第185話 断章/談笑 一読者と小説家
オイレン・ズューネは、辺境に土地を持つ四等子爵の八男として生を
彼の父は熱心な読書家であり、自前の図書館に名だたる傑作を揃える程の傾倒ぶりである。
この親にしてこの子ありというべきか、オイレンは物心つくとすぐに書籍のとりこになり、他の兄弟たちから『本の虫』と
ある時の事である、数えきれないほどの物語に触れたオイレンの心に転機が訪れた。
「この本に登場する勇者と、この本に登場する吸血鬼が一緒に冒険したら、とっても面白いんじゃないかな?」
『物語を読む』ことの楽しさしか知らなかった彼が、新たに『物語を創る』ことの楽しさを覚えたのである。
勉強と鍛錬の傍ら、ストーリー構成という名の妄想に
今まで触れた
しかし、オイレン自身はその物語が秘める面白さに自信を持っていた。
この話を書籍にすれば多くの人を虜にするだろう、いやするに違いない。
この完成品に対する冷めやらぬ興奮こそが、小説家オイレンの出発点であった。
今の己の創作能力がどれほどのものか、王都という広い舞台で試してみたくなったからである。
親は内向的な性格であったオイレンの自発的な行動を大いに喜び、八男という身軽な立場も手伝ってあっさりと許可を下した。
ルべリオスの王都へ足を踏み入れた際、オイレンには同伴者が一人いた。
マインラート・アードルフ、近所に住むオイレンと同い年の少年である。
親友にして執筆仲間であり、オイレンは親しみをこめて『マイン』と呼んでいた。
マインは己の表現力に絶対の自信を持ち、気難しく辛辣で、無知と気力に溢れた小説家であった。
新米小説家二人が敵情視察とばかりに、王都の本屋に立ち寄った時の事である。マインは店頭に置かれている本を手に取った。
内容は、強大な力を持った勇者が、美しい姫を
いまだに勇者サトウへの人気が根強く残る王都では、『勇者』という
書店内を見渡せば、他にも勇者を題材とした書籍が多く見受けられる。
「何だこれは」
内容を軽く流し見した後、マインはわざとらしく鼻をならした。
「ありきたりな流行りと安い色気を取り入れて、作者が読者に
こんなに底の浅い内容で良いのであれば、俺なら一日で書けてしまう」
次々に飛び出すのは、執筆者への
慌てて口を閉じさせようとする相棒へ、毒舌な彼は真剣な眼差しを向けた。
「俺たちは、こんな三文小説を書きに王都へ来たわけじゃない。
斬新で濃密な怪作で、この停滞したルべリオスの文学に風穴を開けてやるんだ。
そうだろう? 友よ」
「そこまで言うつもりはないよぅ。
ただぁ僕は、僕が面白いと思ったものが、どれだけ世界にウケるか確かめてみたいのさぁ」
オイレンもマインほどではないが、似たような物語が蔓延する現在の書籍情勢には、正直辟易してはいた。
しかしそれ以上に、そんな状況であるからこそ、自分の
「さぁ、悠長にしている時間はないぞ友よ。
宿に戻って創造と推敲の
現場がこのような惨状であれば、俺たちが一流作家の名をほしいままにする日も近いぞ!」
創作力に突き動かされるように飛び出した親友を追って、オイレンは作業場兼寝床にしている『蝶の羽ばたき亭』へと駆けて行った。
しかし、若さとやる気に任せて書いた二人の作品は、まったく売れることは無かった。
丹念に作りこまれた世界観や登場人物、重厚なストーリー構成や緻密な伏線、豊かな文章表現と、全てを高い水準で満たしていたにも関わらずである。
突きつけられた現実は、熱に浮かれていた新米作家の心に、冷や水を浴びせるには十分なものであった。
何が受け入れられなかったのか?
自分たちのどこが未熟であったのか?
もっと高度な作品でなければ評価はされないのか?
絶対の自信を持っていた、自分たちの『面白いと思うもの』に疑問を持たざるを得なかった。
試行錯誤を繰り返していくうちに、何が間違いで何が正しいのかさえ曖昧になる。
無限に湧き出てきたはずのアイデアも、ぱったりと出てこなくなる。
それでも文字で埋めようと、血のにじむ手でペンを握り、白紙の原稿に挑み続けた。
しかし売れない、評価されない。
あれだけ楽しかったはずの創作活動が、いつの間にか拷問に等しいほどの苦痛へと変わってしまっていた。
『生みの苦しみ』と『作品が評価されない苦しみ』を繰り返す、絶望の行進が一年も続いた。
ある日、オイレンの身近に些細な変化が起こった。
行きつけの料理屋の隣に、新たな料理屋が開店していたのである。
どのようなものかとしばらく観察したオイレンは、そのあまりの酷さに顔を覆った。
異国の珍しい料理を取り扱っており、味もなかなかである。
しかし、売り出し方がいけなかった。
店頭に料理を宣伝する看板も置いておらず、これでは何を作っている店であるのか、一目で判別することは難しい。
加えて扉と窓は締め切っており、店内が他の客で賑わっているかどうか、そもそも営業中であるのかさえ理解できない。
典型的な『味だけで勝負する』という、意識の高いだけの店であるという事を察した。
オイレンは、この店の将来は明るいものではないであろうと予想できた。
どれほど料理が絶品だとしても、これでは客が店内に入ることへ二の足を踏んでしまう。
王都の住人は、時間に追われながら働く者が大多数であり、食事は貴重な安息の時間である。
その数少ない機会を、店内も料理も不明だらけの店に費やす勇気ある者が、いったい何人いるのか?
「……あ。ぁぁぁあっ!」
雷に打たれたような衝撃であった。
今述べた持論が、小説だけどうして例外だと言えようか。
この店を嘲笑できるほど、自分たちは客に歩み寄った売り方を出来ていたであろろうか?
内容だけにこだわって、価値の分かる読者しか購入しなくてよいという、驕り高ぶった姿勢ではなかったか。
そもそも価値観というものは絶対的なものではない。
人間の心にしか住み着かない、千差万別で無形の存在なのである。
自分たちがすべきなのは、多くの読者に自らの作品を『気付いて』もらい、その中から価値を理解してくれる読者を得る事ではないのか。
誰も気付かなければ、宝石は道端の石ころと同列に扱われ、名画はただの板切れに過ぎないのであるから。
オイレンは、いつの間にか書店へ辿り着いていた。
手に取ったのは、あの日『作者が読者に
読者側であり続けるなら、
しかし創作側に回ったのであれば、なぜそんな下に見ていたものが、自分たちの作品よりも売れているのかについて疑問を持つべきであったのだ。
新しい視点から読んでみると、今まで忌避してきた『流行り』や『お色気要素』というものが、作者が読者の気を引かせるための工夫であったのだと痛感する。
オイレンは、物事の表面しか見えていなかった、プライドだけが高い三文小説家である己を深く恥じた。
それからオイレンは、売り方にも気を遣うようになった。
絵師に依頼して凝った表紙にしてみたり、
裏表紙に大まかなあらすじを載せてみたり、
書店に金を払って目立つ場所に本を置いてもらったりもした。
執筆も、最近の流行りを取り入れて、読者が手に取りやすいように心掛けた。
効果はすぐに表れた。
劇的とまではいかないが、少しずつ本が売れるようになったのである。
もともと創作能力は高い方であったので、作品が見つかりさえすれば読者の多くが評価してくれた。
次第に取り扱ってくれる書店も増えるようになり、執筆だけで食っていける程に稼げるようになった。
ある程度の知名度を持つと、貴族から執筆の依頼が舞い込んだ。
高すぎるプライドは邪魔になると考えていたオイレンは、それらを全て引き受けた。
勇者と
どんな題材も快く引き受けてくれるオイレンは貴族の間でも評判となり、何人かの貴族が後ろ盾となってくれた。
間違いなく、彼は小説家として成功の道を駆けあがっていた。
しかし、それでめでたしとは収まらなかった。
小説が売れ始めた頃、マインとの仲に溝が生まれてしまった。
マインは、
オイレンは必死に弁解したものの、二人の溝は埋まることは無かった。
己の作品に誇りと自信を持っていた彼には、オイレンの流行りやお色気を取り入れる手法が、自作の高級ワインに一滴の泥水を入れるような嫌悪感を感じて、どうしても受け入れられなかったのである。
そして、その日はやってきた。
オイレンの作品が、国から聖ルべリオス文学賞をとったその日の夜、マインは自分の荷物ごとどこかへ消えてしまった。
親友を無くして、喪失感に
辛い記憶から逃れるように、仕事場を蝶の羽ばたき亭から、後ろ盾になっている貴族の屋敷へ移した。
そしてこれまで通り、数々の作品を世に生み出していたある日のことである、国からの執筆依頼が届いた。
勇者コトミネの英雄譚を、是非オイレンに書いてほしいというものであった。
第一稿を書いて送ると大変好評であり、是非王都で勇者コトミネの活躍を、間近で観戦しながら書いてほしいと頼まれた。
こうしてオイレンは、再び王都へ足を踏み入れることとなる。
◆◆◆
「……あらぁ、寝ぇちまってたあ」
王城に
連日の徹夜作業による眠気から、執筆の途中で机に突っ伏して寝落ちしてしまったらしい。
目前の書きかけの原稿用紙が、口から垂れた涎で酷い惨状となっている。
文字が読めないことは無いが、客先に出せる代物ではない。
用紙をぐしゃりと雑に丸め、片手で軽快に放った。
紙のボールは放物線を描きながら見事ゴミ箱に納まり、投擲者は一発で入った事実に多少の爽快感を覚える。
「なんでぇあんな夢見ちまったんだろうなぁ、俺……」
手を頭の後ろで組んで背もたれに寄り掛かり、夜空の月を見上げながらポツリと呟く。
懐かしさから昔の仕事場であった蝶の羽ばたき亭に訪れた際、マインとの熱い創作論を交わした光景が、心にありありと
感傷的な気分に浸っていると、入り口の扉が四度ノックされた。
「入るぞ、作家殿」
声の主は間違いなく国王カイゼルのものである。
雇用主にみっともない姿は見せられないと、慌てて乱れた髪と服装を整える。
「ど、どうぞお入りください、陛下」
直立不動の姿勢で返答した所で、扉がゆっくりと開かれた。
「陛下、なにか御用でしょうか?」
「我ではない、そなたに用があるのはこやつだ」
国王が誘導した先に、視線を向ける。
そこに立っていたのは、変わった服に身を包んだ少年であった。
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