第171話 虎穴が開いた

 ダンジョン9階、階層ボス部屋に続く扉の手前。


 地面と壁は岩に覆われ、低ランクの薬草がちらほら顔を見せるこの殺風景な場所に、重装備の騎士団が扉の監視役として陣を構えている。


 どこか怯えた表情で職務を全うする彼らの一人、フーゴ・ランパジウスは扉以外の周囲を監視する任についていた。


 フーゴは、クシュナー元老の息のかかった騎士に仕える従卒である。


 幼い頃に出稼ぎに出ていった片想いの娘を追って、噂を頼りに王都へと辿り着いた。

 そこで、鋭い聴覚を用いた索敵能力が騎士団の目に留まり、高給で倍率の高い今の職を手に入れたという経緯をもつ。


 実直な性格が幸いし、仲の良い上司と同僚に囲まれて、充実した日々を過ごす働き盛りの若者であった。


 片想いのあの子は、いまだ見つかっていない。


「そう気を張り詰めるなよ、フーゴ」


 強張った表情の彼に、横で大盾と槍を持つ同僚が声を掛けた。


 同僚の名はフィデリオ・ヴァイヤー。

 身を滅ぼさない程度の賭け事が趣味の飄々ひょうひょうとした男であり、その明るい性格は隊のいじられ役として愛されていた。


「ボス部屋の魔物モンスターが扉の外に出たなんて、聖ルべリオス王国建国以来記録にないんだぜ?

 堅牢なる扉を信用しようじゃないの」


 楽観的な見解を述べた後に、フィデリオは肘でフーゴの腕を軽く小突く。その顔は自分の言った言葉に対して、同意を求めるような感情を含んでいるように見えた。

 他人に頷いてもらう事で、おのれが安心感を得ようとしていたのかもしれない。


 フーゴはそんな同僚を鼻で笑った。


「そんな言い回しをするヤツ、オイレンの小説の中で見たことがあるぜ?

 たしか……そのすぐ後に魔物モンスターが扉を蹴破って、真っ先に食い殺されてたっけな」

「畜生め、縁起でもない事言うな馬鹿」


 気を紛らわせるための冗談が、今回の任務では次々に出てくる。

 無理もない、この分厚いとは言い難い扉の先に、うごめく火山とでも形容すべき厄災が確かに存在するのである。


 黙っただけで様々な不安が脳内をよぎる。


 万が一、龍が扉を破ったら?

 それだけならまだ良い。自分たちが、尊い犠牲という名の捨て石になるのだけで済むのだ。


 真の地獄は『その先』である。


 万が一、龍が上層階を目指したら?

 万が一、龍がダンジョンの入口を見つけてしまったら?

 万が一、龍が街中に飛び出したら?

 思考しようとすると脳細胞が拒絶した。


「龍がボス部屋を、出ていく気が失せる程良いねぐらとして気に入るよう祈ろうじゃねぇか。

 俺たちに出来るのはそれだけだ、フィデリオ」

「そりゃいい。祈りは得意中の得意だぜ?」


 その割には最近の賭けは負け続きじゃないかと、茶化そうとしてその時であった。

 フーゴの張り巡らされた聴覚の網に、明らかに自然由来のものではない物音が引っ掛かった。


 即座に腰を落としながら大きめのナイフを抜き、生命線である耳に意識を全集中する。今のフーゴであれば、石ころひとつの落下音も聞き逃すことはないであろう。


 フィデリオは同僚の臨戦態勢から状況を察した。こちらも素早く大盾を正面に構え、いつでも投擲できるように槍を掲げた。


相棒フーゴ、数と種類と場所は?」

「数は6、種類は人型……人間の子供程度の大きさ、場所は今探っている」

「サイズが人間の子供程度……恐らくゴブリンだな。俺たち二人でもやれる相手だが、まだ敵が視界に入らないことが気に入らない。

 俺は博打以外での不確定要素が大っ嫌いなんだ」


 舌打ちするフィデリオの後ろに、フーゴが忍び足で近づいた。


「フィデリオ、周囲の警戒に専念してくれ。

 俺は敵襲の報告と応援を要請してくる」

「がってん、頼んだぜ」


 フーゴの長所は、見つけた異常に対して下手に自己解決しようとせず、素直に上司へ報告できる点にあった。

 

 信頼できる同僚に背中を任せて、音を殺しながら一歩目を踏み出したその時であった。


「なぁ⁉」


 フィデリオの驚愕の声と同時に、周囲がまばゆい光に包まれる。

 驚いて光の発生源を探ると、陣営の上方でいくつもの炎の球が尾を描きながら空中をはしっていた。


 注目すべきは炎の球一つ一つが違う色を纏っていることである。

 この辺りに潜む低脅威度の魔物には引き起こすことの出来ない現象、明らかに人の手によるものであった。


「何が目的だ?」


 従卒の二人はもとより、陣内の騎士たちも目を奪われ硬直していた。

 鮮やかで怪しい光景を引き起こした者たちの目的が分からず、疑問符を頭に並べるばかりだったのである。


「待て! 何をしている!」


 固まっていたフーゴの鼓膜を叩いたのは、扉を見張っていた騎士の驚きが混じった静止の声であった。


 反射的に振り返ってフーゴは言葉を失う。

 自分たちが監視していたはずの門が僅かばかり開いており、きしむ音を立てながら再び閉まり始めていたのである。


◆◆◆


 扉が完全に閉まる音を背に、中曽根なかそね隆一りゅういちはボス部屋の奥へと歩を進めていた。


 見張りの騎士たちは追ってこない。

 当然である。もはやここはいつ即死してもおかしくない、龍の縄張りなのだ。


「もう、戻れなくなっちまったぜ? 最高じゃねぇか?」


 後ろを歩く取り巻きの一人が強がる。


「……何が最高だ馬鹿。

 さっさと俺を見限って逃げ出せばよかったものを」

「うわっ、今ここでそれを言うか」


 まるで己を見捨ててほしいと願うように、同じ部活で共に汗を流した仲間へ悪態を吐き捨てる。


 伝令役から炎龍討伐延期の知らせを聞いた夜、中曽根は一人で王城脱出とダンジョン潜入を決行した。

 しかし、その行動を見越していたかのように、彼の取り巻き達が行く手を塞いだのだ。


 意思を曲げる気はなかった中曽根は、争いになってでも進もうと剣を構えたが、それに対して取り巻き達は予想外にも随伴の許可を求めてきたのである。


「余計な傷を負わないために、俺との戦いを避けるまでは分かる。何でついてきたんだよ……」


 得心がいかないリーダーの問いに、後ろを歩く取り巻き達はお互いに顔を見合わせた後、彼らを代表して円偉まるい幸助こうすけが自分たちのリーダーへ口を開いた。


「あの日から必死に特訓を積んでいたお前なら、俺たちを蹴散らしていくこともできるだろう」

「……当然だ」


「それは嫌だ。

 負けて痛い思いをするからじゃない。お前とそんな喧嘩別れみたいな事はしたくないからだ」


 中曽根は横目で後ろを見やる。円偉まるいの言葉に、他全員が頷いて同意していた。


「だから勝手について行くぜ。

 俺たちも、俺たちが認めたリーダーの元でしか動きたくないわけよ。お前なら分かるだろ?」

「……勝手にしろ」

「サンキュ」


 不愛想に返事をした男の後ろを、取り巻き達は先ほどと変わらずにゾロゾロと付いて行った。

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