第192話 流星空を穿つ

 目に映る全てが亜音速で通り過ぎ、体の節々から悲鳴のような軋みを感じる。


 常人であれば、現世と賽の河原を百回シャトルラン出来てしまう重力加速度G

 これを、鍛えぬいた龍の肉体で何とか耐えた。


 実に無茶苦茶な戦法であった。

 発案者兼弾丸の中村賢人は心中で苦笑する。


 しかし、極意の合体などというふざけた着想がなければ、与えられた課題に突破口は開かなかった。


 Lvレベルを上げようが、スキルを取得しようが、決して崩せぬ師の馬鹿げた防御力。


 個人で出来る事全てを封殺され、光明を見出せぬ鬱屈とした日々が続いていた。


 特訓最終日に至り、中村はおろか遠藤までもが小難しい考えを捨てて吹っ切れてしまう。

 もうここまできたなら、いっそのこと全部特盛にして特攻してやろうと。


 そんなヤケクソな気持ちが奇跡を生み出したのであるから、土壇場まで追い込まれた人間の発想は計り知れない。


 一番の関門であった姿勢制御も無事に終え、飛び蹴りの体勢にて龍へと迫っていく。

 着弾までは、一秒を切ったといったところか。


「っ!」


 到達地点を視認した中村の心胆がゾっと冷えた。

 牙を並べるあぎとの奥底で、死の光が満ち満ちていたのである。


 アーガーベインとセシリアが、すんなりと距離を取れたわけである。


 龍は彼らの撤退を、群がっていた虫が逃げた腹立たしい事態ではなく、邪魔なくブレスを浴びせる好機と判断したのである。


 敵ながらその冷静な思考には、感服の一言に尽きる。


 もうブレスは発射寸前であり、こちらの攻撃よりも一手早い。


 仮に放たれれば、この場につどってくれた大勢の仲間が塵芥に帰し、微かに見えていた勝機も完全に失ってしまう。


 何かしようにも、遠藤ほど聡明でない頭からは何も打開策が浮かび上がらない。


 億が一奇跡的に閃いたとしても、空中に浮いたこの身とブレスまでのコンマ数秒では、手段も時間も絶望的に限られてくる。


 絶体絶命の中で、中村は














 反射的に右腕を上げた。


 傍からは、何かを投擲するような姿勢にも見える。


 中村自身も何故このような挙動を行ったのか理解できず、具体的な説明は不可能であった。


 強引に理由をつけるとすれば、中村賢人に眠る傑物の資質とでも言えば良いのであろうか。


 ここに至るために備えていた強さも手段も絞りつくした後、最後に自らに寄り添ってくれるもの。

 かつての窮地で発露した、ただでは死んでやるものかという成し遂げる意思が、小さな身体を突き動かしたのである。




 あがき・・・は無駄にならなかった。


 蠅の珍妙な姿勢を捉えた炎龍は、脳髄の奥底に眠らせていた忌まわしい記憶を掘り起こしてしまったのである。


 かつて己が生まれた際、同じようにブレスで敵を焼き尽くそうとしたその時、とある少年が目潰しの粉を口内に投げ入れた。


 唐辛子の悪辣な痛みは、舌の上で好き勝手暴れまわり、実に耐えがたいものとして味覚と海馬に刻み付けられていた。


 そんな忌々しい思い出を与えてくれたあの時の少年と、目の前に迫る振りかぶった姿の少年が重なってしまったのである。


 あの赤い悪夢トラウマが否応もなく蘇り、大きく開いた口を反射的に閉じさせた。


 偶然か必然か、生まれた一瞬の躊躇。

 射手と弾丸にとって喉から手が出るほど欲しかった、値千金の隙であった。




 硬い物質同士が衝突した甲高い音が、洞窟内の全ての者の耳をつんざいた。

 続けてビキリと罅割れる音、肉を抉る不快な音、


「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA‼」


 最後に龍の絶叫が轟いた。


 肩から胴体にかけて大きく抉られた炎龍が、絶対的強者の威厳も尊厳も投げ捨てて、生物の本能に従って悶えていたのである。


「畳みかけろぉ‼」


 千載一遇の好機を確信したフィンケルが、魂を削るような怒声で号令をかける。


 勇者が、冒険者が、騎士が、戦闘滅魔神官クルセイダーが、各々おのおのが持つ切り札を痛々しい傷口へ無慈悲に叩き込んでいく。


 大勢は決した。


 あの遠征の日、屈辱の逃走を乗り越えて今、

 ビルガメスによって生み出された災厄の息吹は、静かにこと切れた。

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