第120話 屍喰鬼は吸血姫の夢を見ない Ⅶ

 実に痛快な光景であった。


 一体の巨像が天高く掲げられた黒く太い剛腕を、槍衾やりぶすまを敷いた軍団へ振り下ろす。  

 爆音が辺りに轟き、武器はへし折れ、盾はひび割れ、人型が宙を舞い、空気が揺れる。

 仲間の無残な姿を見てなお、兵士たちの指揮は乱れない。身に着けている画一的な兜の奥には、生物ならば存在する瞳の光が見られなかった。石像作り物である。


 機械のよう周期的に繰り出される槍の応酬おうしゅうをちょこざいなと払いのけ、巨像ことヴェヒターは一撃、もう一撃と拳を叩き込み、着実に敵の数を減らしていく。


 そんな迫力満点の様子を近くの岩場に腰かけて見つめる影が一つ。

 小さな体に見合わないぶかぶかの分厚い西洋鎧プレートメイルを纏っており、鎧に着られているという言葉がよく似合う。


「う~~~~ン」

 いかつい見た目とは裏腹に、愛くるしいうなり声が磨かれた鉄甲に響いた。

 重鎧の主、メリヘムこと夜神は今の状況に複雑な心境を抱いていた。



◆◆◆


 髪を整えた後、メリヘムはマーガレットに装備を見繕ってもらっていた。

「マー……サン?」

 屍喰鬼グールの少女の口角が引きつる。性能を追い求めて、見た目を度外視した無骨な甲冑がよろよろと立っていた。

「いろいろ考えてけれど、これが一番良いかしら」

 マーガレットは腰に手を当てて、コーディネートした相手の姿に満足そうに頷く。

「はじめはこれぐらいの装備で行きなさい。あなたはまだHPが少ないのだから、何かのはずみで攻撃を受けたらそのまま死んでしまうかもしれないわ」

 メリヘムが一動作するたびに、ガチャリガチャリと金属のやかましい音が鳴る。

「オモイ……」

「動いていれば慣れるわ。さて、最後にやっておかなくてはならないことがあるの」


 マーガレットが鏡台の上に一つの紙を差し出した。

「これは共罪証明書アンハルト・スクロールという道具よ」 


 首をかしげる夜神に、マーガレットが補足を加える。

「他者を倒せば経験値が獲得できるということは先ほど話したわね? この経験値獲得には一つのルールが存在するの」

 魔女の左手が拳を作り、右手の手刀で軽く叩かれた。

「とどめを刺した存在が、倒した存在の経験値をすべて獲得する。つまり独占してしまうというわけ。

 このままダンジョンに潜った場合、メリヘム、あなたが経験値を獲得するためには必ずモンスターにとどめを刺さなくてはいけない。これはかなり非効率的なの」


 マーガレットが伝えたい意味がメリヘムには何となくわかった。

 今のメリヘムがとどめを刺す場合、相手をかなりの瀕死にしなくてはいけない。そこまでの調整はかなりの苦労になるであろう。

 さらに瀕死の敵と言っても、素直にとどめを刺されてくれるとは限らない。命がかかっているのだから逃げもするし反撃もされるだろう。それを、この脆弱な体で対応できるであろうか。


 改めて自分の成長の困難さを噛みしめてから、目の前の一枚の紙を見つめる。

「そんな問題を解決してくれるのがこれというわけ」


 マーガレットは共罪証明書アンハルト・スクロールの右下を指さす。指先を見ると、大きめの空白がとられていることが分かる。

「この紙に複数人が名前を記載すると、契約を結ぶことが出来るわ。」

 指していた指をメリヘムへと移動する。

「例として私とメリヘムが契約したとしましょう。

 その後に私がモンスターなどを倒すと、獲得する経験値を私とあなたで平等に配当することが出来るものなの」


 つまり、極論メリヘムは何もしなくとも経験値を手軽に獲得できるという事であった。

 まるで今現在の自分が直面している問題を解決するために存在するようなご都合主義の塊に、濁った目を丸くする。

 手伝ってくれると明言してはいたが、ここまで至れり尽くせりだとは思っていなかった。


「ソコマデ……シテクレテ……イイノ? ワタシ……ガンバルヨ?」

 拳に力を入れ、胸に当てる。マーガレットはその拳を包み込んだ。

「そんなさみしいこと言わないでちょうだい。保護者としての私の立場がなくなるわ」

 暖かい手が整えられた髪に優しく振れた。

「どんなに独り立ちした人間でも、子供の頃は誰かの手をかりるものでしょう? あなたはいつか独り立ちするでしょうけど、今は頼ってちょうだいな?」

「ウ……」

「できる限り……助けになりたいの」

 一瞬、マーガレットの視線が扉の奥へと動いたが、メリヘムはそれに気が付くことが出来なかった。少女の心の奥で、一つの懸念が生まれていたからである。


「デモ……キケン……ココロ……セイチョウ……サセル」

 日本の漫画やアニメを見続けたことで、メリヘムの心には一つの理論が住み着いていた。主人公が成長するためには、過酷な環境や危機的状況が不可欠だというものである。

 ならば一日も早く理想に近づくためには、己を追い込む必要があるのではないだろうか?


 そんなメリヘムの心の動きを機敏に感じたのか、マーガレットが語り始める。

「危険を乗り越えることは素晴らしいことよ、得難い経験を積むことが出来るし。何より乗り越えたという事実が自身に繋がる。

 でもね、よく覚えておいてメリヘム。危険や危機というものは直面するものであって、自ら突っ込むものではないの。」

 話をいったん区切り、語気を少しだけ鋭くして残りの言葉を続ける。

「心に留めておいて、命は一度限りよ」

 年を重ねた人間の重みであろうか、メリヘムにはそれに対して反論しようという気持ちが起こらなかった。

「ワカッタ」

 マーガレットが背中をさする。

「大丈夫、試練が必要ならいつの日かあなたにも命を掛けた戦いがあるはずよ、安心して――いえ、これは安心するべきことではないかしら?」

「アンシン……スル!」

「良かった、ふふ」

「ンフフ……」

 一緒に笑いあって、心のもやを断ち切る。

「さぁ、試しに書いてみてちょうだい」

 置いたままにしていたペンを、小さな手のひらに握らせる。少女は先ほど決めた新たな名を空白にしっかりと刻んだ。


「指、出していただける?」

 言われるがまま、メリヘムがマーガレットの方へ腕を差し出すと、魔女小手を外して細く白い手をとり、己の指二本で少女の指を挟んだ。

「少しチクリとするわよ?」

 マーガレットが目を合わせて警告したのに対し、メリヘムが覚悟を決めて頷くと。魔女は開いていたもう片方の手で胸元のネックレスを手に取った。


「【鉱物錬成メタル・ハイ・グレード】」

 途端に金属が淡い輝きに包まれ、鎖の一部が物理法則を無視して形を変える。一本の棒状になったかと思えば、それが鋭く、さらに鋭く研ぎ澄まされていった。

 最後には立派な針が一つ、マーガレットの手に握られていた。それでメリヘムの人差し指をチクリと刺せば、小さな血の玉が柔肌の上で膨らむ。

 そのまま共罪証明書アンハルト・スクロールの名前欄――先ほど書いた名前の後ろに押し付ける。


「よしよし! それじゃちょっと待っててちょうだい」

 小ぶりの指紋が押印されたことを確認して、マーガレットはメリヘムからいったん視線を外す。

 

「次は……ヴェヒター」

「アレ?」

 予想外の展開に屍喰鬼グールの口から疑問符が零れ落ちた。

「マーサン……チガウ?」

 てっきり魔女と契約を結ぶと思っていたメリヘムは、恐る恐るマーガレットを見上げた。見上げられた彼女は困ったように眉を下げる。

「本当は私がついて行ってあげたいけど、この場所から軽率に離れるわけにはいかないの。ダンジョンに潜っていた間にサルチナに訪問されたら厄介でしょ?」

「ソッカ」

 聞いてしまえば最もである。


「デモ……チ?」

 先ほどの手順を見る限り、契約者の血が必須となる。ヴェヒターから生命の証が流れるとはとても思えなかった。

 マーガレットは自らの指を針で傷つける。

「心配しないで、ゴーレムの場合は製造した術者のもので代用できるの」

 赤く滴るそれを石像の指の先に塗り、紙を押し付ける形で印を記した。


 すると、二つの血判が一瞬青く輝いた。

「これで契約は完了よ。ヴェヒター、レディを華麗にエスコートしてあげてね」

 マーガレットは拳をゴーレムの胴体に軽く当て、片目を閉じて微笑んた。


◆◆◆


「あの時は納得したけド、したけれド!」

 屍喰鬼グール一匹、ゴーレム一体、魔女一人の奇妙な生活が始まって一か月。メリヘムはその間戦闘には参加させてもらえず、ただただヴェヒターの孤軍奮闘ぶりを眺めることしか許されなかった。

 悶々とした日々にさすがのメリヘムも一言いいたくなる。


「でモ、マーさんに直接言うのはちょっト」

 論理的に考えれば、メリヘムはわざわざダンジョンに潜らなくても良い。

 経験値が等配分される仕様ならば、ヴェ―ヒターに魔物モンスターをすべて倒してもらい、マーガレットの家の中で待つのが最も効率的かつ安全である。

 マーガレットも本心では家でじっとしていてほしいのだろう。メリヘムのダンジョンへの憧れを察したからこそ、魔女は条件付きで少女のダンジョン探索を許したのだ。

 賢い頭がはじき出した事実が、これ以上の要求を行う気を失せさせてしまう。


「どんな事情があって私を匿ってくれたんだろウ……」

 長く同居することで彼女の人となり・・・・がつかめてくる。

 理知的で何事に対しても分かりやすく解説を行ってくれる、この世界に無知なメリヘムには理想の教師と言える存在だった。転生前まで合わせたおのが生の数倍長い経験から湧き出す言葉は、心の芯に響くものがある。

 ただ、何かを隠しているのだろうか? 

 家の中は基本自由に出歩いて構わないと許可を貰ったが、家の隅に存在する鍵穴のある扉へだけはかたくなに入らせてはくれなかった。

 

「……早く、友達になれたらいいなァ」

 今はただマーガレットの善意を享受しているだけの、保護者と子供という関係がもどかしく思えた。


「あ……終わっタ」

 あれこれ考えている間に、雲霞うんかの如き石像の軍団が片付けられていた。

 周囲に脅威がいなくなったを確認してから、頭にかぶっていたいかついヘルムを脱ぐ。


 さらされた素顔は以前の彼女と見た目ががらりと変わっていた。肌は柔らかさを持ち、皮と骨だけだった輪郭も健康的な肉付きを取り戻している。マーガレットと出会った頃を死後数日とするなら、今は死後直後程度の容姿であろうか。

 淡く輝く銀髪は、丁寧なシニヨンヘアで頭の後ろに纏め上げられている。


「さテ、恒例のチェックをしましょうカ」

 大分だいぶ滑らかになった口調で、目の前に黒い板を出現させる。


■■■

【Name】 メリヘム/夜神やがみ 宵奈ような

【Race】 上位屍喰鬼ハイ・グール(New)

【Sex】 女

【Lv】30(MAX)(▲29)

【Hp】 390/390(▲290)

【Mp】 39(▲29)

【Sp】 590

【ATK】 39(▲29)

【DEF】 39(▲29)

【AGI】 8(▲8)

【MATK】 35(▲26)

【MDEF】 35(▲26)

■■■


「うシ! 目標達成したわヴェヒターさン!」

 経験値を稼いでくれた恩人へ向き、親指を上に立てた拳をグッと突き出すと、ヴェヒターも同じ動作で応えてメリヘムの喜びを分かち合ってくれた。


「さてト」

 改めてステータスに視線を戻すと、ステータスの上に重なるように新たなパネルが出現していた。


■■■

 種族Lv上限に到達しました。

 上位種族への進化が可能です。

 進化を行いますか?

 YES

 NO

■■■


「お願いします……ト」

 指先に念を込めて、『YES』の文字に触れた。


 すると胸の奥に炎の玉が生まれ、激しく渦巻いていく。熱量はそのまま四肢から指先へと巡り、全身が燃えるような感覚に包まれる。

 確実に強くなるという事実があるためか、メリヘムは今の感覚をワクワクしながら受け入れていた。


 やがて熱さが最高点に達し、徐々に熱が引いていく。

 湧き上がる充実感を抱いて、再度ステータスを確認した。


■■■

【Name】 メリヘム/夜神やがみ 宵奈ような

【Race】 下位吸血種レッサー・ゴーン(New)

【Sex】 女

【Lv】1

【Hp】 400/400(▲10)

【Mp】 40(▲1)

【Sp】 400

【ATK】 40(▲1)

【DEF】 40(▲1)

【AGI】 50(▲42)

【MATK】 30(▼5)

【MDEF】 30(▼5)

■■■ 


「おぉ! ……おぉ?」

 Race種族が別の名へと変わっていることに一瞬喜びを覚えたが、間をおいて変更後の名前に疑問を持つ。吸血、まだ鬼へは至っていないようである。

 しかし、確かに踏みしめた進歩に頬が自然と吊り上がる。

 屍喰鬼グール時代は一桁しか上がらなかったAGI素早さが、すべてのステータスの中で最高値となっていた。


「どれどれ……【鋼鉄障壁アイアン・ウォール】!」

 手甲で覆ったてのひらの前に鉄の壁が出現する。

 職業ジョブが【魔術師メイジ】であるメリヘムは、Spスキルポイントを【土魔術】に集中的に割り振り極めることで、【金魔術】を取得していた。

 金属を操る魔術であり、マーガレットが目の前で使用した【鉱物錬成メタル・ハイ・グレード】にメリヘム夜神の中二病が化学反応を起こした結果であった。


 丁寧に錬成された金属は今の少女の姿を映し出す。

 濁っていた瞳から、くっきりと瞳孔の境目が分かれた『生きた目』に変化していた。


 前よりも意思を宿せるこの目に、メリヘムの心にある好奇心が浮かんだ。すぐさま実行に移す。

「控えなさい! 頭が高い!」

 片手を前に置き、マーガレットに内緒でつけている『理想の自分に成った際に使いたい言葉ノート』から一つの台詞を繰り出す。

 不格好ながら重厚な鎧と整った顔立ちから、鏡の中の自分はなかなか様になっていた。


「決まった! ふふん」

 調子に乗ってターンを決めようとして、

「うわぅ!」

 重い鎧にバランスを崩してしまった。

 まずいと背筋が寒くなる。この格好で転んでしまうと自身の力では起き上がれないのだ。

 幸いな事に、いつの間にか後ろに回っていたヴェヒターに支えられて事なきを得た。

「う~ん、立ち振る舞いの練習はまだまだ先になりそうかなぁ」
















 ダンジョンの入り口から顔を出し、室内を見渡したメリヘムが目にしたもの、それは


「やっと見つけた」

 赤い鎌を背負ったサルチナと、その横に伏す片腕を失ったマーガレットであった。


 少女は再び危機に直面する。

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