第135話 風変わりな隷属

 重苦しい石造りの地下室に、ガチャリと枷の外れる音が消えていく。

「これは素晴らしい、美しい金髪にまだ絶望しきっていない気高き眼差し。良い、実に合っている・・・・・

 下品な視線を浴びせる眼前の執事姿の男に、布切れ一枚のみすぼらしい恰好をした耳長族エルフの少女ローザリンデは鋭い目つきで睨んだ。


 ローザリンデは、先日エルフの里から王都に向けて旅立った年頃の娘である。しかし、その美貌が目を引いたのか、とある村に留まった際に夜盗に襲われて奴隷に身を落としてしまっていた。


「自己紹介をさせていただきます、私の名はヘルムート。あなた様を買った主の配下にして、この『特務室』と名付けられた場所の室長を務めるしがない老人でございます。

 これからあなた様の身辺の管理も担当することとなりますので、以後お見知りおきを」

「お前に世話されることなど何もない!」

 執事は彼女の怒気を軽くかわすと、困ったような表情を作って見せる。


「……ふむ、英気があるのは素晴らしい事ではございますが、やはり初対面の相手に対して敬語がないのはいただけません。

 このような不躾ぶしつけな隷属では、我が主の器が疑われてしまう。非常によろしくありません」

 ヘルムートは右腕を前に上げ、スーツの上からはめた銀色の腕輪を彼女に向けた。


「命令です。『誰に対しても敬語を使いなさい』」

「……ぐぅ」

 なんの装飾もなかった腕輪の表面に、突如として赤い文様が浮かび上がった。連動して少女の傷一つない背中にも同じ文様が輝く。


「さて……あなたの衣装はこちらに用意しております」

 問題なく隷属術式が機能していることを確認したヘルムートは、近くのテーブルに手を伸ばし、掛けられていた布を取り去った。

 現れたのは豪華絢爛な法衣だった。金色のまばゆく細かな刺繡は、市民では決して手が届かないものであることを知らしめているようにさえ思える。


 これを着るのかと、少女が目を丸くしたときである。

 後ろから扉が開き少年が入ってくる、少女と同じ年頃で立派な鎧を着ている。瞳を見れば分かる、彼もまた無理やり連れてこられた被害者だった。

「あなたの役目はこの衣服を着て、私が指示した時間に彼と肌を重ねることでございます」

「そんな……ことっ!」


「これはお願いではございません、これからの予定でございます」

 悔しそうに黙った彼女に、執事は手元の種類を渡した。

「つきましては、行為の際の細かな台本をここにお持ちしております。明日までに頭に叩き込んでください」

「何……ですか……これ」

 紙の束を抱えて硬直する少女に、思い出したよう執事は再び腕輪を向けた。

「そうでした、私としたことが……

 命令です。『奴隷であることを周りに明かしてはいけません』、『この指示された内容を周りに漏らしてもいけません』、『渡された物品を意図的に傷つけてはいけません』『暗唱できるまでに台本を読み込みなさい』」

 ローザリンデの瞳は恐怖に染まり、襲ってくる痛みに耐えるべく自らの身体を抱えた。

「あああああああああ!」

「ううううううううう!」

 暗い世界に二つの若い声が空しく響いた。



 それからの日々は地獄……という程ではないが望まぬものであった。寝床と三度の食事がつけられほぼ不自由のない生活ではあったものの、夜になると毎日知らない少年との相手をさせられた。

 しかも『主』と言われるものから、行為での要望がよく出てくる。ここでこの行動をしてほしい、この台詞を発してほしいと、演劇の指導のような細かさだった。


 暴力を振るわれるわけでも家畜以下の扱いをされるわけでもない、人の自由を奪っておきながら良い暮らしをさせる『主』とやらの意図が分からず、ただただ意味不明且つ不気味だった。

「絶対におかしいですよね……こんな生活!」

「そうですよね……やっぱりそうですよ! 王都でやりたいことがいっぱいあったのに、私たちの人生を何だと思っているんでしょうか……!」

 鉄格子がはめられた寝室で奴隷の二人が、自らの境遇について話し合う。ほぼ毎日相手をさせられている人間族ヒューマンはナイトハルトという名で、顔立ちの整った美少年だった。


「……ローザリンデさんも王都に向かっていたのですか?」

「はい……冒険者に成る予定でした。昔旅人から聞いた伝説の冒険者として名高い同族に羨望を抱いていて……」

 伝説の冒険者パーティー『ユグドラシル』の、【精霊師ドルイド】であるカミュが彼女の憧れだった。

「奇遇ですね……私も王都で冒険者に夢見て向かっていた途中だったんですよ。まぁ途中で盗賊に襲われて奴隷にされてしまったんですけれど……」

「そこまで同じというのはどうなのでしょうか?」

 少女の突っ込みを受けて二人は笑いあう。同じ境遇、同じ苦しみを体験した少年少女の間には奇妙な友情が芽生え始めていた。


「もしここを脱出して王都に辿り着けたら、良ければパーティーを組んでくれませんか? あなたとならSランクパーティー『ウォルフ・セイバー』を超えるような二人組になれそうなんです」

「大きく出ましたね」

 久しぶりに気兼ねなく話せたことで気が緩んだのだろうか、

「……ローザリンデさん?」

「あ……」

 一粒の雫が玉の肌を伝っていく。


「ごめんなさい……」

 恥ずかしいものを隠すように、両手で顔を覆った。

 語る目標が高く輝いているほど、人の命令に黙って従うしかない今の自分が惨めに思えてくる。どうしようも出来ない自分の心を、無力な己への憤怒と未来を閉ざされた不安がむしばんでいった。

「やっぱり……私、ここで一生を終えるのかな?」

 絞り出した言葉を聞いたナイトハルトは無言で腕を組んだ後、




 いきなり鉄格子を両手で掴んだ。

「え!?」

 あっけにとられるローザリンデの目の前で力の限り引くと、ボキンと耳障りな音と共に金属の塊が窓枠から外れた。


「……実はあいつらに隠れて、毎日スープをかけていたんです」

 部屋中に立ち込める煙から、一つの手が少女に差し伸べられる。

「良かったら一緒に抜け出しませんか?」

 月光に照らされた彼は、まるでおとぎ話に出てくる英雄のようだった。


◆◆◆


 肺が焼けるように熱い、いくら空気を送ってもちっとも楽にならない。久しぶりに走ったために足の筋肉が脳へ痛みを訴える。


「止まれ! 止まらんか!」

 後ろからは手練れの追手が彼女を狙う、『動くな』『逃げるな』と腕輪で命令を下すヘルムートがいないことが唯一の救いだった。

 一緒に逃げたナイトハルトは自分を逃がすために、やつらの足止めを引き受けてくれた。彼のためにも絶対に逃げ切れなければならない。しかし、王都への道のりはまだまだ遠い。


「あっ」

 追手の一人が投げたナイフが腹部に当たる。痛みと衝撃で地面に前から転んだ。

 急いで立ち上がろうとするが四肢がうまく動かない、思った以上に身体は限界を迎えていた。


「手間をかけさせおって……」

 何と木に背を預けるが、すぐそばに乱暴な足音が近づいてくる。

 もう駄目だと目を瞑ったその時である。




 地響きと共に赤き龍が目の前に現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る