第154話 遠藤秀介の分岐点
突如ヒルダは両目を見開き、あらん限りの声で叫んだ。
「私と部下を守れ!」
言葉に呼応するよう右腕にはめていた無装飾の腕輪が、表面に赤い文様を浮かび上がらせる。
焦りを覚えそうな事態であっても、遠藤の脳髄は冷静な思考を失わなかった。
警戒すべきは叫ぶ彼女ではなく、自らの周囲。五感を研ぎ澄ませ、違和感を探す。
そして、柱の間を何かが通り過ぎる様子を、何とか目の端で捉えることが出来た。
襲撃は一瞬だった。最も近い柱の陰から、紺色の外套をまとった小柄な人物が飛び出してきたのだ。
すぐに少年は銃器を構えようとするが、敵の超人的速度がそれを許さなかった。
金属同士特有の甲高い衝撃音が廊下を
襲撃者が右腕で繰り出した刃は、拳銃の柄で受け止められていた。照準を定めることは出来ずとも、攻撃を受けることは何とか間に合ったのだ。
しかし、一回の防御で止まるほど外套の攻撃は大人しくなかった。
すかさず左腕の第二の刃が、少年の喉へと吸い込まれていく。
「ぐっ」
体を捻ったものの完全に避けることは出来ず、少年の頬に一筋の線が刻まれた。
遠藤の右足が床につく。
「く……そ」
刃へ丹念に塗りこめられた毒が、無慈悲に体内へと侵入した。
敵を制圧したと判断した外套の人物は、命令を下した主へと駆け寄った。
「何をしている。この愚か者」
しかし、掛けられた言葉は命を救われた事への感謝でも、敵を倒した事への賞賛でもない。怒気をこめた声での罵倒だった。
「その男は殺し損ねれば地獄の底より蘇ってくる。貴様は前回の失敗から何も学ばないのか!」
発せられた言葉を言われた側が理解するより先に、響くはずの無い銃声が複数
不意をつかれた外套の人物に防ぐことは出来ない。銃弾は、肩、脇腹、太ももに着弾した。
「っ!」
フードの奥から初めて発せられた声なき声。力なく倒れる地面に倒れるそれとは対照的に、遠藤は地を踏みしめて立ち上がった。
「な、なぜだ?
「さぁ? 根性だろ」
ヒルダの驚愕に対して、遠藤は無感情にとぼける。
「あの毒は……王室御用達の特別製だったのだぞ!」
「滅びてしまえ、そんな物騒な御用達」
ひるがした服の隙間からちらりと見えたのは、解毒の奇跡が込められた呪符。前回の反省を生かして遠藤は、あらかじめローザに用意してもらっていたのだ。
毒を盛られたタイミングで発動したことで、身体機能は一切損なわれていなかった。
しかし、嫌悪感は別である。忌々しそうに右手で頬の傷を撫でた。
傷口から異物が染み込み、四肢が徐々に己の制御を手放していく感覚は慣れるものではない。
「出来るなら、もう喰らいたくはないな」
過去に痛い目を見た攻撃をわざともう一度喰らうのは癪であったが、それで敵の油断を誘えるのであれば使うしかないと彼の現実的思考は判断した。
状況が落ち着いたところで、腰に下げていたMP回復ポーションを一気に飲み干す。
余裕に見えるよう振舞ってはいたものの、部下たちとヒルダ、そして外套の人物との連戦でMPは枯れかけていた。
「さて、決着をつけようか」
改めて銃口を、裏切ったかつての従者に向ける。
「まっ待ってく」
ヒルダの次の言葉は銃声に搔き消えた。遠藤に殺人の躊躇はない、ここに辿り着くまでに覚悟は決めていた。
上司を殺せば次は部下である、うずくまった彼らを一人ずつ殺害していく。命乞いも悲鳴にも耳を貸さずに命を奪っていく様は、どこか家畜の屠殺作業を彷彿とさせた。
そして、最後は紺色の襲撃者の番となった。
「あの日あの時、お前の一撃さえ喰らわなければと、夢と現実で何度も後悔した。それも、今日で決着がつきそうだ」
かつてダンジョンにて犯した数少ない己の
頭の場所であろう外套のふくらみに狙いを定める。
命を刈り取ろうとした、まさにその時であった。
「…………待て待て待て待て」
引き金を引く指先が止まった。先ほど命令していたヒルダの手首にて、腕輪が文様を光らせていた事実が、脳裏を
そこから連想される、先日のローザリンデが語った身の
遠藤の優秀な頭脳が、すさまじい勢いで一つの仮説を構築した。
仮説の真偽は、この目で直接確認する他ない。
「
詠唱と同時に拳銃の
【
リベリオンズの参謀は、死んだふりも許さない。
二発ほど外套の上から撃ち込む。
流しこまれた電気に被弾者の筋肉が反応し、本人の意思を無視して体がビクンと跳ねた。
フードをとると獣の耳が頭の上で主張する、凄腕の襲撃者の正体は獣人、黒い毛並みをした狐の少女であった。
しかし遠藤はそれに目もくれず、彼女の衣服を巻くった。
痩せこけて背骨が浮き出た背中が露わになると、懐から呪符を取り出して貼り付けた。貯蓄していた
答え合わせのように、光の回路が浮かび上がった。隷属術式である。
「くそが」
少年は悪態を吐いた。
「まさか俺が殺した中にも……」
最悪の現実が呼び込む更なる最悪を想像して後ろを振り返ると、
「他の部下には無いよ。彼女だけさ」
一連の戦いを静観していたクラマが、これから遠藤が行おうとしていた作業を先取りして終わらせていた。
「……確認ありがとうございます」
彼女へ向き直り、今後の対応について思案する。
しかし、ヒルダを殺した今となっては辿り着く解答は一つであった。この場で彼女を殺さなければ、今の遠藤が如くリベンジするかもしれない。
「……余計な不安の種は残さない方が良い」
合理的な思考で判断し、銃口を彼女に構えて――
「いや、
少女に構えていた銃を下ろして、代わりに彼女に与えた銃創へ空いている手を当てた。体内に入り込んでいた銃弾が、光の粒となって消えいく。
次に懐からHP回復の呪符を取り出し彼女に当てる。これも、ローザに作成してもらったものである。
みるみるうちに、頬に赤みがさした。
「その子は生かしてあげるんだね?」
気が付くと、山伏の少女が隣から興味深そうに眺めていた。
「私は自分の意思で敵対する相手を殺す覚悟は決めていました。しかし、他人に無理矢理戦わされている相手を殺す覚悟は持ってきていません。
覚悟がないまま殺すのは、問題を短絡的に解決できても、後々の私に悪影響を及ぼします。
ヒルダの死体に腰かけて、
「浅慮な己を恥じるばかりです。
考えてみれば不思議な話ではありません。奴隷を平気で使うのだから、その奴隷を戦力として扱うことは至極自然な話です」
「いいじゃないか別に、考えが及ばなくて」
クラマは遠藤の自嘲に対して、とんでもない言葉をぶつけた。
「事前に何度もパーティで作戦の打ち合わせはしたのに、この話題は出てこなかった。
誰も想像できなかったんだ。だから、」
言葉を切って、まっすぐと遠藤と目を合わせる。
「この状況は君一人のせいじゃない、抱え込むな」
「……失礼しました。感情が昂っていたようです」
「いやいや、ちょっと安心したよ。君はナカムラに比べて大人びていたけど、結構年相応の所があるんだね」
重い空気をカラカラと軽い笑いで吹き飛ばす。
「そんじゃあとりあえず、やることやろうか」
「お待ちください」
術式の解除に取り掛かろうとした彼女を、遠藤は制止した。銃の柄で光線の一部をなぞった。すると、光線が柄に吸い取られるようにして消失する。
次の瞬間、隷属術式が砕け散り、光の粒子となって舞い上がっていく。
クラマは口笛をピュウと鳴らし、機嫌よく錫杖を担いだ。
「術式解除とはやるじゃないか。もうわしゃ教えることが無い、成長したのう」
急ごしらえの師匠面を演じる彼女の横で、一度きりの本番を成功させた少年の手は歓喜に震えていた。
「お手本を2回も見せていただきましたから。しかも内一回は同じ隷属術式を」
「だとしてもだ。一朝一夕で出来るもんじゃないよん。頑張ったね」
打算無き賛辞を、遠藤は素直に受け取れなかった。
「身につけなければなりませんでした……このパーティの後の事も考えて」
少しの間の
「近い将来、私はあなたに酷いことをします」
「おや、わざわざ事前に忠告してくれるのかい?」
親の前で悪事を告白する子供のように少年は目線を下げる。
「あなたからは様々なことを学びました。だから……」
ふと、額に暖かさを感じた。視線を戻すとクラマが遠藤を撫でていた。
「分かってるさ。気にするな少年」
「……あなたがもっと嫌な人間だったら、どれだけ楽だったことか」
「そうかい? クロードから意地が悪いって言われたことがあるぞ?」
酷いだろう? と非難の言葉とは裏腹に、表情は何故か自慢げだった。
「この子は憲兵へ引き渡します。出会った経緯と身の上をうまく話せば、悪いようにはされないでしょう」
「君の交渉術のお手並み拝見といこうか」
クラマにからかわれながら、助けると決めた存在を抱きかかえ、中村の元へと駆けていく。
この獣人の少女の命を救ったことが、後の彼の生き方を大きく決定するのであるが、それはまた別の話。
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