第156話 断章/談笑 影山亨と七瀬葵

 深夜のヴァンシュタイン城。私、七瀬葵はとある人と密かに合っていた。

「まずは謝罪を、あの時は本当に申し訳なかった」

「いえ、そんな」

 目の前でとおる君が深々と頭を下げる。慌てて私は両手を左右に振った。


 突然の謝罪に何事かと焦ったけれど、落ち着いて話を聞くと幼稚園の頃にあった一件を思い出して、私に対して申し訳なさを感じたそうな。


 確かにあの頃、亨君が私に対して急にそっけなくなったことを覚えている。私は自分の気が付かない所で、彼を深く傷つけてしまったのではないかと泣いてしまった。

 その原因が今この瞬間に判明した。亨君が初恋の先生に玉砕して、純愛を貫くために他の女性に近づかないようにしていたらしい。


「む、昔の事だし……もう今はこうやって気軽に話せる仲になったから、気にしなくていいよ?」

「そう言ってくれると助かる」

 そんな理由で? と長年の疑問への真実に驚いてしまったけれど、同時になんだか目の前で平身低頭している純情な男の子がかわいく見えてきた。


「そういえば……あの一件はどうやって収束したんだ?」

 ふと思い出したように亨君が呟いた。私は額を指先で押さえて、遠い昔の記憶を呼び起こす。

「たしか……しゅん君が決闘状を叩きつけたはず。それで河川敷で二人で殴り合って、勝った俊君が亨君に『たとえ女性でも七瀬と友達として付き合うべきだ』って」

「……思い出した」

 己の右頬を感慨深そうに撫でた彼へ、幼い日の一ページを共有できた私は微笑んだ。


「積もる話はここまでにしまして……私が希望したものは洗い出せましたか?」

「この通り」

 彼は闇のように暗い懐へと腕を沈めると、取り出した紙の束を事務作業に使っている机の上へと置いた。

 表紙には『工作員リスト』。つまり、亨君におけるティファのような、クラスメイトに従うふりをしながら裏工作を行う従者達の一覧だった。内容が内容だけに、誰かの目に触れられないよう、どうしても深夜に自室で受け取る必要があった。

 井川いがわ君のメイド、桐埼きりさきさんの執事、天上院てんじょういんさんの執事、中村君の元メイド、私の執事。全員で五人だった。

「……意外と少ないですね」

「それについて聞いてほしい」


 何か重大な追加情報があるのかと、真剣な表情の私に亨君は嬉しそうに話す。

「柿本に仕えているメイドのエルザが、工作員でないことが判明した。これで何の心置きなく奴の恋路を応援できる」

「それは重要ですね!」

 なんとものんびりした話題に、私は文字を流し読みしながら笑顔で相槌を打つ。


「でも亨君。たとえ工作員だったとしても、あの・・俊君なら『げへへぇ、裏の顔を持つ美少女なんて逆にありじゃねぇか。燃え上がるぜ!』とか言い出しませんか?」

「……たしかに!」

 私が冗談で発した言葉に、彼は真剣な表情で考え込んでしまった。いったい目の前の彼は、俊君をどういう人間として見ているのか、もう少し時間が取れれば聞きたくなってしまう。


 ふと脳内に疑問符が浮かんだ。

「……あれ?」

「何か書類に不備でも?」

 もう一度上から下まで目を通して、感じた違和感を確信へと変える。

「ティファの名前がありませんが?」

「粛清された」


「………………は?」

 亨君がとんでもない爆弾を、私の心に無動作ノーモーションで投げ込んできた。


「失礼、少し言葉足らずだった。雇い主であるクシュナー元老に『処理』……つまり二度と日の目が見れないように処罰された」

 こちらが硬直した様子をどう受け取ったのか、発言をした本人は補足を加える。

「いえ、いえいえいえいえいえ」


 この事実に一番何か言う権利があるだろう亨君の、あまりにもあっさりとした態度に、思わず彼が身に着けている外套を掴んで追及してしまう。

「と、亨君は彼女に何か思うことろは無いんですか? 恨みとか」

「特には」

「そんな……昨日の天気ぐらい興味がなさそうな声で……」


「日本に住んでいた時に、指名手配犯の誰かがどこかで捕まったという報道を視た際、『へぇ……』と思う事は?」

「あるにはありますが、まさか……」

「その程度の感情です」

「ほぼ他人ですね」


 半分呆れている私に、亨君は首を傾げながら言葉を続けた。

「……強いて言うなら、彼女が粛清される原因に少なからず自分が関わっている。可哀想なことをしてしまったかな、という罪悪感が少しだけ」

「し……してしまったかな、ですか」

 自分に冤罪に押し付けた人物に対して、どこまでも他人事のようだった。まるで、舞台の一役者を眺める観客を連想させる。


 しかしこれが紛れもない彼の本心であることは、幼馴染である私が一番理解できていた。

 もし冤罪を負わされた事実が、彼にとって許容できないものであるなら、そのあまる実力をもって、おのが無実を証明できたはずなのだ。

 しかし、今日までそんな行動を亨君は起こしていない。つまり、言峰君との決闘までの一連の流れを、彼は彼なりの特殊な心理に従って受け止めているのだろう。


 なら、私がこれ以上踏み込むべきじゃない。

 呼吸を整えて、資料を読み込む作業へと戻った。


 一通り目を通して人物を覚えた所で、工作員リストを亨君に返した。私に自分の執事をはじめとした、もぐりこんだ工作員から書類を隠し通せるほどの自信はない。




 本題が終わったところで、記載されていた『中村』の文字から、彼の事を思い出した。

「……そういえばふたりの様子はいかがですか?」

 私と俊君は、中村君と遠藤君の生存を、亨君から教えてもらっている。


 質問に対して亨君は、手の平で片目を隠して担当の分身体に視界を飛ばす。そして何を確認したのか、ニヤリという擬音が似合う笑みで、私に向かって誇らしそうに口を開いた。

「順調に成長している。たった今、事件の元凶を打破したところだ」

 まるで目の前で見ているような口ぶり、否、実際に彼は自分の視覚で確認している。


 特異ユニークスキル【影魔法】の派生スキルである【影分身】。

 自らの分身である影を生み出すことで、現場にいる分身体の五感から情報をリアルタイムで知り、いざという時は戦闘もこなせる彼にとって目であり剣と呼べる力だ。


 その力の一端は私の足元にも潜んでいる。自分の影を見下ろすと、分身体が発する赤く光るまなこと目が合った。彼が念のためと私につけてくれた護衛だ。

 始めの頃は視線が多少気になっていたものの、今では気の許せない人間に囲まれた私を、心身ともに守ってくれる心の柱になっていた。


「ただ、助けたかった人は無理だったらしい」

「それは……全て上手くはいきませんから」

 どんなに努力をしても、誰もが一度はどうしようもない現実にぶつかってしまう。今回の中村君達の場合は、伸ばした手から零れ落ちてしまった命だ。

 人一倍優しい中村君は、人一倍責任と憤慨と挫折を感じているかもしれない。この王城からは何一つ言葉を掛けてあげられない事がもどかしく思った。


「おや?」

 勝手に感傷に浸ってしまった私をよそに、何か面白いものを発見したのか、彼の片方の眉がピクリと上がった。


「何かあったんですか?」

「……別の分身体からの映像で、ティファを『処理』した奴らが彼女を運び出したようだ」

「へ?」

 彼の口から飛び出してきたのは、関心がないと断言していた元従者の名。


「もう興味を失っていたのでは?」

「彼女自体には興味がないが、処理された彼女が何処へ向かうのかが重要なんだ賢者様」

 私には、ティファが向かう場所の重要性が分からない。しかし、影分身で当事者よりも多くの情報を持つ彼は、まるで予想が当たったかのように喜んでいるように見えた。


 亨君は仕舞っていた仮面を額につけて、漆黒の外套をひるがえした。

「急用が出来たのでこれで。上手くいけば、中村達へ良いみやげを届けてやれそうだ」

「幸運を、頑張って」

 手を振る私の目の前で、かつてクラスメイトだった忍者アサシンは影に沈んでいった。

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