第155話 決別の儀

 遠藤がヒルダにとどめを刺す少し前、地下洞窟の戦いはリベリオンズと憲兵の優勢で進んでいた。


「しっ」

 ヘルムートの鼻先を、年季の入った木の棒がかすめる。突きを繰り出したのはローザ、普段は奇跡を起こす道具である僧侶の杖を、今は棒術の武器として振り回していた。


 不意に茶色の小瓶が執事の足元に投げつけられる。地面に衝突すると、鋭い音を立てながら内容物を一帯に撒いて割れる。

 エストからの投擲物、触れても碌な事は起こらない。ヘルムートは撒かれた一帯を避けるために、足運びを無理やり変えた。必然と生まれる隙、それを見逃すローザではなかった。


「ぐっ」

 横払いが老人の腕に当たり、持っていたナイフが地面に落ちた。すぐさま距離をとり、懐から新たなナイフを取り出す。


「……なるほどなるほど。僧侶シスターとは聞いておりましたが、このような苛烈な戦い方をなさるのですね?」

 ヘルムートはローザを値踏みするように見つめる。かつての初対面の時のような、ベタつきを感じる気分の悪いものであった。

 しかしかつて奴隷であった耳長族エルフはそんな視線を気にも留めず、逆に目を細めて笑って見せた。

「隷属術式に頼らずに、実力で私を屈服させるべきであったな。今度は私がお前を品定めをしてやろう」

「では、お眼鏡にかなうよう努力しましょうか!」

 次の一撃をみまうため、ローザは杖の先端を相手の喉元へと構えた。




「硬いな」

 長剣ロングソード振りぬきながら、エクムントは敵である中村を褒め称える。

 斬撃を何度加えようとも、龍の腕は切断はおろか切り傷一つすら許さない。鱗の表面に刃が通った跡を残すのが精一杯であった。


 元々中村の身体は才能と可能性に満ちていた。さらに、師による特訓という努力を重ねてしまえば、最低限戦える程度の貴族では逆立ちしても敵わない。


「ははは、人間を相手にしているとは思えない。アルノルト兄さんからもう少し手ほどきを受けておけば良かったか」

 逃走の選択肢が浮かび、チラリと出口方向に目を移す。しかし時すでに遅く、コリンナが一部隊を動かして出口を完全に塞いでいた。あの強固な布陣では、虫も逃げることは出来ないだろう。


「降参して、ローザに酷いことをした罪を償ってください!」

「その手もあるな、しかし」

 投降の呼びかけへ、再び長剣を構えることで答えとした。


「人の上に立つ者として、地上で散ってしまった部下たちの無念に応える必要がある。

 倒すことは無理だとしても、何かしらの傷跡を彼らへの土産にしてやりたい」

 口の端から息を吸い込み、吐き出しながら足を前へと踏み込んだ。


 互いに間合いの内側。中村は変化させた右腕を横に薙ぎ払った。しかしエクムントは極端に身体を低くした姿勢でそれをやり過ごす。


 大地を垂直に蹴り上げ、相手の眼球めがけて剣を突いた。

「ここは鍛えることは出来ないだろう!」


 エクムントの行動は、格上を仕留めるうえで最適解であったのかもしれない。しかし中村の覚悟がそれを上回った。

「がぁ!」

 突き出された剣先を、龍化によって巨大化した犬歯で受け止めた。そして左の拳で長剣の腹を思い切り殴った。


 ぼきりと高い音を立てて折れる長年の友。

 あっけにとられるエクムントの腹に、中村の赤き鱗に覆われた巨拳が炸裂した。ほぼ直線の軌道を描きながら貴族は洞窟の壁に五体を叩きつけられる。


「っあ!」

 衝撃は横隔膜を痙攣させ、肺が空気を取り込むことが出来ない。呼吸をしたくても出来ない苦しみは、ひたいに脂汗をにじませた。


 何とか胸を押さえようと右腕を動かせば、打撲の痛みがそれを妨げる。

「……無念だ」

 もはや戦闘へ復帰することは不可能であった。


「エクムント様!」

 主の危機に意識が向いた部下に、二人の少女は手加減しない。

 エストが秘蔵の一本を、迷いなく老人の頭部へと投擲した


「ぶふ!?」

 みごと小瓶は執事のワシ鼻に当たり、割れて出てきた液体が顔面をまんべんなく濡らした。液体は空気中の水分を取り込み、即座に氷による大輪の華が顔を覆いつくす。

 視界不良と呼吸困難、老体を戦闘不能にさせるには十分な要素であった。


「ほぅあた!」

 ローザによる渾身の突きが、燕尾服の上から鳩尾へ深々と突き刺さった。

 うめき声を上げながら力なく地面に転がる老人、意識を手放そうにも息が出来ぬ苦しさがそれを許さない。


「今だ! 二人を捕えよ!」

 手枷と制御術式を刻んだ呪符を持つ憲兵が、コリンナの命令に従って敗者を取り囲んだ。


 二人の拘束を見届けてから、憲兵隊長補佐である彼女は、笑みを浮かべて中村と握手を交わす。

「ご協力感謝する。素晴らしい戦いぶりだった」

「ありがとうございます……」

 しかし、勝利に沸き立つ周囲とは逆に、中村の表情は晴れやかではなかった。


「立て!」

 拘束されたエクムントが連行されていく。捕えられた貴族と執事は抵抗をせず、従順に憲兵の指示に従っていた。


 観念したように肩を落とす背中を見て、二度と彼に会えないだろうという確信が少年の心に生まれる。

「あのっ!」

 衝動的に喉を震わせていた。


 振り返る事件の元凶、連行する憲兵も少年の問いかけに足を止めた。

「エクムント……っ!」

 話す相手が年上であることから、思わず『さん』と続けてしまいそうになる口を無理やり閉じる。

 目の前にいるのはローザの怨敵なのだ。仲の良い自分が敬称をつけてしまっては、彼女を複雑な気持ちにさせてしまうという中村なりの配慮であった。


「僕はあなたが築いたこの街を見させてもらいました」

「そうか、気に入ってくれたかな?」


「住民のみんなは働くことを苦に思わず、生き甲斐にしているみたいでした。それはきっと統治するあなたが、彼らの頑張りを十分な成果に変えてあげられたからだと思うんです」

 これから捕まえる人物の人柄を知ろうと、街の様々な人に聞き込みを行った。

 誰もが目の前の男を褒め称え、生活を豊かにしてくれた事への感謝に溢れていた。


 だからこそ、中村はどうしても聞いておきたかった。

「そんなすごい人が、ローザやナイトハルトさんにひどい事したんですか? 出来たんですか?」




「ふはっ」

 壮年の男は笑った。口から空気が漏れたような笑いであった。


 困惑する中村へ、エクムントは笑みを浮かべる。

「……君はきっとお腹の底から髪の先まで、混じり気の無い良い人なんだろうね」

 馬鹿にするような笑みではない。無くしてしまった何かを慈しむような、優しく悲しい笑顔であった。


「私はねナカムラ君……」

 天を仰いで大きく息を吐く。

「どこかで自分の欲望を満たさなくちゃ、善い人を演じることが出来ない欠陥品だったんだよ」

 子供の悲痛な問いへ返答したその表情は、実にすっきりとしていた。心の中に居座っていた大きな粗大ごみを捨てたかのようであった。


「……僕にとってあなたは、ローザを酷い目に遭わせた悪人です」

 龍化を解いた拳を握りしめ、己なりの結論をぶつけた。

「……そうだな、それでいい」

 相手は肯定し、頷くだけであった。


「連れていけ」

 会話が終わったと判断したコリンナが、部下に命じてエクムントを連れていく。

 中村が深呼吸しながら振り向くと、パーティメンバーの少女二人がこちらへ歩いてくる姿が見えた。


 その時であった。

「これが最後の会話になるだろうから教えておこう。ナイトハルトはここにはいない、別の場所に送ったよ。

 彼は事件の重要な証拠物だ、もう生きてはいないかもな」

 中村とローザの世界が止まる。

 最後の最後で、元凶はリベリオンズにとんでもない爆弾をぶつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る