第159話 その時その場所でその人は確かに言葉にした

「確かにそれは、わたくしが元老院から盗み出したものです」

 屋敷の一室に設けられた即席の尋問室で、執事姿の老人は簡単に白状した。


「エクムント様はクシュナーに奴隷の証拠書類を差し押さえられ、さながら首輪をつけられた猟犬でした」

 よほど腹に据えかねていたのか、主が属する一族の当主である元老を、敬称をつけずに吐き捨てる。


「尊敬する主が尻尾を振ることしか出来ない。仕える者からしてみれば、これ以上の屈辱はございません」

 やれやれといった表情で、ヘルムートは首を振った。


「それが動機か? だとしたら大した忠誠心だ」

 容疑者の飄々とした態度に、机を挟んで腕を組んだアイアタルが眉間に皺を寄せる。傍に控えているコリンナが、軽蔑を含んだ視線で睨んでいた。


「こちらも奴の致命的な弱みを握れば、立場は対等になるでしょう?」

 彼女の視線をどこ吹く風と受け流し、相手の質問に答える。


「私は昔、父であるノイマンの手伝いで訪れたから、元老院の警備の厳重さを十分に分かっているつもりだ。

 よく監視の目を搔い潜って侵入し、この禁忌の箱パンドラを見つけだしたものだ」

 憲兵が中村が見つけた書類を軽く叩くと、執事はわざとらしく頭を下げる。

「お褒めに預かり、光栄です」


 机を叩きつける音が部屋に響いた。


「とぼけるな、お前ひとりの犯行ではあるまい。共犯者がいたのではないか?」

 尋問側の問いに、問われた側は口髭に手を当てながら静かに笑った。


「……どうでしょうか? 仮にあなたの妄想通りだとして、易々やすやすと口を割るほどこのヘルムート、耄碌はしておりませんぞ?」

「なかなか度胸のある言葉を吐くではないか」

 敵の挑発に乗せられないように、青年は背を大きくらせて大きく息を吐いた。

 流石は裏の世界を長く生きた老獪きわまる人物というべきか、捕らわれの身という状況を感じさせない不敵な笑みであった。


◆◆◆


 主犯を捕縛し、重要書類も押収した一行は、夜明けを迎える前にエクムント領を離れることとなった。

 憲兵側から馬車を提案されたものの、龍の翼の方がはやいとリベリオンズはやんわりと断った。

 

 夜も更け、月が傾き始めた頃。

 リベリオンズのリーダーを務める中村賢人は、夜の露店を歩いていた。

 人混みが少なくなるはずの時間帯であるのだが、今は屋敷での騒ぎを嗅ぎつけた住人達であふれかえっている。


「なんだ、昼間の坊主じゃねぇか」

 喧騒の中から、聞き覚えのある声が少年の鼓膜を叩く。振り返ると、果実を売ってくれた店主であった。


「再び会ったのも何かの縁、うちの品物買って行ってくれよ!」

「はい!」

 買った果実をひとかじり、口内を爽やかな瑞々みずみずしさが満たしてくれる。


「店主さんはこの時間も商売しているんですか?」

「今日だけだよ」

 手入れのされていない無精ひげの目立つ顎で、周囲を指す。


「みてくれこの一面の人、人、人! これで商魂燃えなきゃ漢じゃねぇ」

 普段はあり得ない混雑を稼ぎ時だと考えたのだろう。実に逞しい、根っからの商人あきんどだった。


「しかしだ、ウハウハって気分にも浸れねぇよなぁ。

 噂によると屋敷のほうで、何かしらどんぱちやり合ったそうじゃねぇか」

「そう……みたいですね」

 話の切り替わり先に思うところがあったのか、少年は歯切れの悪い返事をしてしまう。


「憲兵も出動してるって言っていた奴もいたぜ。領主様は悪事を働いたのかね」

「どうなんでしょう、善い領主様って聞きましたけれど」

 あくまでこの街で手に入れた情報を元に、無難な言葉で話を合わせた。


 Lvレベルの上昇によって、強化された聴力が周囲の会話を拾い上げる。


 やり方が強引すぎやしないか。

 憲兵とは信じられない。あの人の良い方に限ってそんなことは。

 重い罪を問われなければ良いが。

 冤罪の可能性はないのか。


 ほとんどがエクムントを心配するものであった。本当に、本当に住人たちにとって、良いあるじとして振舞っていたのだろう。


「……なぁ坊主ちょっといいか?」

 先ほどの景気の良い大声を顰めて、店の主は中村を手招きした。

 何かと近づくと、男はその逞しい腕で少年の肩を組み、突然の奇行に驚く彼の耳元で囁いた。


「ひょっとしてだ。坊主は屋敷で起こった、何かしらの出来事に関係してるんじゃないか?」

「……そうですね、少し、いや、かなり関わってるんじゃないかと」

 口に手を当てて、聞かれた側もひそひそ声で回答する。

 かなりどころではない、この騒ぎを起こした元凶の一端である。


「そんなに分かりやすかったですか?」

「まあな、隠し事向いてねぇよお前。罪悪感とかそういうのが全部顔に滲み出てやがる」

「たははは……」

 大雑把な見た目に似合わず、鋭い観察眼の持ち主であるらしい。


「そう怯えるなって。何か聞きたいからここに来たんだろ?」

「……領主が逮捕されて、街の人たちはどんなふうに思ったか。素直な感想が聞きたかったんです」

「そうか……真面目なんだな」

 生まれたての赤子を見るような優しい視線を向けた後、男は鼻を擦りながら空を見上げた。


「そうだな……もしかしたら、後で領主様が裏でやっていたことがおおやけになった時。俺を含めてみんな非難する側に回るかもしれねぇ。

 ただな、」

 発言を区切り、質問者の少年へ目を合わせる。

 子供の質問と馬鹿にしてはいない、数十年を必死に働いてきた真剣な人間の眼差しが存在していた。


「少なくとも今日まで、いや、今この瞬間までは、

 あの人は俺たちにとって、ちゃんと頑張り応えてくれる素晴らしい方だったよ」

 すべて言い終わると顔に笑みを浮かべ、先ほどまでの気の良いおっちゃんに戻っていた。


「口下手は堪忍な」

「……十分伝わりました。そうですよね。いやきっとそうだったんですよね。

 お話に付き合ってくださりありがとうございます」

 深く一礼し、人ごみをすり抜けるようにしてその場を後にした。


 リベリオンズのメンバーは、街を抜けた小高い丘で待っていた。


「何かあったんですか? ナカムラさん」

 一番最後に到着した中村を心配し、エストが心配の言葉を掛ける。


「ごめんみんな、ちょっと街の人と立ち話をね……」

「……あまり気負わない方が良いぞ」

 リーダーの発言から何かを察したのか、遠藤が忠告する。


「少なくとも俺たちは、出来る限りの情報と話し合いを繰り返してから、目的と正義をもって戦ったんだ」

「そうかもしれないね、遠藤君。

 でもね、聞いておきたかったんだ。僕達のやったことを周りの人達はどう思っていたのかって」 

 自分たちが捕まえた男が、ずっと治め続けた街へ振り返る。


「遠いかもしれないし意外と近いのかもしれないけど、僕はもしかしたら自分の信じる正義によって暴走するかもしれない。

 だから、出来る限り周りの声に、自分で耳を傾けて心に留めておきたかったんだよ」

 あの無精髭の生えた屈託のない笑顔は、ここからでは龍眼ドラゴン・アイを以てしても見つけることは出来ないだろう。


「『その時その場所でその人は確かに言葉にした』って」

 中村が心に留めた感情が生かされる日は到来するのか。それは、神のみぞしる事柄であった。

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