第117話 屍喰鬼は吸血姫の夢を見ない Ⅳ

 十分後、ようやく夜神は引っ付いていたヴェヒターからはがれた。

 すっかり冷めてしまったおかゆで少女が軽い食事を済ませると、ヴェヒターは空の食器を持って退室し、マーガレットは化粧机の椅子に腰掛ける。


「さて、たくさん説明することがあるけれど、まずは私たちの紹介から始めましょうか」

 ベットの上で正座をする夜神に対して、マーガレットは自身の胸元に手を当てる。


「私の名前はマーガレット・ディ・ファールハイト。ここで、日夜にちや研究に明け暮れているしがない魔女よ。気軽にマーさんと呼んでちょうだい」

「マー……ガ……レット……?」

 彼女の名前を繰り返そうと舌を動かしたとき、夜神は違和感に気が付いた。

 『マーガレット』という固有名詞は文字通り発音できる。しかし、『さん』という敬称をつけようとした瞬間、夜神の頭の中に日本語の『さん』と、別の言語・・・・での敬称が浮かんだのだ。

 奇妙な感覚だった。その別の言語・・・・は、夜神が今まで触れたことのない文法であるはずなのに、自然に問題なく使えるのだ。


 気が付いた上で、改めてこの世界に来てから己に投げ掛けられた言葉を思い返す。どれも、明らかに地球の言語ではない。

(どうなってしまっているのかしら、私の身体)

 それほど重大な変化に今まで気が付けなかった。先ほどまで、理解できて当たり前のように聴いていた。その事実に夜神は混乱した。


「どうかしたの?」

 マーガレットが不安そうに見つめる。

 夜神は考えた。ここで今浮かんでいる複雑な疑問をぶつけようにも、扱いづらいこの口ではおそらくうまく説明しきれないであろう。

 結論として、何もなかったように彼女の希望した呼称を返すことにした。


「マー……サン」

「そうよ」

 名前を呼ばれた魔女は嬉しそうに手を合わせた。

 どさりとマーガレットの横で物音が聞こえる。見ると、食器を片付け終えたヴェヒターが、どこからか持ってきた大きなクッションを床に敷き、その上に体育座りで腰を下ろしていた。


「彼はヴェヒター。家事全般を含めた、私のサポートをお願いしているわ」

「カラダ……カッコイイ」

 夜神はヴェヒターに向けて両手を伸ばし、わしわしと指を動かす。まだ触り足りないようである。

 ヴェヒターは、少女から後ずさった。


魂魄人形ゴーレムを見るのは初めてかしら」

「ゴー……レム!」

 魅力的な言葉に夜神の瞳が輝く。

「そう、人間の魂が入った動く人形よ。作り方は、まず1日目に今まで立ち入ったことのない建物を、ゴーレム作成の工房と定める。次にこの世に未練を残した死者の魂と対等な取引を行い、4日掛けて人形を作成する」


 マーガレットは立ち上がり、人形の肩をコンコンと軽くたたいた。

「理想的な工程日数の内訳は、材料から人型を作るのに2日」

 そして、人形の表面で光る白線に指を滑らせる。

「砕いた魔石を混ぜた塗料で、人形全体に術式を描くのに2日といったところね」


 魔女は天高く人差し指をピンと立て、得意げに語りだす。

「そして、6日目に人形の額へ『EMETH』と刻めば、取引を行った魂が人形と結びついて完成するわ。面白いことに魂魄人形ゴーレムは、6日の労働と1日の自由時間の7日周期で動くこと、と古代から決められているの。これは天地創造において神が人間を6日目に作り出し、7日目を休みと定めたことと実に似ていると思わない? つまり、ゴーレム製作者は自身を神、ゴーレムを作る工房を世界に見立てて、疑似的な人間を生み出しているのではないかと私は考察して……」

 長々とした説明の途中で、マーガレットは喋っているものが、本題から大きくそれていることに気が付いた。


「……失礼、研究者としてのさがかしら? ついつい、解説に力が入ってしまったわ」

「モット……ハナシテ!」

 宝石のようにキラキラ光る夜神の瞳を見て、マーガレットに一瞬迷いが生じるも、それを払うように首を振った。


「だめだめ、また今度。今は貴方と私たちの信頼関係を築くことが重要よ。

他に何か気になっていることがあったら答えるわ」

 魂魄人形ゴーレム関連以外の質問にしてね、と魔女は念を押した。


 その言葉に夜神は考え込む。

 正直なところ今すぐ問いただしたい事柄が、次から次へと湧いていたのである。

 今はいったいいつなのか。『勇者召喚より前』というネモの言葉を信じるとして、具体的に何年前なのか。

 場所はどこなのか。勇者を召喚したという『神聖ルべリオス王国』との、位置関係はどうなっているのか。

 何度かの逡巡の後、言葉を絞り出した。

「ダ……イジョウ……ブ」


(冷静になれ夜神宵奈! 今の一番は勇者それじゃない)

 一度大きく息を吸い、吐く。

 最優先事項は身体に何が起きていて、何故吸血鬼に命を狙われているかである。死んでしまってはこの世界を自分なりに楽しむことも、勇者たちとの再会もできない。


「……アノ!」

「どうしたの?」

 マーガレットが首を傾けると、夜神は自らの頬を手で押さえる。

「ワタ……シノ……カラダ、イマ……ドウナッテ……イルノ?」


 マーガレットは先ほどまで座っていた椅子を引くと、手招きを行う。

「こっちに来てちょうだいな、まずは貴方の今の姿を確認しましょう」

 夜神は素直に椅子の上にちょこんと座った。すると、机に取り付けられている鏡面に今の夜神の姿が映る。

 体中の肌は土気色に染まり、目はぎょろりと動く。唯一プラチナに輝く髪が、元人間の身体ということを示していた。

 死んだばかりなのか、もしくは保存状態が良かったのか、体はあまり腐敗していなかった。夜神は少しばかり落胆を覚える。

(いまいちね……もう少し白骨化していればおどろおどろしくて素敵なのに)


 やや斜めな思考の少女の肩に魔女は手を添え、耳元でささやく。

「受け止められたかしら?

とりあえず、『ステータスオープン』と唱えてもらっていい?」

「……アッ!」

 ネモより確認してほしいといわれていたことを、すっかり忘れてしまっていた。状況周り状況あまりにも面白すぎだったとはいえ、冷静さを欠いていた自身を戒める。


「ステータス……オープン」

 すると鏡の前に、宙に浮かぶ黒い板が現れた。


■■■

【Name】 《名前なし》/夜神やがみ 宵奈ような

【Race】 屍喰鬼グール

【Sex】 女

【Lv】1

【Hp】 98/100

【Mp】 10

【Sp】 100

【ATK】 10

【DEF】 10

【AGI】 2

【MATK】 9

【MDEF】 9


■■【職業ジョブ】■■

魔術師メイジ


■■【スキル】■■

<特殊エクストラスキル>

【完全耐性】Lv,1


■■【称号】■■

【転生者】


■■■


(名前の欄が2つに分かれているのは、この世界と日本前世の分ということかしら? それよりも……)

 すぐに夜神は、表示された文字列に興味を移す。

種族Race屍喰鬼グール! 素晴らしいわ! 特に表示の仕方が素敵ね、漢字の上にルビを振るって、本当に罪な行為よね)


「……もしよろしければ、見せてもらえないかしら?」

 後ろからのマーガレットの言葉に、小さな屍喰鬼グールは折れそうなほど細い首を傾げた。彼女は今、自身の後ろに佇んでいるはずなのだ。好きなだけ覗き込めるというのに、どうしてわざわざ許可をとる必要があるのか、と。


 考え込む夜神を見て、マーガレットは何かを悟ったように補足を続ける。

「個人のステータスは、基本的に本人が許可しなきゃ他人は見れないの。『許可する』って頭の中で唱えてみて」

「ウン!」

 言われたとおりに念じると、マーガレットがステータスの文字に合わせて目を動かし始めた。


「アンシン……ダネ」

 プライバシーに配慮された設計に夜神が感心すると、マーガレットがチチチと指を振る。

「鑑定系のスキルで無理やり見るという、例外的な方法もあるわ。閲覧を許可していない相手が、ステータスの情報を何故か知っていたという体験、したことないかしら?」

「……ア」

 一つ、心当たりがあった。サルチナである。

 彼女には許可していないはずなのに、スキルの欄に書かれている【完全耐性】を知っていた。あの吸血鬼がこちらを凝視した意味を理解すると同時に、ゾッとした寒気に襲われる。


 マーガレットは椅子の隣に腰を落とし、二人の目線を同じ高さに揃える。

「さて、あなたのステータスから。おおむねあなたの置かれている状況をつかめてきたわ。落ち着いて聞いてちょうだいね」

 唾を飲み込む屍喰鬼に、魔女は残酷な事実を告げた。




夜神やがみ宵奈ようなさん、このままだとあなたは確実に死ぬわ」

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