第151話 ローレライに誘われて

 エクムント・ド・アルベルトは、父クシュナー・ド・アルベルトの三男としてこの世に生を受けた。


 長男ギルバート・ド・アルベルトは思慮深く真面目であり、早い時期から父の政策に携わることを許され、周囲の誰もが次期当主となるだろうと期待する俊才であった。


 次男のアルノルト・ド・アルベルトは対照的に自由奔放な性格であり、幼い頃に読み聞かされた冒険譚に感動してから家を飛び出して冒険者となっていた。

 彼がアルベルト家を破門にならなかったのは、数多の功績を打ち立ててAランク冒険者として名を馳せていたことが大きい。


 そんな個性の強い二人の兄は、年が離れているせいもあったのかアルベルトの事を大変気にかけ、己の得意とする分野を熱心に伝えた。

 エクムントの幼く可能性に満ちた身体は、一流の文武を凄まじい勢いで吸収していくことで二人の熱意に応えた。

 後に民衆から慕われることになる名領主の才覚は、兄弟の底なしの愛情によって育まれたのであった。


 そんな順風満帆の人生を謳歌していた彼に、一つの転換点が訪れる。

 長男から資料を頼まれて書庫の奥にもぐりこんだ際、少年の観察眼が紙の奥底に眠っていた沈殿物を引き上げてしまった。


 それはかつて、少年の頃のクシュナーが隠した猥本であった。

 【勇者】の少年と【僧侶シスター】の少女が禁じられた恋に身を焦がすというあらすじであり、世が世なら焚書の対象として唾棄されるべき代物であった。

 エクムントも目を通してすぐに内容の異常性には気が付いた。しかし、何故か目を離すことが出来なかった。

 心の奥にある清らかさをたもっていた箇所が、下卑た快感によっていびつに捻じ曲がるようだった。


「エクムント、見つかりそうか?」

 長男ギルバートの声が書庫に響く、書類の捜索に長くかかっている弟を心配して発したものであった。

 正気に戻った少年は、慌てて手元の非日常を元あった場所に隠す。そして何事も無かったように、彼の日常へと戻っていった。

 しかし、生じた心のゆがみはしっかりと幼い心に刻まれていた。




 それから時は経ち、エクムントは領地を任される立場となる。

 ここで長兄から教わった手腕が遺憾なく発揮された。税を軽くし、商業を発展させ、公正な裁判を行うことで、領民の士気の向上を促した。


 たちまち領地は発展し、その功績をもってエクムントはクシュナー元老の力の一角を担う人材として頭角を現していった。

 しかし、そんな彼を苦しめるものが一つ。少年のあの日に猥本から生じた心の歪みである。

 必死に振り払おうとするものの、簡単に拭い去ることは出来ず、それどころか欲望として変容していた。


 『あの内容を文字ではなく、映像として享受したい』


 いつか欲望を押さえきれなくなる日が来るであろうと、心のどこかでは予見していた。しかし、内容が内容だけに相談できる相手が見つからなかった。

 結果として欲望を無理に理性で封じ、周囲の期待に沿う『理想の領主』を演じ続ける他無かった。



 そんな彼の秘め事にはじめに気が付いたのは、専属の軍師として活動していたオボロであった。

「あなたの欲望を発散する画期的な策を講じましょう」


 奴隷を購入し、それぞれ勇者の少年役と僧侶シスターの少女役をやらせ、猥本の内容通りの濡れ場を再現して鑑賞する。

 それが彼の提案した『欲望の発散方法』であった。


 奴隷購入という汚れ役を請け負ったのは、執事のヘルムートであった。

「これで主様の心の平穏が保たれるのであれば、喜んで手を染めましょう」


 これがローザリンデの遭遇した『闇』の真実である。

 大した話ではない、真面目に育つはずであった人間が、本棚の奥に潜む魔力に魅了されたに過ぎなかった。




◆◆◆




 舗装されていない地下道を二つの影が駆ける。

「追いつかれるか……」

 後ろから聞こえる多数の足音に、エクムントは逃走が至難であることを悟った。


「オボロめ、しくじったか」

 執事のヘルムートが小さく舌打ちしてその場で止まった。


わたくしが時間を稼ぎます、その間に」

「その案は却下しよう。脱出に成功しても、私一人で何が出来る?

 ここで追手を全て撃退して、二人で逃げるのが最善手だ」

「……承知しました」

 部下の渋々といった返事を聞いてから、腰に差した長剣ロングソードを抜きはらった。

 領地経営に荒事は付き物である。相棒ともいえるこの名剣と共に数多の戦場を駆け抜け、幾度もの危機を共に乗り越えた。


「ヘルムート!」

 何度も聞いた『僧侶シスターの少女役』の声が、怒気を込めて隣の部下の名を呼ぶ。

 

 先頭の軽装の少年が、憲兵の制服を着た女性に確認をとる。

「コリンナさん……という事は隣のあの人が」

「そうです。彼が、彼こそが今回の元凶たる貴族」


 彼女の説明を遮るように、貴族は口を開いた。

「初めまして、勤勉な冒険者と憲兵達」

 切っ先を相手に向けるように長剣ロングソードを構える、次兄に嫌というほど叩き込まれた構えであった。


「我こそがエクムント、エクムント・ド・アルベルト。

 自分の欲望で破滅の道を選んだ愚か者さ」

 後ろめたい悪事を全て晒された今、もはや隠すことはないとばかりに、仰々しいしぐさをしながら張りのある声で己の名を口にした。

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