第125話 屍喰鬼は吸血姫の夢を見ない ⅩⅡ

「くそっ!」

 岩に背を預け、土まみれになったサルチナが空を仰ぐ。悲痛の叫びは夜の晴天にむなしく消えていった。

 遠くを見ると、メリヘムが地に降り立ちこちらへとあゆんでくるのが見える。

 こちらを消滅させる意思を持つものが確実に迫ってきている、その事実がサルチナの心胆を寒からしめた。


 覚醒したメリヘムはまるで不条理の権化だった。

 身体能力は腕力、俊敏、防御力すべてがサルチナのそれを大きく上回り、作成した武器は全て叩き折られ、ハイゼンベルクの下で学んだ格闘術や剣術は小手先の技術とばかりに簡単にあしらわれた。

 これまで積み上げてきたものが何一つ通用しない。世界がサルチナの排斥を望んていると思うほどに絶対的に強かった。


 だが、とサルチナは口元をぬぐった。

 すべての手札を切ったわけではない、まだ生きているのだから何もかもが終わったわけではない。

 後悔は今わの際にすればいい、愚痴は墓場で吐けば良い。あの日あの時ハイゼンベルクに拾われなければ消えてしまっていた命なのだ。

 心を奮い立たせ、目の前の新米吸血鬼を睨んだ。

「……まだ、もう少し気づくな」

 己にしか聞こえぬほどの小さな声量で、敵が不用意になっていることを願う。

 木々のざわめきとメリヘムが規則正しく土を踏みしめる音が場を支配する。


 両者の距離が10歩程度まで近づいた時、サルチナは傷いた両腕を天へと掲げた。

 メリヘムが何事かと周囲を見回すと、武器として破壊して液体に戻っていた血潮が重力を無視して周囲に浮かんでいた。


「防げるものなら防いでみろ」

 サルチナが腕を振り下ろすと血液は百を超える刃に形を成し、一斉に空気を割いてメリヘムに襲い掛かった。

 少女の柔肌に冷たい刃先が届くまでのわずかな時間、サルチナは確かに敵の詠唱を聞いた。

「【鉱物錬成メタル・ハイ・グレード】」

 刹那せつな、メリヘムの姿がブレた。


「あがっ、はぁ!?」

 サルチナは肩に衝撃と鋭い痛みを感じた、歯を食いしばりながら目をやると先ほどメリヘムに仕向けた血の刃が刺さっていた。

「あぁ、そんな、ばかな」

 驚愕するサルチナの視線の先には、攻撃前と変わらぬ姿のメリヘムが細剣レイピアを片手にで佇んでいた。辺り一帯には歪んだ刃が転がっている。

「全て弾いたというのか! あの数を!」

 目の前で起きた出来事が信じられず、言葉にして投げかける。相手は返答せず、再びこちらに向かって歩み始めた。


「く……そ」

 最後の奥の手が破れた、サルチナには逃走しか選択肢は残されていなかった。

 空へ飛びあがろうと翼をはためかせてみるが、直後体のバランスを崩し顔を地面に叩きつける。背中を触ってみるといつの間にか片方がもげていた。

 体を起き上がらせようと足に力を入れると激痛で再び転んだ。くるぶしにも刃が刺さっていた。


 処刑人の足音が後ろから聞こえる。時間はもう残されていなかった。

 刺さった刃を血液に戻す時間すら惜しいと思い、何とか距離を取ろうとまだ動かせる四肢を総動員して地を這いながら体を移動させた。

「……惨めだ」

 一種の現実逃避から今の自身を俯瞰する。

 少し前までは支配者としてこの地に居座っていたというのに、今はまるで狩猟者に追いつめられる一匹の獲物にまでなり下がっていた。


「全部、全部うまくいっているはずだったんだ」

 ハイゼンベルクによって集められた候補生たち。処分された彼ら、まだ生き残っている彼女たちを含めて一番優秀なのは自分だと信じて疑わなかった。

 積み上げられた屍の上に、最後に自分が立っていればそれでよかったはずなのだ。


「それをお前のせいで、お前がお前が」

 月光によって作り出された自身の頭の影を、さらに大きな影が覆いつくす。もはや手を伸ばせば届くほどに両者の距離は詰められていた。


「うあああああああああああああ」

 自分の不甲斐なさ、敵の理不尽さ、すべての怒りを込めてサルチナは殴る。メリヘムは微動だにせずそれを腹に受けた。もはや拳には、よける程の脅威も残されていなかった。


「どうしてこんな時に限ってあなたみたいな怪物が出てきたの! 何で私の試練の時にだけ出てきたの! 不公平じゃない!」

 もはやその表情は強者のものはでなかった。年相応の、兄弟に虐められた時の小さな少女の泣き顔であった。


 メリヘムが無表情で彼女を見ていると、

「無事かね、サルチナ?」

 渋い声が聞こえた。

 声の方角を見ると、入り組んだ木々が生み出す影の一部が盛り上がり、やがて槍を手にした大人の男性の形を作る。

「ハイゼンベルク様!」

 サルチナは自分の右腕を伸ばす。傷口から血の鎖が飛び出し、先端のアンカーが男の足元に刺さった。鎖を体内へと巻き取ると、サルチナの体がアンカーに引き寄せられて無理やり動く。

「お許しください、ハイゼンベルク様」

 ハイゼンベルクと呼んだ男の傍までなんとか移動すると、少女は頭を下げた。この男が役に立たないと考えた候補生を、躊躇なく処分する冷酷な人物だと知っている。先ほどの戦闘を見物し、自分が惰弱だじゃくだと始末される事さえ考えられた。

 しかし、彼を頼らなければ待っているのはメリヘムによる確実な死である。少しでも生存の可能性の高いほうに縋るしかなかった。

 元から小さかった体をさらに小さく折りたたみ、土下座の体勢で彼に許しを請う。

「突然の異常事態に対処することが出来ませんでした。なにぶん力の差が歴然としていて、私も死力を尽くしましたが力及ばず……」


 ハイゼンベルクは左手を上げて、彼女の謝罪を止めた。

「それに対してだが、そう謝ることはないよサルチナ。」

 彼はメリヘムを値踏みするように足元から頭まで視線を動かし、満足そうに頷いた。


「この気配、殺気、戦闘力、威圧感、まさしく伝説に聞く大公位吸血鬼ヴァンパイア・グロスヘルツォークなのだろう。彼女を討伐するのは私でも難しい。己が解決できるか怪しいというのに、失敗した他人を責めるほど私は人でなしではないよ」

「慈悲深き配慮、感謝の言葉もありません」

 彼女に刺さっていた刃が液体となって彼女の体に戻っていく。傷を抑え痛みに抗い、なんとか立ち上がってサルチナを再び見据えた。


「お力添えくださいませ。私とハイゼンベルク様が力を合わせればきっと打ち勝つことが出来ましょう!」

 次の瞬間、サルチナの胸に槍が生えていた。


「え?」

 訳が分からず振り向くと、彼女の手足が切り飛ばされる。叫び声を上げようとしたところで喉を切られ、声帯を潰された。

「おう……いえ……」

「君の思慮深さが合格点に届いていなかったのだよ、サルチナ」

 這いつくばることしか出来なくなった彼女の疑問に答えるように、ハイゼンベルクは優しく語り掛ける。


「魔女マーガレットを殺したね?」

 サルチナの髪が震える。


「マーガレットの研究は非常に有益かつ、彼女しかその理論と技術をしっかりと身に着けている者がいないほど希少だった」

 ハイゼンベルクは子供に対する先生のように淡々と説明する。その表情は張り付いた笑みから変わることはなかった。


「感情を無視し、自らにとっての利益を優先することもまた領主の資質なのだよ。

金の卵を産む雌鶏めんどりをわざわざ殺してしまう間抜けを、私の跡継ぎだとは思われたくはない。分かるね?」

 どこが稚拙で、何が間違っているのかを懇切丁寧に説明する。サルチナ自身が何回も見てきた、ハイゼンベルクが候補生を処分するときの一連の動作だった。


「残念だよ、君には少し期待していたんだ」

 明らかな失望の言葉に、娘は形式上の父親に見捨てられたことを悟る。なんのことはない、元の独りぼっちに戻っただけであった。

「あぁ……うあぁ……」

 心にぽっかりと開いた穴に対して、少女はあまりにも無知であった。とめどなく涙が溢れてくる。


 槍の穂先が、首元へと振り下ろされる。サルチナには瞼を閉じて、死の恐怖を僅かでも和らげることしか出来なかった。


 金属と金属がぶつかる鋭い音が響いた。

「む?」

 ハイゼンベルクの唸る声を聴いて目を開けると、先ほどまで敵対していた少女が彼の槍を受け止めていた。

「どいてくれないかいお嬢さん? これは我々親子の問題なのだ」

 メリヘムはその腕力で強引に剣を振りぬく。さしもの四罪公爵もこれには後退するほかなかった。

「あなた達二人がどういう関係か大体分かったし、あなたの言っていることが分からなくないけど」


 構え直したハイゼンベルクに細剣レイピアの刃先をに向ける。

「嫌いなのよ、子供が自分の思い通りに育たなきゃヤダっていう大人」

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