第119話 屍喰鬼は吸血姫の夢を見ない Ⅵ

「さて、夢を叶える具体的な道筋を立てましょう」

 夜神を落ち着かせたマーガレットは、鏡台に腰を掛ける。


「まず最初に夜神さん……どうしたの?」

 マーガレットの話の途中で、屍喰鬼グールの頭が美しい銀髪と一緒に左右に揺れた。


「ナマエ……ヤガミ……ダメ」

 夜神にはこの世界にて、他人がみずからを『夜神やがみ宵奈ような』と呼ぶことを良しと思わなかった。新しい世界で新しい肉体を持ち、新しい人生を歩みだそうとしているのに、日本という過去が頭の片隅にちらつくからである。

 ゲームに没頭している最中に、主人公のキャラクター名ではなくプレイヤー本人の名前を呼ばれて現実に引き戻される感覚、これに近い。


「そうなの……、分かったわ。けれども、ずっと名前を呼ばない訳にはいかないでしょう? 代わりに呼んでほしい名前はあるかしら?」

 事情を知らなくとも察してくれたのだろう。マーガレットは素直に彼女の要望に従い、代案を求める。


 夜神は首を傾げ顎に手を当て、脳内で前世で発見した前衛的イカした文言を羅列する。やがて大きく頷いて、これから生涯付き合っていく名をとなえた。

「メリヘム……」

 キリスト教に伝わる悪魔の一柱である。

 とある時期に悪魔関連にはまり、パソコンで調べていた際に目にした名であった。詳しい正体や権能はどこを探しても見当たらなかったが、逆にその正体不明さが夜神の興味を刺激して、忘れられない存在へと昇華されていた。

 どんな進化を遂げるか分からない、無限の可能性を秘めた未来の吸血鬼自分が名乗る名として最高の言葉だ、と夜神は確信していた。


「メリヘムさんね?」

「サンモ……イラナイ」

 自分の名の呼び方についてもお願いする。命の恩人に対して、敬称を付けさせるような傲慢さを夜神は持ち合わせていなかった。

「分かったわ……メリヘム」

 マーガレットはそれにふんわりと微笑み、了承した。

 

 その時、ずきりと胸の奥が痛む。自らの心の芯に何か刻まれるような感覚を覚え、反射的にうずくまるとマーガレットが背中をさすってくれた。


「もう一度ステータスを開いてみなさい?」

 言われるがままに念じると、先程とは明らかに違う文字が表示されていた。


■■■

【Name】 メリヘム/夜神やがみ 宵奈ような

【Race】 屍喰鬼グール

【Sex】 女

【Lv】1

【Hp】 99/100

【Mp】 10

【Sp】 100

【ATK】 10

【DEF】 10

【AGI】 2

【MATK】 9

【MDEF】 9


■■【職業ジョブ】■■

魔術師メイジ


■■【スキル】■■

<特殊エクストラスキル>

【完全耐性】Lv,1


■■【称号】■■

【転生者】


■■■


 【Name】の欄にて 《名前なし》とされていた箇所に、自分が定義した名前が記載されている。

「メリヘム……メリヘム」

 夜神は黒い板へ新たに記された文字列をなぞりながら、嬉しそうに何度も口で繰り返す。自分が決めたことそれがどんな形であれ、世界に反映されたという事実に心躍った。

 マーガレットも共に喜ぶように夜神――メリヘムの頭を撫でていた。


「それでは改めて、メリヘム。

話の続きをしましょうか」

「アイ……」

 マーガレットは懐からチェーンのついた眼鏡を取り出し、やや深い皺の相貌へと掛ける。

 鏡台の上に置かれていた冥王の特例ハデス・ノミコンが記載された巻物を閉じ、代わりに数枚の布を広げた。

 いつの間にか魔女の右手には、どこからか取り出したペンが握りしめられている。

「あなたが今、真っ先にしなければいけないことは簡単に死なない程度の実力をつけることよ。

理想の自分も、行きたい場所も、成したいことも、強さが伴ってしか叶わない」


 ペンが布の上を滑り、いくつかの文字をしるす。

「強くなるためには経験値を稼いでいくことが必要不可欠、そして経験値は他者を倒さなくてはならない。ここまではついてこれているかしら?」

 大目標から中目標へと説明を繋げていく。教師の経験があるのか、話し方によどみは感じられない。


 マーガレットの確認に、メリヘムは大きく頷いた。

「デモ……」

 大きな問題が立ちはだかる。倒すべき他者にどのようにして出会うかということである。

 安全な家の中ではそのような機会に恵まれることは皆無であり、かといって外に出れば監視に見つかる。サルチナに出会ってしまえば一環の終わりである。


「任せてちょうだい。ここで私の秘密の出番よ」

 マーガレットはまず最初に、部屋の隅を指さした。

 よく目を凝らすと一部の床板が他と比べて盛り上がっていることが分かる。


 隠し扉である。


「離れていてちょうだい」

 マーガレットが床板の一部を軽く叩くと、取っ手が跳ねるようにして起き上がる。それをヴェヒターが掴み扉を押し上げた。木材の傷み様からかなりの年月が経っているように思えるが、埃はあまり巻き起こらなかった。

 扉の向こう側には大きな穴がぽっかりと開いていた。降りるための縄梯子が備えてある。


 ふと、獣のような鳴き声がかすかに聞こえた気がした。

 メリヘムが穴の奥を覗こうと近づくと、ひんやりとした空気が首筋を伝い、部屋の中へ徐々にに混ざっていくことが分かる。


「この下はダンジョンと呼ばれる特別な場所につながっているの。住んでいる者もモンスターと呼ばれる存在で、倒しても誰にも迷惑を掛けないし、誰にも気が付かないわ」

 マーガレットの説明を聞きながらメリヘムはつばきを飲み込んだ。


「今の丸腰のあなたでは、入り口付近の弱いモンスターにも殺されてしまうわ。倉庫にいくつか装備品があります。何点か見繕みつくろいましょう」

 剣と魔法の世界の武具とご対面する、その言葉に屍喰鬼グールの目が輝いた。

 軽い足取りで魔女の後について行こうとすると、当の魔女が歩みを止めている。不思議に思って見上げると、眼鏡越しの視線が少女の頭部を見つめていた。


「あぁ……その前にその長い髪も結ってあげましょう。戦闘で傷ついてしまったら、せっかくの素敵な髪が可哀想よ」

 マーガレットはメリヘムの両肩に手を置くと、その小さな身体をクルリと回させて鏡台へと導く。

 メリヘムにはマーガレットが、この状況を楽しんでいるように見えた。

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