第121話 屍喰鬼は吸血姫の夢を見ない Ⅷ

 守ってくれた人が自分の所為で酷い目に合う。

 一番見たくなかった惨劇を目の前に、メリヘムの両こぶしが固く握りしめられた。


「手を煩わせおって!」

 怒気を孕んだ声が、鋼鉄の鎧越しに叩きつけられる。金属と金属がぶつかり、カタカタと細かい音が生まれる。全身が震えていた。


 恐怖ではない。怒りによるものだ。

 何に対してそこまで気が立っているのだ。逆鱗に触れたのはお前の方だ、と。


 マグマの如く煮えたぎるはらわたを、辛うじて理性の蓋で抑えている。それが今のメリヘムの心情であった。

 爆発寸前の彼女の足に柔らかい何かが当たる。

 視線を足元へと向けると、血塗ちまみれの右腕が無造作に転がっていた。元の持ち主は語るまでもない。


 長い髪を丁寧に整えてくれた。

 素晴らしい食事を作ってくれた。

 落ち込む己の手を握ってくれた。

 今日まで心身ともに自分を支えてくれた、元人間の一部を見据える。


 そして、種族の進化によって強化された視力は見逃さなかった。

 マーガレットの片腕は、ただ切り落とされたのではない。すべての指が爪を剝がされ、可動域とは逆方向に強引に曲げられていたのだ。


 メリヘムのさとい頭がそれが意味するものにたどり着いたとき、平静の糸がぷつりと切れた。


「……くたばれゲス女」

 前世の知識まで総動員した、己が知る限り最低最悪の言葉を溢れる感情のままに相手に浴びせる。


「身の程を知れ……傀儡が」

 思いがけない言葉に、額に青筋を立てたサルチナが大鎌を振りかぶり、魔女を飛び越えて目の前の少女に襲い掛かる。


 創造主との二度目の邂逅、しかし、とった行動は大きく違った。

「はあぁっ!!」

 メリヘムは渾身の力を込めて右足で踏み込む。足具が床板を真っ二つに踏み割り、爪先つまさきが土に触れた。

「【鋼鉄障壁アイアン・ウォール】!」

 裂け目の隙間から、鉄の壁が両者を阻むように展開された。


「ちょこざいな!」

 対して吸血鬼は、鎌を横一文字に薙ぎ払う。

 切っ先から繰り出された赤い衝撃波が、壁をバターのように切り裂いていく。完全に二つに切断しても、斬撃の勢いは弱まらず後ろの壁に直撃した。

 大量の木材や煉瓦が重力に従って床に叩きつけられ、濛々もうもうとした煙が舞い上がる。


 サルチナの形の良い眉が訝しげに寄る。術式と共に両断されているはずの術者の姿がどこにも見えない。

 かすかな物音に反応して壁の横へ首を動かす。腰を深く落とした態勢で突進してくるメリヘムの姿をとらえた。


「ぐっ」

 すぐに体勢が立て直せず、サルチナに大きな隙が生まれてしまった。力任せに武器を振ってしまったことが原因である。表情に焦燥が浮かんでいた。


「【鋼鉄杭アイアン・スタペル】!」

 土魔法によって練磨された鉄の尖端せんたんが、サルチナの胸元に吸い込まれていく。

 鈍い衝撃がメリヘムの腕に伝わった。





 いかんせん圧倒的ステータスの差は埋められなかった。

 彼女の捨て身の一撃は、相手の肌に軽い切り傷を付ける程度に終わってしまう。


「……所詮は付け焼刃の強さよ」

 敵の攻撃が効かないと分かり、余裕の笑みを取り戻したサルチナが吐き捨てる。


「畜生が……」

 未熟な鬼が呟いた言葉は、相手吸血鬼への罵倒か、それとも無力な己への呪いの言葉か。


「今度こそ消えなさい」

 構え直した武器の刃が、メリヘムの首元に迫ろうとした瞬間。


「ヴェヒター!」

 聞いたことのない甲高いマーガレットの声が響いた。土煙の中から黒き鉄塊が風を切って突進してくる。ヴェヒターが戦闘態勢に切り替わり、主人にあだなす存在を排除すべしと動きだした。


 人形が繰り出した両の拳を、サルチナはそれぞれ手の平にて受け止める。

 しかし、突進の勢いまでは殺すことが出来ず、組み合ったままの態勢で壁をいくつも破りながら外へと飛び出した。

「邪魔をするなあああああぁぁぁぁぁ」

 サルチナの怒号が遠くに消えてったことを確認して、メリヘムはマーガレットに駆け寄った。


「マーさん!」

 上半身の鎧を脱ぎ捨てて、無事だった魔女のもう片方の手を両手で包んだ。


「メリヘム……戻ったのね」

「マーさん、待ってすぐに……」

 はるか遠くで轟音が聞こえる、空気がビリビリと揺れる感触を肌で感じる。今の自分の戦力ではせいぜいヴェヒターの足を引っ張って終わりだろう。

 ならばこの場での最善の行動はマーガレットの治癒であるとメリヘムは結論付ける。


「やめなさい」

 持たされていた鞄からポーションと医療用具を取り出そうとしたメリヘムを止める。

「私が完全に回復したとして、今の三人であのサルチナに挑んでも仲良く戦死するだけ。それは分かるでしょう?」

「でもっ! む……」

 半分悲鳴に変わっている声で反論しようとしたメリヘムの唇に人差し指を立て、彼女の次の言葉を封殺する。

 老婆は自身の体を見下ろした。腕を無くした肩からは無視できないほどの血が緩やかに床へ広がっている。

「持ってあと数分の命かしら……十分だわ」

 何かを決心したようにマーガレットは少女の瞳を見つめた。

「メリヘム……私の言葉を聞いてちょうだい」

 有無を言わさぬ迫力に、銀髪の頭が頷く。


「まず、私の過去から話しましょうか」

 まるで懺悔でも始めるが如く、その声は重く、沈んでいた。

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