第106話 感謝はいらない
王都が如何に人に富んでいるとは言え、路地裏へと深く入り込めば人通りは少ない。
ましてや今は祭の最中、明るい喧噪を避けて暗い小道を選ぶ者はさらに限られる。
先ほどまでは自分以外の人影は見当たらない程であった。
ばさりと翼のはためく音が聞こえる。
風が一つ吹いたかと思えば、仮面の横に赤い
「宿に置いていくなんて、薄情な奴だなぁ」
「別に私に付き合わなくてもいいのだが」
「アンタが頑張ってるのに、あたしがぶらぶらしてたら相棒失格だろ?」
当然でしょう、とばかりに胸に手を当てる。
「失格ではないさ、中村の発言を聞いていたはずだ。
彼の迷いを断ち切ってくれただけで、十分に助かっている。後は一緒に祭を楽しめば良い」
「聞いていたからこそだよ。大好きな『あの子』のために頑張りたい、と言っている男の子の横にあたしがいちゃそれこそ野暮ってものさ」
「そんなものなのか?」
「ものなのだ。恐らくだけどその『あの子』――名前教えて?」
「
「そのムラカミって
「……」
村上綾香の恋慕はクラスでは有名であるため、自分にとっては既知の事実である。それだけに、的を射た彼女の断言に言葉が詰まった。
「その根拠は?」
如何にして結論に至ったか、純粋な興味を含んだ問いかけであった。
「理由? 何ていうかあの坊主のたどたどしい言葉を聞いていると、本当に守りたいんだなぁ……とか、それだけ愛情を注がれたんだろうなぁ……とか。
まぁ、その他いろいろごちゃごちゃとあるけど、ご破算願いましてはつまりまとめると
……山伏の勘」
彼女は人差し指で額をつつきながら言葉を濁す。すなわち第六感に頼ったらしい。
「だからさ、まぁ。
あんまり坊主にベタベタとひっつくと、嫉妬の業火で火傷するのが分かるワケさ」
「程度を
「そうじゃないんだよん」
頑固者を諭すように、口の前で人差し指をチチチと左右に振る。
「好きな人の横にお邪魔虫がいると、知らず知らず心に
こればっかりは直そうにも、どうしようもない」
「難儀な代物だ」
言外で彼女に、お前にはまだ早いと告げられる。軽くあしらわれたことに強がろうとする自らの自尊心へ、『幼い』と自嘲を促した。
「さぁさぁ甘酸っぱい話もそこそこにさ。
出店のご馳走、何か食べたかい?」
【烏族】は話題をやや強引に変えた。
こちらの心情を察してのことか。否、これは彼女本来の性格によるものだ。
一本歯の下駄を、カランコロンと鳴らして自分の横を並んで歩く。
耐えきれずに自ら切り出したのは、それから少し経った時であった。
「……クラマ」
「んむ? どしたの、改まって」
歩みを止めて、彼女の方へ向き直る。
雰囲気が変わったことを悟ったのか、小首をかしげて目を合わせた。
「……興味はないのか? クロードではなく影山亨としての私について」
遠藤と自分との会話を、この地獄耳は聞いているはずであった。
目の前にいる男は、世間一般では少女に暴行を加えた容疑が掛かった人物だと認識したはずなのだ。
性分を考えれば再び面と向き合えば真っ先に問い詰めてくるのは必然と、内心身構えながら待っていたのだ。
しかし、クラマは『どうしてそんなに強くなろうと思ったのか』という一つの質問をしたきり、それ以上には踏み入ろうとしない。いつものように笑みを湛えたまま、さも当然のように変わらず接してくれている。
だからこそ、自分はそのような彼女に負い目に近いものを抱いた。
時間がたつほどに罪悪感と疑問が膨れ上がり、心に重りとしてのしかかっていた。
「んん~。まぁ根掘り葉掘り聞いてみたい気持ちが、ないというと空言になるけどさ」
シミ一つない頬を人差し指で掻いた後、片眉を上げて何とも言えない顔をした。
「聞いてほしいの?」
「それは……」
……あの決闘の話は正直苦手であった。
自分もまた当事者である以上、どのように言葉を選んでも自らを正当化し、逆に言峰側を貶めるような言い方になる。
言峰にも言峰なりの立場と言い分があると考えれば、無神経に悪口を言えるほど肝は太くなかった。
しかし、今はそのようなことに臆している程悠長に構えてはいられない。
何よりクラマはこの世界で初めて出来た、仕事仲間以上の存在――友達である。
いつか必ず露見する日が来る。その時に友情を失うぐらいなら、今疎遠になってしまった方が心の整理が付けられる。
覚悟のうえで中村たちと共に、素性を暴露したのだ。
「ほしい、ほしくないの話ではない。
私はクラマの相棒、だから……素直に話す義務があり、クラマは聞く権利がある……と……思う」
疑惑のある相手に背中を預けることほど難しいものはない。
彼女があえて作ってくれた逃げ道の誘惑を振り切って、絞る出すように言葉を吐いた。
「ほう、権利と言いましたな?」
紅い瞳が意味ありげに光る。
その頭蓋の中では何を思案しているのか、彼女の言動に神経を集中させた。
しかし彼女はそんなもの知るかとばかりに両手で錫杖の端と端を握りしめ、そのまま拳を天へ突き上げるようにして伸びをした。
「じゃあ、聞~かない!」
「まてまてまてまて、まった、まって」
薄暗い路地に対照的な、底なしに明るい声が拡散した。
予想外の返答に思わず、彼女の結論へ口を出す。
「……本当にいいのか? 何故そこまで突っぱねる」
「何故も何も『聞く権利』なんだから。問うか問わんかはあたし次第、だろ?」
「クラマがそれでいいのなら……」
確かに権利と呼称はしたが、あくまでそれは問いやすくするための建前である。
今すぐにでも訂正を行いたいが、この少女は覆水を盆に返してくれるほど甘くはない。
どうしたものかと後頭部に手を当てた時、視界の端で黒髪がこちらに近づいた気がした。
「……気づいてないだろうけどさ。
あの二人に正体ばらしたとき、少し寂しそうだったよ」
前を見ると両手を錫杖ごと後ろに回して、こちらに詰め寄っている
「これであたしに見限られるかもしれない、そう思ったんだろ」
「思った。そう……見えたか?」
「見えた、感じた、鼻で笑った。
あんたとあたしが初めて会った時のこと、覚えてる?」
「あれほど印象的だと忘れることすら出来ない」
目を瞑れば途端に浮かび上がる。魚を咥えたあの不敵な笑みは後にも先にも彼女だけであろう。
「こっちは隠し事をしてたのに許してくれただろ?
何でそれがあんたの時だけ許されないのさ。」
「君と私だと隠していた秘密の種類が」
「あたしが隠したのは里の長、あんたが隠したのは過去の自分。さて、どこに決定的な違いがある?」
正体を隠したのはお互い様じゃないかと、
言葉の抑揚がそうさせるのだろうか、こちらの言い分は遮られたが不快感は沸いてこなかった。
「これでおあいこ。
あんたはもううじうじしない、あたしはこれ以上突っつかない。それでいいでしょ?
だからさ、いつか心のとっかえが取れたらさ、酒の肴に語ってよん」
「……ありがとう」
心を込めた五文字に対して、彼女は困ったように眉尻を下げた。
「そこはお礼じゃない方がうれしいかな」
自分は顎に手を当てて、送るべき言葉を探る。
難解な問題だと思った。
しかし、分かってしまえば単純なことであった。
「……これからもよろしく、相棒」
「こちらこそ、
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