第169話 竜巻の予兆

 蝶の羽ばたきバタフライ・エフェクト、という言葉が存在する。

 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏で竜巻を起こすという有名な例えである。


 逆に言えばどんな大事件竜巻も、因果を辿れば些細なきっかけ羽ばたきに行き着くのかもしれない。


 これは、ひとつの羽ばたきが起こした、竜巻の前兆と呼べるものであった。


「どういうことですか!?」


 少女の悲痛な叫びが、グルンシュタット城の静寂を切り裂いた。

 大広間の中心にて、村上綾香むらかみあやかが不服の表情で詰め寄っていたのである。


「こ、こちらとしても心苦しいのですが、現時点での決定事項でして……」


 相手はクシュナーからつかわされた伝令役である。

 彼は、言峰をはじめとした勇者たちに、とある言伝を伝える役目を上司より賜っていた。


 村上綾香の性格は『御淑おしとやか』の一言に尽き、常に淑女たらんと心掛けている。

 そんな彼女が、何故これほどまでに取り乱したのか。すべては、とある貴族の逮捕に端を発するものであった。


 クシュナー元老の三男にあたるエクムント二等伯爵は、己の下卑げびた欲望に従ってローザリンデとナイトハルトの二人の奴隷を所持していた。


 しかし先日、C級冒険者パーティ『リベリオンズ』と憲兵の活躍により、エクムントは奴隷所持とその他諸々もろもろの罪により逮捕される結末を迎える。


 身内の逮捕に、クシュナー元老の警戒は最大限まで高まった。

 離反するであろうと察した部下の粛清から、己にとって不利となる証拠の破棄にいたるまで、こちらの被害を最小限に抑えようと四方八方に手を尽くした。


 このように仕事に忙殺されては、とても他を手掛ける余裕などあるはずがない。

 特に炎龍討伐は、クシュナーが総指揮にして最大の出資者であるため、必然的に計画の大幅な見直しが必要となった。


 結果として、炎龍討伐の延期が決定し、これが先ほど勇者達へと伝えられた訳である。


 当然に当然を重ねた結論ではあるのだが、心待ちにしていた立場の者たちからすれば、たまったものではない。


「ここまで間近に迫ってから延期なんて、あんまりじゃないですか!?」


 急先鋒ともいうべき村上が詰め寄っているのは、実に当たり前の話であった。

 想い人の救出のために、一カ月の間臥薪嘗胆がしんしょうたんの思いをしていたのである。それが突然中止となっては、いくら温厚な彼女でも語気が強くなる。


「ムラカミ様のお気持ちは分かります、ですが上の決定でして……」


 普段の老練なクシュナー元老であれば、納得させれられるだけの理由を伝令役に持たせることが出来たのかもしれない。

 しかし、我が子の不祥事に追われている最中では、『延期』という言伝しか渡させなかった。


「あ、あくまで延期ですので、お待ちいただければいずれは……」


 何とか機嫌を取ろうと、薄っぺらい希望的観測を述べる。

 しかし、信頼が失われた今となっては、彼女にその場しのぎの言葉は通用しなかった。


「次っていつになるのですか?

 そもそもがあるのですか?

 今回みたいに延期にはならない確証はあるんですか?」

「それは……私の口からはなんとも……」


 伝令役は目を泳がせながら、彼女の立て続けの質問に言葉を詰まらせた。


 伝令役はあくまで伝令役、伝言以上の断言は許されない。

 元老の許可なく勝手な確約を行ってしまえば、その日のうちに役職を追われ、下手すれば投獄からの処刑もあり得る。

 

「落ち着けって村上さん」


 何の進展も得られない押し問答に、救いの手を差し伸べられた。

 これ以上は伝令役が酷であろうと感じた柿本俊かきもとしゅんが、村上を止める形でふたりの間に割って入ったのである。


「この人は、伝えるように言われた事しか話せないんだ。納得がいかないからって、通話機ケータイにブちぎれるようなもんよ。

 問いただすなら、約束破った元老院だぜ? な?」


しゅん君の言う通りです」


 クラスメイト達の奥から、柿本に賛同する声があがる。

 ゆったりとした紫色のローブに袖を通し、手には装飾が施された重厚な書物。賢者ナナセこと七瀬葵ななせあおいであった。


「私が元老院に掛け合ってみますから、とにかく今は深呼吸して」


 七瀬は対応策を説明しながら、寂しそうな背中をさする。

 特訓を経て親密な間柄になったからか、村上は渋々といった様子ではあるものの、ようやく伝令役から離れた。


 一難去ったと安堵した伝令役。しかし、次の難はすぐさまやってきた。


「その掛け合い、僕にも協力させてください」


 助力を申し出た声に、伝令役の顔が分かりやすいほどに引きつった。

 言峰明ことみねあきら、勇者コトミネとして国中から羨望と敬意を集める存在である。


「僕からの意見であれば、元老院もうやむやにせず、真摯しんしな対応をしてくれると思います」


 かつて中曽根によるいじめを、クラスメイトとして止めることが出来なかった苦い負い目。

 その陰鬱な過去が、言峰の胸に眠る正義をふるいだたせた。


「……ありがとう、言峰君」


 この場において心強い助っ人の登場に、村上は感謝の意を彼に示した。


 伝令役の言葉を受け取り、それに対する方針が固まったところで、集まっていた勇者たちはいったん解散の流れとなった。

 念のためと村上には、柿本と七瀬が傍について部屋へと戻っていった。


「今回は何とかなりましたが……こんな事を、あと何回やるんでしょうね」


 人口密度の低下した大広間の中心で、伝令役はため息と愚痴を漏らす。

 これから吹き荒れる騒動竜巻を想像し、出来ればその中心から遠い場所に立ちたいと心から願った。









 一連の様子を盗み見る人影が、柱の裏にひとつ。


「……っち」


 影はガラの悪い舌打ちを鳴らした後、村上達とは別方向へと駆けていった。

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