴィランたちなのだ。

 そいつらと戦う前に、「想区」の住人たちと争って命を落とすわけにはいかない。

 どこかに身を隠す必要があった。

 だけど、どの「想区」に行ってもそんな事情は住人たちの知ったことじゃない。

 頼る者がない以上、あてずっぽうに歩き回るしかなかった。


 確かに、かぐや姫のことは覚えている。

 その「想区」にも、こんな瓦屋根の家々と土壁に挟まれた、迷宮ラビリンスのような道が縦横に交錯する都があった。

 だけど、ここが同じ「想区」だとしても、どこにどんな道があったかなんていちいち覚えちゃいない。

 こういうとき、常にリーダーシップを取るのはレイナだ。

「こっちへ行きましょう」

「本当に大丈夫か」

 タオなんかは不信感を剝き出しにする。

 よせばいいのに、レイナもムキになって言い返す。

「女のカンです」

「そんなもんアテになるか」

 こういうとき、割って入るのはシェインだ。

「その議論が時間のムダなのです」

 もっともな理屈だった。

 少しでも早く、戦闘があった場所から遠ざかって身を隠さなければならない。

 だけど、僕たちは少し冷静に考えるべきだった。

 道が分からない以上、誰の意見に従うのも同じだということを。

 そして、レイナは一度通った道を何度でも選ぶ方向音痴だということを。

 満月の光を頼りにあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちに、僕たちの目の前には、さっきと同じような胸甲を身に着けた武者の一団が出現した。

 シェインがつぶやいた。

「追ってきた相手と鉢合わせなのです」

 来た道を慌てて戻ろうとすると、小路を曲がってきた、別の武者の一団が行く手を阻んだ。

 いわゆる挟み撃ちの状態だった。

 さっきと構図は似ているが、決定的な点が違う。

 さっきは、対峙する戦士と武者の対決に挟まれていただけだった。

 今度は、向かい合う武者と武者が、僕たちを狙っている。

 タオは大剣を、シェインは弓矢を構えた。

 僕も、背中の剣を抜いた。

 乱戦は必至だった。

 だが、この元凶となる判断を下したレイナは、僕たちにきっぱりと告げた。

「武器を捨てましょう」

 もちろん、タオが聞くわけがない。

 実を言うと、僕自身もこの状況下で丸腰になるのは抵抗があった。

 簡単に捕まっていいんだろうかという不安があったのだ。

 シェインはと見れば、タオの様子をうかがっている。

 いつも偉そうなツッコミを入れているが、いざというときはタオに判断を委ねてしまう性質なのだ。

 レイナは……。

 地面に杖を投げだしたが、放棄する物はそれだけにとどまらなかった。

 出るわ出るわ。

 どこに隠していたのかと思うような小刀やバグ・ナク、吹矢の類にいたるまでが地面に放り出された。

 その上で、レイナは武者たちにあっさりと言い切った。

「抵抗の意思はありません。あなた方の主の仰せに従います」

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