第4話 対面

「……にうえ……、ウス……ナ……!」


 スイは、誰かの呻き声で目を覚ました。うっすらと朝の光さす室内。重たい頭を抱えながら身を起こし、呻き声の主に視線を向ける。

 自分とちょうど反対側に横たわっているのは、見た覚えのある顔だ。そう、確かあの時、ツキクサと一緒に川で──。


(──っそうだ、治療)


 無意識に立ち上がろうとしたスイは、酷い目眩を感じてその場に膝をつく。身体重くて怠いし、頭は心なしかぼーっとしている。スイはぐるぐる回る目を閉じ、記憶の整理を行う事にした。

 彼女の記憶は、あの小川でストップしていた。今いるのは間違いなく自身の家だ。時間はきっと朝だろう。誰かが自分とこの旅人を運んでくれて、尚且つ自分は朝になるまでずっと眠っていた。そういう事だろうか。


「スイ、起きたのか」

「じじ様」


 外で作業をしていたらしい祖父が、物音を察知して部屋の中に入ってくる。身を起こそうとするスイを手で制止すると、その場に再び横にならせた。

 スイの額や首の下を触ったりする祖父の仕草は、珍しく焦っているように思える。水仕事をしていたのだろうか、祖父の手はひやりと冷たい。朝の水仕事はスイの担当だ。

 スイは、掛けられている毛布の端を両手でちょこんと掴み、しゅんとした。


「勝手な事をして、心配させてしまってごめんなさい……」

「……スイよ」


 皺だらけの節くれだった手が、スイの額をそっと撫でる。その心地よい感触に目を瞑りたくなるが、スイは優しげな笑みを浮かべる祖父の顔を見上げた。


の今の主はお前じゃ。どう使うかは、全て自分が判断する事。……ただ」


 祖父は、額を撫でていた手を自身の膝の上に置く。スイはゆっくりと起き上がると、姿勢を正して祖父に向き直った。


「ご先祖様のお言いつけを忘れぬように。そして、あまり無理はせんようにな」

「……はい」


 スイはこくりと頷き、胸元に下がっている玉を握りしめる。細い朝の光を浴びた青磁色の玉は、まるであの川辺での事がなかったかのように何の変鉄もないただの玉へと戻っていた。

 しばらく両者無言のまま時間が過ぎる。スイはフーと息を吐くと、柱に掴まってゆっくりと立ち上がった。僅かな目眩を感じるが、歩けないほどではない。腰まである三つ編みを手で後ろに払うと、彼女は光が漏れ差している出入口へゆっくりと向かった。


「じじ様、残りの水汲みは私がやります」

「スイ、もっと寝ていなさい」

「もう元気になりました。じじ様こそ横になっていて下さいな」

「全くもう……あ、待ちなさい」


 スイは祖父の制止の声に振り返る。彼女が振り返ると、胸元の玉が一緒に跳ねた。 

 彼女の祖父は一呼吸おいてから口を開いた。


「服の中に、しまっておきなさい」


 スイは無言のまま頷くと玉を服の中に入れ、置いてあった甕を抱えて走り出した。


 スイには、生き物の負った傷を癒やす力がある。正確には、スイの胸元にある玉によるものだ。

 この玉は先祖代々受け継がれてきたもので、スイの代で二十七代目になる。スイの前は彼女の母で、その前は現在一緒に暮らしている祖父だった。

 玉の力を使えるのは「主」であるただ一人だけだ。「主」が死亡するか子孫をつくるかすると、「主」の役目は自動的に子孫へ引き継がれる。

 この玉の起源はあまりはっきりとはしていない。分かっているのは、一代目の「主」が、とある方からお借りしてきた物という事。そしてもう一つ。


『呪いの宝玉』


 この玉は世間ではこのように呼ばれている、という事だ。


「よいしょ。ふう」


 スイは近くにある井戸まで辿り着くと、甕をその場に置いて額の汗を拭った。まだ夏本番ではないとはいえ、雲一つない青空に浮かぶ太陽の日差しは強い。

 朝の澄んだ空気を吸って深呼吸しつつ、汲んだ水を口に含む。そしてそのままパシャパシャと顔を洗い始めた。


(私、救えたんだ)


 まだ体が怠い感じはする。軽い目眩だってある。しかしスイの心の中には、何とも言えない充実感があった。

 スイはじっと自分の手のひらを見つめる。この手で、自分は人の命を救ったのだ。あの人を苦しみの淵から救えたのだ。


(今度こそ、出来た……!)


 そう思うと自然と笑みが浮かび、口元が緩んでくる。胸元にそっと手を当て、天にいる父母を思いながら目を閉じた。

 しばらくそうしていると、背後から足音が近付いてくる。振り向くと、愛犬のツキクサがガバッと飛び込んできた。


「ツキクサ! 昨日はありがとう」


 白毛のツキクサは、スイの頬をペロペロと舐めながらスリスリとすり寄ってくる。

 ツキクサは、いつも日が大分高くなってから目覚める犬だ。だからこのように朝から活動的なのは、随分珍しい。昨日目の前で倒れてしまった事で、心配をかけてしまったかなとスイは思った。そう考えると、今必死に自分へすり寄ってくるこの小さな犬が、大層愛らしく見えてくる。


「ツキクサ……ごめんね、ありがとう」


 その細い体をぎゅっと抱き締めると、ツキクサは急にスイの胸の中でもがきだした。手の力を緩めてみると、半弧を描いてスイの元から飛び出し、家の方へ駆けていってしまう。

 いきなりどうしたんだろうという疑問はすぐに解決された。戸口の横には今中から出てきたらしい人影があり、ツキクサはその人物の足元でキャンキャンと駆け回っている。


(……?)


 朝の眩しい日差しで、家の前は影になり立っている人物の姿があまり見えない。それでもよく目を凝らすと、どうやら長身のその人物は身を屈めてツキクサの頭を撫でているのが分かった。

 スイの心はピンと引き伸ばされる。すっくと立ち上がって、戸口まで一直線に駆けていった。

 起きた。瀕死だったあの人が、目を覚ましたのだ。彼女が駆け寄って行くと、彼はツキクサを撫でるのを止めて彼女へ姿勢を正した。


「おはようございます! ご気分はいかがですか?」


 スイは心から溢れ出る満面の笑みを浮かべたまま、相手へ問いかける。近寄って見る顔は、昨日見たときと比べて随分と元気そうだった。意思の強そうな太い眉、ぱっちりと開かれた目。

 彼は、かなり驚いているように見えた。不思議に思ったスイが下から顔を覗きこむようにすると、バッと顔を背けて家の裏手へ走っていってしまう。


「……?」


 ツキクサも彼の後を後を追ってこの場から去った。一人残されたスイは、コテンと首をかしげるのだった。

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青磁色物語 カンリ @misplaced

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