第126話 屍喰鬼は吸血姫の夢を見ない ⅩⅢ
月夜の下、二つの軌跡が交差し火花を散らす。
メリヘムとハイゼンベルクは、熾烈な空中戦を繰り広げていた。
メリヘム・ディ・ファールハイトは
ハイゼンベルク・フォン・プラーレライは
吸血鬼の種族としての格はメリヘムが上であるにも関わらず、戦いは拮抗していた。
身体能力こそ劣るハイゼンベルクであるが、年の功とでもいうべき経験がメリヘムに決定打を与えずにいたのだ。
「おっと」
今もまたメリヘムが繰り出した渾身の突きを、ハイゼンベルクは槍を駆使して逸らす。
「ふっ!」
しかし、メリヘムはそれに懲りず
ハイゼンベルクのような熟達した武術を今すぐに身に着けられると思うほど、メリヘムは傲慢になっていなかった。
優っている身体能力を生かしてこそ、勝機が見いだせると考えていた。
「むぅ」
そして36合目の刺突、受け流した公爵の槍からミシリと嫌な音が聞こえた。ハイゼンベルクが見やると柄の部分に罅が見て取れる、強力な吸血鬼同士の力に耐えきれなかったのだ。
「見事である。」
ハイゼンベルクは獲物を捨てる。歪んだ槍などただの棒切れより始末が悪いと判断しての事だった。
「今からでも遅くはない、私の下に来ないかね?」
人物を見定めるように目を細める。
「君ほどの強者が来てくれれば我がプラーレライ家も安泰というもの、私としても大変喜ばしいことだ」
「それは嘘ね」
メリヘムはバッサリと勧誘を切り捨てる。
「家の将来なんて考えていないでしょう?
あなたは自分の部下が素晴らしいほどに、それを従えている自分も偉大だと悦に浸りたかったのよ」
ハイゼンベルクの顎髭を撫でる手が止まった。
「さっきのサルチナにしたってそう。
跡継ぎなんて言っていたけれど真っ赤な嘘。あなたは、文武に優秀な自分の子供を周りに見せびらかせて、そんな子供の親であることに酔いしれたかったんじゃないの?」
メリヘムの出した結論はずばりハイゼンベルクの核心を付いていた。しかし、言い当てられた本人は怒りも焦りもせず、興味深そうに問う。
「君と私は初対面のはずだが……断言の根拠を教えてほしい。それとも、それが君の能力なのかい?」
メリヘムは大きなため息をついて空を見上げる。その瞳は辟易の感情を表していた。
この場、この世界にはいない、もう手の届かない誰かを思い出す。
「ずっと見てきたのよ。子供よりも子供の
彼らから懸けられた期待の辛さと、それに応えようとした努力の虚しさを吐露した言葉だった。
「なるほど、私に似たものを見てきた故の経験というわけか」
ハイゼンベルクは目の前の少女のこれまでの人生に思いをはせ、そして決断する。
「軍門に下らぬというのなら、本性を知った君を生かしておくのは、私の名誉に大きく関わりそうだ。すまぬがこの場この手で決着をつけよう」
啖呵を切ったハイゼンベルクが両翼を大きく広げた。漆黒の翼に赤い文様が加わり、瞳は黒く濁っていく。
『切札を使わせた』
劇的な変化にメリヘムは、吸血鬼の本能から理解した。
留めた魂は様々な用途で使用されるのだが、目の前の男が行ったのはその用途の中でも奥義に位置するものだった。
『
その真髄は、魂と引き換えにその魂が持つステータスの加算である。
吸血鬼が他の強力な種族を押しのけ、大陸の半分を支配するまでに至った最大の理由であった。
「これこそが私の全力、肉体は強者足り得ても戦いの達人足り得ぬならば、身体能力の差を埋めれば勝機を見いだせるというものよ」
先ほどまでとは別格となった強者の圧を前に、メリヘムは目を瞑る。
「……いこう、一緒に」
武器を持たぬ手を胸に当てようとして、その動作が止まる。
「どういうこと?」
理解不能な状況に直面したように眉を顰める。まるで相対している敵以外の誰かに話しかけているようであった。
やがて彼女の中で何かが解決したように、一度深呼吸を行ってから言葉を発した。
「……一応考えてはみるけど、期待はしないでね」
瞬間、メリヘムの両翼に青い文様が輝き、その
「これは……
予想外の事態にハイゼンベルクは思わず後退した、常時浮かべていた作り笑いが崩れ驚愕の表情に染まる。
<個体名【メリヘム/
<『神の破片』による個体名【メリヘム/
■■■
種族・
種族・
■■■
■■■
<
<
■■■
「誰を犠牲にした! いやそこではない。人殺しをしたこともない淑女が、他人の魂を切り捨てられたとでもいうのか!」
ハイゼンベルクから見たメリヘムの性格は、甘さが捨て切れていない子供という評価だった。先ほどまで争っていたサルチナを、こちらの粛清からかばったのがその証拠である。
「まさか、私が見誤っていたというのか」
他人の価値を見抜く技能にかけては四罪公爵随一を自負していたハイゼンベルクにとって、目の前の事実はその絶対的自信を大きく揺らがせるものだった。気構えを立て直すまでに生まれてしまった僅かな隙。
時間にして刹那であったものの、極限まで能力を高めた二人の間では致命的なものであった。
次の瞬間、ハイゼンベルクの視界が白に染まった。
「こっ」
目の前の非現実に思わず乾いた笑いを漏らそうとして……満足に呼吸が出来ない現実に気が付く。
視界に突然現れた『白』の正体は、人間の倍ほどもある純白の
やがて時が動き出すように老人の体は上半身と下半身を繋いでいた場所が千切れ、重力に従うまま木々生い茂る深緑の中へと消えていく。
メリヘムは何も言わずその後を追った。
落下の衝撃でハイゼンベルクの上半身はさらに傷を負い、もはやメリヘムの前に現れた四罪公爵の威厳は失われていた。
そんな敗者を勝者は見下した。
「自身の外聞ばかりに気にしたあなたは、誰も臣下のいない寂しい森の中で最期を迎えるの。後悔しなさい」
「後悔? そんな感情生まれるわけがないさ」
自信を葬らんとする者の姿を、今一度頭からつま先まで確認し、満足そうに頷く。
「これほどに優雅で、気高く、強く、苛烈で、荘厳さを帯び、何より美しい吸血鬼の誕生に立ち会えたのだ。何を悔いる必要があるというのだね」
敬虔な信徒が神に縋るかのごとく老人は両手を伸ばした。
「そうだ……私の消滅をもって、偉大な吸血鬼が」
ハイゼンベルクが言い終わる前に、メリヘムの
とどめを刺し終えたメリヘムが確認するように振り返る。
そこにあったのは四肢を切り取られた別の死体。すでに、サルチナはこと切れていた。
「終わったよ、何もかも」
ぽつりと呟いたその一言は、自らを召喚した少女とこの世界で育ててくれた魔女、どちらに対しての
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