第152話 蝶が羽ばたいた

 中村とエクムントが出会った同時刻、地上の屋敷は憲兵によって包囲されていた。


 日常では見ることのない彼らを、付近の住民が遠巻きに様子を伺っている。兵士たちの口を横一文字に結んだ真剣な表情を見れば、穏やかではない事態が起こったのだと察するには十分であった。


 不安と好奇心が入り混じった表情で群がる群衆。そんな雑多な人ごみを、一つの影がすり抜けた。

 黒い外套は闇夜に紛れ、深くフードを被り顔を伏せて足早に駆けていく。素人とは思えない軽い身のこなしは、周囲の注意を引くことは無かった。


 大通りから小路こみちへ、一部の者しか知りえない裏門を潜り抜けて街を後にする。街並みを一望できる小高い丘を通った時であった。


「お待ちなさい」

 野太い声が彼の足を止めた。声色は子供に語り掛けるように優しいが、どこか敵対者を畏怖させるための冷たさを含んでいる。

 丘の頂上に、純白の法衣に身を包んだ大柄の聖職者が立ちふさがっていた。丸太を彷彿させる逞しい腕には、身の丈を超える巨大な黒鉄の車輪が担がれている。

あなた・・・が逃げては道理が通らぬでしょう」


 重く鈍い音が響いて、外套の男の足元に咲く野花が揺れる。

「問おう。出頭か、それとも裁きの光か」

 教会にその人ありと称えられたアーガーベインが、地面に車輪を下ろして戦闘体勢をとったのだ。


 両者にらみ合い、しばしの沈黙が訪れる。

 鎮座する黒き車輪が、外套の男を威圧した。開戦すれば、その質量にふさわしい重厚な鉄槌が敵を襲うことだろう。




「……いや、やめておこう」

 根負けしたのは外套の男であった。

 諦めたように外套の男はフードを下す。手入れが行き届いているとは言えない長髪が、夜風に流されて背中へだらりと垂れた。 

 月光に晒された顔の主はオボロ、エクムントの勢力に置いて軍師として名を馳せていた男であった。


 両腕を頭上に上げて、手の平を対峙する者へ見せつける。

「降参だ。かの大嶽たいがくに無策、それも一対一の勝負など無謀極まる」

「良い判断だと思われます」


 オボロはそのまま四肢を地面へと伏せて、アーガーベインに頭を下げた。

「その上で頼みたい、見逃してもらえないだろうか?」

「御冗談を」

 非常識な言葉に、さすがの高僧も語気が強くなる。


「罪を犯したとはいえ主を守るために死力を尽くすエクムントの配下の方々。

 あなたは軍略を司るという重要な立場でありながら、彼らを遺棄いきして逃走を選んだ。

 それは残された部下たちがあまりに哀れでしょう」

「言い返す言葉も無い」

 目を瞑って首を振る白々さが鼻につく。


「勇敢な少年と凛々しい少女を辱め、彼らの輝かしい青春を奪った責任は取ってもらいましょう」

 戦闘滅魔神官クルセイダーは、相手に出頭の意思がないことを見極め、己の武器を万力のごとき力で握る。開戦の合図だった。


 その時である。

「その勝負待て!」

 開戦を静止したのは憲兵のアイアタルだった。急いで来たのか、肩で息して近くの木に手をついている。


「オボロだな」

 容疑者の顔を確認した後、捕縛者アーガーベインへと向き直った。


 重要な指令なのか、唾を飲みこんでから言い方間違えぬように慎重に言葉を繋ぐ。

「アーガーベイン殿、不本意とは思います……が……」

 最後の台詞で口が止まった。言い切ってしまえば、アーガーベインの不興を買うと確信する恐れによるものであった。


 しかしアーガーベインも馬鹿ではない。勝負を止められた時点で薄々察しはしていた。

「この恥知らずをこのまま逃してほしい、ですかな?」

 巨漢は残りの言葉を補完した。

「……おっしゃる通りです」

 青年は相槌を打つ他なかった。


「ふむ」

 アーガーベインは、怒るより先に思考を巡らした。

 そういえばと今回の作戦内容を思い返す。

 捕縛に於ける優先目標とされる重要人物、

 第一優先目標はエクムント二等伯爵、

 第二優先目標に執事のヘルムート、

 そこにオボロの名は無い。今回の事件を計画した元凶なのであれば、エクムントと同等の優先目標であるはずなのにである。


 何か裏があっての事だろう。であれば、本作戦においてなんの権限もない、一戦力である己の結論は一つであった。

「私はあくまで一つの駒。作戦の指揮官がそう命じるならば従いましょう」

「御理解感謝致します」


 高僧に深く一礼し、次にオボロを睨みつけた。

「あくまで上からの指令で見逃すのだ。私個人はお前の所業を唾棄している。

 リベリオンズ、ひいてはローザリンデ殿の前には、二度と顔を出さないでもらおうか」

「それで今日を生き延びることが出来るなら」

 鋭い視線をひらりと躱し、フードを被りなおして早足でこの場を去っていく。


 後姿を眺めていると、後ろから声を掛けられる。

「アーガーベイン殿、活躍の場を奪ってしまい申し訳ございません」

「いえいえ。功績に固執をしない、私の良いところです。しかし……」

 心に何とも言えない焦燥感が湧き上がる。自分は大魚を取り逃がしているのではないか、ここで捕えておけば、未来に起きるいくつかの不幸を未然に防げたのではないかと。


 気持ちに決着をつけるため、自らの頬を叩いた。アイアタルが音に驚いて彼を見やる。

はなした獲物に未練を残す、私の悪いところです」

 遠ざかっていく黒髪を悲しそうに見つめながら、アーガーベインは俺の武器である車輪を再び担いだ。




◆◆◆




 夜中に突然クシュナーに召喚されたティファは、現状を理解できずただただ立ち尽くしていた。


 椅子に腰かけ書類に目を通す元老。眉に刻まれている皺の深さが、男が抱える怒りの大きさを表しているようであった。


 今日ほど上司の一挙一動に怯えたことは無いだろう。

 発する言葉の一つ一つ、果てには乱暴に置いたペンの音にさえ、彼女の小さい肩はビクリと反応してしまう。


「……憲兵が愚息の愚行を突き止めたらしい、奴隷所持の動かぬ証拠も押さえているようだ」

「まさか……」

「一番恐れていた事態だ。どこかで情報が漏れた」


 ギロリと孫ほども年の離れた少女を睨む。

「証拠は全て集めたのではなかったのかティファ」

「も、勿論でございます。何重にも確認を行いました、見逃すはずがございません。私をお疑いになりますか!?」

 少女の叫ぶような訴えを聞いて、クシュナーは額の皺を揉みほぐし、頭を切り替えるように息を吐いた。


「いやお前ではない。我も、勢力が優位な時に裏切るような愚か者を部下にした覚えはない」

「御明察恐れ入ります」

 身の潔白が証明されたことに顔を綻ばせようとして、表情筋を総動員して上がりそうだった口角を戻した。

 怒りで爆発寸前の権力者の眼前で無邪気に舞い上がるなど、どのような沙汰を言い渡されるか想像もしたくない。


「しかし、誰かは裏切った。そして今も、のうのうと我に仕えているのだ。全くもって腹立たしい」

 怒り任せに髪をかきむしる主の姿を見て、ティファは彼を筆頭とする勢力の将来に、暗雲が立ち込めていく感覚を覚えた。

 この一件でクシュナーは、部下の仕事ぶりに疑問を持つようになるだろう。猜疑心に支配された権力者の末路など、粛清の嵐と相場が決まっている。

 

 ……潮時か?

 少女の心に主人を見限る選択肢が出てくる。


 別に生涯を通してクシュナーに仕える程の忠義はティファにはない。出来る事、やりたい事を吟味した結果、今の立ち位置におさまったに過ぎない。

「それでは対策のために部下を急遽収集します。私はこれにて」

 それらしい理由を述べて頭を下げる。


 しかし退室は叶わなかった、突然両腕が拘束される。

「は?」

 間抜けな声を漏らして周りを見ると、いつも命令を飛ばしていた部下に、己の腕が力づくで押さえられていたのだ。


「……クシュナー様、何を?」

 震える声で尋ねると、

「部下の腹の内を読み計れぬほど、我が狼狽したと思ったか? 小娘よ」

 上司だった・・・男の、暗く黒い答えが返ってきた。


「お前はこちらが優位の内は従順な部下であるが、いざ劣勢になれば裏切りを選択肢に入れるであろう。

 その際にそのよく聞く耳と、おしゃべりな口はこの先の我にとって害悪となる」

 自慢の顎髭の下で、横一線に指を動かした。


「彼女から情報が洩れぬよう『処理』をしておけ」

 ティファの瞳が恐怖で見開かれた。

 この男に指示を貰って何年も働いていた彼女である。それが具体的にどのような処置か十分に理解できていた。


 慌てて弁明を吐こうとしたものの、部下だった男が口に布を噛ませた。それでも弁明の意思を示そうと声を止めない。

「ふぐううううううううう! うううううううううう!」

 しかしそれは逆効果であった。獣のようなくぐもった声に不快感を覚え、クシュナーは手を振って捉えたティファごと配下を下がらせる。


「このような状況では勇者によるダンジョン遠征も延期するしかあるまい……。

 まったく、余計な事態を招いてくれたものだ」

 既に元老の脳内からティファは取り除かれており、別の問題への対処へと思考が移っていた。


 かつて影山をはめた一人の少女は、影山の暗躍を原因に、影山も予想外の副作用にて破滅の道へと進んでいった。

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