第194話 焦れったいのでやらしい雰囲気にしてきます

 ボス部屋を乗り越えた先、ダンジョン10階洞窟の街。


 石階段の踊り場にて、リベリオンズのリーダー中村なかむら賢人けんとが腰かけていた。


 龍の素材は既に運び終わっており、この後は書記官とギルド職員が奮闘するだけである。


 大仕事をやり遂げたはずの彼は、何もない手の平を見つめて、やらかしてしまったような苦い表情を浮かべていた。


 つい先程の、苦々にがにがしい記憶がよみがえってしまったのである。


 思わずその手で、自らを罰するように己の側頭部を殴った。

 払った際に指先に残った生々しい感触は、生涯脳裏にこびりついて取れないかもしれない。


「やっちゃった……どうしよう……」


 振り払いあれよりも無難な行動は、いくらでも存在したはずである。


 ついつい脳内であの時の状況を再現し、別の言動であればこうなっていたんじゃないかと妄想シミュレートしてしまう。


 実に滑稽こっけいであった。

 何億何兆と模索した所で、既に後の祭りであるというのに。


「……あ」


 目も隠れてしまう長い前髪が、風でふわりと揺れた。

 ここは洞窟内であり、自然風は起こるはずがない。


 続いてカランコロンと、木の音色が軽やかに響く。


「こんばんは英雄君。

 活躍はばっちり見させてもらったよん」

「クラマさん!」


 自然体で少年へと歩いていき、当然のように隣に座った。


 距離を詰められても不快感を感じないのは、彼女の持つ陽気な雰囲気によるものなのであろうか。


「……とても素直そうな子だったね?」


 誰を指しているのかは、名を言わずとも分かった。


「君の女友達かい?

 なかなか隅におけないじゃないか」

村上むらかみ綾香あやかっていいます。

 なんでもそつなくこなす、僕の自慢の幼馴染です」

「そんな大切なあの子に、あんなそっけない態度を?」


 やはりその話題が来たかと、中村は大きく息を吸い込む。


「気に入らない所があるとか?」

「そんなことはありません!」


 思わず立ち上がり、手を強く握りしめた。


「勉強もそつなくこなして、スポーツ万能で、好きなものも同じだから話が弾む!

 僕にとって村上さんは、完璧で究極の女神と言っても過言ではありません!」

「ならどうして女神様にあんな態度を?」

「それは……」


 思春期真っ盛りの男子は、うなだれるようにベンチに腰掛ける。


「ここにはちょうど、あんたとあたししかいないわけだし?

 嫌じゃなかったら聞かせてほしいな」


 人生経験豊富な妖怪は己を指さした。


 その提案を受けて、中村は膝に手を当てて熟考する。


 今抱えている暗い気持ちは、元クラスメイトの師匠や、パーティメンバーに打ち明けるのは気恥ずかしさを覚えた。


 クラマであれば、しっかりとした答えを返してくれるであろうし、何より前回相談に乗ってくれたこともあり、他と比べて打ち明けやすい。


 チャンスかもしれない。

 ここが人生の分岐点かもしれないと、少年の心に光が差す。


「……クラマさんからすれば、実にくだらない話かもしれません。笑わないで聞いてくれますか?」

「その言い回し流行ってるねぇ」

「へ?」

「失礼、口が滑った。忘れて忘れて、続けて続けて。

 人の話を虚仮にするほど落ちぶれちゃいないさ」


 中村は、クラマと地面を繰り返し見た後、おずおずと口を動かした。


「クラマさん。

 僕はライトノベ……僕が元々いた場所の物語が大好きだったんです」


 使おうとした単語が元の世界固有であると気が付き、相手にも分かる言葉へすり替える。


「その物語ではよく、とっても可愛い女の子が、男主人公を愛するという展開がよくあります。

 最初はその展開にニヤニヤできていたんですが、ある時ふと疑問が浮かんでしまったんです。『この主人公は、こんなにチヤホヤされるほどの男なのか?』と」

「その心は?」

「そうですね……」


 己が感じた感情を相手にも味わってほしく、良い例えがないか記憶を掘り起こす。

 ひとつ見つかった。


「何も取り柄がなくていつも弱音ばかりのいくじなし主人公に、文武両道の完璧美少女が仲良くしてくれる。

 こんなお話があったらクラマさんはどう思いますか?」


 面白そうだし展開と結末を読んでみたい、というのがクラマの正直な感想であった。

 しかし同時に、目の前の少年が望む答えは、否定的な見解なのであろうとも読み取れる。


 少女の頭蓋に収まる知識を総動員し、最適な言葉を選んだ。


「ちょっと……眉をひそめちゃうかな?

 主人公に都合が良すぎて現実味がないというか、そういう設定にしたいんだろうなっていう作者の顔が透けて見えちゃうっていうか」

「ですよね? ですよね!」


 自らの主張が通った事への嬉しさか、少年は拳を握りしめて説明を続ける。


「モテる男には、しっかりとした好かれる理由があると思うんです!

 どんな強敵からも守り切れるほど腕っぷしが立ったりとか、

 どんな困難も切り抜けられるほど賢かったりとか、

 どんな小さな悩み事も気付いてあげられる優しさを持っていたりとか!」


 熱弁する彼の背中には、どこか悲壮感が漂っている。


 『そうである』と確信しているというよりは、『そうであるべきだ、なければならない』と信じたがっているのかもしれない。


 知らないうちに声を張り上げていたことに気が付いた中村は、深呼吸をして視線を足元の石畳へと落とした。


「……どれも昔の僕には持ち合わせないものでした」


 懺悔するような声色こわいろであった。


「今は少しマシに……多分恐らくなったとは思うんですけれど、

 昔の僕は、それはそれは弱くて考えなしで、人と会うことに消極的で救いようのない人間のカスみたいな存在だったんです」

「そこまで言うか」


 普段の中村を知っていれば度肝を抜かれる罵詈雑言の嵐に、思わずクラマも苦笑を浮かべる。


「……あんたは人の悪態とか口にしない代わりに、徹底的に自分自身をこき下ろしちゃうんだねぇ」

「事実ですから。僕は……昔の僕が世界で一番嫌いです。

 それこそ……中曽根君に虐められても、しょうがないかって思えるぐらいには」


「寝る前なんかに、過去の恥ずかしい記憶を思い出して、『どうしてあんなことしたんだ、馬鹿』って悶えているんじゃないかい?」

「なんで分かるんですか⁉」

「……年の功ってやつさ、続きを聞かせておくれ」


 冗談のつもりだった例えが正鵠を得てしまい、驚愕の表情を浮かべる青年へ、山伏はふふんと笑って話を元の論点へと戻す。


「そんなどうしようもない昔の僕を、村上さんは見損なわずに根気強く付き合ってくれました」

「いい子じゃないか」

「そうです。素晴らしい人なんです。

 けれど、僕は……………………僕は!」


 今まで押さえつけていた激情が、理性を振り切って喉の奥にこみ上げた。


「……そんな……構ってくださる・・・・村上さんが……怖かったんです!」


 しん、と場に静寂が訪れる。


 言い切った少年の心に、『失望されたのでは』という絶望的疑念がよぎった。

 慌ててクラマの方へ顔を向けると、真剣な表情で腕を組んで考えている姿が確認できる。


「幼馴染なんだろう? 困っていたら助けても不思議じゃない。何に怯えるのさ?」


 いつもの明るい声色を聞いて、良かったと中村は安堵した。


 この人は、過剰に期待をせず、かといって見下げ果てたりもしない。

 等身大ありのままの中村賢人を受け入れてくれると知れて、少しだけ心が軽くなった。


「……幼馴染なんて関係は、そんな特別なものじゃないです。

 小さい頃にたまたま近所に住んでいた、というだけの話じゃないですか。

 小学中学……多くの人と触れ合うようになれば、僕より魅力のある男子はいくらでも見つかって、普通ならそっちに惹かれていくものだと思います」


 少年の脳内に影山や遠藤、言峰や中曽根らの姿が思い浮かぶ。

 実力も魅力も、己を上回ると確信する者たちであった。


「……なのに!

 村上さんは僕に失望するどころか、今まで以上に僕に親しくしてくれたんです!

 天地がひっくり返っても、他を差し置いて選ばれるほどの価値なんてないのに」

「そう昔の自分に失望してやるなよ。

 思い出の中では愚鈍に見えるかもしれないけれど、その時その場所の君は精一杯やっていたと思うぞ?」


「そう……ですかね? そうだったら……嬉しいです。

 けれど……何度客観的に考えてみても、あの時の僕は男として絶対にハズレ枠でした。

 それでも選んで……向き合ってくれた村上さんの本心が……見えなくて……分からなくて……不気味で……怖くなってしまったんです」


 魔は、より邪悪なる魔を集める呼び水となる。


 少年の心中に住まう悪い想像は、より悪い想像を次々と呼び寄せた。


「む……村上さんは僕の事をどう思っているんですかね?」


 悪循環の果てに、一つの絶望に辿り着く。


「村上さんは誰にも優しいから……長馴染みという関係だけのクズを見捨てられないから……話してくれてるだけなんじゃ……

 本当はもう僕に対する気持ちなんて冷めきって」


 中村が最悪の想像を言い切ることはなかった。

 彼の頭にクラマが手を置いたのである。


「よく吐き出した。

 よくあたしに話してくれた」


 情けないと失望されることを恐れて、誰にも打ち明けられず心の奥底に押し込め続けてしまい、こじれにこじれた十年物の感情。


 それを吐露できた少年の勇気を、烏族テングの頭領は賞賛した。


「……まず、ムラカミの気持ちだけあたしの結論を伝えておこう。

 間違いなくあんたの事が大好きだ」

「そんな⁉ ……本当に?」


 中村の反応は、喜びよりも困惑の色が濃かった。


 当然である。

 この断言は、彼が持つ恐怖の根源を何一つ解決していないのである。


 しかしクラマは慌てない、これから順番に解きほぐしていくのであるから。


「あんたが炎龍のブレスで死んだことになってたとき、ひたすら特訓していたそうだよ。

 強くなって、ダンジョンに置いてきぼりになったあんたを助け出したいってね」

「……」

「全財産賭けてもいい。

 好きでもない男にそんな時間を割くほど、女ってやつは暇じゃない」

「……どうしてそんなに僕を?」


「あたしが考えるに、ナカムラの言う通り『これだ』って感じの大きな理由はないと思う」

「そう……ですよね?」

「でもさ? そんなに大きな理由に固執しなきゃダメかな?」


 目を丸くして動揺する少年を見て、クラマは確信した。


 中村賢人の心の闇を払うには、まず彼という人間の恋愛観に切り込まなくてはならないのであると。


「もちろん明確な理由があるに越したことは無いさ。でもね?

 『この人のこういう所がこうなので、あたしは彼が好きだと思います』なんて、読書感想文みたいな宿題をしなきゃ誰かを好きになってはいけない世界なんて、あたしはまっぴらゴメンだ」

「大きな理由……なくてもいいんですか?」


「いいじゃないか。

 一緒に遊んで楽しかった、沢山話して満足した気分になった。

 そういう小さな幸せが積み重なった、大きな理由のない純粋な『好き』があってもさ?

 ムラカミはその手だと、あたしの女の勘が言ってる」

「純粋な……理由のない」


「物語と現実をごっちゃにしちゃったんだよ、あんた。

 気になるあの子に振り向いてもらうにはしっかりした理由が必要だ、なぜならヒロインは明確な理由があって主人公を好きなんだから、てさ。

 人一倍物語を読んだからこそ、生まれてしまった弊害ってやつかね」

「そんな風に村上さんが思っててくれたら……嬉しいです。

 でも!」


 本人が長年かけてはぐくんだ価値観に関わる部分であるからか、中村は素直に引き下がらなかった。


「昔の僕って、好きになる大きな理由が無いかわりに、嫌いになりそうな大きな理由がいくつもあると思うんです。

 それでも、クラマさんの言う純粋な『好き』って当てはまりますか?

 ……頑張って説明してもらっているのにすみません」

「気分が沈むとこまで沈んじゃってるねぇ」


 クラマは、中村の反応を良しとした。


 分からないと表現した村上の『好き』の正体を理解したことで、彼は大きく前へ進めると確信していたからである。


 今度は『嫌いにならなかった理由』についてであった。


「ちょっとたらればの話をしようか」

「はい?」


 山伏は少年の前に開いた手の平を見せ、親指を曲げて一つ問いを投げ掛ける。


「もしも、ムラカミの性格が弱気だったら、君は嫌いになるかい?」

「ありえません! 僕ごときが生意気かもしれませんが、守ってあげたというか抱きしめてあげたいというか」


 彼の即答に微笑んだ彼女は、人差し指を曲げて次の問いへ移る。


「もしも、ムラカミが運動音痴だったら、君は失望するかい?」

「絶対にないです! ギャップがあってとても可愛いと思います!」


「もしも、ムラカミが勉強苦手だったら、君は見下すかい?」

「そんなこと……」


 三つ目の問いにて、中村は何かに気が付いたように言葉が詰まった。

 彼女が挙げた欠点は、先程自己嫌悪した際に述べた欠点そのままなのである。


「ムラカミにとってはさ、君の『嫌いになる大きな理由』って欠点も、ひとつの魅力だと受け取ったんじゃないかい?

 今のあんたみたいにさ」

「……」


 クラマの話を聞き終えた時、中村は無意識に胸に手を当てていた。


 いったい自分は、今まで何に怯えていたのであろうか。

 怯えるようなものは、何もなかったというのに。


「最後になるが、一つ謝らせ欲しい。

 周りに誰もいないっていうのは……嘘だ」

「え?」


 相談相手からの突然の謝罪。

 中村は思わずクラマへ顔を向けると、彼女は親指でどこかを指していた。


 指さす方角を目で追っていくと、








「村上…………さん」


 誰もいなかったはずの場所に、先程あんまりな態度をとってしまった彼女・・が立っていた。


 少年の心は驚愕一色に染まった後、胸の内を一から十まで聞かれた羞恥心に素早く侵略された。


「ず……ずっと抱え込んでて……惨めで……申し訳なくて……」

「賢人君」


 上手く舌の回らない彼の名を、幼馴染は優しく呼んだ。


「お願い……ほんの少しでもいいから、私とお話しする時間をください」

「……うん…………分かった」

「でも……その前に……ね?」


 衝撃が中村賢人の身体を襲った。

 一人の恋する乙女が、今までの感情を全て抱えて抱きついたのである。


 特訓によって傷まみれの白い指が服に深く食い込む。もう二度と離さぬように、強くしっかりと。


「生きててくれて……ありがとう! 大好きだよ!」

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